宮里藍

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宮里 藍
Ai Miyazato Golf pictogram.svg
2009 Women's British Open – Ai Miyazato (9).jpg
基本情報
出生国 日本の旗 日本
生年月日 1985年6月19日(30歳)
出身地 沖縄県国頭郡東村
身長 155 cm[1]
体重 52 kg
血液型 B
利き手
経歴 東北高等学校卒業
プロ転向 2003年
成績
優勝回数 日本女子:15回
(公式戦:2回)
全米女子:9回
ワールドカップ女子:1回
初優勝 日本女子:ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンゴルフ (2003)
全米女子:エビアン・マスターズ (2009)
世界ランク最高位 1位(2010年6月21日)
賞金ランク最高位 日本女子:2位 (2004) (2005)
全米女子:3位 (2009)
欧州女子:1位 (2011)
2012年7月2日現在
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宮里 藍(みやざと あい、1985年6月19日 - )は、日本の女子プロゴルファーである。

愛称は「藍ちゃん」。サントリー所属。

経歴[編集]

生い立ち[編集]

沖縄県国頭郡東村生まれ。

「藍」の名前の由来は父が辞書で調べると最初の方に出てくる名前でトップがとれるようにという理由とのことである。

宮里家は3人兄弟の家族で、藍は末の妹である。兄の宮里聖志宮里優作(同じ誕生日)とともに兄弟3人全員プロゴルファー。

次兄の宮里優作が、仙台市にあるゴルフの名門・東北福祉大学在学中に「日本学生ゴルフ選手権」で3連覇するなど活躍していたこともあり、藍も優作を追う形で沖縄を出て、仙台市にある東北高校に進学した(東北福祉大と東北高校は系列校ではない)。既に兄の優作の活躍は、在仙台局の夕方ニュース番組のスポーツコーナーで度々紹介されていたが、妹の藍も、高校2年で釜山アジア大会金メダルを獲得し、アマチュアながら女子プロゴルフトーナメントに参加して、フジサンケイレディスクラシックで優勝争いに加わる(最終順位4位)など、上位に食い込む活躍を始めると「天才兄妹」として紹介されるようになった。2003年6月に日本女子アマチュアゴルフ選手権競技で優勝。

プロ入り[編集]

宮里藍は、高校3年の時に地元仙台で開催された「ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンゴルフトーナメント」で優勝し、2003年平成15年)10月にプロ宣言をする。こうして彼女は史上初の高校生プロゴルファーとなった。長兄の宮里聖志は、2004年(平成16年)12月の「アジア・ジャパン沖縄オープン」でプロゴルファーとしての初優勝を果たしている。

2004年(平成16年)11月の「エリエールレディスオープン」で優勝し、年間獲得賞金額が1億円を突破。日本女子ツアーでは不動裕理以来2人目の快挙を達成した。この年賞金女王は逃したが、ツアー5勝を挙げ、賞金ランキング2位に入る。2004年日本プロスポーツ大賞新人賞を受賞する。男子も含めゴルフ人気は長く低迷していたが、宮里藍のライバルの横峯さくらとともに女子プロゴルフ界のニュー・ヒロインとして注目され、テレビ中継の視聴率が10%を超えるなどゴルフ人気の復活に貢献した。

2005年(平成17年)2月11日-13日、第1回ワールドカップ女子ゴルフ南アフリカ)に日本代表として出場し、韓国アメリカオーストラリアなどの強豪国を抑えて優勝した。最終日はそれまで絶好調でチームを引っ張ってきたペアの北田瑠衣が終始不調であったが、それを補って余りあるバーディーラッシュを見せた。

メジャー大会では、初挑戦だった2004年(平成16年)7月末の全英女子オープンは予選落ちするも、翌2005年(平成17年)には11位タイでフィニッシュ、2006年(平成18年)の出場資格を獲得した。2005年度の女子メジャー大会第1戦クラフト・ナビスコ選手権で予選を通過し、同年7月末の最終戦全英女子オープンでメジャー自己最高の11位に入った。6月末の「世界女子マッチプレー選手権」では3回戦まで進出している。

2005年(平成17年)10月に開かれた日本女子オープンゴルフ選手権競技において、感涙の公式戦初優勝を達成、史上最年少の20歳3か月でのツアー通算10勝、並びに同大会史上最年少優勝も獲得した。この大会の最終日、2005年(平成17年)10月2日は「藍ちゃん人気」も手伝ってギャラリー数が史上初めて2万人を超え、また大会全体でも4万人の大観衆を集めた。この後も10月末の「樋口久子IDC大塚家具レディス」に勝ち、11月の「エリエールレディスオープン」大会2連覇も達成している。最終戦を残したこの時点で、賞金ランキング1位であり、最年少賞金女王の可能性もあったが、米国LPGAツアー最終予選会出場のため、最終戦は欠場した。(この年の賞金ランキングは2位)

USLPGAツアー挑戦[編集]

米国LPGAツアーへの参戦を目指してツアー出場資格を懸けた最終予選会(2005年11月-12月・米フロリダ州デイトナビーチ)に出場。5日間90ホールの厳しい戦いを、トータル17アンダー、2位と12打差と圧勝、1位で2006年(平成18年)のLPGAツアーカードを取得した。これらの数字は、予選会が5日間となった昨年の1位ポーラ・クリーマーの11アンダーを上回り、また1973年昭和48年)に予選会の制度ができてからの2位との差の新記録である。

2006年度(平成18年度)から、宮里はロサンゼルスを拠点に、米国ツアーを主戦場にした。この年から女子プロゴルフにも「世界ランキング」が導入され、宮里は最初に発表された2006年(平成18年)2月20日付のランキングで6位に入った[2]。主な成績は、メジャー大会の全米女子プロゴルフ選手権3位、全英女子オープンゴルフで9位入賞がある。この年は米国ツアー出場21大会中、19大会で予選を通過し、賞金ランキングでも22位に入った。2007年(平成19年)のクラフト・ナビスコ選手権では15位に入っている。2006年(平成18年)からもその兆候はあったが、2007年度(平成19年度)は連続5回予選落ち(うち、1回は棄権)するなど、これまでにない不振に陥っている。

2009年度(平成21年度)は、7月26日フランスで開催されたエビアン・マスターズでLPGAツアー初優勝を果たすなど活躍を見せ、米国女子賞金ランキング3位と飛躍の年となった。

2010年(平成22年)は開幕戦のホンダLPGAタイパッタヤー / サイアムCC)にて、最終日スタート時点の6打差をひっくり返して逆転優勝、第2戦となるHSBC女子チャンピオンズシンガポール / タナ・メラCC)でも通算10アンダーで優勝を飾ったため、LPGAツアーとしては、1966年昭和41年)のマリリン・スミス以来44年ぶり・史上5人目(日本人初)の開幕からの2週連続優勝を達成。第5戦のトレスマリアス選手権メキシコモレリア / トレスマリアスGC)でも通算19アンダーで優勝を果たした。6月20日、米国ニュージャージー州ギャロウェーのドルチェ・シービュー・リゾート ベイコースで行われたショップライト・クラシックにおいて通算16アンダーで米国本土初勝利を果たし、1987年(昭和62年)に岡本綾子が記録した日本人最多のシーズン4勝に並び、申智愛に次いで2位につけていた世界ランキングにおいても、6月21日付けで日本人初となる1位となった。8月22日にはセーフウェー・クラシックで勝利し、米女子ツアー日本人最多のシーズン5勝目、米女子ツアー通算6勝目を挙げた。2012年11月、模範的な選手に贈られる「ウィリアム&モージー・パウエル賞」を、日本人として初めて、受賞した[1]

優勝記録[編集]

宮里藍が女子ワールドカップで優勝した際に、東村役場に掲出された祝福メッセージ(2005年2月撮影)

JLPGAツアー[編集]

LPGAツアー[編集]

大会成績[編集]

大会 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015
ANA DNP T44 T29 T15 T31 69 CUT T33 T56 T55 T67 T41
PGA選手権 DNP DNP T3 CUT CUT DNP T3 CUT T6 T15 CUT DNP
全米女子オープン DNP CUT T28 T10 T27 T6 T31 T6 T28 T11 CUT
全英女子オープン CUT T11 9 T58 5 T3 T9 CUT T26 CUT T45
エビアン選手権 T15 CUT

DNP = 出場せず
CUT = ハーフウェイ・カット
"T" = 順位タイ
黄色はトップ10

出演[編集]

プロ宣言直後の2003年平成15年)10月26日、この日よりJR東日本Suicaが仙台地区でのサービスが開始され、仙台駅でそれを記念するイベントが開催された。宮里もイベントに参加し、当時の浅野史郎宮城県知事らとともにステージに特設された改札機をsuicaを使って通り、アピールに一役買っている。

河北新報宮城県および東北地方ブロック紙)では、出身高校の関係で、その活躍ぶりを宮城県関連のニュースとして報道されている。

TV番組[編集]

CM[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 日本女子プロゴルフ協会のプロフィールによる。自身のウェブサイトには155.3 cmとの記載がある
  2. ^ ROLEX Rankings(2006年2月20日付)

関連書籍[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]