中村泰士

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中村泰士
生誕 (1939-05-21) 1939年5月21日(78歳)
出身地 奈良県奈良市
学歴 奈良県立高田高等学校中退
ジャンル 歌謡曲
職業 作曲家作詞家
活動期間 1957年 -

中村 泰士(なかむら たいじ、1939年5月21日[1] - )は、日本作曲家作詞家。一時読みを"なかむら やすし"としていた。

来歴・人物[編集]

奈良県奈良市出身。大阪府立和泉高等学校に通っていたが、奈良県立高田高等学校に転校し、中退。 在学中より、「内田裕也とロックブラザーズ」のボーカルをつとめていた。

1957年美川鯛二として東芝より歌手デビュー。1968年、佐川満男の「今は幸せかい」で作曲家に転身。

1972年ちあきなおみ喝采」で第14回日本レコード大賞1982年細川たかし北酒場」で第25回日本レコード大賞と、日本レコード大賞を二度受賞するなど、ヒットメーカーとして知られている。

もみあげから繋がる髭面がトレードマーク。テレビではタレントとしても活躍するほか、タレント・歌手の育成も行っている。かつては、東京でも活躍していたが、現在は主に大阪を拠点に活躍中。2003年に再び歌手として活動を始めている。

同じく関西出身で、中村が審査員を務めていた『スター誕生!』からデビューした歌手、柏原芳恵と共にコンサートツアー・ディナーショー等も行っている。また、同番組では中森明菜の三度目の挑戦の時、周囲の審査員が無反応だったにもかかわらず、一人「点をつけられないほど良い」と一発合格させたという。

又、熱心なクリスチャンホームに育ち、高校生の時、奈良市内の聖公会洗礼を受けてクリスチャンになっており、教会でのコンサートも行っている。

1995年の奈良県知事選および1996年第41回衆議院議員総選挙大阪府第3区から立候補するが、いずれも落選している。

エピソード[編集]

上岡龍太郎が無名時代に美川鯛二のバックコーラスをしていた。

歌手としての曲[編集]

シングル(美川鯛二名義)[編集]

  • 野良犬のブルース/哀しき姉(デビュー曲・東芝音工/JP-1369)
  • 赤いヨットは死んでいた/気まぐれデイト (東芝音工/JP-1401)
  • 泣いていたのさ/夜が来て恋をして (東芝音工/JP-1440)
  • 街灯/街の灯よ消えないでくれ(東芝音工)
  • 網走0(ゼロ)番地/ネリカン・ブルース (ソノシート/SONO RECORDS SS-25)

シングル[編集]

  • 昭和時代のおやじ達 / 大阪ヒューマンランド〜やんか!〜(2003年4月28日)
  • 俺…(2008年11月10日)

アルバム[編集]

  • 人生満喫(2003年4月28日)

提供曲[編集]

出演[編集]

ラジオ[編集]

CM[編集]

テレビ[編集]

ドラマ[編集]

以下は全てTBSテレビ

バラエティー[編集]

著作[編集]

単著[編集]

  • おじさんスピリット―一度遊びに来ませんか(1983年11月、山手書房)
  • 心人類―子供の手の届く所に置いてください。(1992年7月、はまの出版)ISBN 978-4893611406
  • いい日いちにち―キュートナーからのメッセージ(2003年12月、アスクISBN 978-4901681155
  • まがって、シャン!(2012年5月3日、遊タイム出版)ISBN 978-4860103101
  • うつを超えた39のモノローグ (2013年10月15日、ゴマブックス

共著[編集]

  • M2C『カラオケの科学 知って納得歌えば最高―好奇心があるなら歌はどんどんうまくなる』(1997年2月、はまの出版)ISBN 978-4893612298

脚注[編集]

外部リンク[編集]