中村泰士

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中村泰士
生誕 (1939-05-21) 1939年5月21日(81歳)
出身地 奈良県北葛城郡王寺町[1]
学歴 奈良県立高田高等学校中退[1]大阪府立和泉高等学校中退[1]
ジャンル 歌謡曲
職業 作曲家作詞家
活動期間 1957年 -

中村 泰士(なかむら たいじ、1939年昭和14年〉5月21日[2] - )は、日本作曲家作詞家

略歴・人物[編集]

奈良県北葛城郡王寺町出身。クリスチャンの家に、長兄と12歳も離れた5人兄弟の末っ子として生まれる。6歳の時に歯科医師の父が亡くなり、母が役場に勤め、女手一つで育てられた[1]

中学生の時、クラブ活動ブラスバンド部に入り、トロンボーン担当となる。行進曲のリズムを刻み続けることに詰まらなさを感じ、部室にあったジャズの譜面のメロディーをトロンボーンで吹いていた[1]

進学した奈良県立高田高等学校にブラバン部がなかったため、担任教諭に頼みブラバン部をつくってもらったが、2年生の時にエルビス・プレスリーニール・セダカらのロックンロール音楽に出会い、大阪市難波神戸市三宮ジャズ喫茶へ通うようになった。当時ロカビリーブームの最中で、プレスリーを真似て髪型を「リーゼントにしてギターケースを持っていれば女の子にモテた時代」のため、「踊りも覚える。女も覚える。楽しいから学校に行かない」ようになり、「遊びほうけて授業日数が足りなかった」ため退学となった。その後、「兄が動いて」大阪府立和泉高等学校3年生に編入したが、2カ月しか通学しなかった[1]

18歳で、内田裕也佐川満男のバンド「ブルージーンズ」にボーカリストとして加入。芸能界にデビューした。

歌手としての曲[編集]

シングル(美川鯛二名義)[編集]

  • 野良犬のブルース/哀しき姉(デビュー曲・東芝音工/JP-1369)
  • 赤いヨットは死んでいた/気まぐれデイト (東芝音工/JP-1401)
  • 泣いていたのさ/夜が来て恋をして (東芝音工/JP-1440)
  • 街灯/街の灯よ消えないでくれ(東芝音工)
  • 網走0(ゼロ)番地/ネリカン・ブルース (ソノシート/SONO RECORDS SS-25)

シングル[編集]

  • 昭和時代のおやじ達 / 大阪ヒューマンランド〜やんか!〜(2003年4月28日)
  • 俺…(2008年11月10日)

アルバム[編集]

  • 人生満喫(2003年4月28日)

提供曲[編集]

イメージソング

出演[編集]

ラジオ[編集]

CM[編集]

テレビ[編集]

ドラマ[編集]

以下は全てTBSテレビ

バラエティー[編集]

著作[編集]

単著[編集]

  • おじさんスピリット―一度遊びに来ませんか(1983年11月、山手書房)
  • 心人類―子供の手の届く所に置いてください。(1992年7月、はまの出版)ISBN 978-4893611406
  • いい日いちにち―キュートナーからのメッセージ(2003年12月、アスクISBN 978-4901681155
  • まがって、シャン!(2012年5月3日、遊タイム出版)ISBN 978-4860103101
  • うつを超えた39のモノローグ (2013年10月15日、ゴマブックス

共著[編集]

  • M2C『カラオケの科学 知って納得歌えば最高―好奇心があるなら歌はどんどんうまくなる』(1997年2月、はまの出版)ISBN 978-4893612298

脚注[編集]

外部リンク[編集]