新藤晴一

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新藤 晴一
Porno Graffitti at Anime Expo 2013.jpg
左が新藤晴一
基本情報
別名 ハルイチ
生誕 (1974-09-20) 1974年9月20日(47歳)
出身地 日本の旗 日本広島県因島市(現・尾道市
学歴
ジャンル
職業
担当楽器
活動期間 1994年 -
レーベル SME Records
事務所 アミューズ
共同作業者
公式サイト

新藤 晴一(しんどう はろいち、1974年9月20日 - )は、日本のミュージシャン作詞家作曲家ポルノグラフィティTHE 野党のギタリスト。デビュー当初のアーティスト名はハルイチ広島県因島市土生町出身[注釈 1]。元妻は女優長谷川京子

人物[編集]

プロフィール[編集]

  • 血液型はA型。身長177cm。体重62kg。視力0.4。靴のサイズ26cm。
  • 愛称:晴一ハルイチ(くん)、新藤(くん)、ハルちゃんなど。
  • 家族構成:長男、長女
  • 趣味:野球、絵を描くこと、麻雀サーフィン、ゴルフなど多数
  • 好きな小説家:村上春樹伊坂幸太郎
  • 好きな映画:ショーン・ペン作品全般

その他[編集]

  • 広島東洋カープの大ファン。2015年・2016年にはマツダスタジアム始球式を行っており、春季キャンプや選手会ゴルフの取材経験もある。また、野球そのものが好きなため、誘われれば他球団の選手の自主トレにも参加する。
  • 「桜丘クロゴス」という野球チームの監督・ピッチャー。チーム名は愛犬スゴロクの逆読みで、ラジオ番組で公募したもの。
  • イラストが得意で、「メリッサ」やBuzyの「パシオン」のジャケット、ライヴ演出のイラストなどを手掛けている。

音楽面[編集]

経歴[編集]

中学生の頃にBARBEE BOYSの影響を受けてバンドを意識し始める。高校受験期に友人からエレキギターを借り、その頃から高校に入ったらバンドをしたいという思いを抱く[2]

高校時代[編集]

1990年 - 1992年

1990年に因島高校に入学。入学当初は野球部に所属していたが一年で退部し、軽音楽部に入部する。また、1年生の頃(時期不明)に「KONTA(BARBEE BOYS)のようにサックスを吹きながらボーカルをやりたい」という思いからソプラノ・サックスを購入し[注釈 2]、同じく因島高校に通っていた従兄弟らを誘い、コピーバンドNO SCOREを結成する[2]。2年生となったある日、同級生の岡野昭仁と一緒に行ったカラオケにて岡野の歌の上手さに惹かれ「秋の文化祭にコーラスとして参加してくれないか」と勧誘し、メンバーに岡野が加わる。文化祭での初ライヴではBARBEE BOYSやBOØWYをコピーをしたが、後に「思い出さないようにしていた」と語る出来で、文化祭後にドラムスの従兄弟から「おまえ、ギターやらん?」と言われたことから岡野にボーカルを譲り、ギターを担当するようになった[2]。当時は高校の視聴覚室で週に一度練習をしており、XZIGGYなどをコピーしていたという[2]。3年生の文化祭前、保育園時代の少しの期間と小学校・中学校時代の同級生であったTamaベースとしてメンバーに加わり、秋の文化祭ではX、ZIGGY、BOØWY、聖飢魔IIなどの楽曲計10曲を演奏し、演奏を聴いた同級生や後輩からの声援に夢を抱くようになったという。また、当時はHIDEヌーノ・ベッテンコートエクストリーム)、スラッシュガンズ・アンド・ローゼズ)といったギタリストから影響を受けていたと述べている[3]

上阪、インディーズ時代[編集]

1993年 - 1996年

1993年春に高校を卒業。NO SCOREは事実上解散となり、福山市の情報処理系の専門学校に入学する[2]。しかし、入学直後から「自分の居場所はここじゃない」という思いを抱き、2ヶ月ほどしか通わなかったという[2]。当時、Tamaが因島に残って高専に通いながらバンド活動をしていたため、新藤は福山から因島に通ってバンドに参加させてもらい、次第にTamaとオリジナル曲の制作をするようになる[2][3]。夏頃からは様々なコンテストに出場し、尾道・三原地区で行われた楽器店主催コンクールで優勝するなどしている[3]。冬頃にTamaと共に上阪を決心し、1994年春に前年に上阪していた岡野ら、NO SCOREのメンバー5人全員が大阪で再会を果たす[2]。再びバンドを結成したが、生活固めに忙殺され、ほとんど活動しないまま2人が脱退する[2]。生活も落ち着いてきた夏頃から新たにバンド活動を始め、新藤自身がポルノグラフィティと名付ける。その後は城天心斎橋筋2丁目劇場でのライヴやイベント出演など、精力的にバンド活動を行う[2][3]

1997年 - 1998年

1997年3月に『ソニーミュージック SDグループオーディション』に合格し、ソニーミュージック(SME Records)と契約を結ぶ。その後所属事務所がアミューズに決定し、9月末に活動拠点を大阪から東京に移す。1998年夏頃からポルノグラフィティのメジャーデビューに向け、本格的に楽曲制作やレコーディングを開始した。

メジャーデビュー以降[編集]

1999年

  • 9月8日、ポルノグラフィティハルイチとして、自身が作詞を手掛けた「アポロ」でメジャーデビュー。

2000年

2003年

2004年

2005年

  • 12月24日、音楽雑誌『PATi PATi』に連載していたコラムを単行本化した『自宅にて』を発売。

2008年

2009年

  • 5月、長男が誕生[4]

2010年

  • SHOCK EYE湘南乃風)、若手サウンドクリエイターの篤志とTHE 野党を結成。自身は党首(リーダー)として活動。
  • 3月、作詞・作曲を手掛けた「僕らの地図」を因島南中学校へ提供[5]
  • 5月15日、小説『時の尾』を発売。

2011年

  • 2月9日、THE 野党のデビューアルバム『8:10 PM』をリリース。

2012年

  • 1月、長女が誕生[6]

2017年

  • 4月7日、馬場一嘉の生誕祭『CH@BA100% presents~BABI BABI BAR SP~BABI’s 50th Anniversary Live!”BABIゲージュー祭りその②”@恵比寿天窓.switch』にサプライズゲストとして出演。
  • 9月1日、小説『ルールズ』を発売。

2018年

  • 2月12日、ポルノグラフィティのサポートメンバー・宗本康兵の自主ライヴ『”&K”』に飛び入り出演。
  • 4月、広島テレビテレビ派』火曜コーナー「ポルノグラフィティ新藤晴一の『ハルイチノオト』」放送開始。

2019年

  • 1月10日、月刊誌『ギター・マガジン』の別冊シリーズ”GUITAR MAGAZINE SPECIAL ARTIST SERIES”より『新藤晴一 ポルノグラフィティ』を発売。
  • 6月15日、表参道ヒルズで開催された『FENDER CUSTOM SHOP EXPERIENCE』のトークイベントに出演。
  • 10月13日、『幕張メッセ×bayfm 30th ANNIVERSARY SPECIAL THANKS PARTY』に出演予定であったが、台風の接近により開催中止となる[注釈 3]

2020年

  • 1月28日、noteアカウントを開設。

2021年

  • 10月29日、長谷川京子と離婚したことを発表[7]

使用楽器[編集]

  • 世界的ギターメーカーであるギブソンとのエンドースメント契約をしていた。現在はフェンダーと契約している。
  • 約60本のギターを所有している。特に1960年製のレスポール・1957年製の黒テレキャスターは新藤のトレードマークであり、前者は「説得力のある音楽的な音がする」、後者は「上手に弾かないと鳴らない」という理由から、数多くのレコーディングやライヴのメインギターとして使用されていた。
  • 2017年頃より1962年製テレキャスター、2018年頃よりジミー・ウォレスのVタイプの使用頻度が増し、共に現在のメインギターとなっている。

エレクトリックギター[編集]

アコースティックギター[編集]

アンプ[編集]

詞提供曲一覧[編集]

出演[編集]

ラジオ[編集]

レギュラー

テレビ[編集]

レギュラー
  • テレビ派 火曜コーナー「ポルノグラフィティ新藤晴一の『ハルイチノオト』」(広島テレビ 月2回出演/2018年4月3日 - 2020年3月26日)
特別番組
  • テレビ派特番 ポルノグラフィティ新藤晴一の『ハルイチノオト』〜空と海が交じる しまなみ故郷がえり〜(2018年12月29日 16:55 - 17:50)
  • 浅野氏広島城入城400年記念番組 地を拓き文化に華を 広島を治めた浅野氏の足跡(広島テレビ/2019年6月29日)MC
  • 2020新春恒例!カープ選手会ゴルフ(広島テレビ/2020年1月3日)

映画[編集]

書籍[編集]

単行本[編集]

連載[編集]

  • 「自宅にて」 - 音楽雑誌『PATi PATi』に連載(2001年2月号 - 2005年4月号・全51回)
  • 「haru.cam」 - 音楽雑誌『B-PASS』にて自身が撮影した写真とコメントを掲載(2006年5月号 - 既に終了)
  • 「広島カープファンも海を渡る」 - メジャーリーグ情報誌『SLUGGER』にて野球に関するコラムを執筆中(2006年5月号 - 連載中)
  • 「男の交換日記」- 女性ファッション誌「an・an」にて昭仁と交互に掲載(2006年6月20日 - 2007年6月)
  • 「トキノオ」 - 小説。雑誌『papyrus』に連載(2008年2月号 - 2009年4月号)

小説[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 生まれは山口県
  2. ^ このソプラノ・サックスが初めて自分で買った楽器だという。
  3. ^ 自身のTwitterにて、GLAYのステージに参加する予定であったことを明かしている。
  4. ^ a b Buzy名義でベストアルバム『Buzy』にも収録。COLOR時代での名義は「晴一」。
  5. ^ a b h's」名義での作詞提供。

出典[編集]

  1. ^ 関ジャニ∞新曲の作詞も担当 ポルノグラフィティ 新藤晴一が紡ぐ、“深読み”したくなる言葉の魅力” (日本語). Real Sound|リアルサウンド. 2021年9月30日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j ワイラノクロニクル. シンコーミュージック・エンタテイメント. (2001) 
  3. ^ a b c d GUITAR MAGAZINE SPECIAL ARTIST SERIES『新藤晴一 ポルノグラフィティ』. リットーミュージック. (2019-01-10) 
  4. ^ 長谷川京子、愛息との2ショット初公開!愛らしい小さな手がハセキョーの鼻をなでる… - シネマトゥデイ(2011年3月1日)
  5. ^ times (2010年3月13日). “因島南中学校 よみがえる通学風景 寄贈された楽譜「僕らの地図」” (日本語). せとうちタイムズ(尾道市因島・瀬戸田地域の週刊新聞). 2021年9月30日閲覧。
  6. ^ ポルノ新藤晴一&長谷川京子夫妻に第2子となる女児誕生 - 音楽ナタリー(2012年1月31日 21:42)
  7. ^ 長谷川京子とポルノ新藤晴一が離婚「互いに合意し慰謝料等なしと」事務所”. 日刊スポーツ (2021年10月29日). 2021年10月29日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]