ヤマハ・ブラザーズ

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ヤマハ・ブラザーズThe Yamaha Brothers)は、星野勘太郎山本小鉄によるプロレスタッグチーム

概要[編集]

日本プロレスに所属していた星野勘太郎山本小鉄が、1967年1月より共にアメリカへ初遠征して結成。南部テキサステネシーを主戦場に、小型でもパワフルであると評判だったヤマハ日本製オートバイにあやかり、ヤマハ・ブラザーズのタッグチーム名で活動した。テネシーのNWAミッドアメリカ地区(後のCWA)では、ファーゴ・ブラザーズ(ジャッキー・ファーゴ&ソニー・ファーゴ)、ブルー・インフェルノス(フランク・マルティネス&ヒルベルト・メレンデス)などのチームと対戦している[1]

帰国後も日本プロレスのミッドカード戦線で活躍。1971年9月にはNWAタッグ・リーグ戦の第2回大会に出場して、キラー・コワルスキー&バディ・オースチンネルソン・ロイヤル&ポール・ジョーンズカウボーイ・ボブ・エリス&フランキー・レイン、グレート・スヌーカ&スニー・ワー・クラウドなどと対戦した[2]

1972年、山本は新日本プロレスの旗揚げに参加。星野も日本プロレス崩壊後、1974年より新日本プロレスに合流したことでコンビが復活。ハリウッド・ブロンズジェリー・ブラウン&バディ・ロバーツ)、ザ・モンゴルズジート・モンゴル&ボロ・モンゴル)などの名チームとも対戦し、アンドレ・ザ・ジャイアントとの1対2のハンディキャップ・マッチも行われた[3]

1979年1月21日には国際プロレスのリングにおいて、グレート草津&アニマル浜口からIWA世界タッグ王座を奪取した[4]。当時の新日本には全日本プロレスアジア・タッグ王座のような中堅用のタッグ王座が存在していなかったこともあり、これが国内におけるヤマハの唯一のタイトル戴冠となった。

1980年4月に山本が引退(引退試合はヤマハvs国際プロレスの鶴見五郎&大位山勝三)。チームも解散したが、1992年3月1日に山本が1試合のみ限定復帰。12年ぶりにヤマハ・ブラザーズを復活させて、ブラック・キャット&山本広吉と対戦した[5]1994年9月26日にも再々結成が実現しており、神戸ワールド記念ホールにおいて馳浩&小島聡と対戦している[6]

2003年5月1日、新日本プロレスの東京ドーム大会で行われたOBバトルロイヤルに共に出場。最後は両者が勝ち残ったが「ヤマハは2人で1つ、2人で優勝」とアピールし、ヤマハ・ブラザーズとして2人で優勝を果たした[7]。その後は2008年12月18日、後楽園ホールでの昭和プロレス第2弾興行において、グレート小鹿&ザ・グレート・カブキと対戦[8]2010年8月28日に山本、同年11月25日に星野が死去したため、これがヤマハ・ブラザーズのラストマッチとなった。

獲得タイトル[編集]

NWAミッドアメリカ
国際プロレス

脚注[編集]

  1. ^ The GWE matches fought by Kotetsu Yamamoto in 1967”. Wrestlingdata.com. 2019年8月6日閲覧。
  2. ^ JWA 1971 The 2nd Annual NWA Tag Team League”. Puroresu.com. 2019年8月6日閲覧。
  3. ^ NJPW 1975 Golden Fight Series”. Puroresu.com. 2019年8月6日閲覧。
  4. ^ a b IWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2019年8月6日閲覧。
  5. ^ NJPW Big Fight Series 1992 - Tag 1: NJPW 20th Anniversary Show”. Cagematch.net. 2019年8月6日閲覧。
  6. ^ NJPW G1 Climax Special 1994 - Tag 8”. Cagematch.net. 2019年8月6日閲覧。
  7. ^ 2003年の東京ドーム2DAYS”. ぼくらのプロレス. 2019年8月6日閲覧。
  8. ^ Showa Pro Wrestling II”. Cagematch.net. 2019年8月6日閲覧。
  9. ^ Yamaha Brothers: Title Reigns”. Cagematch.net. 2019年8月8日閲覧。

外部リンク[編集]