ゴールドディガー

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ゴールドディガー
欧字表記 Gold Digger
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1962年5月28日[1][2]
死没 1990年2月21日[c 1]
Nashua
Sequence
母の父 Count Fleet
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ケンタッキー州
生産者 Leslie Combs II & Brownell Combs
馬主 Mrs. Leslie Combs II
調教師 Jouette Reed
競走成績
生涯成績 35戦10勝[3]
獲得賞金 127,255ドル[2]
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ゴールドディガーGold Digger1962年5月28日 - 1990年2月21日)は、アメリカ合衆国競走馬、および繁殖牝馬。大種牡馬ミスタープロスペクターの母として知られる。

経歴[編集]

出自[編集]

ゴールドディガーは、1962年にレスリー・コムズ2世の所有するスペンドスリフトファームで生まれた。父ナシュアアメリカ二冠馬、母シークエンスはプリンセスパットステークス勝ちのある牝馬で、ともにスペンドスリフトファームに繋養されていた馬であった。

「Gold Digger」は「金鉱掘り」を意味する言葉だが、「男を踏み台にのし上がっていく女」[c 2]「資産目当てに近づく女」[2]というスラングゴールドディギングを参照)でもある。ゴールドディガーの父・ナシュアの所有者であったウィリアム・ウッドワード・ジュニアは、ナシュアが現役中だった1955年に、妻に強盗と間違って射殺されている。この事故は、実は故意の殺人であったという噂が立てられ、小説のモデルにまでなり、最終的には夫人も自殺している(ウィリアム・ウッドウォード・ジュニア射殺事件)。このため、ナシュア産駒のゴールドディガーという馬名は、ウッドワード夫人を皮肉ったものとも考察された[c 2]

主な勝鞍[編集]

ゴールドディガーはコムズ夫人名義のもと、競走馬として1964年にデビュー、1966年の引退までに35戦10勝、ステークス競走5勝を挙げた。特にギャロレットステークスは連覇している。ほか、1965年のケンタッキーオークスにも出走し、アメリヴァンの2着に入っている[2][3]デイリーレーシングフォームによるフリーハンデキャップにおいては、1965年・1966年の競走成績にそれぞれ115ポンドの評価が与えられている[2]

※当時はグレード制未導入。

1964年(2歳)
3着 - メイトロンステークス
1965年(3歳)
ギャロレットステークス、マリーゴールドステークス、ヨータンビエンハンデキャップ
2着 - ケンタッキーオークス
1966年(4歳)
ギャロレットステークス(連覇)、コロンビアナハンデキャップ

繁殖成績[編集]

1967年から故郷のスペンドスリフトファームで繁殖入りした。ゴールドディガーは生涯で12頭の競走馬を産んでおり、そのうち7頭が勝ち上がっている[2]。ゴールドディガーの名にちなんで、ゴールドラッシュなどに関連した名前を付けられた子が多い。

ゴールドディガーの代表産駒となった1970年生のミスタープロスペクターは、繁殖入りから3年目に受胎した父レイズアネイティヴの牡馬であった。同馬は競走馬としてグレーヴセンドハンデキャップなどに勝ち、後に種牡馬入りしてからアメリカ競馬界を席巻する成績を残した。現在なお主流血統であるミスタープロスペクター系を介して、ゴールドディガーの名前は多くの名馬の血統表中に表記されている。

ミスタープロスペクターのほかにも、第10子のリリアンラッセル(父プリンスジョン)がステークス競走で勝ちを挙げている。また、第5子のマートルウッドラス(父リボー)は競走成績こそ一般戦2勝どまりであったが、牝系として2代先にチーフベアハート、3代先にオウケンブルースリを出している。

また、ミスタープロスペクターが成功したことから兄弟の価格も高騰し、種牡馬として繁殖入りしたものも多い。なかでもミスタープロスペクターの全弟にあたる第6子ケンタッキーゴールドは、1974年のキーンランドイヤリングセールにおいて625,000ドルという、当時のレコード価格で取引された[c 1]。しかし競走馬としては4戦1勝と結果を残せず、種牡馬としても唯一の活躍馬にプエルトリコのG1馬Golden Tumigaがいる程度である。

1984年に繁殖牝馬を引退した。それから6年後の1990年2月21日、ゴールドディガーは老衰による衰弱のため、安楽死の処分が施された。28歳であった。遺骸は同牧場内の一角に埋葬されている[c 1]

血統表[編集]

ゴールドディガー血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ナスルーラ系
[§ 2]

Nashua
1952 鹿毛 アメリカ
父の父
Nasrullah
1940 鹿毛 イギリス
Nearco Pharos
Nogara
Mumtaz Begum Blenheim
Mumtaz Mahal
父の母
Segula
1942 鹿毛 アメリカ
Johnstown Jamestown
La France
Sekhmet Sardanapale
Prosopopee

Sequence
1946 鹿毛 アメリカ
Count Fleet
1940 青鹿毛 アメリカ
Reigh Count Sunreigh
Contessina
Quickly Haste
Stephanie
母の母
Miss Dogwood
1939 黒鹿毛 アメリカ
Bull Dog Teddy
Plucky Liege
Myrtlewood Blue Larkspur
Frizeur
母系(F-No.) フリゼット系(FN:13-c) [§ 3]
5代内の近親交配 Sir Gallahad III・Bull Dog3×5=15.63% [§ 4]
出典
  1. ^ [4], [5], [1]
  2. ^ [5]
  3. ^ [4], [5], [6]
  4. ^ [5]


参考文献[編集]

  • Lucy Zeh (2000). Etched in Stone - Thoroughbred Memorials. Blood-horse, Inc.. ISBN 1-58150-023-8 
  • 栗山求『血統史たらればなし』エンターブレイン、2016年。ISBN 978-4-04-734112-8 
  1. ^ a b c Lucy Zeh p.65
  2. ^ a b 栗山求 pp.204-211

脚注[編集]

  1. ^ a b Gold Digger”. equineline.com. 2018年4月20日閲覧。
  2. ^ a b c d e f Gold Digger (horse)”. American Classic Pedigrees. 2018年4月21日閲覧。
  3. ^ a b Gold Digger(USA)”. JBISサーチ. 2018年4月21日閲覧。
  4. ^ a b Gold Digger(USA)”. JBISサーチ. 2018年4月21日閲覧。
  5. ^ a b c d Gold Digger”. netkeiba.com. 2018年4月21日閲覧。
  6. ^ bloodlines.net

外部リンク[編集]