チェスター・ベニントン

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Chester Bennington
Linkin Park-Rock im Park 2014- by 2eight 3SC0566.jpg
基本情報
出生名 Chester Charles Bennington
生誕 (1976-03-20) 1976年3月20日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 アリゾナ州
死没 (2017-07-20) 2017年7月20日(41歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州
ジャンル ハードロック
ニュー・メタル
ポスト・グランジ
オルタナティヴ・ロック
オルタナティヴ・メタル
ヘヴィメタル
職業 ミュージシャン,俳優
担当楽器 ボーカル, ギター, キーボード
活動期間 1993年–2017年
レーベル Warner Bros.
共同作業者 リンキン・パーク
ストーン・テンプル・パイロッツ
公式サイト www.cbennington.com

チェスター・チャールズ・ベニントン(Chester Charles Bennington、1976年3月20日 - 2017年7月20日)は、アメリカ合衆国の歌手。亡くなるまでロックバンドリンキン・パークボーカリストを務めており、ストーン・テンプル・パイロッツの元ボーカリストでもある。

生涯[編集]

幼少期[編集]

ベニントンは、アリゾナ州フェニックスで生まれた[1] 。父親は刑事、母親は看護婦で、ベニントンが11歳のときに離婚し、父親に引き取られた[2]。7-8歳から13歳まで年長の男友達から性的虐待を受け、16歳までにLSDなどの薬物やアルコールを大量摂取するようになる[2]。寂しい家庭環境を紛らわすため絵を描いたり詩を書いたりするようになり、音楽に興味を持ち、デペッシュ・モードストーン・テンプル・パイロッツの影響を受ける[2]。Grey Dazeというバンドを始め仲間ができたことで環境は好転するが、暗い過去を忘れるためにますます酒やコカインメタンフェタミンに溺れるようになる[1][2]。薬物中毒で風貌が一変したことに驚いた母親に17歳のときに連れ戻されるが、音楽活動は好調で2枚のアルバムを出し、地元の人気バンドとなるも解散、22歳で結婚し、デジタルサービス会社で働く[2]

後には薬物中毒を克服し、インタビューで薬物の使用を非難している[3]。彼はプロのミュージシャンになる前、バーガーキングでも働いていた[1]

プロフェッショナルとして[編集]

リンキン・パークに加入する前、ベニントンはフェニックスでグランジバンドのGrey Dazeで活動していた。1998年にGrey Dazeを脱退したが、しばらくは新しいバンドが見つからなかった。音楽を諦めかけていたころ、ロサンゼルスにあるZomba Musicの副社長ジェフ・ブルーが彼をリンキン・パークのボーカルのオーディションに誘った。ベニントンは仕事を辞め、家族をカリフォルニア州に呼び寄せ、オーディションにも合格した。ベニントンと前のボーカルだったマイク・シノダは素晴らしい成功を収めたが、なかなかレコードの発売には至らなかった。しかしジェフ・ブルーの力添えがあったおかげでワーナー・ブラザース・レコードと契約することができた。

2000年代初頭の驚異的な成功にも関わらず、ベニントンはステージの外では多くの問題を抱えていた。もともと彼は病弱で、2001年のオズフェストの最中にドクイトグモに腕を噛まれてしまった。Meteoraの製作中にも健康に悩まされた。2003年夏には病気に倒れた。2007年10月にはメルボルンでのステージで舞台に飛び乗ろうとした時に手首に怪我を負ったが、演奏を続け、終了後すぐに救急救命室に運び込まれた。

驚異的なシャウトと、バラードでの魅力的な声が特徴だが、どうすればそのような声が出せるのかというインタビュアーの質問に対しては、「何でこんな声が出せるのか、自分でもよく分からない」と答えている。

私生活[編集]

ベニントンは1996年10月31日に最初の妻サマンサと結婚した。2002年4月19日には子供が産まれ、ドレイヴン・セバスチャンと名づけられた。ベニントンは、最初の妻であるサマンサとは、リンキン・パークの活動の中ですれ違いが多くなり、2005年に離婚に至った。サマンサとの離婚後、ベニントンは元プレイメイトのタリンダ・ベントレーと再婚し、二人の間に生まれた子供をタイラー・リーと名づけた。彼の家族はカリフォルニア州オレンジ郡ニューポートビーチにある6000平方フィートの豪邸に住んでいる。6人の子持ち[4]

彼は2006年公開のジェイソン・ステイサム主演の映画「アドレナリン」にカメオ出演している。また入れ墨の愛好者である。体中に入れ墨とピアスがあるだけでなく、アリゾナ州テンピにあるタトゥーショップ「Club Tattoo」の共同経営者でもある。このタトゥーショップは雑誌などにも多く取り上げられ評価されており、ニューヨークでアートショーが開催されたほどである。

また彼はpeta2のINK NOT MINK(毛皮を着るくらいなら入れ墨で)キャンペーンにも参加しており、2009年に毛皮反対の意思を公表している[5]。peta2のインタビューの中で、ベニントンは「僕たちはこの世界のすべての生き物に敬意を示す必要がある」といい動物の権利を支持し、「毛皮を買わない」という選択だけではなく、犬や猫の里親になる選択を促している[5]

死去[編集]

2017年7月20日、ロサンゼルスの自宅で死亡しているのが発見された[6]。家族が外出中の首吊り自殺だった。満41歳没。この2か月前に音楽仲間のクリス・コーネルが首つり自殺しており、ベニントンが亡くなった日はコーネルの誕生日だった[4]。ベニントンはコーネルの息子の代父も務める親しい友人でもあり、コーネルの葬儀ではレナード・コーエンのハレルヤを歌ったばかりであった[4]

ソロ作品[編集]

リンキン・パークとしての作品はリンキン・パーク#ディスコグラフィーを参照。

  • "Karma Killer" (2002)
  • "System" (2002)
  • "State of the Art" - DJ Lethal of Limp Bizkit (2004)
  • "White People|Rock 'N' Roll (Could Never Hip-Hop Like This) Part 2" (2004)
  • "Walking Dead" (2005)
  • "Home Sweet Home" (2005)
  • "Buck the World|Slow Ya Roll" (2007)

出演[編集]

出典[編集]

外部リンク[編集]