インディアナポリス

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インディアナポリス市
City of Indianapolis
IndianapolisC12.png
インディアナポリス市の市旗
市旗
愛称 : Indy, Circle City(円形の街), Crossroads of America(アメリカの交差点), Racing Capital of the World(世界のレースの都)
位置
右: インディアナ州におけるマリオン郡の位置左: マリオン郡におけるインディアナポリスの市域の位置図
右: インディアナ州におけるマリオン郡の位置
左: マリオン郡におけるインディアナポリスの市域
座標 : 北緯39度46分7秒 西経86度9分29秒 / 北緯39.76861度 西経86.15806度 / 39.76861; -86.15806
歴史
創設 1821年
行政
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
 州 インディアナ州
 郡 マリオン郡
 市 インディアナポリス市
地理
面積  
  市域 963.5 km2 (372.0 mi2)
    陸上   945.6 km2 (365.1 mi2)
    水面   17.9 km2 (6.9 mi2)
標高 218 m (715 ft)
人口
人口 2010年現在)
  市域 820,445人
    人口密度   867.6人/km2(2,247.2人/mi2
  都市圏 1,887,877人
  備考 全米都市人口第12位
その他
等時帯 東部標準時 (UTC-5)
夏時間 東部夏時間 (UTC-4)
公式ウェブサイト : http://www.indy.gov

インディアナポリスIndianapolis)は、アメリカ合衆国インディアナ州中央部に位置する都市。同州の州都である。1970年にインディアナポリスに郡庁を置くマリオン郡市郡合併した結果、マリオン郡域のほとんどがインディアナポリスの市域となり、945.6km2の広い市域を有している。人口は820,445人(2010年国勢調査[1]で、インディアナ州では最大、中西部ではシカゴに次ぎ、全米でも第12位である。近郊のカーメルアンダーソンを含む都市圏は11郡にまたがり、人口1,887,877人(2010年国勢調査)[1]を数える。この都市圏にマンシーコロンバス両都市圏、および周辺の5つの小都市圏を加えた広域都市圏は2,266,569人(2010年国勢調査)[1]の人口を抱えている。

歴史[編集]

創設と初期[編集]

1816年インディアナが州に昇格すると、連邦議会は連邦の所有する土地4区画を、州政府の恒久的な立地とするために寄付した[2][3]。その2年後、1818年に締結されたセントメアリーズ条約によって、デラウェア族はインディアナ州中央部の土地の権利を放棄し、1821年までにこの地を去ることになった[4]。この時に「新たに購入」した土地には、1820年に新たな州会議事堂が建てられることになる用地が含まれていた[5][6][7]

連邦が「新たに購入」したこの州中央部の土地には、やがて北西ヨーロッパ系を中心とする多くの入植者が移入してきた。初期のヨーロッパ系、およびアメリカ系の移民の多くがプロテスタントであったのに対し、初期のアイルランド系およびドイツ系移民の多くはカトリックであった。一方、1840年以前には、インディアナ州中央部のこの地にはほとんどアフリカ系は住んでいなかった[8]。この地に恒久的な入植者として移入した最初のヨーロッパ系入植者はマコーミック家、もしくはポーグ家であったとされている。一般的にはマコーミック家が最初の恒久的入植者であったと考えられているが、ジョージ・ポーグ一家が1819年3月2日に、後にポーグズ・ランと呼ばれることになる小川の側の丸太小屋に入植したのが最初だとする歴史家もいる。これに対して、マコーミック説を唱える歴史家は、1820年2月にジョン・ウェスレー・マコーミック一家、およびマコーミック家に雇われた者たちが、ホワイト川の近くに入植したのが最初であるとしている[9][10][11]

ラルストンによるインディアナポリス都市計画原案

1820年1月11日、インディアナ州議会は州中央部に新しい州会議事堂を建てる、その立地を選定するための、10人の委員から成る委員会を承認した[12]。また、州議会は測量と都市計画を担う人物として、ワシントンD.C.の都市計画案作成にあたってピエール・シャルル・ランファンを補佐したアレクサンダー・ラルストン[13]、およびエリアス・ピム・フォーダムの2名を任命し、1821年にインディアナポリスとなる町が創設・区画された[14][15]。ラルストンの原案では、インディアナポリスは1平方マイルの町と呼ばれていた。同年12月31日にマリオン郡が創設されると、インディアナポリスにはその郡政府が置かれた。1825年1月1日付で、州都が州南部のコリードンからインディアナポリスに移され、同年1月10日にインディアナポリスでの初めての州会が開催された。また、同年、連邦地方裁判所もインディアナポリスに設置された[16][17][18][19]

インディアナポリスが正式に町として法人化された1832年まで、インディアナポリスの町とマリオン郡は町郡一体の政治形態を採っていた。1847年3月30日には、インディアナポリスは市制を施行した。初代市長にはホイッグ党のサミュエル・ヘンダーソンが就任し、7人の議員から成る市議会が創設された。1853年には、選挙によって選出された市長と14人の議員から成る市議会を持つ、と定めた市憲章が、市民投票によって承認された[20][21][22][23]

インディアナポリスは、連邦政府によって建設された初期主要道路の1つであるカンバーランド道路の経由地の1つであった[24][25]。また、1847年には、インディアナポリスを通る最初の鉄道となった、マディソン・アンド・インディアナポリス鉄道が開通した[26]。その後、インディアナポリスには次々と鉄道が開通し、それらの鉄道を集約する駅として、1853年に全米初のユニオン駅が設置された[27]

南北戦争[編集]

モートン捕虜収容所に収容された南軍捕虜1864年

南北戦争中、インディアナポリスは北軍についていた。インディアナ州知事オリバー・モートンは、当時の大統領エイブラハム・リンカーンの熱烈な支持者で、開戦するとすぐにインディアナポリスを北軍の結集地にした。1861年2月11日、大統領就任式に向かうリンカーンが、スプリングフィールドからワシントンD.C.への道中で、インディアナポリスを経由した。選出された就任前の大統領がインディアナポリスを訪問するのは、これが市史上初めてであった[28][29][30]。同年4月16日には、インディアナ第1連隊結成の最初の司令が出され、インディアナポリスは州志願兵の司令部となった[31][32]。それから1週間で、北軍に加わった新志願兵は12,000人以上にのぼった[33]

戦時中、インディアナポリスは鉄道のハブ、および交通の中心地となり、軍事上においても重要な基地となった[34][35]。インディアナポリスからはおよそ4,000人の男子が志願して39の連隊に配属され、700人が戦死したと推計されている[36][37]1863年5月20日、北軍の兵士がインディアナポリスで開かれていた州の民主党大会の妨害を試み、休会に追い込んだ。これは皮肉的に「ポーグズ・ランの戦い」と呼ばれている[38][39][40]。同年7月、モーガンの襲撃がインディアナ州南部に及ぶと、その脅威から、一時パニック状態に陥ったが、南軍の騎兵隊はインディアナポリスに侵攻することは無く、東進してオハイオ州へと入って行った[41][42]1865年4月30日、 スプリングフィールドへ向かうリンカーンの葬送列車がインディアナポリスに停車した。インディアナ州会議事堂に運び込まれたリンカーンの棺台の前には、推定10万人を超える弔問者が集まった[35][43]

南北戦争後から20世紀前半[編集]

南北戦争が終わると、主にインディアナ州中央部から東部にかけて広がるトレントンガス田の発見によってインディアナ・ガスブームがもたらされ、インディアナポリスは急速に発展した[44][45]。インディアナポリス出身の作家ブース・ターキントンは、1899年に発表した小説「インディアナ出の紳士」で、インディアナポリスの変貌を次のように記した。

Like hundreds of others throughout the country, this town, too, moved forward with the times, its old stock becoming less and less typical, and newcomers with energy and business acumen taking their places of community leadership. In the offspring of German, Jewish, Irish, Italian, and other settlers 'a new Midlander - in fact, a new American - was beginning dimly to emerge.' To this new spirit of citizenship the magnificent Ambersons, reared in luxury, were unable to adapt themselves. Others, with a heritage of labor, rapidly took high places as the town progressed from village to market town to a manufacturing city. [46]

(訳)国中に何百とある町と同様に、この町もまた、時が過ぎるのと共に前進し、古いものはどんどん隅へと追いやられ、精力的でビジネスに明敏な新参者がコミュニティのリーダーへとのし上がっていく。ドイツ系、ユダヤ系、アイルランド系、イタリア系、その他の入植者の子孫のうち、「新しい中西部人 - 事実上は新しいアメリカ人 - がかすかに台頭しつつあった」。贅沢の中で育った格式高いアンバーソン家は、こうした新しい市民の精神に適応することができなかった。代々労働者であったその他の者は、この町が村から市場町、そして工業都市へと成長するにつれて、急速にその地位を高めていった。

インディ500の第1回大会

20世紀に入ると、インディアナポリスは自動車産業で発展した。インディアナポリスからは四方八方に道路が延び、シカゴルイビルシンシナティデトロイトセントルイスといった、高い成長を遂げる工業都市へと通ずる、地域交通の中心地となった。市の中央には、その後市のシンボルとなるインディアナ兵士水兵記念塔が建てられ、1902年に除幕された[47]1911年5月30日には、インディアナポリス・モーター・スピードウェイインディ500の第1回大会が開かれ、レイ・ハルーンが優勝した。

インディアナポリス・ストリートカー・ストライキ(1913年

1913年東部中西部南部の広い範囲で起きた大洪水では、インディアナポリスは最も大きな被害を受けた都市の1つであった。3月23-26日の間に雨量は150mmに達し、15km2の範囲で氾濫し、判明しているだけでも5人、未判明分を含めると30人の死者を出した[48][49][50]。ホワイト川の水位は氾濫危険水位を6m上回り、堤防が決壊し、4,000人が市近西部への避難を余儀なくされた[51][52]。氾濫した地域では交通および上水道が4日間にわたって停止し、7,000家族が家を失った[48]。同年10月31日には、ストリートカーがストライキに入り、それが引き金となって警察が一斉蜂起、そして暴動が1週間にわたって続いた。このストライキが契機となって、最低賃金、法定労働時間、労働環境改善などを含む、初期の州の労働者保護法が制定された[53]

インディアナポリスは地下鉄道の「駅」の1つであり、20世紀初頭のアフリカ系アメリカ人の大移動の頃には、旧自由州の中で人口に占めるアフリカ系住民の比率が最も高い都市であり、その比率は9%にのぼった[54]1921-28年にかけて、D・C・スティーブンソン率いる、クー・クラックス・クランのインディアナ支部であったインディアナ・クランは、市議会、教育委員会、および郡理事会を掌握していた、インディアナポリスで政治的、および社会的に最も力を持つ組織であった。インディアナポリス生まれの白人の4割がインディアナ・クランへの所属を名乗っていた。インディアナポリスにおける人種問題はその後、20世紀を通じて続いた。インディアナポリスではブラウン対教育委員会裁判よりも前に学校での人種分離を廃止していたものの、その後連邦地方裁判所の裁判官サミュエル・ヒュー・ディリンがスクールバスにおける人種分離撤廃を命じたときには議論の的となった。1968年4月4日、ロバート・ケネディキング牧師暗殺に際して、インディアナポリスで演説を行い、インディアナポリスの街に平穏さを保たせた[55][56]

市郡合併[編集]

インディアナポリス市・マリオン郡政府ビル

当時の市長リチャード・ルガーの市政下、インディアナポリス市政府とマリオン郡政府はその公共サービスのほとんどを再構成・統合し、Unigov と呼ばれる市郡一体の政府となった。これにより、市政府と郡政府の二重行政を排し、また郊外化で人口増加が著しい周縁部からも税収を確保できるというメリットがあった一方で、2000年代に至るまで共和党マシーンが暗躍する原因ともなった[57]Unigov1970年1月1日に施行され、これによって市域は798.3km2(308.2mi2)広がり、人口は268,366人増加した[58]

市郡合併による政府形態の変化と成長の最中、市当局はインディアナポリスをスポーツツーリズム立市とすべく、積極的な戦略を採った。ルガーの後に市長に就任し、市史上最長の16年間在任したウィリアム・ハドナットの市政下では、億ドル単位の費用を投じてスポーツ施設の建設が進められた。1980年代を通じて、インディアナポリス・テニス・センター、メジャー・テイラー・ベロドローム、インディアナ大学屋内プール、インディアナ大学マイケル・A・キャロル陸上競技場・サッカースタジアム、RCAドームといった総額1億2200万ドルを投じて次々と建てられた。 特にRCAドームの存在は、その後1984年ボルティモア・コルツのインディアナポリス移転、および1987年パンアメリカン競技大会誘致を決定づけるものとなった[59]。また、1988年にインディアナポリスがホワイト川州立公園に移転したのを皮切りに、1990年代にはダウンタウンの再生が進められ、地域経済開発戦略にも成功した。その中で、1995年にはサークル・センター・モールが営業開始し、1996年にはヴィクトリー・フィールドが、また1999年にはバンカーズ・ライフ・フィールドハウスがそれぞれ開場した。

2000年代に入っても、11億ドルのインディアナポリス国際空港のH・ウィアー・クック大佐ターミナル[60]や7億2000万ドルのルーカス・オイル・スタジアム[61]など、市当局および州当局はインフラに対する巨額の投資を続けている。 2011年には、合流式下水道越流水 (CSO) を2025年までに97%削減することを目標として、19億ドルを投じて地下75mに、直径5.5m、総延長45kmのトンネルを掘る、DigIndyと呼ばれるプロジェクトが着工した[62][63]

地理[編集]

地形[編集]

かつての市最高点、ジェームズ・ウィットコーム・ライリーの墓よりダウンタウンを望む

インディアナポリスはアメリカ合衆国中西部インディアナ州中央部、北緯39度46分7秒西経86度9分29秒に位置している。ルイビルからは北へ約180km、オハイオ州コロンバスからは西へ約280km、シカゴからは南南東へ約290km、セントルイスからは東北東へ約390kmに位置する。

アメリカ合衆国統計局によると、マリオン郡域のうち、インディアナポリスとは別個に法人化されているビーチグローブ、ローレンス、サウスポート、およびスピードウェイの4市町域を除いたインディアナポリス市郡は総面積963.5km2(372.0mi2)である。そのうち945.6km2(365.1mi2)が陸地で17.9km2(6.9mi2)が水域である。総面積の1.86%が水域となっている。

インディアナポリスの地形は平坦な土地からやや起伏のある土地へと変化があり、その標高は概ね210-270m程度である。市の中心に立つインディアナ兵士水兵記念塔では、標高は218mである。市の最高点は市の北西端、ブーン郡との郡境から南へ約120m、ヘンドリックス郡との郡境から東へ約120mの地点であり、その標高は279mである[64]。市郡合併以前の最高点は、ダウンタウンの北西4.5km、クラウン・ヒル墓地内の、詩人ジェームズ・ウィットコーム・ライリーの墓(標高257m)であった[65]。市の最低点は市の南部、ジョンソン郡との郡境上にあり、その標高は207mである。

世界自然保護基金の定義では、インディアナポリスは五大湖南部森林エコリージョン内に位置している。市内にはホワイト川とフォール・クリークの2本の大きな川が流れている。その他に市内を流れる川としては、ポーグズ・ラン、イーグル・クリーク、およびプレザント・ランが挙げられる。19世紀に入植が始まる以前は、この地には落葉樹林と草原が広がっていた。

気候[編集]

インディアナポリス
雨温図説明
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
 
 
69
 
2
-6
 
 
58
 
5
-5
 
 
91
 
11
0
 
 
97
 
17
6
 
 
130
 
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11
 
 
109
 
28
17
 
 
117
 
29
19
 
 
79
 
30
18
 
 
79
 
25
13
 
 
79
 
19
7
 
 
94
 
11
2
 
 
81
 
4
-4
気温(°C
総降水量(mm)
出典:Weatherbase.com

インディアナポリスの気候は蒸し暑い夏とやや寒さの厳しい冬に特徴付けられる内陸型の気候である。最も暑い7月の平均気温は約24℃、最高気温の平均は約29℃で、日中32℃を超えることは平年で月に5日程度である。最も寒い1月の平均気温は氷点下2℃、最低気温の平均は氷点下6℃で、月の8割方の日は気温が氷点下に下がる。降水量は夏季の5月から7月にかけては多く、月間110-130mm程度、逆に冬季の1月から2月にかけては少なく、月間60-70mm程度である。その他の月は月間80-95mm程度である。年間降水量は1,080mm程度である。また、冬季の12月から2月にかけての月間降雪量は17-21cm、年間降雪量は65cmに達する[66]ケッペンの気候区分では、インディアナポリスは計算上は温暖湿潤気候Cfa)となるものの、中西部に広く分布する亜寒帯湿潤気候Dfa)に分類することもある。

インディアナポリスの気候[66]
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均気温( -2.2 0.1 5.7 11.7 17.1 22.2 24.1 23.4 19.4 12.8 6.4 -0.2 11.8
降水量(mm 68.6 58.4 91.4 96.5 129.5 109.2 116.8 78.7 78.7 78.7 94.0 81.3 1,081.8
降雪量(cm 21.8 16.5 6.6 0.5 - - - - - 1.0 1.8 17.5 65.7

都市概観と建築物[編集]

インディアナポリスのダウンタウン
インディアナ兵士水兵記念塔とチェース・タワー

1821年に創設されたインディアナポリスの当初の都市計画は、マイル・スクエアと呼ばれる1平方マイルの区画で、モニュメント・サークルというロータリーを中心とし、イースト・ストリート、ウェスト・ストリート、サウス・ストリート、およびノース・ストリートをそれぞれ東西南北の境としていた[67]。また、インディアナ・アベニュー、マサチューセッツ・アベニュー、ケンタッキー・アベニュー、およびバージニア・アベニューの4本の通りは斜めに通り、それぞれモニュメント・サークルのすぐ外側のブロックから北西、北東、南西、南東へと向かっている[68]。その他のマイル・スクエア内の主要な通りは、モニュメント・サークルから南北へ延びるメリディアン・ストリート、東西へ延びるマーケット・ストリート、およびその1ブロック南を通るワシントン・ストリート(ジョージ・ワシントンもしくはワシントンD.C.に由来と言われている)の3本を除いて、インディアナポリスの創設時点で連邦に加入していた州、およびインディアナ州の北に隣接していたミシガン準州からその名がつけられた[69]。 その後1895年に、テネシー・ストリートはキャピトル・アベニューに、またミシシッピ・ストリートはセネート・アベニューにそれぞれ改名された[70]。また、ノース・ストリートより北には数字のついた東西の通りがいくつか通っているが、これは1895年に条例で、旧1stストリートを10thストリート、旧2ndストリートを11thストリート、旧3rdストリートを12thストリート... といった具合に改称し、さらにノース・ストリートと旧1stストリートの間に通っていた旧プラット・ストリートを9thストリートとしたため、9thストリートから始まって、北に行くほど数字が大きくなっている格好になっている[71]。現在では、東西に通る通りの東(E)と西(W)の境はメリディアン・ストリート、南北に通る通りの南(S)と北(N)の境はワシントン・ストリートとなっている。

モニュメント・サークルの円内には、インディアナポリスのシンボルであるインディアナ兵士水兵記念塔が建っている。1888-1901年に建設され、1902年に除幕されたこの記念塔は高さ86.7m[72]で、その後の条例で、この記念塔を超える高さの建物を建てることがしばらく禁じられていた[73]こともあって、1962年に高さ113m、28階建てのインディアナポリス市・マリオン郡政府ビルが完成するまで、インディアナポリスで最も高い建築物であった[74]。インディアナ兵士水兵記念塔は1973年国家歴史登録財に指定された[75]。現在、インディアナポリスで最も高い建築物は、1990年に完成した、高さ247m、49階建てのチェース・タワーである[76]

政治[編集]

インディアナ州会議事堂

インディアナポリスは Unigov と呼ばれる、統合市郡政府という形を取っている。この政府形態の下、市政府と郡政府の多くの機関が統合されているが、一部別個に存在しているものもある。市郡政府の機関が置かれているインディアナポリス市・マリオン郡政府ビルは、モニュメント・サークルから東へ2ブロックに立地している。

インディアナポリスは市長制を採っている。市長はインディアナポリス市およびマリオン郡の行政の最高執行責任者であり、市郡の条例、および州法の定めるところに従って執行責任を負う。また、市長は市郡政府各局の長、および1人以上の副市長の任命に権限を有し、責任を負う[77]

市郡の立法機関である市郡議会は25人の議員から成っている。市郡議員は郡全体を25に分けた小選挙区から1人ずつ選出される。市郡議員の任期は4年である[78]

マリオン郡地方裁判所は上位裁判所、巡回裁判所、少額訴訟裁判所の3種類に分かれている。 上位裁判所は36人の裁判官を擁し、民事、刑事、少年、および遺言の4部門に分かれており、その全てを取り扱う[79]。巡回裁判所は、1816年に州法により創設された当初は民事、刑事、少年、遺言、および少額訴訟の全てを取り扱っていたが、現在では民事のみを取り扱う[80]。少額訴訟裁判所はマリオン郡内の9つの郡区に1つずつあり、損害賠償請求額が6,000ドルに満たない案件のみを取り扱う[81]

インディアナ政府センター北棟

また、州都であるインディアナポリスには州政府の各機関も置かれている。モニュメント・サークルから西へ2ブロックに立地するインディアナ州会議事堂には、州の立法機関であるインディアナ州議会の上下両院の議場、州知事室および各行政機関の事務所、司法機関である州最高裁判所および州控訴裁判所が置かれている[82]。しかし、州政府機関の多くは州会議事堂内ではなく、セネート・アベニューを隔てたインディアナ政府センター北棟に置かれている。また、インディアナ州知事官邸はダウンタウンから北へ約8km離れた住宅街の中に立地している。モニュメント・サークルから北へ1ブロックにはバーチ・ベイ連邦ビル・連邦裁判所が立地しており、南インディアナ連邦地方裁判所が置かれている。

ティーパーティーデモ2007年)。インディアナポリスは長年、保守の気風が強かった[57]

連邦議会下院議員選挙においては、インディアナポリス市域の大部分がインディアナ第7選挙区に含まれるが、市北部は北郊のカーメル等と同じ第5選挙区に含まれている。インディアナポリス都市圏はこの2つの選挙区のほか、西郊各郡が第4選挙区、東郊各郡が第6選挙区、南郊各郡が第9選挙区にそれぞれ含まれている[83]。第7選挙区は民主党が優勢である一方、第4・第5・第6・第9各選挙区はいずれも共和党が優勢である[84]

1990年代後期まで、インディアナポリス都市圏は全米で最も保守的な都市圏の1つであったが、2000年代に入ってからは逆転してきている。Unigov への移行も、共和党の勢力が強かった旧市域外の郡区を吸収できることが要因の1つになったと考えられている。1970年に市郡議会が創設されてから、共和党が36年間にわたって議会の過半数を占め、市長も1967-99年の32年間にわたって共和党系であった[57]。それ以後は、市南部および西部では共和党が、一方市中心部および北部では民主党が優勢になっている[85]2014年時点では、インディアナポリスは中道と見られている[86]2015年の市郡議会議員選挙では13-12の僅差で民主党が過半数を取り、63%の得票で当選した民主党のジョー・ホグセットが2016年1月1日付で市長に就任した。民主党がインディアナポリスの立法と行政の両方で主導権を握るのは、市郡合併以来僅か2度目のこととなった[87]

人口動態[編集]

都市圏[編集]

IndianapolisCSA.png

インディアナポリスの都市圏は州中央部、マリオン郡を中心に11郡にまたがっており、その面積は11,153km2(4,306mi2)である。広域都市圏はこの都市圏に、近隣のマンシーおよびコロンバス両都市圏、および5つの小都市圏を合わせた18郡から成っている[88]

右図はインディアナ州におけるインディアナポリス・カーメル・マンシー広域都市圏の位置を示している。この広域都市圏に含まれる都市圏および小都市圏はそれぞれ、下記の色で示されている。

  マリオン郡(大部分はインディアナポリス市)
  インディアナポリス・カーメル・アンダーソン都市圏に含まれる周辺各郡
  マンシー都市圏
  コロンバス都市圏
  ニューカッスル小都市圏
  シーモア小都市圏
  クロフォーズビル小都市圏
  ノースバーノン小都市圏
  グリーンズバーグ小都市圏

また、インディアナポリスの都市圏、および広域都市圏を形成する各郡の人口は以下の通りである(2010年国勢調査)[1]

インディアナポリス・カーメル・アンダーソン都市圏
人口
マリオン郡 インディアナ州 903,393人
ハミルトン郡 インディアナ州 274,569人
ヘンドリックス郡 インディアナ州 145,448人
ジョンソン郡 インディアナ州 139,654人
マディソン郡 インディアナ州 131,636人
ハンコック郡 インディアナ州 70,002人
モーガン郡 インディアナ州 68,894人
ブーン郡 インディアナ州 56,640人
シェルビー郡 インディアナ州 44,436人
パットナム郡 インディアナ州 37,963人
ブラウン郡 インディアナ州 15,242人
合計 1,887,877人
インディアナポリス・カーメル・マンシー広域都市圏
都市圏/小都市圏 人口
インディアナポリス・カーメル・アンダーソン都市圏 1,887,877人
マンシー都市圏 デラウェア郡 インディアナ州 117,671人
コロンバス都市圏 バーソロミュー郡 インディアナ州 76,794人
ニューカッスル小都市圏 ヘンリー郡 インディアナ州 49,462人
シーモア小都市圏 ジャクソン郡 インディアナ州 42,376人
クロフォーズビル小都市圏 モントゴメリー郡 インディアナ州 38,124人
ノースバーノン小都市圏 ジェニングス郡 インディアナ州 28,525人
グリーンズバーグ小都市圏 ディケーター郡 インディアナ州 25,740人
合計 2,266,569人

市域人口推移[編集]

以下にインディアナポリス市における1840年から2010年までの人口推移をグラフおよび表で示す[89]

統計年 人口 順位
1840年 2,695人 -
1850年 8,091人 87位
1860年 18,611人 48位
1870年 48,244人 27位
1880年 75,056人 24位
1890年 105,436人 27位
1900年 169,164人 21位
1910年 233,650人 22位
1920年 314,194人 21位
1930年 364,161人 21位
1940年 386,972人 20位
1950年 427,173人 23位
1960年 476,258人 26位
1970年 744,624人 11位
1980年 700,807人 12位
1990年 731,327人 13位
2000年 781,926人 12位
2010年 820,445人 12位

姉妹都市[編集]

インディアナポリスは以下8都市と姉妹都市提携を結んでいる[90]

[編集]

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外部リンク[編集]

座標: 北緯39度46分07秒 西経86度09分29秒 / 北緯39.768611度 西経86.158056度 / 39.768611; -86.158056