松山勘十郎

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松山 勘十郎
松山 勘十郎の画像
プロフィール
リングネーム 松山 勘十郎
本名 非公開
ニックネーム 千両役者
身長 165cm
体重 100kg
誕生日 (1984-04-13) 1984年4月13日(33歳)
出身地 新潟県南蒲原郡田上町[1]
所属 大衆プロレス松山座
スポーツ歴 レスリング
トレーナー ウルティモ・ドラゴン
デビュー 2004年5月16日
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松山 勘十郎(まつやま かんじゅうろう、1984年4月13日[1] - )は、日本プロレスラー

菊タローストーカー市川と共に「お笑いプロレストップ3」と言われている[1]

経歴[編集]

子供の頃からプロレスファンで、新潟での興行に足繁く運び、みちのくプロレスザ・グレート・サスケに質問コーナーでトレーニングに関する質問をしたこともある。

プロレスラーになるのが夢で、三条工業高校時代はレスリング部に所属するも、 運動経験がゼロだったこともあり、実力は低かった[1]

体力も技術もなかったが、高校卒業のタイミングに合わせて闘龍門13期生募集に応募して書類審査でパスした[1]。闘龍門を選んだ理由は、体格を問わないこと、体力テストがないこと、そして校長であるウルティモ・ドラゴンの存在だった[1]。神戸の道場で半年間練習後、ナウカルパンの闘龍門MEXICO道場で修業を積む[1]。「歌舞伎役者に顔が似ている」と勘十郎のリングネームを校長からもらい、5か月後の2004年5月16日、アレナ・コリセオでの自主興行で同期の大原はじめを相手にデビューしte勝利を収める[1]。その後、メキシコで試合を続けてタッグ王座のローカルタイトルを獲得して「ドラゴマニア」等にも出場[1]

当初は覆面レスラーだったという説もある[要出典]が、実際に覆面レスラーとしてリングでファイトした事実はない。当時、プライベートマスクを使用していた事があり、それを見て覆面レスラーだと勘違いしたという説が有力である[要出典]

2006年4月14日、日本に凱旋して後楽園ホール大会で鈴木健想とタッグを組んでいる[1]みちのくプロレスの「みちのく二人旅」にザ・グレート・サスケのパートナーとして出場[1]。そのまま準レギュラーとして出場して男盛との抗争でお笑いプロレス街道を邁進する[1]。2006年11月4日、大阪プロレスに初参戦して2008年から所属選手となった[1]

2014年4月20日をもって大阪プロレスを退団[1]。個人事務所「松山勘十郎事務所」を設立して客演や座長公演の開催をメインに活動していく方針を明らかにしている(本人はフリーという表現は使っていない)。また、事務所主宰の興行を行う予定で自身の目標として、同期でもあるオカダ・カズチカ新日本プロレス)とシングルを行うことだと言う。オカダ・カズチカとは闘龍門時代にメキシコの名前も知らないような小さい町で対戦したことがあるが、試合内容も勝敗も覚えていないという[1]

2014年9月14日、故郷の田上町で自主興行を開催。メインで6人タッグマッチに登場してウルティモ・ドラゴンとアジャ・コングとタッグを組んで対松山かずのすけ&ビリーケン・キッド&豊田真奈美組と対戦が決定。

2015年1月30日、インディペンデントシアター2ndで大衆プロレス松山座の旗揚げ戦を開催。一座の松山みゆき、松山かずのすけ、松山忠之輔、華名姫とブルアーマーリングサービスとの2団体所属選手になるめぃりぃなど5人の所属が決定。しかし、一座の人間は現世のレスラーの体を借りて活動をしているため、現世の4人のレスラーの活動は今までと同じままである。

得意技[編集]

マイクパフォーマンスやコミカルムーブを得意としてルチャリブレをベースに独特の動きを随所に垣間見せる試合を展開する。

陣太鼓
ダブルチキンウィング式フェイスバスターと同型。
バッククラッカーと同型。
好色一代男
変形スタナー。見得を切きって「ヨォ〜」のかけ声の後に相手の口元をつつみ太鼓のように叩いて仕掛ける。
山門
十六夜清心
松山千本桜
歌舞伎の飛び六方から放つ。
眩暈坂
オールドスクールと同型。花びらを仕込んだ扇子を広げてセコンドや観客に先端に模擬蝶付きの棒を持たせて帯同させる。
飛影
輪入道
愛しの乱れ髪
束ねたクラッカーから大量の蜘蛛の巣状テープを投げつける。
張り手合戦
試行錯誤を重ねて仕掛けるも全てブロックされて返り討ちに遭う。
ハリセン攻撃
試合中盤に使用する攻撃。
レインメーカー
オカダ・カズチカのオリジナル技だが時折使うことがある。なお、この技を使うことに関してオカダは「勘十郎なら、まあいいでしょう」と非公認だが使用することは認めている[1]

タイトル歴[編集]

下座音楽(入場曲)[編集]

松山勘十郎一座[編集]

かつて大阪プロレス平日興行に稀に登場していた現世のプロレスラーの体を借りて活動する一座。

エピソード[編集]

  • 特撮ヒーロー陰陽座犬神サーカス団、ストロベリーソングオーケストラをこよなく愛す。
  • 「だっふんだ」と声をかけられると志村けんの顔真似をする。
  • 試合時には仮面ライダー電王イマジンから、髪の毛にのいずれかのエクステを付けている。
  • 試合時のは素顔。隈取模様が無い時は世間一般の人を驚かさないようにした「世を忍ぶ仮の姿」である。
  • 金八先生物真似を得意とし、金八モードに入ると試合中にも物真似で相手を説教し始める。
  • ゴスロリメイドが好き。
  • コカ・コーラペプシコーラの区別が付く(コンドルブログより)
  • 闘龍門興行では、参戦中の下田美馬など女子レスラーによる試合にてレフェリーをこなすこともある。そのレフェリングは胸を触る、高速でカウントを取る、といったオチャメな悪徳ぶりで最終的にはやられ役になるのが定番の流れとなっている。
  • みちのくプロレス参戦時代に、地元の新聞(日刊)新潟日報2007年5月11日金曜日)21面(TV芸能)欄に、地元出身レスラーとしてカラー写真入りの記事が大きなスペースを割かれて掲載。記事冒頭で「(以下、掲載記事冒頭部分):新潟市新潟フェイズで13日に開かれる「みちのくプロレス(みちプロ)の興行に、田上町出身のプロレスラー松山勘十郎(23)が出場する。メキシコ修行から帰国して1年。複数の団体のリングに上がるまで成長した松山は「ファンを笑わせ、楽しめるプロレスを見せる」と、故郷での試合にかける意気込みを語る。」と地元のヒーローとして紹介される。
  • みちのくプロレスの気仙沼二郎も「基礎がしっかりしているから、ふざけているように見えても時々すごい技を出す」と、松山勘十郎の実力を認めている。(新潟日報2007年5月11日(金曜日)21面記事より)
  • みちのくプロレスの2007年5月13日の開催の新潟フェイズ大会時には、新潟日報における記事掲載だけでなく、新潟のローカルテレビ局テレビ新潟(TeNY)、新潟放送(BSNテレビ))、ラジオ局(新潟放送(BSNラジオ))などへの出演を果たし、その大会の結果を掲載したプロレス雑誌「週刊プロレス」でも、カラー紙面にて、「この大会で注目を集めたレスラー」として、当時の新人レスラーとしては破格の扱いで1ページの記事が掲載された。
  • 出身地の新潟県にある松之山温泉リングネームの松山という名前とは関係がない。
  • みちのくプロレス参戦時代に試合前なのに「沼二郎の部屋」という気仙沼二郎と松山勘十郎がトークをする、というコーナーがあった。
  • みちのくプロレス参戦時代の主な対戦相手は、男盛(アレクサンダー大塚)であった。
  • 技をかける時に、その技の名前を叫びながら行うことが多い。
  • 時にトペ・スイシーダを繰り出す。ただし、その体型から、飛ぶ際にセカンドロープを一瞬掴み、お腹がセカンドロープに引っかからないようにしている。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 「レスラーヒューマンストーリー第193回 松山勘十郎」、『週刊プロレス』No.1738、平成26年5月21日号(5月8日発行)、71-74頁、2014年。

外部リンク[編集]