エクソダス (バンド)

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エクソダス
EXODUS
Exodus1.JPG
ドイツにて(2010年撮影)
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州
サンフランシスコ
ジャンル スラッシュメタル[1][2]
ヘヴィメタル[2]
スピードメタル[2]
活動期間 1980年 - 1992年
1997年 - 1998年
2001年 -
レーベル トリッド・レコード
コンバット・レコード
キャピトル・レコード
センチュリー・メディア
ニュークリア・ブラスト
公式サイト www.exodusattack.com
メンバー スティーブ・ゼトロ・スーザ
ゲイリー・ホルト
リー・アルタス
ジャック・ギブソン
トム・ハンティング
旧メンバー ポール・バーロフ (RIP)
ロブ・デュークス
カーク・ハメット
リック・ヒューノルト
ジェフ・アンドリューズ
ロブ・マッキロップ
マイク・バトラー
トム・ハンティング
ジョン・テンペスタ
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エクソダス (EXODUS) は、アメリカ カリフォルニア州 サンフランシスコ出身のスラッシュメタルバンドである。1980年初頭より活動し1993年に一回解散するが、1997年に一時再結成を行う。2001年に再々結成し、以後継続して活動中である。

スラッシュメタル黎明期より活動を行い、メタリカメガデスアンスラックススレイヤーなどと共にスラッシュメタルの確立に大きく寄与した。エクソダスの特徴的なザクザクとしたソリッドな独特のリフのカッティングはベイエリア・クランチと呼ばれ、世界中のスラッシュメタルバンドはもとより、デスメタルバンド達にも大きな影響を与えた。しかし、メタリカ、メガデス達が商業的に成功する中、所属レコード会社とのトラブルなどの不運が重なったこともあり、商業的に成功する事は無かった。

また、アメリカ西海岸で一緒に活動していたテスタメントフォビドゥンといったスラッシュメタルバンドはいずれもベイエリア・クランチを特徴としていたこともあって他のスラッシュメタルとの差別化を図る意味でベイエリア・スラッシュと呼ばれている。

メタリカカーク・ハメットが在籍していたことでも有名である。


略歴[編集]

  • 1980年頃に高校生だったカーク・ハメット、トム・ハンティングらによって結成される。当時はジューダス・プリーストのカバーなどを演奏していたという。
  • 1982年にゲイリー・ホルト、ジェフ・アンドリューズ、ポール・バーロフが加入し地元のクラブなどで本格的に活動を始める。
  • 1983年にカーク・ハメットがメタリカへデイブ・ムステインの後任として加入するために脱退すると、後任にリック・ヒューノルトが加入し、続いてベースがロブ・マッキロップに交代する。
  • 1985年、トリッド・レコードと契約し、デビュー・アルバム『Bonded by Blood』をリリース。アルバムリリース後のツアーでは、スレイヤーヴェノム等と共演し、その時の模様はビデオ『Combat Tour-The Ultimate Revenge-』としてリリースされる。
  • 1986年、ポール・バーロフが脱退。地元のローカル・バンドのレガシー(後のテスタメント)のスティーヴ・スーザを後任に迎えるが、印税の支払いをめぐってトリッド・レコードとの間にトラブルが起こり活動が停滞してしまう。翌年、新たにコンバット・レコードと契約し、2ndアルバム『Pleasures Of The Flesh』をリリース。
  • 1989年には3rdアルバム『Fabulous Disaster』をリリース。ヨーロッパツアーや、アメリカでアンスラックスハロウィン等との「MTV Headbangers Ball Tour」を行うなど順調な活動を行うが、ツアー中にトム・ハンティングが脱退。残りのライブではヴァイオレンスのペリー・ストリックランドが助っ人参加し、ツアー終了後にアンスラックスのローディーをやっていたジョン・テンペスタが加入する。
  • 1990年にキャピトル・レコードより4thアルバム『Impact Is Imminent』でメジャーデビューを飾る。このアルバムではゲイリー・ホルトとリック・ヒューノルトの二人がH-Teamとしてプロデュースを行った。アルバムリリース後、スイサイダル・テンデンシーズ等とアメリカツアーを行った他、12月には初の日本公演を行う。
  • コンバット・レコードとの契約消化のため、1991年にライブアルバム『Good Friendly Violent Fun』(1989年7月に地元サンフランシスコで行われたライブを収録)、1992年にベストアルバム『Lessons In Violence』(1st~3rd・Good Friendly Violent Funから選曲のベスト)がリリースされる。
  • 1992年にジューダス・プリーストなどのプロデュースを手掛けたクリス・タンガリーディスをプロデューサーに迎え、5thアルバム『Force Of Habbit』をリリースするが、ニルヴァーナパンテラの台頭や、メタリカブラックアルバムのヒットに影響され、メタル・シーンがヘヴィでグルーブ重視の方向に進む中、彼等もスピードを抑え目でグルーブ主体の曲に路線を変更してしまい、ファンの不評を買ってしまう。また、レコード会社のサポートも得られないまま、活動が停滞してしまい、ジョン・テンペスタの脱退もあってバンドは解散状態に陥ってしまう。
  • 1993年5月に予定されていた日本公演のため、モードレッドのギャノン・ホールをヘルプに迎え来日公演を行い、その後解散。
  • 1997年にロブ・マッキロップを除く1st発表時のメンバーで再結成し、3月8日に地元サンフランシスコでショーを行う。この時の模様を収録したライブCD『Another Lesson In Violence』をセンチュリー・メディアよりリリースしたが、その後自然消滅の形でバンドは再び解散。
  • 2002年にポール・バーロフが脳卒中で亡くなり、後任としてスティーヴ・スーザが復帰する。
  • 2004年、復活第一弾となる6thアルバム『Tempo Of The Damned』をリリースし、3度目の日本公演を行う。しかし、日本公演終了後にスティーヴが脱退(正式には解雇)。予定されていた南米ツアーをエグジュームドのマット・ハーヴェイ、スキンラブのスティーブ・エスクイヴェルらをヘルプに迎え行う。
  • 2005年、スティーヴの後任にロブ・デュークスが加入し、新作のレコーディングに入るが、今度はトム・ハンティング、リック・ヒューノルトが脱退。後任に、元ヒーゼンのリー・アルタス、テスタメントを脱退したばかりのポール・ボスタフが加入し、再びアンディ・スニープをプロデューサーに迎えて、7thアルバム『Shovel Headed Kill Machine』をリリースした。
  • 2007年、トムが復帰。それに伴ってポールが脱退するが、これについてゲイリーは元々彼はトムが復帰するまでのあくまで「サポートメンバー」としての参加だったことをコメントしている。その後8thアルバム『The Atrocity Exhibition... Exhibit A』をリリースした。
  • 2008年デビュー・アルバム『Bonded by Blood』の再録アルバム、『Let there be Blood』をリリース。
  • 2010年9thアルバム『Exhibit B: The Human Condition』をリリース。
  • 2014年5月付で、ロブが脱退。後任としてスティーヴが再々加入する。また同年に発売された10thアルバムの『Blood in Blood out』では元メンバーで現メタリカのカーク・ハメットが一部の曲でゲスト参加している。

備考[編集]

  • ゲイリー・ホルトとリック・ヒューノルトの二人は二人の姓の頭文字から名付けられた「H-Team」という名で、エクゾダスのアルバム以外にも、パニックを始めとするいくつかのバンドのプロデュースも行った。

メンバー[編集]

現在のメンバー[編集]

2004年の「テンポ・オブ・ザ・ダムド」発表後、家庭の優先を理由に二度目の脱退をするが、後任のロブ・デュークスの脱退に伴い再々加入する。
現在のバンドの中心人物。非常にヘヴィなクランチリフが特徴。
スレイヤーでJeff Hannemanの代理を務め、Jeffの死後はスレイヤーの正式メンバーとしても活動している。
1981年にソ連(現ロシア)からアメリカに亡命し、ヒーゼンを結成し活動していたが1991年に解散。2001年にヒーゼンを再結成。他に2003年からはエンジェル・ウィッチのメンバーとしても活動を行っていた。
デスメタルバンドヴァイルでも活動していた。
バンドの創設者。1989年、2005年のいずれも体調不良を理由に脱退している。現在は復帰。シンプルなドラムセットながら、ドラミングは軽やかかつパワフルである。

過去のメンバー[編集]

ボーカル

脱退後はピラニアで活動し、一時的にヒーゼンにも在籍。
独特のボーカルスタイルが人気であった。
ドラッグの後遺症による脳卒中が原因で2002年2月2日に死去。41歳。
ゼトロとポールを合わせて2で割ったようなボーカルスタイルといわれていた。ゼトロ脱退後のバンドを長らく支えてきたがゼトロ復帰のため脱退。

ギター

バンドの創設者。現在はメタリカで活動中。
2004年の「テンポ・オブ・ザ・ダムド」発表後、家庭の優先を理由に脱退。

ベース

ドラム

アンスラックスのローディを経て、エクソダスに加入。
脱退後はテスタメントホワイト・ゾンビヘルメットなどで活動。
エクゾダス加入前は、フォビドゥンスレイヤーシステマティックテスタメントなどで活動。トム・ハンティングのバンド復帰をきっかけに脱退。

ディスコグラフィ[編集]

アルバム[編集]

ライブ[編集]

ベスト[編集]

シングル・ミニアルバム[編集]

  • 1990年 Objection Overruled
  • 1990年 The Lunatic Parade
  • 1993年 War Is My Shepherd

ビデオ[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Exodus reviews, music, news - sputnikmusic・2015年8月15日閲覧。
  2. ^ a b c Exodus|Biography”. オールミュージック. All Media Guide. 2015年8月15日閲覧。

外部リンク[編集]