ドラディション

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ドラディションは、日本プロレス団体

歴史[編集]

無我ワールド・プロレスリング[編集]

2006年
  • 1月、西村修が方向性の違いから新日本プロレスを退団。同時に契約更改で新日本と決裂したヒロ斎藤後藤達俊、新日本を退社したリングアナウンサーの田中秀和後楽園ホールで自主興行を開催することを表明。
  • 6月、西村の師匠に当たり、かつて自主興行「無我」を一緒に運営してきた藤波辰爾が紆余曲折の末に新日本を退団。藤波は裏から彼らの自主興行をサポートすることを発表。
  • 7月12日、無我ワールド・プロレスリング(むがワールド・プロレスリング)を設立。
  • 7月15日、名誉顧問にカール・ゴッチが就任。
  • 8月2日、後楽園ホールで旗揚げ戦「新無我伝説エピローグ〜BLACK CAT MEMORIAL〜」を開催。
  • 8月28日、吉江豊竹村豪氏が入団。
  • 9月15日、ヒロ、後藤、長井満也が入団。
2007年
  • 7月28日、名誉顧問のゴッチが死去。
  • 10月19日、西村が試合数の少なさ(1か月単位でしか興行が開始されていない)を理由に新人である征矢学を率いて退団して全日本プロレスに移籍。
  • 11月29日、後藤の新聞などのインタビューによって団体側との信用を損なったとして即日出場契約を打ち切った。
  • 12月13日、藤波が「無我ワールドとしての興行は今日が最後」と語って新しい団体名をドラディションと発表。藤波のニックネーム「ドラゴン」と英語の「tradition(伝統、伝説)」を組み合わせた造語。2008年1月1日より、この団体名で活動している。

ドラディション[編集]

2008年
  • 2月23日、プレ旗揚げ戦を開催。
  • 3月20日、旗揚げ戦を開催。

所属選手[編集]

スタッフ[編集]

レフェリー[編集]

役員[編集]

代表取締役社長[編集]

過去の所属選手[編集]

過去のスタッフ[編集]

故人[編集]

名称、商標問題[編集]

ワールドプロレスリング日本教育テレビ(現:テレビ朝日)において1969年から放送されているプロレス中継番組名でもあるが、この名称は商標登録が無いまま長年使用されていた。2006年3月に藤波辰爾の個人事務所「シーホースコーポレーション」がこの「ワールドプロレスリング」の名称について商標登録を申請して「無我」、「無我ワールド」の名称は、2005年10月に西村修が商標登録申請しており、このうち「無我」については2006年6月に商標登録が認められている(商標第4962762号)[1]。しかし2007年10月に「無我」の商標を持つ西村が団体を離脱して年内で「無我ワールド・プロレスリング」としての活動を打ち切った[2]

エピソード[編集]

藤波辰爾と親交のある島田紳助が司会を務めるABCの番組「クイズ!紳助くん」のリポーターが2006年9月15日から18日までの無我ワールド・プロレスリング巡業の密着取材を行い、10月上旬に「なにわ突撃隊」のコーナーで放送された。11年前に新日本プロレスの在籍時の無我プロジェクトが紳助の同番組で紹介されたのが縁で今回の無我旗揚げの経過も取り上げられた。

脚注[編集]

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  1. ^ なお「ワールドプロレスリング」、「無我ワールド」については2007年10月22日現在特許庁の特許電子図書館における検索にヒットするものがないことから、おそらくは拒絶査定となったのではないかと思われる。
  2. ^ 日刊スポーツ・2007年10月28日付

外部リンク[編集]