マリア・シャラポワ
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|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
マリア・シャラポワ
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| 基本情報 | ||||||||||
| ラテン文字名 | Maria Sharapova | |||||||||
| フルネーム | Marija Jurjevna Sharapova | |||||||||
| 国籍 | ||||||||||
| 出身地 | 同・チュメニ州 ハンティ・マンシ自治管区 ニャガン |
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| 居住地 | アメリカ合衆国・フロリダ州 | |||||||||
| 生年月日 | 1987年4月19日(30歳) | |||||||||
| 身長 | 188cm | |||||||||
| 体重 | 59kg | |||||||||
| 利き手 | 右 | |||||||||
| バックハンド | 両手打ち | |||||||||
| ツアー経歴 | ||||||||||
| デビュー年 | 2001年 | |||||||||
| ツアー通算 | 38勝 | |||||||||
| シングルス | 35勝 | |||||||||
| ダブルス | 3勝 | |||||||||
| 4大大会最高成績・シングルス | ||||||||||
| 全豪 | 優勝(2008) | |||||||||
| 全仏 | 優勝(2012・2014) | |||||||||
| 全英 | 優勝(2004) | |||||||||
| 全米 | 優勝(2006) | |||||||||
| 優勝回数 | 5(豪1・仏2・英1・米1) | |||||||||
| 4大大会最高成績・ダブルス | ||||||||||
| 全豪 | 2回戦(2003・04) | |||||||||
| 全米 | 2回戦(2003) | |||||||||
| キャリア自己最高ランキング | ||||||||||
| シングルス | 1位(2005年8月22日) | |||||||||
| ダブルス | 41位(2004年6月14日) | |||||||||
| 獲得メダル | ||||||||||
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| 2016年11月3日現在 | ||||||||||
マリア・ユーリエヴナ・シャラポワ(Maria Sharapova, ロシア語:
Мари́я Ю́рьевна Шара́пова[1], 1987年4月19日 - )は、ロシア・西シベリアに位置するチュメニ州ハンティ・マンシ自治管区・ニャガン市出身の女子プロテニス選手。これまでにWTAツアーでシングルス35勝、ダブルス3勝を挙げる。自己最高世界ランキングはシングルス1位。ダブルス41位。
史上10人目の生涯グランドスラム達成者。グランドスラム優勝5回,準優勝5回。2004年WTAツアー選手権優勝。ロンドンオリンピック銀メダリスト。
プロフィール[編集]
シャラポワは華やかな容姿とプレースタイルに加えて、4大大会の女子シングルスで生涯グランドスラムを達成した実力も備える数少ない女子テニス選手の一人である。2004年のウィンブルドンで17歳にして初のグランドスラム優勝を挙げ世界的名声を得た。ベースライン・プレーヤーで、恵まれた体格を生かした強烈なサーブとストロークを武器に、打球時に叫び声をあげる強力なパワーテニスを展開する。身長188cm、体重59kg。左利きだったというが、矯正で両方使える。バックハンド・ストロークは両手打ち。
両親はベラルーシ・ゴメリの出身。父はユーリ・シャラポフであり、ロシア語圏では男性名詞・女性名詞に苗字が分かれており、女性名詞では『シャラポワ』男性名詞では『シャラポフ』である。ベラルーシ人の両親の間で生まれたシャラポワは、ロシアで生まれたためにロシア人扱いになっている。2010年10月にNBAのロサンゼルス・レイカーズに所属するサーシャ・ブヤチッチと婚約したが2012年8月に解消したことを明らかにした。
1986年に起きたチェルノブイリ原発事故の影響により、ホメリに居を構えていた両親(出生前当時、妊娠4ヶ月)がロシア・西シベリアにあるニャガンへ移住を決意し同地で出生。マリアは4歳の時からテニスを始め、6歳の頃マルチナ・ナブラチロワに才能を見出され、フロリダ州のニック・ボロテリー・テニスアカデミーへの入学を勧められる。7歳の頃父親とともに渡米したが、アカデミーの入学資格は8歳以上だった為に入学できなかった。また、高額の入学金、授業料を捻出する為に父のユーリは2年間アメリカで働き続け、シャラポワは個人コーチのもとで練習を続けた。シャラポワが9歳の時、再びアカデミーを訪れ入学テストを受けると、その類稀な才能を目にしたニック・ボロテリーにより特別奨学生としての入学を許可された。
使用ラケットはジュニア時代からプリンスだったがヘッドに契約を変更し、ウェアとシューズは一貫してナイキ。ツアー経歴を通じて日本のトーナメントと相性が良いことから、日本好きで有名である。松岡修造とジュニア時代から親交があったが、とんねるずのTV番組で松岡に「野獣のような叫び声」と言われ機嫌を損じ、以来、不仲を伝えられる。好きな日本食はしゃぶしゃぶと抹茶アイス。2011年よりフィジカルトレーナーは日本人の中村豊が担当。
2016年、全豪オープンでのドーピング陽性を記者会見で発表[2]。ロシア代表が決まっていたリオ五輪も出場できなかったが、翌年にはトーナメントに復帰した。
選手経歴[編集]
キャリア初期[編集]
シャラポワは2001年4月19日、14歳でWTAツアーにデビューした。1年後の2002年4月21日、草津国際女子オープンテニス大会で中村藍子に 6-4, 6-1 のストレート勝ちを収め、プロ選手としてのトーナメント初優勝を果たす。シャラポワ本人も「草津でのツアー初優勝は私の原点」と常々語っているという。その後ITFのサーキット大会で、さらに2つの優勝を加えた。
2003年 初タイトル[編集]
シャラポワが世界的な知名度を獲得したのは、2003年ウィンブルドンの4回戦進出であった。ワイルドカード(主催者推薦)で出場した彼女は、3回戦で第11シードのエレナ・ドキッチ(当時セルビア・モンテネグロ国籍)を 6-4, 6-4 のストレートで圧倒した後、続く4回戦で同じロシアのスベトラーナ・クズネツォワに 1-6, 6-2, 5-7 で敗れた。同年10月のジャパン・オープンにおいて、シングルスとダブルスでWTAツアー初優勝を果たす。シングルス決勝ではアニコ・カプロス(ハンガリー)に 2-6, 6-2, 7-6 で競り勝ち、ダブルスでもタマリネ・タナスガーン(タイ)とのコンビで優勝した。
2004年 ウィンブルドン優勝[編集]
2004年、シャラポワは全仏オープンでパオラ・スアレス(アルゼンチン)との準々決勝に進出した後、ウィンブルドンで4大大会初優勝を飾った。第13シードから勝ち上がった彼女は、決勝でセリーナ・ウィリアムズ(アメリカ)を 6-1, 6-4 のストレートで圧倒した。17歳2ヶ月でのウィンブルドン女子シングルス優勝は、1997年に「16歳9ヶ月」で優勝したマルチナ・ヒンギスに次ぐ大会史上2番目の年少優勝記録である。18歳未満の選手が4大大会女子シングルスを制したのも、1999年全米オープンに17歳11ヶ月で初優勝したS・ウィリアムズ以来であった。続く全米オープンでは、3回戦でマリー・ピエルス(フランス)に敗退した。10月のジャパン・オープンには第1シードとして出場し、決勝でアメリカのマショーナ・ワシントン(マラビーヤ・ワシントンの妹)に 6-0, 6-1 のスコアで圧勝し、大会2連覇を達成した。この日(10月9日)は台風22号が関東地方を直撃したが、例年より多い約9000人の観客が来場したことから“シャラポワ効果”という言葉で表現される場合もあった。女子ツアー年間最終戦・WTAツアー選手権でも初出場で初優勝を飾り、セリーナ・ウィリアムズに 4-6, 6-2, 6-4 の逆転勝利を収めた。
2005年 世界ランキング1位[編集]
2005年は、2月に東京体育館で開催された東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント決勝でリンゼイ・ダベンポートを破って初優勝を果たし、好調なスタートを切る。しかし、ウィンブルドンでは準決勝でビーナス・ウィリアムズに 6-7, 1-6 で敗れ、大会2連覇はならなかった。同年8月22日、ロシアの女子テニス選手として史上初の世界ランキング1位になる。
2006年 全米オープン優勝[編集]
2006年には、東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント準決勝で実現したマルチナ・ヒンギスとの初対戦が大きな話題となり、シャラポワは当年度から現役復帰したヒンギスに 3-6, 1-6 で敗れた。この年の全米オープンで、彼女は2004年ウィンブルドン以来の4大大会決勝戦に進出し、ジュスティーヌ・エナン=アーデン(ベルギー)を 6-4, 6-4 で破って2冠を獲得した。
2007年 肩の怪我[編集]
2007年の全豪オープンで、シャラポワは初めて決勝戦に進出したが、世界ランキング81位のノーシードから勝ち上がったセリーナ・ウィリアムズに 1-6, 2-6 で完敗し、ここでは準優勝に終わった。この後全仏オープンで初の準決勝に進出し、アナ・イバノビッチ(セルビア)に 2-6, 1-6 で敗れた。また、全米オープンでは3回戦でアグニエシュカ・ラドワンスカ(ポーランド)に不覚を取り、あっさりと大会連覇を逃してしまう。ツアー年間最終戦のWTAツアー選手権では、3年ぶり2度目の決勝戦でジュスティーヌ・エナンに 7-5, 5-7, 3-6 で敗れた。
2008年 全豪オープン優勝 再び肩の怪我[編集]
2008年の全豪オープンで、シャラポワは2年連続2度目の決勝でアナ・イバノビッチを 7-5, 6-3 のストレートで破り、初優勝を飾った。本大会ではリンゼイ・ダベンポート、エレーナ・デメンチェワ、ジュスティーヌ・エナン、エレナ・ヤンコビッチの強豪を圧倒し、全試合ストレート勝ちで優勝を決めた。これでシャラポワの4大大会優勝も3勝目となり、あとは全仏オープンを残すのみとなる。しかし、2008年はふくらはぎや右肩など多くの故障に悩まされた年でもあった。5月14日にエナンが世界1位のままで現役引退を表明したことから、翌週にシャラポワが世界1位に返り咲いたものの、全仏オープンは4回戦敗退に終わり、ウィンブルドンにいたっては2回戦で姿を消してしまう。7月末のロジャーズ・カップ3回戦敗退の後、彼女は長期間の戦線離脱を余儀なくされ、北京五輪への出場も断念した。
2009年 肩の手術とリハビリ[編集]
2009年3月前半のBNPパリバ・オープンで、シャラポワはエレーナ・ベスニナ(同じロシアの選手)とのダブルス戦に出場し、8ヶ月ぶりにツアー大会へ復帰した。1年ぶりの4大大会出場となった全仏オープンでは、2年ぶりの準々決勝でドミニカ・チブルコバ(スロバキア)に 0-6, 2-6 のストレートで完敗した。
2009年10月3日、シャラポワは東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメントのシングルス決勝で第7シードのエレナ・ヤンコビッチ(セルビア)と対戦する。第1セット途中(5-2)にヤンコビッチが棄権したため、シャラポワは2005年以来4年ぶり2度目の優勝を果たした。前年優勝者として出場した2010年の大会では主催者推薦出場のクルム伊達公子に 5-7, 6-3 , 3-6 で敗れ初戦で敗退している。
2011年 再び世界10位入り[編集]
2011年5月のBNLイタリア国際でシャラポワは決勝でサマンサ・ストーサー(オーストラリア)を 6–2, 6–4 で破り約1年ぶりのツアー23勝目を挙げた。全仏オープンでは4年ぶりのベスト4に進出したが準決勝で優勝した李娜(中国)に 4-6, 5-7 で敗れ全仏初の決勝進出を逃した。ウィンブルドンでは決勝に進出したが、ペトラ・クビトバ(チェコ)に 3–6, 4–6 で敗れ7年ぶりの優勝はならなかった。
2012年 キャリアグランドスラム達成 世界ランキング1位復帰[編集]
2012年全豪オープンでも決勝に進出したが、ビクトリア・アザレンカ(ベラルーシ)に 3–6, 0–6 で敗れ4年ぶりの優勝を逃した。全仏オープンでも決勝に進出しサラ・エラニ(イタリア)を 6-3, 6-2 で破り史上10人目のキャリアグランドスラムを達成した。大会後のランキングでは4年ぶりに1位に返り咲いた。7月のロンドン五輪で五輪に初出場し、開会式ではロシア選手団の旗手を務めた。シングルスでは準決勝で同じロシアのマリア・キリレンコを 6-2, 6-3 で破って決勝に進出した。決勝ではセリーナ・ウィリアムズに 0-6, 1-6 で完敗したが初めての五輪で銀メダルを獲得した。
2013年-[編集]
2013年5月マドリード・オープン準決勝にて通算500勝達成。[3]2013年全仏は2年連続決勝進出。セリーナ・ウィリアムズに敗れ準優勝となる。
2014年マドリード・オープンで優勝。第7シードで出場した2014年全仏オープンにて3年連続で決勝進出。決勝でシモナ・ハレプを破り優勝。全仏は2年ぶり2度目の優勝でグランドスラム通算5個目のタイトルとなる。チャイナ・オープンで優勝。
2015年全豪オープンにて3年ぶり4度目となる決勝進出。決勝でセリーナ・ウィリアムズに敗れる。BNLイタリア国際で2年ぶりの優勝。前回優勝の全仏オープンではルーシー・サファロバに敗れ4回戦敗退。全仏でベスト8に上がれなかったのは2010年以来5年ぶり。
2015年12月に開催されるコカ・コーラIPTLではジャパン・ウォリアーズの一員として参戦が決定している。
2016年 ドーピング問題[編集]
1月に行われた全豪オープン期間中の検査で、世界アンチ・ドーピング機構(WADA)が2016年から禁止薬物に指定したメルドニウムの陽性反応が出ていた。シャラポワは3月7日に記者会見を開き自ら事実を公表し、すべて自身に責任があり国際テニス連盟(ITF)から長期に渡る出場停止処分が下される可能性がある、と語った。[4]。
「とんでもない過ちを犯してしまいました。このような形で4歳のころから愛し続けているテニスのキャリアを終えたくはない。機会が与えられるのであれば……もう一度、試合の場に戻ってきたいんです。」と引退への気持ちはないことを明かした[5]。
競技での収入を遥かに上回るスポンサー収入も、ナイキ、ポルシェ、タグ・ホイヤーなど大手が契約を停止した[6]が、シャラポワにとっては比較的新しいスポンサーであったラケットのヘッドは「彼女が見せた、自身の過失を公表し、認めたことへの誠実さと勇気は称賛に値する。マリアは過ちを犯してしまったかもしれないが、我々は彼女との契約を継続する。」とコメントした[7]。
6月8日、国際テニス連盟(ITF)がシャラポワに対して「2016年1月26日に遡ってドーピング違反により『2年間の選手資格停止処分』を科した」ことを発表した[8][9]。この処分決定によりシャラポワは全豪オープン女子シングルスベスト8の成績と2016年WTAツアーランキングポイントが無効となり、賞金の返還も求められる。またシャラポワはリオデジャネイロオリンピックテニス競技ロシア代表に選出されていたが、これによりオリンピックへの出場資格も失った[9]。今回のITFの処分について、シャラポワ側は「2年間の資格停止は重すぎて受け入れることは出来ない」としてスポーツ仲裁裁判所(CAS)に提訴[9][10]、10月4日に資格停止期間を9ヵ月短縮して15ヵ月とする裁定が下された[11]。これにより、2017年全仏オープンからの復帰が可能になった。
他の活動[編集]
シャラポワはテニス選手のみならず、ファッションモデルとしても多方面の活動を繰り広げており、女子スポーツ選手としては世界トップの収入を誇る(スポーツ選手長者番付)。
2007年2月14日、シャラポワは国際連合開発計画親善大使に就任し、チェルノブイリ原発事故後遺症に苦しむ祖国ロシア・ベラルーシ・ウクライナの8つの若者支援プロジェクトに自身の基金から10万ドルを寄付すると発表した。
2011年の東レ・パンパシフィック・オープンでは、東日本大震災で被災した福島県の中高生を招き、激励している。
2017年5月、ESPNは世界で最も有名なアスリート100人を発表し、シャラポワは23位に選出された。女性アスリートとしてはロンダ・ラウジー、セリーナ・ウィリアムズに次ぐ3位[12]。
プレースタイル[編集]
強く深く角度のあるフォアハンドとバックハンドを持つアグレッシブベースライナー[13]。WTAでは珍しくリバースフォハンドをよく使う。長身を活かしたボレーも強力[14]。
フラット系のショットをストロークのベースとしており、感覚をつかむまでは不安定だが、入りだすと相手にとって驚異。カウンターショットを最大の持ち味としており、少々打点が遅れても、そこから切り返してより攻撃的なショットが打て、 また一見でたらめなフォームに思えるときでも、きっちりコースをついて切り返してくる[15]。
フォアハンドは、ボールの引きつけが良いという特徴がある。しっかりボールを引きつけて、まともに正面からとらえるため、かなり厚い当たりで打つことができる。得意な打点が後ろめにあるため、追いこまれても他の選手より思いきって叩ける。それを活かしたランニングショットでのカウンターを得意とする[16]。
WTAツアー決勝進出結果[編集]
シングルス: 58回 (35勝23敗)[編集]
| 大会グレード |
|---|
| グランドスラム (5–5) |
| ツアー選手権 (1–2) |
| オリンピック (0-1) |
| ティア I (6–3) |
| ティア II (3–1) |
| ティア III (5–1) |
| ティア IV & V (1–0) |
| プレミア (12–9) |
| インターナショナル (2–1) |
| 結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | 対戦相手 | スコア |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 優勝 | 1. | 2003年9月28日 | ハード | 2–6, 6–2, 7–6(5) | ||
| 優勝 | 2. | 2003年10月27日 | ハード (室内) | 6–2 途中棄権 | ||
| 優勝 | 3. | 2004年6月7日 | 芝 | 4–6, 6–2, 6–1 | ||
| 優勝 | 4. | 2004年6月21日 | 芝 | 6–1, 6–4 | ||
| 優勝 | 5. | 2004年9月27日 | ハード | 6–1, 6–1 | ||
| 優勝 | 6. | 2004年10月9日 | ハード | 6–0, 6–1 | ||
| 準優勝 | 1. | 2004年10月24日 | ハード (室内) | 6–4, 2–6, 3–6 | ||
| 優勝 | 7. | 2004年11月8日 | ハード (室内) | 4–6, 6–2, 6–4 | ||
| 優勝 | 8. | 2005年2月6日 | カーペット (室内) | 6–1, 3–6, 7–6(5) | ||
| 優勝 | 9. | 2005年2月21日 | ハード | 4–6, 6–1, 6–4 | ||
| 準優勝 | 2. | 2005年3月3日 | ハード | 3–6, 5–7 | ||
| 優勝 | 10. | 2005年6月6日 | 芝 | 6–2, 4–6, 6–1 | ||
| 準優勝 | 3. | 2006年2月26日 | ハード | 5–7, 2–6 | ||
| 優勝 | 11. | 2006年3月18日 | ハード | 6–1, 6–2 | ||
| 準優勝 | 4. | 2006年4月2日 | ハード | 4–6, 3–6 | ||
| 優勝 | 12. | 2006年8月6日 | ハード | 7–5, 7–5 | ||
| 優勝 | 13. | 2006年9月9日 | ハード | 6–4, 6–4 | ||
| 優勝 | 14. | 2006年10月22日 | ハード (室内) | 6–1, 4–6, 6–3 | ||
| 優勝 | 15. | 2006年10月29日 | ハード (室内) | 7–5, 6–2 | ||
| 準優勝 | 5. | 2007年1月29日 | ハード | 1–6, 2–6 | ||
| 準優勝 | 6. | 2007年6月18日 | 芝 | 6–4, 3–6, 5–7 | ||
| 優勝 | 16. | 2007年8月5日 | ハード | 6–2, 3–6, 6–0 | ||
| 準優勝 | 7. | 2007年11月11日 | ハード | 7–5, 5–7, 3–6 | ||
| 優勝 | 17. | 2008年1月26日 | ハード | 7–5, 6–3 | ||
| 優勝 | 18. | 2008年2月24日 | ハード | 6–1, 2–6, 6–0 | ||
| 優勝 | 19. | 2008年4月13日 | クレー | 7–6(7), 6–3 | ||
| 準優勝 | 8. | 2009年8月23日 | ハード | 4–6, 3–6 | ||
| 優勝 | 20. | 2009年10月3日 | ハード | 5–2, 途中棄権 | ||
| 優勝 | 21. | 2010年2月20日 | ハード (室内) | 6–2, 6–1 | ||
| 優勝 | 22. | 2010年5月22日 | クレー | 7–5, 6–1 | ||
| 準優勝 | 9. | 2010年6月13日 | 芝 | 5–7, 1–6 | ||
| 準優勝 | 10. | 2010年8月1日 | ハード | 4–6, 1–6 | ||
| 準優勝 | 11. | 2010年8月15日 | ハード | 6–2, 6–7(4), 2–6 | ||
| 準優勝 | 12. | 2011年4月2日 | ハード | 1–6, 4–6 | ||
| 優勝 | 23. | 2011年5月15日 | クレー | 6–2, 6–4 | ||
| 準優勝 | 13. | 2011年7月2日 | 芝 | 3–6, 4–6 | ||
| 優勝 | 24. | 2011年8月22日 | ハード | 4–6, 7–6(7), 6–3 | ||
| 準優勝 | 14. | 2012年1月28日 | ハード | 3–6, 0–6 | ||
| 準優勝 | 15. | 2012年3月18日 | ハード | 2–6, 3–6 | ||
| 準優勝 | 16. | 2012年3月31日 | ハード | 5–7, 4–6 | ||
| 優勝 | 25. | 2012年4月29日 | クレー | 6–1, 6–4 | ||
| 優勝 | 26. | 2012年5月20日 | クレー | 4-6, 6-4, 7–6(5) | ||
| 優勝 | 27. | 2012年6月9日 | クレー | 6-3, 6-2 | ||
| 準優勝 | 17. | 2012年8月4日 | 芝 | 0–6, 1–6 | ||
| 準優勝 | 18. | 2012年10月7日 | ハード | 3–6, 1–6 | ||
| 準優勝 | 19. | 2012年10月28日 | ハード (室内) | 4–6, 3–6 | ||
| 優勝 | 28. | 2013年3月17日 | ハード | 6-2, 6-2 | ||
| 準優勝 | 20. | 2013年3月31日 | ハード | 6-4, 3-6, 0-6 | ||
| 優勝 | 29. | 2013年4月28日 | クレー | 6–4, 6–3 | ||
| 準優勝 | 21. | 2013年5月12日 | クレー | 1-6, 4-6 | ||
| 準優勝 | 22. | 2013年6月8日 | クレー | 4–6, 4–6 | ||
| 優勝 | 30. | 2014年4月27日 | クレー | 3-6, 6-4, 6-1 | ||
| 優勝 | 31. | 2014年5月11日 | クレー | 1-6, 6-2, 6-3 | ||
| 優勝 | 32. | 2014年6月7日 | クレー | 6-4, 6-7, 6-4 | ||
| 優勝 | 33. | 2014年10月5日 | ハード | 6-4, 2-6, 6-3 | ||
| 優勝 | 34. | 2015年1月10日 | ハード | 6-7, 6-3, 6-3 | ||
| 準優勝 | 23. | 2015年1月31日 | ハード | 3-6, 6-7 | ||
| 優勝 | 35. | 2015年5月17日 | クレー | 4-6, 7-5, 6-1 |
ダブルス: 4回 (3勝1敗)[編集]
| 結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 優勝 | 1. | 2003年9月29日 | ハード | 7–6(1), 6–0 | |||
| 優勝 | 2. | 2003年10月20日 | ハード | 6–1, 6–4 | |||
| 準優勝 | 1. | 2004年2月16日 | ハード | 4–6, 6–7(0) | |||
| 優勝 | 3. | 2004年6月7日 | 芝 | 6–2, 6–1 |
4大大会優勝[編集]
| 年 | 大会 | 対戦相手 | 試合結果 |
|---|---|---|---|
| 2004年 | ウィンブルドン | 6-1, 6-4 | |
| 2006年 | 全米オープン | 6-4, 6-4 | |
| 2008年 | 全豪オープン | 7-5, 6-3 | |
| 2012年 | 全仏オープン | 6-3, 6-2 | |
| 2014年 | 全仏オープン | 6-4, 6-7, 6-4 |
4大大会シングルス成績[編集]
- 略語の説明
| W | F | SF | QF | #R | RR | Q# | LQ | A | WG | Z# | PO | SF-B | S | G | NMS | NH |
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加
WG=デビスカップワールドグループ, Z#=デビスカップ地域ゾーン, PO=デビスカッププレーオフ, SF-B=オリンピック銅メダル, S=オリンピック銀メダル, G=オリンピック金メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, NH=開催なし.
| 大会 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 | 2014 | 2015 | 通算成績 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 全豪オープン | 1R | 3R | SF | SF | F | W | A | 1R | 4R | F | SF | 4R | F | 48–11 |
| 全仏オープン | 1R | QF | QF | 4R | SF | 4R | QF | 3R | SF | W | F | W | 4R | 53–11 |
| ウィンブルドン | 4R | W | SF | SF | 4R | 2R | 2R | 4R | F | 4R | 2R | 4R | SF | 47–12 |
| 全米オープン | 2R | 3R | SF | W | 3R | A | 3R | 4R | 3R | SF | A | 4R | A | 32–9 |
年間最終世界ランキング[編集]
| - | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 | 2014 | 2015 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 順位 | 186 | 32 | 4 | 4 | 2 | 5 | 9 | 14 | 18 | 4 | 2 | 4 | 2 | 4 |
脚注[編集]
- ^ ロシア語ラテン翻字: Marija Jurjevna Sharapova
- ^ 毎日新聞jp. “女子テニス シャラポワ、薬物検査で陽性 引退は否定”. 2016年3月8日閲覧。
- ^ http://www.wtatennis.com/news/article/3175253/title/sharapova-gets-500th-career-match-win
- ^ “シャラポワ衝撃“薬物使用”会見 いわく付き「抗虚血薬」でリオ絶望”. スポニチSponichi Annex. スポーツニッポン (2016年3月9日). 2016年3月9日閲覧。
- ^ 内田暁 (2016年3月8日). “シャラポワ薬物違反から見える問題点 厳しさ増すテニス界のドーピング検査”. スポーツナビ. Y's Sports Inc.. 2016年3月9日閲覧。
- ^ “シャラポワ 大型3社契約停止”. tennis365.net. STATS - AP (Fubic Corporation). (2016年3月8日) 2016年3月11日閲覧。
- ^ “シャラポワ ラケット契約継続”. tennis365.net. STATS - AP (Fubic Corporation). (2016年3月10日) 2016年3月11日閲覧。
- ^ “Decision in the case of Maria Sharapova” (プレスリリース), International Tennis Federation, (2016年6月8日) 2016年6月9日閲覧。
- ^ a b c “シャラポワ2年間資格停止 全豪8強無効、リオも×”. 日刊スポーツ. (2016年6月9日) 2016年6月9日閲覧。
- ^ Please see my statement on the ITF’s decision on my Facebook page Maria Sharapova Official site 2016-6-8
- ^ “シャラポワの活動停止処分を15ヵ月に減刑”. THE TENNIS DAILY. (2016年10月5日) 2016年11月3日閲覧。
- ^ ESPN World Fame 100 ESPN.com 2017年6月10日閲覧。
- ^ Jeff Cooper. Maria Sharapova – Tennis Game Profile, About.com. Retrieved July 23, 2008.
- ^ Douglas Robson. Swinging, midcourt volley becomes key weapon among pros, USA Today, June 25, 2007. Retrieved July 23, 2008.
- ^ http://news.tennis365.net/lesson/pro/f_sharapova01.html
- ^ http://news.tennis365.net/lesson/pro/f_sharapova03.html
外部リンク[編集]
- マリア・シャラポワ公式サイト (英語)
- マリア・シャラポワ - WTAツアーのプロフィール (英語)

- マリア・シャラポワ - フェドカップのプロフィール (英語)

- マリア・シャラポワ - 国際テニス連盟のプロフィール (英語)
- マリア・シャラポワ - インターネット・ムービー・データベース(英語)
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