マイネルセレクト

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マイネルセレクト
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1999年5月29日
死没 (現役種牡馬)
フォーティナイナー
ウメノアスコット
母の父 ラッキーソブリン
生国 日本の旗 日本北海道三石町
生産 加野牧場
馬主 (株)サラブレッドクラブ・ラフィアン
調教師 中村均栗東
競走成績
生涯成績 11戦7勝(中央競馬
5戦3勝(地方競馬
1戦0勝(日本国外)
獲得賞金 3億5931万9000
日本国外60,000ドル
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マイネルセレクト日本競走馬。現役時代は脚部不安で終始順調さを欠いたが、ダート短距離で無類の強さを発揮した。引退後は種牡馬となっている。

ハギノトップレディの孫にあたり、いわゆる「華麗なる一族」がひさびさに送り出したGIホースとして注目を集めた。

戦績[編集]

2001年[編集]

2001年10月28日福島競馬ダート1000メートル新馬戦でデビューした。スタートで後手を踏んだが2着に6馬身差をつけ、単勝オッズ1.3倍の圧倒的1番人気に応え勝利した。

続く2戦目の福島2歳ステークスでは2番人気に支持されるも、状態の悪いコースの内側を走らされ、最後の直線で伸びずに4着に敗れる。このあとはダート路線に専念することとなる。

3戦目はポインセチア賞であったが、最後の直線で無難に抜け出し2勝目を挙げた。4戦目のシクラメンステークスではハナ差の2着となった。結局、2歳時は4戦2勝で終えた。このあと骨折し、長期休養を余儀なくされる。

2002年[編集]

長期休養後、3歳時の秋に復帰した。武豊が2戦にわたり騎乗し、初戦の1000万円以下条件戦では2着に敗れたが、2戦目の1000万円以下条件戦は1番人気に応え勝利する。昇級戦となった1600万円以下特別の貴船ステークスでは3着に敗れ、このあと再度の休養に入る。

2003年[編集]

2003年7月に戦列復帰。この時点で1000万円以下条件に降級しており、1000万円以下特別戦の岩室特別に出走予定であったが除外され[1]、翌週に行われたオープン特別の北陸ステークスに格上挑戦。大西直宏が騎乗し、先行策から最後の直線で抜け出し勝利した。

次に出走したBSN賞は重馬場で行われ、前半3ハロンが32秒9というハイペースとなったが、そのペースを先行してなお行きたがる素振りを見せ、直線に入ると先行した馬が次々と脱落していくなかで逆に差を広げ、最後は2着に3馬身差の勝利となった。逃げ、先行の馬が軒並み下位に沈む厳しいレースの中、1分9秒6のレコードタイムでの勝利となった。

3戦目は重賞シリウスステークスで、先行して直線で抜け出す競馬で、2着に3馬身差をつけ勝利し[2]、これで3連勝となった。

初めての地方競馬出走となったJBCスプリントでは、スタートで出遅れ好位からレースを進め、逃げたサウスヴィグラスを直線で捉えにかかるも、ハナ差及ばず2着に敗れた[3]。この年は大井競馬場で改修工事を行っており、ゴール板が10メートル手前となっていて開催距離も10メートル短い1190メートルだったという不運もあった。このあと、主戦騎手が大西直宏から武豊に替わることになった。

2004年[編集]

明けて2004年の緒戦、ガーネットステークストップハンデでの出走となった。道中は行きっぷりが悪く、第4コーナーでは武豊が鞭を入れる展開であったが、終わってみれば2着に3馬身2分の1差を付け、重賞2勝目を挙げた[4]

そのあとナド・アルシバ競馬場で行われるドバイゴールデンシャヒーンに出走するためドバイへ遠征した。遠征前に日本で出走を予定していた根岸ステークスを挫石のため回避し、ドバイ到着直後にも熱発をするなど終始順調さを欠いたが、前年のブリーダーズカップ・スプリントを制したケイジャンビートなどの強豪を相手に5着となった[5]

その約5か月後、帰国初戦のさきたま杯では6着に敗れ[6]、初めて掲示板(5着以内)を外した。続く東京盃は雨の降るなか不良馬場で開催されたが、直線で伸び勝利した[7]。この勝利でJBCスプリントへの優先出走権を得た。

そして秋の大目標であるJBCスプリントに再挑戦することとなった。開催競馬場は同じ大井競馬場であったが、前年は昼の開催であったのに対して、この年はナイター開催となった。単勝オッズ1.3倍という断然の1番人気に推され、レースではスタートで出遅れることなく流れに乗り先行し、直線で抜け出すと2着以下を寄せ付けることなく2馬身2分の1差をつけて勝利し、GI制覇を飾った[8]。鞍上の武豊にとっても本競走初勝利であった[8]

2005年[編集]

2005年は順調にレースを使えず、根岸ステークスを脚部不安のため出走回避[9]し、フェブラリーステークスでは感冒のため枠順確定前に出走取消[10]となり、ドバイゴールデンシャヒーンへの出走も断念した[11]。ようやく出走にこぎつけた黒船賞ではGI馬のため59キログラム別定重量を課されながら、第4コーナーで先を行く馬を捉えると後続を突き放し、2着ノボトゥルーに2馬身差を付け勝利した[12]

その後は春の目標にしていたかしわ記念の出走を回避[13]、休養しJBCスプリントの連覇を目指したが、8月になって右前脚に屈腱炎を発症したことから引退が決まり[14][15]、9月21日付で日本中央競馬会 (JRA) の競走馬登録を抹消された[16]

種牡馬として[編集]

2006年度より北海道新冠町にあるビッグレッドファームで繋養され、日本では数少ないフォーティナイナーの国産後継種牡馬となった。父、および母系の血統背景もあり、初年度産駒は43頭と一定数の繁殖牝馬を集めた。しかし、以降は産駒数が落ち込んでおり、産駒から目立った活躍馬も現れていない。

2011年の種付けシーズン終了後、イーグルカフェとともに韓国へ輸出された[17][18]。繋養先は済州島の緑原牧場[18]

代表産駒[編集]

競走成績[編集]

年月日 競馬場 競走名 頭数 枠番 馬番 オッズ
(人気)
着順 騎手 斤量 距離(馬場) タイム
(上り3F
タイム
勝ち馬/(2着馬)
2001 10. 28 福島 2歳新馬 12 4 4 1.3(1人) 1着 高橋亮 53 ダ1000m(良) 1:00.3 (35.9) -1.0 (ワンダーフライト)
11. 18 福島 福島2歳S OP 16 2 4 4.0(2人) 4着 高橋亮 55 芝1200m(良) 1:10.4 (36.6) 0.6 カフェボストニアン
12. 1 阪神 ポインセチア賞 16 6 11 2.0(1人) 1着 蛯名正義 54 ダ1200m(良) 1:12.7 (36.7) -0.1 (シルヴァーパレット)
12. 15 阪神 シクラメンS 11 3 3 3.2(2人) 2着 吉田稔 56 ダ1400m(良) 1:24.8 (38.3) 0.0 インタータイヨウ
2002 10. 12 京都 3歳上1000万下 16 4 7 2.0(1人) 2着 武豊 55 ダ1200m(良) 1:12.4 (37.0) 0.1 ニチドウマジック
10. 26 京都 3歳上1000万下 16 4 7 1.6(1人) 1着 武豊 55 ダ1200m(良) 1:12.1 (37.1) -0.4 (サンキンヘイロー)
11. 24 京都 貴船S 15 8 14 2.8(1人) 3着 岩田康誠 55 ダ1400m(良) 1:24.3 (37.0) 0.1 ツルマルファイター
2003 7. 27 新潟 北陸S OP 15 8 15 6.8(4人) 1着 大西直宏 55 ダ1200m(良) 1:11.4 (36.3) -0.1 (リンガスローレル)
9. 6 新潟 BSN賞 OP 15 6 10 2.0(1人) 1着 大西直宏 55 ダ1200m(重) 1:09.6 (36.7) -0.5 (タイギャラント)
10. 5 阪神 シリウスS GIII 14 7 11 3.1(1人) 1着 大西直宏 56 ダ1400m(良) 1:23.1 (36.3) -0.5 (ツルマルファイター)
11. 3 大井 JBCスプリント GI 15 3 4 2.8(2人) 2着 大西直宏 57 ダ1190m(良) 1:09.7 (35.6) 0.0 サウスヴィグラス
2004 1. 11 中山 ガーネットS GIII 16 3 6 1.8(1人) 1着 武豊 58.5 ダ1200m(良) 1:10.9 (37.6) -0.6 ブルーコンコルド
3. 27 ドバイ ドバイGS G1 12 - 7 - 5着 武豊 57 ダ1200m(良) 1:11.1(不明) 0.8 Our New Recruit
9. 8 浦和 さきたま杯 GIII 11 6 6 2.1(2人) 6着 武豊 57 ダ1400m(良) 1:26.3 (37.9) 0.8 ロッキーアピール
9. 29 大井 東京盃 GII 14 7 11 2.1(1人) 1着 武豊 56 ダ1200m(不) 1:10.9 (36.3) -0.2 (ヒカリジルコニア)
11. 3 大井 JBCスプリント GI 12 6 8 1.3(1人) 1着 武豊 57 ダ1200m(稍) 1:10.6 (36.3) -0.5 (アグネスウイング)
2005 3. 21 高知 黒船賞 GIII 12 6 8 3.1(2人) 1着 武豊 59 ダ1400m(良) 1:28.4 (38.9) -0.4 ノボトゥルー

エピソード[編集]

サラブレッドクラブ・ラフィアンの募集馬としては総額4400万円(22万円×200口)[14]と比較的高額であった。募集パンフレットには、当時の社長である岡田繁幸の「種牡馬として帰ってくることを期待」というコメントが添えられていたものの、それほど人気はなく、満口となったのは募集締め切り間際であった。

血統表[編集]

マイネルセレクト血統ミスタープロスペクター系 / Nasrullah5.5×5=9.38%) (血統表の出典)

*フォーティナイナー
Forty Niner
1985 栗毛
Mr.Prospector
1970 鹿毛
Raise a Native Native Dancer
Raise You
Gold Digger Nashua
Sequence
File
1976 栗毛
Tom Rolfe Ribot
Pocahontas II
Continue Double Jay
Courtesy

ウメノアスコット
1989 鹿毛
*ラッキーソブリン
Lucky Sovereign
1974 鹿毛
Nijinsky II Northern Dancer
Flaming Page
Sovereign Pardao
Urshalim
ハギノトップレディ
1977 黒鹿毛
*サンシー
Sancy
Sanctus
Wordys
イットー *ヴェンチア
ミスマルミチ F-No.7-e
父系
母系(F-No.)
5代内の近親交配
出典

脚注[編集]

  1. ^ 第2回 新潟競馬 (PDF)” (日本語). レース成績データ. 日本中央競馬会. p. 19 (2003年). 2011年10月25日閲覧。
  2. ^ マイネルセレクト、シリウスS制覇” (日本語). netkeiba.com (2003年10月5日). 2011年10月25日閲覧。
  3. ^ JBCスプリント、サウスヴィグラスがG1初制覇” (日本語). netkeiba.com (2003年11月3日). 2011年10月25日閲覧。
  4. ^ ガーネットS、人気のマイネルセレクトが完勝” (日本語). netkeiba.com (2004年1月11日). 2011年10月25日閲覧。
  5. ^ ドバイゴールデンシャヒーン、マイネルセレクト敗れる” (日本語). netkeiba.com (2004年3月28日). 2011年10月25日閲覧。
  6. ^ さきたま杯、ロッキーアピールが勝ち波乱” (日本語). netkeiba.com (2004年9月8日). 2011年10月25日閲覧。
  7. ^ 東京盃、マイネルセレクト差し切り” (日本語). netkeiba.com (2004年9月29日). 2011年10月25日閲覧。
  8. ^ a b JBCスプリント、マイネルセレクト快勝” (日本語). netkeiba.com (2004年11月3日). 2011年10月25日閲覧。
  9. ^ 競馬ネット magazine 第1361号” (日本語). 週刊Gallop (2005年1月14日). 2011年10月25日閲覧。 “マイネルセレクト、フェブラリーS直行”
  10. ^ 土曜日の変更情報” (日本語). netkeiba.com (2005年2月18日). 2011年10月25日閲覧。
  11. ^ マイネルセレクト、ドバイ遠征断念” (日本語). netkeiba.com (2005年2月28日). 2011年10月25日閲覧。
  12. ^ 黒船賞、マイネルセレクト快勝” (日本語). netkeiba.com (2005年3月21日). 2011年10月25日閲覧。
  13. ^ マイネルセレクト、かしわ記念回避” (日本語). netkeiba.com (2005年4月28日). 2011年10月25日閲覧。
  14. ^ a b 所属馬詳細 マイネルセレクト” (日本語). 所属馬一覧(所属馬情報). ラフィアンターフマンクラブ. 2011年10月25日閲覧。
  15. ^ マイネルセレクト、屈腱炎発症で引退へ” (日本語). netkeiba.com (2005年8月31日). 2011年10月25日閲覧。
  16. ^ アラカルト” (日本語). 競馬ニホン (2005年9月25日). 2011年10月25日閲覧。 “マイネルセレクト種牡馬へ”
  17. ^ 韓国へ” (日本語). ビッグレッドファーム 公式ブログ. ビッグレッドファーム (2011年6月29日). 2011年7月5日閲覧。
  18. ^ a b イーグルカフェ、マイネルセレクト輸出検疫入り” (日本語). ケイバブック (2011年10月10日). 2011年10月25日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]