オースチン・アイドル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オースチン・アイドル
オースチン・アイドルの画像
1984年
プロフィール
リングネーム オースチン・アイドル
アイアン・マイク・マッコード
本名 デニス・マッコード
ニックネーム ミスター・ガルフ・コースト
黄金の鷲
身長 187cm[1]
体重 110kg(全盛時)[1]
誕生日 (1949-10-26) 1949年10月26日(74歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
フロリダ州の旗 フロリダ州
ヒルズボロ郡タンパ
デビュー 1972年
引退 1998年
テンプレートを表示

オースチン・アイドルAustin Idol、本名:Dennis McCord1949年10月26日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーフロリダ州タンパ出身。

オースチン・アイドル名義での現役選手時代は「ネバダ州ラスベガス出身」を自称し、スーパースター・ビリー・グラハムリック・フレアーを足して割ったような金髪の伊達男系マッチョマンとして活躍[2]1980年代初頭は、同じくグラハムの影響下にあるハルク・ホーガンと比較されることも多かった[2]

来歴[編集]

1972年に地元のNWAフロリダ地区(エディ・グラハム主宰のチャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ)にてデビュー。当時はアイアン・マイク・マッコードIron Mike McCord)を名乗り、オーストラリアに遠征してNWA豪亜タッグ王座の初代チャンピオンになったこともある(1972年12月2日、ジミー・ゴールデンと組み、トーナメントの決勝でブルート・バーナード&ボビー・ハートを破って戴冠)[3]。その後はWWWFなどを転戦したが、1975年2月20日、フロリダにて軽飛行機で移動中に墜落事故に遭う[4][5]。一時は選手生命を危ぶまれたものの、1978年にカムバック。オースチン・アイドルAustin Idol)と改名し、髪をブロンドに染めビルドアップされた肉体を誇示するヒールとしてテネシー地区で再起を図った[6]

1979年ジェリー・ローラーとの敗者追放マッチに敗れアラバマに転戦、6月13日にテリー "ザ・ハルク" ボールダーこと後のハルク・ホーガンから南部版のNWAサウスイースタン・ヘビー級王座を奪取している[7]。その後はジム・バーネットの主宰するジョージア・チャンピオンシップ・レスリングに参戦。11月22日に行われたタッグチーム・トーナメントにマスクド・スーパースターと組んで出場し、決勝でジャック・ブリスコ&ジェリー・ブリスコを破りNWAジョージア・タッグ王座を獲得[8]、12月にはレイ・キャンディを下して同TV王座にも戴冠している[9]

1980年にはWWFにゲスト参戦して、2月18日にニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンに登場(オープニング・マッチでホセ・エストラーダに勝利)[10][11]。ジョージアに戻ると3月29日にミスター・レスリング2号からNWAジョージア・ヘビー級王座を奪取[12]。5月4日にはアトランタオムニ・コロシアムにおいて、ハーリー・レイスNWA世界ヘビー級王座に挑戦[13][14]トミー・リッチスタン・ハンセンとも抗争を展開するなど、日本でも「まだ見ぬ強豪」として注目を集めた[2]

同年8月、全日本プロレスに初来日[1]。開幕戦ではジョージアでの宿敵だったキャンディと組んでジャイアント馬場&ジャンボ鶴田と対戦、鶴田から得意のラスベガス・レッグロックLas Vegas Leglock)でギブアップを奪う[15]。同じシリーズに来日していたミル・マスカラスとの抗争アングルでもヒールとしての持ち味を十二分に発揮し、期待に違わぬ活躍を見せた[1]。再来日が待たれたが、帰国後は全日本プロレスと提携関係のなかったメンフィスCWAやアラバマのSECWに定着し、他地区への遠征をほとんど行わなくなったため来日は中断する。

メンフィスでは1980年10月6日、ビル・ロビンソンを破りCWA世界ヘビー級王座を獲得[16]ジミー・ハートマネージャーに迎え、因縁のローラーやリッチ、ビル・ダンディーらと抗争を展開した[17]。その後はベビーフェイスに転向して、SECWでは1982年8月にジョー・ルダックからNWAアラバマ・ヘビー級王座を、12月にデビッド・シュルツから統一版のNWAサウスイースタン・ヘビー級王座をそれぞれ奪取[18][19]ウェイン・ファリスモンゴリアン・ストンパーとも抗争を繰り広げた[20][21]

CWAでは1983年2月にCWAインターナショナル・ヘビー級王座の初代王者に認定され、翌1984年5月にかけて通算4回に渡って戴冠[22]、ハンセン、ケン・パテラランディ・サベージキング・トンガリック・ルードらと王座を争った[22][23]。旧敵のローラーともタッグを組み、1984年にはロード・ウォリアーズと再三対戦している[24]。同年2月14日にはメンフィスのミッドサウス・コロシアムにて、ニック・ボックウィンクルAWA世界ヘビー級王座に挑戦[25]リック・フレアーが保持していたNWA世界ヘビー級王座にも、SECWの拠点アラバマ州モービルやフロリダ州ペンサコーラにて度々挑戦した[26]。ローラーとのタッグでは、後にスティングおよびアルティメット・ウォリアーとして大ブレイクを果たすことになる、フラッシュ&ジャスティスのフリーダム・ファイターズともAWA南部タッグ王座を賭けて対戦した[27][28]

1980年代後半はCWAでポール・E・デンジャラスリーをマネージャーに迎えるなど再びヒールとなり、1987年2月3日にはトーナメントの決勝でソウル・トレイン・ジョーンズを破り、前王者ローラーの負傷による返上で空位となっていたAWA南部ヘビー級王座(旧ミッドアメリカ版NWA南部ヘビー級王座)を獲得[29]。以降、同王座を巡りローラーとの抗争を再開した[23][30]。同じくヒールターンしていたリッチと組み、AWAからCWAに参戦してきたマーティ・ジャネッティ&ショーン・マイケルズのミッドナイト・ロッカーズとも対戦している[31]

同年8月、WWF入りしたテッド・デビアスに代わり、旧友ハンセンのPWF世界タッグ王座のパートナーに起用され全日本プロレスに久々に来日したが、天龍源一郎&阿修羅・原龍原砲に敗退[32]。その後、マイティ井上のストマック・ブロックで肋骨を骨折し、途中帰国を余儀なくされた。最後の来日となった翌1988年3月には、ジョージアとテネシーを通しての盟友リッチとのコンビで参戦、ハンセンを交えての6人タッグマッチも行われた[33]

以降はベビーフェイスに戻り、テネシーやアラバマで単発的に活動を続けた後、1998年に現役を引退して不動産バイヤーに転身した[5]

2011年8月12日、ジャガロ・チャンピオンシップ・レスリングPPV "JCW Legends & Icons" において久々にリングに登場。テネシー地区のレジェンド5人による5ウェイ・マッチに出場して、ダッチ・マンテルココ・B・ウェアブリックハウス・ブラウンダグ・ギルバートを相手に勝利を収めた[34]

得意技[編集]

獲得タイトル[編集]

コンチネンタル・レスリング・アソシエーション
ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
サウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAアラバマ・ヘビー級王座:2回[18]
  • NWAサウスイースタン・ヘビー級王座:3回[19]
  • NWAサウスイースタン・ヘビー級王座(南部版):1回[7]
ワールド・チャンピオンシップ・レスリング(オーストラリア)
テキサス・オールスター・レスリング
  • TASWヘビー級王座:1回[38]
全日本プロレス

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P42(2002年、日本スポーツ出版社
  2. ^ a b c 月刊プロレス』昭和55年9月号 P120-121(1980年、ベースボール・マガジン社
  3. ^ a b NWA Austra-Asian Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年10月26日閲覧。
  4. ^ 飛行機には、1971年日本プロレスに来日したボビー・シェーン、1969年国際プロレスに来日したバディ・コルト、そして後にグレート・カブキグレート・ムタのマネージャーとなるゲーリー・ハートも同乗していた。この事故でシェーンは死亡、コルトは引退。ハートも選手生命を絶たれ、マネージャー業への本格的な転身を余儀なくされた。
  5. ^ a b Austin Idol shoot interview doesn't reveal all”. Slam Wrestling (2009年12月8日). 2010年3月9日閲覧。
  6. ^ Austin Idol plans run for Tampa Mayor”. Slam Wrestling (2009年7月22日). 2014年3月5日閲覧。
  7. ^ a b NWA Southeastern Heavyweight Title: Southern Division”. Wrestling-Titles.com. 2012年4月29日閲覧。
  8. ^ a b NWA Georgia Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年4月29日閲覧。
  9. ^ a b NWA Georgia Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年4月29日閲覧。
  10. ^ The WWE match fought by Austin Idol in 1980”. Wrestlingdata.com. 2014年10月26日閲覧。
  11. ^ WWE Yearly Results 1980”. The History of WWE. 2010年9月1日閲覧。
  12. ^ a b NWA Georgia Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年4月29日閲覧。
  13. ^ The Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1980”. Wrestling-Titles.com. 2010年9月1日閲覧。
  14. ^ GCW: Events Database”. Cagematch.net. 2022年6月17日閲覧。
  15. ^ AJPW 1980 Summer Action Series II”. Puroresu.com. 2022年6月17日閲覧。
  16. ^ a b CWA World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年4月8日閲覧。
  17. ^ The USWA matches fought by Austin Idol in 1981”. Wrestlingdata.com. 2014年10月26日閲覧。
  18. ^ a b NWA Alabama Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年4月29日閲覧。
  19. ^ a b NWA Southeastern Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年4月29日閲覧。
  20. ^ The CCW matches fought by Austin Idol in 1982”. Wrestlingdata.com. 2014年10月26日閲覧。
  21. ^ The CCW matches fought by Austin Idol in 1983”. Wrestlingdata.com. 2014年10月26日閲覧。
  22. ^ a b c CWA International Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年4月8日閲覧。
  23. ^ a b Wrestlers Database: Austin Idol”. Cagematch.net. 2014年10月26日閲覧。
  24. ^ Austin Idol and Jerry Lawler vs. The Road Warriors”. Wrestlingdata.com. 2014年10月26日閲覧。
  25. ^ The USWA matches fought by Austin Idol in 1984”. Wrestlingdata.com. 2014年10月26日閲覧。
  26. ^ Austin Idol vs. Ric Flair”. Wrestlingdata.com. 2014年10月26日閲覧。
  27. ^ CWA 1985/12/16”. Cagematch.net. 2015年9月15日閲覧。
  28. ^ Tag Team "Blade Runners"”. Wrestlingdata.com. 2015年9月15日閲覧。
  29. ^ a b AWA Southern Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年10月26日閲覧。
  30. ^ The USWA matches fought by Austin Idol in 1987”. Wrestlingdata.com. 2014年10月26日閲覧。
  31. ^ The USWA matches fought by Austin Idol in 1987 (2)”. Wrestlingdata.com. 2014年10月26日閲覧。
  32. ^ The AJPW matches fought by Austin Idol in 1987”. Wrestlingdata.com. 2014年10月26日閲覧。
  33. ^ The AJPW matches fought by Austin Idol in 1988”. Wrestlingdata.com. 2014年10月26日閲覧。
  34. ^ JCW Legends & Icons”. Cagematch.net. 2023年9月27日閲覧。
  35. ^ AWA Southern Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年10月26日閲覧。
  36. ^ CWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年10月26日閲覧。
  37. ^ NWA National Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年3月30日閲覧。
  38. ^ Texas All-Star Wrestling USA Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年10月26日閲覧。
  39. ^ PWF World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年10月26日閲覧。

外部リンク[編集]