佐藤直子

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佐藤直子
Naoko Sato
Tennis pictogram.svg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 同・東京都千代田区
生年月日 (1955-01-02) 1955年1月2日(63歳)
身長 163cm
体重 53kg
利き手
ツアー経歴
デビュー年 1973年
引退年 1993年
ツアー通算 2勝
シングルス 0勝
ダブルス 2勝
生涯通算成績 66勝91敗
シングルス 19勝42敗
ダブルス 47勝49敗
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト8(1977)
全仏 2回戦(1981)
全英 ベスト16(1976)
全米 1回戦(1981)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 準優勝(1978)
全仏 ベスト8(1984)
全英 2回戦(1982)
全米 1回戦(1982・83・85・88)
キャリア自己最高ランキング
シングルス WTA世界ランキング74位
ダブルス バージニアスリムズ世界ランキング12位

佐藤 直子(さとう なおこ、1955年1月2日 - )は、東京都千代田区出身の元女子プロテニス選手。前日本プロテニス協会理事長。東京国際大学特命教授・硬式テニス部監督。ビーエス朝日番組審議会委員、日本スポーツ協会監事、日本スポーツ仲裁機構理事、公益財団法人日本テニス助成財団理事長。

2011年3月に早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程修了。平田竹男教授のもとでトップスポーツビジネスを研究する。

主に1970年代後半から1980年代にかけて活躍した。彼女は主に全豪オープンで好成績を出し、1977年1月開催の大会でシングルスベスト8、1978年大会で女子ダブルス準優勝の記録を残した。

夫は、外交官の塩口哲朗

略歴[編集]

1955年1月2日、産まれたその日にテニスラケットを握る。永田町小学校(現麹町小学校)在学中からテニスに親しみ、全日本テニス選手権の「15歳以下」の部門に12歳(学習院女子中等科1年)で優勝、学習院女子高等科3年の時に全日本室内選手権シングルス優勝。16歳から単身で海外遠征を始め、1973年からアメリカヒューストン大学に留学する。ジュニア時代の戦績は、1973年全仏オープンジュニアシングルス3位(準決勝でミマ・ヤオソベックに敗退)、全英オープンジュニアシングルスベスト8(マルティナ・ナブラチロワに敗退)、オーストリアオープンジュニアシングルス優勝、カナディアンオープンジュニアシングルス優勝。1973年3月南アフリカで開催されたフェドカップに沢松和子、畠中君代と共にメンバーに選ばれるが出場はなし。その後、1976年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップの日本代表選手として活躍、1980年までその位置にあった。1977年全豪オープンは、年頭の1月開催と年末の12月開催の2回行われた。佐藤が女子シングルスのベスト8に入ったのは、年頭の1月開催の大会である。準々決勝でカレン・クランツケオーストラリア)に 3-6, 6-4, 0-6 で敗れた。12月開催の大会でも活躍し、2回戦でイボンヌ・グーラゴング・コーリーに 4-6, 0-6 で敗れている。

1978年全豪オープンは12月の年末開催であったが、佐藤はパム・ホワイトクロスオーストラリア)とペアを組んだ女子ダブルスで決勝に進出した。しかし、その決勝戦ではベッツィ・ナゲルセンアメリカ)とレナータ・トマノワチェコスロバキア)組に 5-7, 2-6 で敗れた。

佐藤の他の4大大会自己最高成績は、全仏オープン1981年の2回戦進出、ウィンブルドン1976年の2回戦進出である。ウィンブルドンには、1973年から14年間に渡ってシングルス、ダブルス、ミックスダブルスのいずれかで本戦に出場し続けた。全米オープン1981年のみの出場で、1回戦敗退に終わった。

全日本テニス選手権での佐藤は、1976年1984年1986年1988年の4度女子ダブルス部門で優勝がある。全日本室内テニス選手権では、シングルスで4勝を挙げた。ジャパン・オープンでは、女子ダブルスで1976年1978年の2度優勝した。佐藤は競技経歴を長く続行し、1991年2月の「東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント」予選1回戦でレネ・スタブスオーストラリア)に敗れるまでトーナメントに出場した。1993年3月に全日本室内ダブルスへの出場(パートナー、神尾米)を最後に引退。その後、ジュニア選手の育成などに携わり、日本プロテニス協会理事長などの要職を務めた。最近では、後輩の女子プロ選手達により多くのチャンスを与えるために、日本で数少ないITF(世界テニス連盟)25,000ドルの国際大会(能登和倉国際女子オープンテニス)を開催している。

選手引退後の佐藤は、タレントコメンテーターとしての活動も多く、一時は政界進出を目指したこともある。1992年6月、第16回参議院議員通常選挙において、日本新党の比例代表名簿搭載予定者として発表されたが、選挙直前になり立候補を辞退した。その後1996年第41回衆議院議員総選挙新進党公認で、東京都第16区から立候補するが落選。1998年第18回参議院議員通常選挙には民主党公認で、比例区から立候補したが落選した。

2010年4月、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程1年制コースに入学。平田竹男教授の研究室に所属して研究活動を行った。2011年3月に修了。同研究室の卒業生には桑田真澄江口晃生などがいる。

2011年4月に東京国際大学の招聘に応じ、同大特命教授・硬式テニス部監督に就任したことが発表された[1][2]

2011年6月、日本プロテニス協会の理事長に就任。1972年の同協会設立以来、初の女性理事長となった。[3]

脚注[編集]

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  1. ^ 佐藤直子氏、本学硬式テニス部監督、特命教授に就任! - 東京国際大学・2011年4月26日
  2. ^ 東京中日スポーツ・2011年4月26日付 1面
  3. ^ 日本プロテニス協会:佐藤直子氏が理事長に就任 - 毎日新聞 2011年6月22日

外部リンク[編集]