この記事は半保護されています。(半保護の方針による半保護)

古閑美保

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
No image.svg 古閑 美保 Golf pictogram.svg
Miho Koga
基本情報
名前 古閑 美保
生年月日 1982年7月30日(34歳)
身長 167 cm (5 ft 6 in)
体重 60 kg (132 lb)
出身地 熊本県熊本市東区
経歴
プロ転向 2001年
成績
優勝回数 日本女子:12回
(公式戦:2回)
初優勝 2003年ヨネックスレディスゴルフトーナメント
賞金王 2008年
ベストスコア 63
世界ランク最高位 31位 (2006)
賞金ランク最高位 日本女子:1位 (2008)
2011年8月12日現在
テンプレートを表示

古閑 美保(こが みほ、1982年7月30日 - )は、日本の女子プロゴルファー熊本県熊本市東区出身。2007年4月より東京都在住。身長167cm。体重60kg。血液型B型。所属はフリー。ビジュアル系ゴルファーの元祖とされ[1]、2008年には賞金女王の座に就いた[† 1]。はとこはプロゴルファーの田口晴菜である[2]

経歴

3歳より父の指導により野球を始め、熊本市立託麻東小学校4年時より野球部に在籍[3]。すぐにエースで4番を任される[3]。当時の将来の夢は甲子園に出場しプロ野球選手になることだったが、親戚一同に将来のためゴルフに転向することを薦められ、家族を喜ばせるためにも、小学5年時(10歳)よりゴルフに転向することを決意、坂田信弘が主催する坂田ジュニアゴルフ塾に1期生として入塾する[1]。当初は野球部の活動と両立していた。

熊本市立二岡中学校在学時にジャパンカップ、世界ジュニアゴルフ選手権日本ジュニアゴルフ選手権競技で優勝するなどの成績を修める。東海大学付属第二高等学校時代に全国高等学校ゴルフ選手権大会連覇などの成績を修める。2001年1月より元・日本女子プロゴルフ協会会長の清元登子に師事し、同年9月にプロテスト一発合格(73期生)。翌月10月に行われた日本女子オープンゴルフ選手権競技で国内プロ初出場を果たす。

初優勝は2003年ヨネックスレディスゴルフトーナメントで、同年にLPGA新人賞と日本プロスポーツ新人賞を獲得している。

2004年3月にクラフト・ナビスコ選手権で日本国外メジャー初出場。

2006年は33試合で優勝2回、2位4回、その他10位以内が6回、賞金ランキング6位、獲得賞金約8632万円。

2007年11月25日リコー杯女子ゴルフ最終日において、5バーディー・ノーボギーの67、通算13アンダーの275を記録し、初日から最終日スタートまで首位を保っていた不動裕理を逆転し、公式戦初優勝を果たした。2007年の賞金ランキングは4位、賞金総額は約9429万円。

2008年、賞金総額1億2085万4137円で初の賞金女王に輝いた。

左手首の故障を理由に、2011年シーズン限りでトーナメントプロを引退した。ただしトーナメント以外のプロゴルファーとしての活動(解説者、ジュニアレッスン、トークショー等)は引き続き行うとしている[4]

人物

ビジュアル面や色恋沙汰で話題になることが多いが、実力においても日本女子ゴルフ界有数のプレイヤーで、常に10位以内に食い込む実力があり、優勝争いに加わることも多かった。2009年3月には『週刊ゴルフダイジェスト』の人気投票で読者大賞を受賞。

家族構成は、両親と4歳年下の妹が1人で、妹は古閑のキャディーを務めたことがある。

愛車はメルセデス・ベンツSL65AMG Black Series、3代目ランドローバー・レンジローバーヴォーグ座右の銘は 「笑顔」「忍耐」。先端恐怖症であり、虫が苦手でもある。

幼い頃、2度ほど生死の境をさまよった経験がある[5]。1度目は古閑がまだ母親の胎内にいた頃、切迫流産の状態に陥り古閑の心音も途切れてしまう[5]。医師から「お子さんは諦めて下さい」と告げられたが、母が強い意志であらゆる治療に耐えたことにより、古閑は無事この世に生を受けることができた[6]。2度目は、全国的に風疹が流行していた小学2年生の頃、古閑も風疹風疹ウイルスが脳に入ることによる脳膜炎に罹ってしまう[7]。古閑の父によれば、入院先の集中治療室痙攣を起こし暴れたり、死相が出るほどの重症で、医師からは「覚悟しておいて下さい」「もし助かっても、脳に障害が起きる可能性がある」と宣告されたというが、幸いにも完治し後遺症も残らなかった[7]

少年野球でエースと4番を任されていた熊本市立託麻東小学校5年時、熊本市水前寺野球場で行われた市の大会の決勝戦にて、当時熊本市立託麻原小学校6年生だった馬原孝浩(現・オリックス・バファローズ)からセンターオーバーの本塁打を打ったことがある[3](試合は5-6で敗れた)。古閑はその後当時のことを憶えておらず、馬原がラジオ番組で語っていた内容を親戚から聞き、思い出したという[8]。プロ野球読売ジャイアンツに所属する藤村大介(熊本工高)と親戚(再従弟)の関係で、なおかつ卒業した小学校と中学校が同じである。その縁からかジャイアンツ主催の公式戦の始球式に登板したこともあるが、古閑本人はアンチ巨人を公言している[9]

幼い頃からの憧れの人物は志村けん。2007年4月に放送された『コトバ咲く〜絆がくれたメッセージ〜』では、その憧れの志村けんからもらった自分宛のメッセージを読み上げた。他に好きな芸能人として、竹中直人がいる。

エピソード

2008年4月5日ヤマハレディースオープン葛城2日目、古閑は首位に3打差で迎えた5番(PAR5)のアプローチショットにおいて帯同キャディーの推奨する6Iを選択。キャディーのアドバイスに従いフルショットをするものの、ボールはグリーン手前の池に落ちた。この後、周囲の選手がバーディーを取る中、古閑はボギーに終わる。この結果に怒りが収まらなかった古閑は続く6番のティーグラウンドでキャディーに蹴りを放ったという。この後も調子は振るわず最終日を通算10オーバーの17位に終わっている。蹴打に関しては反省し、キャディーとその日に仲直りをした。その後、古閑側は、騒動についてのお詫びと、キャディーではなくゴルフ道具に対する蹴打だったと釈明するコメントを発表した[10]

契約先

年度別成績

年 度 年間獲得賞金 順 位 平均ストローク
2001年 64万9200円 144位 79.0000
2002年 345万1900円 88位 73.4545
2003年 5691万8980円 3位 72.4000
2004年 4805万3391円 9位 72.4706
2005年 3452万0016円 15位 72.3723
2006年 8632万3105円 6位 72.3959
2007年 9429万5178円 4位 72.2871
2008年 1億2085万4137円 1位 71.6832
2009年 7210万8420円 8位 71.1803
2010年 3453万1911円 25位 72.9565
2011年 1664万2640円 47位 72.8637

優勝記録

アマチュア

プロ

出演

テレビ

他多数

CM

ポスター

Web

関連図書

  1. ^ 2007年賞金女王の上田桃子は坂田塾および東海大二高の4年後輩にあたる。

出典

参考文献

関連項目

外部リンク