イオリッツ・メンディザバル

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イオリッツ・メンディザバル
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1974-05-02) 1974年5月2日(49歳)
騎手情報
初免許年 1990年
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イオリッツ・メンディザバルIoritz Mendizabal1974年5月2日 - )は、スペイン騎手フランスを拠点に活動する。姓はマンディザバルと表記される場合もある。香港における名前の中文表記は「曼迪沙寶」

来歴[編集]

14歳の頃に騎手になることを決意し、その後モン=ド=マルサンにある騎手学校へ入学して2年後に騎手デビューを果たした。

2002年、この頃から頭角を現し、フランスリーディング2位となる。

2003年、プシケ賞をコメルカンテに騎乗して制し、重賞競走初勝利を挙げる。

2004年サンタラリ賞をアスクフォーザムーンに騎乗して制し、G1競走初勝利を挙げる。さらに当年はフランス歴代最多勝記録となる年間220勝を記録し、初のフランスリーディングジョッキーとなった。なお、同年初来日している(詳細は後述)。

来日歴[編集]

2004年、第18回ワールドスーパージョッキーズシリーズに出場するために初来日を果たし、中央競馬初騎乗となった12月4日のゴールデンスパートロフィーでクワイエットデイ[1]に騎乗して2着となる。そして同シリーズでは28ポイントを獲得して7位となった。

2006年、第20回ワールドスーパージョッキーズシリーズに出場するために2年ぶりに来日し、同シリーズでは30ポイントを獲得して5位タイとなった。

2008年第22回ワールドスーパージョッキーズシリーズに出場するために2年ぶりに来日し、同シリーズでは未勝利ながら45ポイントを獲得して1位となった。未勝利騎手の優勝は2004年のアンドレアス・スボリッチ以来2人目である。

2011年、来日できなくなったクリストフ・スミヨンに代わり、初めて短期免許を利用して3年ぶりに来日した。11月5日ファンタジーステークスアイムユアーズに騎乗して制し、日本での初勝利を重賞で飾った。

2012年は、本人曰く「前年の落馬事故以降癖になった」という[2]右肩の脱臼が来日後に頻発。同年10月21日菊花賞ではレース中4コーナーで脱臼したほか、11月7日のレースでも再び脱臼。元々「ジャパンカップの週まで騎乗し、その後帰国して手術する」予定だったが[2]、JRAとの協議の結果、結局予定を切り上げて帰国することになり11月14日付で短期免許を取り消した[3]

2018年、札幌競馬場で開催された第3回ワールドオールスタージョッキーズ(以下WASJ)に参加するために再来日。

受賞など[編集]

記録[編集]

  • 中央競馬(平地)
日付 競馬場・開催・レース 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 2004年12月4日 第5回阪神1日目9レース ゴールデンスパートロフィー - クワイエットデイ 14頭 1 2着
重賞初騎乗 2011年10月29日 第5回京都7日目11レース スワンステークス GII グランプリボス 18頭 2 8着
初勝利及び重賞初勝利 2011年11月5日 第6回京都1日目11レース ファンタジーステークス GIII アイムユアーズ 17頭 8 1着
GI初騎乗 2011年10月30日 第4回東京9日目11レース 天皇賞(秋) GI ローズキングダム 18頭 4 10着

主な騎乗馬[編集]

G1競走優勝馬(騎乗時)
その他

エピソード[編集]

  • 2005年のガネー賞では、プライドに騎乗して2着入線したが、後に進路妨害による降着により6着となっている。
  • 甘い菓子類が大好きで、特にチョコレートに目がない。体重管理が重要な騎手にとって本来菓子類は天敵のはずだが、本人曰く「みかんコーヒーを一緒に食べると3分後にはトイレに行きたくなる」体質ですぐに体重が落ちるため、菓子類も特に気にせずに食べているという[4]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 同馬は後に重賞競走を2勝している。
  2. ^ a b 競馬最強の法則』(KKベストセラーズ)2012年12月号 p.22
  3. ^ 右肩脱臼のメンディザバルが帰国「治療に専念」 - スポーツニッポン・2012年11月15日
  4. ^ 競馬最強の法則』(KKベストセラーズ)2012年1月号 pp.63 - 68

外部リンク[編集]