競輪選手

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競輪選手(けいりんせんしゅ)とは、公営競技競輪において、賞金を獲得するプロの選手である。

選手数の変遷[編集]

選手数は、日本のプロスポーツとしては最大規模の2,300名程度にのぼるが、相次ぐ競輪場の閉鎖、団塊世代の選手の大量引退、競輪学校の年一回入学化等により漸減傾向にあり、直近10年間でも1,000人以上の減少となっている。

  • 2006年12月末時点 - 3,598人
  • 2008年2月時点 - 3,531人
  • 2009年5月時点 - 3,497人
  • 2010年10月時点 - 3,312人
  • 2011年10月時点 - 3,284人
  • 2012年5月時点 - 3,075人
  • 2012年10月時点 - 2,977人(うち女子33人)
  • 2013年5月時点 - 2,799人(うち女子51人)
  • 2014年5月時点 - 2,629人(うち女子69人)
  • 2015年5月3日時点 - 2,545人(うち女子84人)
  • 2016年12月31日時点 - 2,357人(うち女子98名)[1]

男子は選手の実力に応じてS級とA級の二層(下述)に区分されており(女子は全員A級2班)、トップレベルの選手になると賞金だけで年間1億円以上稼ぐ者も存在する。

競輪選手になるには[編集]

競輪選手になるためには、日本競輪学校に入学し、国家試験である選手資格検定に合格する必要がある[2]。その資格検定合格後に全国いずれかの選手会に所属することで選手登録され、晴れて競輪選手となれる。

日本競輪学校の受験方法・在校時の生活などについては、日本競輪学校の項目に詳しい記述がある。

競輪選手の生活[編集]

まず、競輪を開催する施行者(各競輪場)より委託を受けたJKA(旧・日本自転車振興会)の各地区本部がJKAあっせん課に対し斡旋依頼を行い、あっせん課はスケジュールや脚質など公正に勘案した上で選手に対し斡旋通知メールを送信する。それを受信した選手はメールの内容(斡旋先の競輪場・開催期日など)を確認し、参加の旨を意思表示したメールを返信することで、改めて開催施行者から参加通知メールが送信される[3]。これで施行者と選手との間で契約成立となる。ちなみにこれらはかつては葉書による書面にて行われていた。選手は斡旋された競輪場へ前検日(開催前日)の指定時間までに赴き、その日のうちに身体・車体など所定の検査を受けて「異常なし」と判断されれば、翌日以降の競走に参加できる。仮に身体や車体に「異常あり」と判断されればその場で契約解除となり競走には参加できず、規定により「前日検査不合格」という扱いとなる。なお、配送を委託した部品や自転車が前検日に競輪場に届かず検査が受けられない場合なども契約解除となるが、選手の責任を問えないと判断された場合は通常の欠場扱いとなる[4]

競走の公正確保(八百長防止)の観点から、前検日に競輪場入りしてから帰宅するため競輪場を離れるまで[5]、選手全員が競輪場併設の選手宿舎[6]に隔離状態にされ、外部との接触や連絡はたとえ身内でも一切禁止となり[7]携帯電話や通信機器なども前検日に競輪場に必ず預けなければならない[8][9]

選手宿舎は、12畳1室で4人相部屋となっている。選手の宿舎内での生活は、基本的に、食事・風呂・トレーニング・同室の仲間との会話…がほとんどであり、藤本博之によれば、「食事か、仲間との会話ばかり」とのこと[10]。この宿舎内での選手の生活については、競輪業界に題材をとった漫画『ギャンブルレーサー』などに詳しい描写がある。

基本的には開催初日から最終日まで毎日1走[11]し、帰宅の際、競輪場から賞金・手当を支給される。ただ、レースで失格処分を受けたときは、開催途中であってもその時点で競輪場から斡旋・参加の契約を解除され、競輪場から“追放”され即日帰郷となる。

競走のない日は、主に非開催日の競輪場や街道で練習を行ない、次の参加レースに備える。この生活を月に2 - 3回ほど繰り返す。ただ、競輪は基本的にほぼ毎日全国どこかの競輪場で開催されているため、次に出場予定の開催まで長く間隔が空いている場合、出場予定の選手が急遽欠場したため数合わせで『追加』として、他にも出場選手が失格して帰郷し選手数が不足したため開催中には『補充』として、それぞれイレギュラーで斡旋を受けることもあるため基本的に休みというものはなく[12]、特にお盆正月には多くの開催が集中するため、競輪選手にお盆や正月はあってないようなものである[13]

競輪選手の練習[編集]

殆どの競輪選手には師匠がおり(稀にいない選手もいる)、基本的にはそれら師弟関係や先輩・後輩などの集まりでグループを組み、集団で練習を行うことが多い。

練習内容は自転車競技選手と大差なく、競輪場自転車競技場において周回走行やダッシュを繰り返すが、「持久力をつけるため」や「身近に競輪場など練習できる場がないため」という理由で、街道を練習の場として活用する選手も多い。

また近年は自転車だけでは鍛えられない部分を補うためにウエイトトレーニングなどを行う事が一般的になっており、選手の中には自費でウエイト機材や自転車用ローラー台などを設置した「練習小屋」を自宅の敷地などに造成する者もいる。

競輪選手の収入[編集]

選手の収入は、その殆どが出走したレースでの着順に応じて支払われる賞金[14]である。ただ、この賞金は途中棄権した場合には9着賞金(棄権が自分1人の場合)から20%がカットされ、失格となった場合にはそのレースの賞金は支払われないことになっている。賞金以外にも、レースに出走する毎に、額は多くないが失格・棄権関係なく「競走参加手当」(日当)、レース中に雨や雪が降れば「(通称)雨敢闘手当」、正月三が日に競走に参加すれば「(通称)正月手当」(実際には年末年始の特定開催となる)、などといった手当がそれぞれ支給される。また、自宅から競走に参加した競輪場までの「交通費」も別途支給される[15]。この他、先頭誘導員資格を持つ選手がレースで先頭誘導員を務めれば、その都度誘導員手当[16]も支給される。支給額については2014年度まで事前に決定されるGIなどのグレードレースの賞金は除き、各競輪場の賞金は前年度の売り上げにより翌年度のレース毎の賞金支給額が変更されるため、同じグレードのレースでも競輪場によって支給額が異なることがあったが、2015年度より全ての場およびグレードにおいて賞金額が統一されている[17]。賞金の最高額はKEIRINグランプリ1着の1億160万円(副賞込みの金額)であり、最低額はFIIのA級チャレンジレースでの5レーストーナメント初日予選およびガールズケイリン予選の7着32,000円である[18][19][20](2016年度)。

これらの賞金は、かつては全て選手個々に帰宅時に現金で支給されていたため、開催最終日には窓口に札束が大量に並べられることも珍しくなかったといい、実際に吉岡稔真は『別冊宝島』の企画で植木通彦と対談した際[21]、自宅近くで行われる競輪祭において「いつも賞金の札束をそのまま車のトランクに積んで帰っている」と語ったことがある。ただ大量の現金を持ち歩くことは無用心でもあるので[22]、最近はほとんどの選手が銀行振込での受け取りを選んでいる。

2014年度までの賞金制度では売り上げ減少を受けて賞金支給額が低ランクの競輪場が年ごとに増加していたことから、この影響から選手全体の平均獲得賞金額も減少している。ここ10年間では獲得賞金額の年間平均は1,000万円以上あったものの、2011年度は東日本大震災を受けての被災地支援競輪において収益拠出額を増加させる方針から大幅にダウン[23]し888万円となった[24]。また、2011年における年間獲得賞金額1,000万円以上の選手は782人に留まり、過去30年間で最低となった(最多は1998年の3,196人)[24]。また、最上位のS級S班9人だけは平均1億625万円である一方、最下位のA級3班では平均592万円であり、上位選手と下位選手の格差は大きい[25]

2016年の1年間では、1億円以上を獲得した者が3名いた半面、1,000万円以上を獲得した選手は686人に留まり、1983年以降では最低であった[26]。また、選手全員の賞金総額も過去10年間では最低であった[26]が、選手数が減少していることもあり、平均取得額は2012年以降僅かながら上昇基調で9,747,663円[26](女子のみは6,166,429円[1])であった。

なお、オリンピックでは、アトランタ大会から自転車競技にプロである競輪選手の参加が認められたこともあり、以後大会毎に代表に選ばれた選手は、メダル獲得を目指して合宿を張るためオリンピック開催の数か月前から通常の競走を欠場した上で参加している。そのため欠場中は特別な配慮がなされ、規定が定められて一定の収入補償がなされている。特にメダルを獲得した場合は補償と共に報奨金も支給され、アトランタで銅メダルを獲得した十文字貴信には5,000万円が、アテネ大会で銀メダルを獲得した長塚智広井上昌己伏見俊昭には各4,000万円が、北京大会で銅メダルを獲得した永井清史には4,300万円がJKAなどからそれぞれ支給された。

20年以上選手を務め上げれば、引退する際に約2,000万円の退職金が支払われ、またそれとは別に獲得賞金の一部を原資とした年間約120万円の年金が15年間支払われる[27]

競輪選手のペナルティ[編集]

競輪選手は競走において短期間に多くの警告を繰り返し受けると、ペナルティとして科される違反点数が累積していき、特に失格については級班別審査(格付け)においてもマイナス点が与えられ不利になる。

一定期間の累積違反点数が90点以上に達した場合には、関係団体(実際は日本競輪選手会)から、訓練への参加通知が届き「特別指導訓練」に参加しなければならない。実施場所は日本サイクルスポーツセンターで期間は5泊6日制で、受講費6万円を自腹で支払い当訓練に強制参加させられる。その内容は競走参加中と同様に携帯電話や電子機器の持ち込みが不可(預かり)となり、飲酒も厳禁で、決められた時間や範囲以外の外出も禁止になる。

また直近4か月間の累積違反点数が120点以上になると、JKAの規程により『あっせんをしない処置』[28](以下「斡旋処置」)という処罰の対象となる場合もあり、適用されると基本的に120点以上が1か月、150点以上が2か月、180点以上が3か月といった間で出場への斡旋が行なわれないことになり、これは一定期間実戦から遠ざかることをそのまま意味している。なお競走における失格についても内容によってはこの措置が適用されることもある。

これとは別に、競走における失格の内容や、私生活において特に悪質な行為に及んだと判断された選手については『あっせん停止』[29](以下「斡旋停止」)という厳罰が下される。これは最短1ヶ月から最長1年の期間で斡旋措置と同じ処分を受けるが、停止期間が過ぎた後もKEIRINグランプリなどの特別競輪への参加や追加斡旋を受ける権利などが一定期間取り消される。

特に違反点数を累積させた選手や斡旋停止に処された選手については「お寺行き」と呼ばれる特別な訓練が課せられる。これは競輪の公式ホームページではそこまで語られていないものの、上述した漫画『ギャンブルレーサー』などで詳しい描写がなされている他、チャリロト公式ホームページでは語られる[30]などしており、事実上公然のものとなっている。この「お寺行き」が命じられた場合には、京都府宇治市黄檗宗大本山の萬福寺まで赴き、寺の施設において5泊6日の厳しい禅寺の修行を済ませなければならない。期間中は座禅を組まされたり周辺の掃除などを課せられるため練習は全く行えないことから、選手からも恐れられている。

特別訓練や斡旋処置および斡旋停止などの処分対象になると、その間の収入が途絶えてしまう。また、練習不足の他にもレース勘の維持などという面や、体調管理にも悪影響を与えるため、競走への復帰後もしばらくの間は成績下降などの「後遺症」が現れることも少なくない。なお特別指導訓練の対象選手は、その累積違反点数と共に一定期間毎に競輪公式ホームページで一覧で公表され、斡旋停止の対象選手についてはJKAが広報などで公示する。

その他にも競走参加中における競輪場からのペナルティもあり、無断欠場による費用請求、契約解除による強制欠場、中長期の斡旋停止または拒否などがある。いずれの場合も内容はJKAに報告され、改めて全体的な処分が検討されることになる。

なお、これらとは別に日本競輪選手会が問題を起こした選手に対し自粛欠場を要請する形で独自のペナルティを課すこともある(『SS11』の項目も参照)。

選手のクラス分け[編集]

男子は実力に応じて大きくS級、A級の2つのクラスに分けられ、さらにそれぞれの級の中で3班のクラスに分けられる。

  • 日本競輪学校卒業者、即ち新人選手はA級3班からのスタートとなり、競走得点によって上位班やS級入りを目指す。
  • 選手の所属クラスはレーサーパンツの色によって判別できる。なおラインに入っている星の数は、班にかかわらず7つと決まっている。
S級S班…赤のレーサーパンツ、横のラインは黒
S級S班以外のS級…黒のレーサーパンツ、横のラインは赤
A級…黒のレーサーパンツ、横のラインは緑(以前は星なしの白の3本線)
B級(現在は廃止)…黒のレーサーパンツ、横のラインは青(以前は星なしの白の2本線)
国際競輪に出走する外国人選手…赤のレーサーパンツ、横のラインは虹色
  • S級とA級の入れ替えは、毎年半年間(1 - 6月、7 - 12月)の競走成績を反映して、S級の下位とA級の上位各200人ずつが自動昇降格される。またS級とA級の班分けは前々期(上半期は前年の1 - 6月、下半期は前年の7 - 12月)の競走成績を基に決定される。
  • A級3班で一定期間内の成績が連続して相当な下位となった場合には、1回につき60人を上限に強制的に選手登録消除の対象とされ選手生活を継続する事が出来なくなる[31]。JKAや選手会ではこれを代謝と呼ぶこともあるなど、過酷な競争社会である。過去の名選手でも高原永伍などは、この代謝で引退を余儀なくされるまで現役生活を継続した。

なお、女子には昇級制度がないため全員がA級2班である。

S級特別昇級(昇班)制度[編集]

A級1班およびA級2班のレーサーが3開催連続して「完全優勝」(全ての出走レースにおいて1着となること、俗称:ピンピンピン)を達成した場合は、級班選考期間に関わらず即時に昇級される(通称「特進」または「特昇」。ちなみにA級3班の選手が3開催連続で完全優勝した場合はA級2班に特別昇班する)。また、レインボーカップシリーズという、S級特別昇級9人の枠を争うシリーズが行われている。

仕組み(A級1・2班戦、A級3班戦ともに単発レース)[編集]

  • A級1・2班戦・A級3班戦とも、期の初めの3ヶ月(前期1 - 3月、後期7 - 9月)の競走成績上位9名ずつが期の終わり

(前期6月、後期12月)に単発で行われる競走に出走し、1〜3着までが上位級班に特別昇級(特別昇班)する。

  • 原則としてGIII開催の中で実施する。

特別昇級の特典[編集]

特別昇級してから2期の間(1年間)は降級および降班しない。昇級は可能となっている。なおレインボーカップから昇級した者は、この期間を3期とする(つまり期末に特別昇級してしまうため、その期間を算入している)。

歴史[編集]

競輪選手のクラス分けは、創成期はA級・B級・C級による3層制であったが、間もなくA級・B級の2層制となり、やがて2層7班制(A級1 - 5班、B級1・2班)に変更され、その後1983年に行われた競輪プログラム改革構想(通称KPK)により、S級・A級・B級の3層9班制(S級1 - 3班、A級1 - 4班、B級1・2班)に移行した。そして2002年4月よりS級・A級の2層5班制に移行し現在に至っている。

またKPKから76期(1995年デビュー)までは、新人は当初新人のみで構成される「新人リーグ」で半年間競走を行い、その結果によってA級1班からB級2班に格付けされていたが、その後はB級2班(2002年以降はA級3班)格付けで通常のレースに参加する形態となった。(KPK以前も最下級からのスタートであった)

なお2008年前期よりA級3班はA級1・2班から分離され、基本的にA級3班のみの中でトーナメントが行われ、レースの組み合わせもA3同士のみになる。また特別昇級制度も分離され、A級3班においての3場所連続完全優勝はA級2班への「特進」となる(特別昇班)。

またS級1班の上位格付けとして『S級S班』が存在する。これはKEIRINグランプリ出場者9名に適用されるいわばトップ中のトップの選手のみが入れる特別ランクで、特別競輪の出場権利・レース斡旋の希望選択・一定期間における公休などの優遇措置が与えられる。

S級S班の概要[編集]

(GIの特別競輪優勝者・世界選手権自転車競技大会個人種目優勝者・オリンピック自転車競技個人種目メダリスト・競輪祭終了時点での年間獲得賞金上位者)
  • 除外規定
    • 競輪グランプリ選考委員会でGII以上の特別競輪の選抜方法による申し合わせの除外規定で選考除外となったり、また審査期間中において「斡旋規制(保留)」など、S班に所属するには不適当とされる選手、また既にS班に所属している選手においても、調整委員会で不適格とみなされた選手も除外対象とし、S班所属選手がそれに抵触した場合、及び次年度にS班に残留できなかった選手はS級1班への降格となる。
  • 適用期間 12月27日から次の年の12月26日までの1年とする
  • 優遇処置
    • 日取り調整会議の状況により既に開催が決まっている期間は斡旋計画を提示。それ以外の開催に希望する場合には「希望斡旋届け」の提出が出来るが、本人の希望に必ずしも添えない場合もある。ただし予め出場を希望したレース以外でも状況によって優先斡旋を行うことがある。
    • GP以外の特別競輪に優先的に出走できる権利が与えられる。
    • GIIIについては適正な出場間隔を考慮して、また斡旋計画の提示に基づく本人の希望を考慮して出走できるレースを調整できるようにするが、当該選手の出身地・所属地の都道府県に関しては必ず出走することが義務付けられている。
    • F1(一般普通開催のS級シリーズ)の場合も適正な出場間隔を考慮して、また斡旋計画の提示に基づいた本人の希望に充分配慮して出場レースを決めるように出するが、国際競輪等の特別企画レースと重複した場合はそれを優先する。また最低年1回は当該選手の出身地・所属地の都道府県で行われる地元開催のレースに出場することを義務付ける。
  • オフ期間 年1回・1ヶ月間まで。
  • 公共交通費用にかかる特別料金支給
  • S級レース(F1以上、GP除く)の開催において特別選抜予選にシード出場が約束される。
  • ファンサービスの一環としてPR活動やファンの集いへ出演する他、S班用のユニフォームを用意する。

KEIRINグランプリ07から適用された。当初は「選ばれた後にS班の資格を失くした場合であっても、追加補充は行わないことにする」という規定であったが、2009年は同年1月25日にS級S班であった手島慶介が急逝したため1名の欠員が生じ、5月開催の「SSシリーズ風光る」において出場人数が揃わなくなることから、3月4日に「選出後にS級S班の資格を失効する選手が生じた場合、追加選出を行うことができる」[32]と規定が改正され、これにより選考時の次点であった岡部芳幸が5月1日付で2009年のS級S班に追加選出された。

2011年までS級S班は18人であったが、2012年以降は前年のKEIRINグランプリ出場者のみ9人がS級S班格付けとなる[33]

なお武田豊樹はS級S班だった2013年の後期を斡旋停止によりほとんど出走していなかったが、2014年の後期はS級1班に格付けされたことから、S級S班から降格しても3期(適用期間の関係で実質1年間)はS級1班が保証されることになる。

1000勝以上達成選手[編集]

1000勝到達順に列挙

競技で活躍した競輪選手[編集]

競輪選手も自転車選手という側面を持つことから、各種の自転車競技に参加している選手もいる。長い間プロである競輪選手の自転車競技における頂点は世界選手権自転車競技大会であったが、アトランタオリンピックより自転車競技がプロアマオープンとなってからは、競輪選手もオリンピックに出場し活躍するようになった。

世界選手権自転車競技大会で優勝した競輪選手[編集]

オリンピック自転車競技に出場経験がある競輪選手[編集]

以上は競輪選手として選手登録される前にアマチュア選手として出場したものである。

その他のオリンピック競技で活躍した競輪選手[編集]

高校・大学時代から他の競技で活躍した選手が競輪選手に転向する例も多いが、中には他競技でのオリンピック出場者が後に競輪選手へ転向した例もある。特に、競輪学校入学試験における受験資格の中で年齢制限(上限)が撤廃された93期以降で転向する者が増えている。

パラリンピックで活躍した選手[編集]

政治家[編集]

引退後ないし、選手活動を継続しながら政治家となった競輪選手もいる。

選手寿命[編集]

競輪選手は特に選手寿命が長いことで知られている。過去には68歳の競輪選手がレースに出走したこともあり、60歳を超える競輪選手は過去に何人も存在している。また競輪競技において50代の競輪選手はそれほど珍しいものではない。

最近では2004年に当時45歳の競輪選手・松本整高松宮記念杯競輪を優勝し話題となる(直後に引退)。また1955年生まれの竹内久人(2007年7月に引退)とその長男である竹内公亮1984年ロス五輪で銅メダリストとなった坂本勉(2011年6月に引退)とその長男である坂本貴史は、共に親子S級在籍を経験している(竹内親子は2006年、坂本親子は2010年 - 2011年上半期)。

このように競輪選手の寿命が長い要因として競輪競技の特性が上げられる。競輪競技は自転車というツールを用いて行うため、他の競技と違って骨(つま先・踵)や関節(足首・膝)へ負担がかかりにくい競技と言われる。陸上競技をはじめ、野球サッカー相撲等の選手は、自らの足を使ってハードに動き回るため、長年の酷使によって(また地面・アスファルトからの衝撃によって)筋肉より先に骨や関節を痛めてしまう場合が多い。その為30代半ばで足首や膝、股関節、肩、肘、腰に限界が来てしまいやすいのである。競輪選手の場合、自転車というツールが体への負担をサポートしてくれるため、落車等で怪我をしない限り体への負担は軽いのである[34]

また、競輪選手の寿命が長い原因として、他のプロスポーツでは致命的なハンデとなる加齢による(個人差もあるが多くは30代半ばを境に急激に訪れる)ハイパワーでの持久力の低下が、競輪選手の場合、追い込み戦法と呼ばれる戦術をとることで致命的なハンデとはならない状況を生み出せる、といった競輪競技ならではの特殊性がある。これはラインを組んでいる選手を自分の前に走らせ、最後の直線まで先頭選手を自分の風除けとすることで、持久力の消費を極端に少なくする戦法である(スリップストリーム現象により後方選手は風圧を受ける先頭選手の半分以下の消耗度で走れることにより、最終局面でハイパワーを維持できる距離が単純計算で2倍以上となる[35])。従って、たいていの選手は加齢による持久力低下とともに、レース戦術を追い込み戦法に変えていくことになる。

反面、この特殊要因が競輪選手の新陳代謝を阻害しているのではとも指摘されており、実際、近年トップスターの座にいる選手の中に10年以上前からトップスターだった選手が何人もいるといった状況が生じている。

2017年5月1日時点での現役最年長選手は、1955年10月10日生まれの三ツ井勉(45期)。なお、競輪学校最年長期選手は1958年6月4日生まれの佐久間重光(41期)だが、2009年6月下旬以降は選手会公務に専念しており競走実績はないため、2017年5月現在も競走を続けている競輪学校最年長期選手は、三ツ井のほか、佐古雅俊長谷井浩二の45期3人である。

選手会[編集]

競輪選手の労働組合または職能団体にあたる組織として日本競輪選手会がある。他にも競輪選手などが任意で設立したSS11という組織もあり2013年12月に日本競輪選手会から脱退する形で新たな選手会組織として機能させることを表明していたが後に撤回している。

女性の競輪選手[編集]

過去には1949年から1964年まで「女子競輪」が開催されていたため、女性の選手も存在した。その後、2012年から女子競輪が「ガールズケイリン」として復活したため、女性の選手も48年ぶりに復活した。

その他・特徴[編集]

  • 過去には選手自身が自転車競技法違反の容疑で検挙された事例もあったが、平成に入ってからは発生していない。
  • ごく初期の競輪選手は、選手登録に際して審査が無かった為、誰でも選手になる事が出来た。自転車競技の経験者が多かったが、全く未経験の者もおり、玉石混淆の状態であった。従って能力差も大きく、適性を欠く選手や不正を働く選手も見られ、各地で発生した騒乱事件の原因ともなり、一時は賭式についても6枠制から4枠制への変更を余儀なくされる状況に追い込まれた。ヒロポンなどの薬物に手を出し、中毒死した選手も存在する。この事は社会的な問題となり、1950年9月より適性審査や選手資格の検査基準を導入した結果、資質に問題のある選手は淘汰されていった。
  • 昭和30年前後に、進駐軍のアメリカ人伍長が、休暇中に競輪に参加した記録がある。
  • 競輪選手になる前は、大半の者が高校生または大学生で、社会人であっても多くは20代半ばまでの青年であり、学生スポーツや実業団などでアマチュアで自転車競技を経験している者、トレーニングの一環として自転車競技と同様の練習を行っていた者も多い。中には全く異分野のアマチュアスポーツ・プロスポーツからの転向を志す者も見られる。自転車競技の経験を全く持たずに競輪選手を志す者も少なからず見られ、代表的なところではプロ野球の選手を経験した後に競輪選手へ転向した者がいる[36]。他にも、学生野球陸上競技ラグビー大相撲オートバイモトクロスの経験者などが競輪選手となった例がある。最も変わった例としては、素人時代に競輪場でのイベント「素人足自慢大会」で優勝を果たしたことを機に競輪選手を志して実際に選手になった阿部康雄や、芸能活動で競輪のイベントに携わるうちに競輪選手を志すようになり初めての受験で競輪学校入学試験に合格した元タレントの日野未来(2017年に第114期生として入学予定)などがある。
  • 競輪選手は年1回必ず課される身体検査に合格しなければ、競輪選手としての登録を消除され強制的に引退させられる。ただ、疾病や負傷など配慮すべき要因があり認められた場合、身体検査は最長3年まで延期することができるが、それ以上の延長は認められていないため、選手会公務など特別な事情がない限り、3年間一度も出走しなかった場合は競輪選手としての登録を消除され強制的に引退させられる[37]

脚注[編集]

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  1. ^ a b 2016 年級班別賞金総額及び平均取得額 (PDF) - keirin.jp,2017年1月11日
  2. ^ 要は選手資格検定に合格すれば良いので、形式上は日本競輪学校に入学する必要は無い。ただ入学せず資格検定に合格した人を聞かない様に、資格検定の受験のみで合格することは非常に厳しいため、事実上はまず日本競輪学校に合格・入学することが選手となる為の大前提となる。
  3. ^ 日本競輪学校パンフレット - 8ページに記載あり。
  4. ^ 【競輪】6人選手の自転車届かず欠場(2013年12月5日時点のアーカイブ) - デイリースポーツ、2013年12月5日閲覧
  5. ^ 通常は4日間ないし5日間。最長は日本選手権競輪開催期間中の7日間。
  6. ^ 岸和田競輪場など、一部の競輪場では競輪場から少し離れた場所に選手宿舎を設けている例もある。岸和田競輪場の場合、選手は専用のバスで競輪場と選手宿舎を移動する。
  7. ^ 近親者の急逝など余程の特別な事情が発生している場合などは例外だが、その場合は規定に従い施行者側職員が通話に立ち会うこととなっている。
  8. ^ 参考に岸和田競輪場の場合、『携帯電話』、『パソコン』、『トランプ』、『通信機能の付いたゲーム機』(ニンテンドーDSなど)、『飲食店からの出前』は宿舎内持込禁止となっている。
  9. ^ 公営競技全般において、もし参加中に所持していることが発覚すれば、一定期間の斡旋停止など厳しい処分が課せられ、使用が発覚した場合には更に重い処分となり、過去には手島慶介などがこの処分を受けている。また、オートレースでは参加中における通信機器の常用が発覚し選手登録消除(一般にいう解雇処分相当)に処せられた選手がいる。
  10. ^ 愛の修羅バラ!2009年12月6日放送分より。
  11. ^ 競艇競馬などと違い1日に2走以上することはない。また、レースによっては休み日を挟む場合がある。
  12. ^ 勿論、出場する・しないは選手自身の判断であるが、一定期間内で義務付けられている「最低出走回数」はクリアしなければならない。ただ、S級S班の9人に対しては、予め届け出ることで年1回・最長1ヶ月間の公休が取得できる優遇措置がある。
  13. ^ 競輪選手のみならず、競輪場・場外車券売場の管理・運営に携わるスタッフや競輪新聞の関係者なども同様にお盆や正月の休みは無いも同然である。
  14. ^ 現在は全ての着順で賞金が支払われるが、初期の頃は下位の着順では賞金は支払われなかった。そのため当時の選手らは賞金が貰えなかったレースのことを『無賃乗車』と呼んだ(石田雄彦の項目にも同様の記載がある)。
  15. ^ S級S班所属の9人に対しては、通常の交通費に加えてグリーン料金などの特別料金が加算されて支給される。
  16. ^ 手当の額はレースの格による。最低は一般戦の3,000円で、KEIRINグランプリとなると20万円が支給される(日刊スポーツ大阪版2014年7月29日付2面「そこが聞キティ」より)。
  17. ^ 15年度選手賞金が全競輪場で統一 - 日刊スポーツ・2015年3月22日
  18. ^ FⅡ(3日制)A級3班・5R(7車立)(V33) (PDF) - keirin.jp
  19. ^ ガールズケイリン(3日制)2R 【FⅠ(G31)・FⅡ(G32)共通】 (PDF) - keirin.jp
  20. ^ ガールズケイリン(3日制)6R(G37) (PDF) - keirin.jp
  21. ^ 別冊宝島343「競輪打鐘(ジャン)読本」に収録。
  22. ^ 実際同対談では、手っ取り早く金を稼ぎたい人間にとって「吉岡を食らわせたほうが早いかもしれない(笑)」と語った植木に対し、吉岡自身「そう考える人はいるはずですよ」と答えており、当時から選手間では強盗に襲われる危険性について認識していたようである。
  23. ^ 日本競輪選手会・平成22年度事業概要
  24. ^ a b 取得賞金高別人員表(1千万円以上) (PDF) - keirin.jp
  25. ^ 2011年級班別賞金総額及び平均取得額 (PDF) - keirin.jp
  26. ^ a b c 取得賞金高別人員表(1千万円以上) (PDF) - keirin.jp,2017年1月11日
  27. ^ 競輪選手の引退後の生活
  28. ^ 競輪に係る業務の方法に関する規程』第142条
  29. ^ 競輪に係る業務の方法に関する規程』第135条
  30. ^ ケイリン専門用語辞典「ケイリンガル」 - チャリロト公式ホームページ内
  31. ^ 競輪選手を取り巻く現状 - 経済産業省製造産業局作成の資料。なお同じくJKAが管轄するオートレースにも同様の代謝制度が存在する。また競艇にも「選手出場あっせん保留基準第8号」(通称・魔の八項)という成績不良による引退勧告制度がある。
  32. ^ JKA2009年3月13日公示・S級S班の追加選出について
  33. ^ S級S班の見直しについて(2011年1月26日)
  34. ^ 但し、自転車に乗車する姿勢から腰には負担がかかりやすく、腰痛に悩まされる選手は多い(が、これも競技上、競輪選手にとって致命的なハンデとはならない)。一方で特に膝や足首など脚の関節を痛めそれが持病化してしまうと、競技に支障が生じやすく現役続行が難しくなってくる。
  35. ^ 例えばS級の追い込み選手の場合、時速60数キロを維持できる距離が2倍以上になる。バンク半周⇒バンク1周以上など
  36. ^ 競輪学校への受験には、第92期生までは受験時点で満18歳以上満24歳未満という年齢制限があったため、転向するにはプロ野球球団を早期に退団する必要があったことから、転向例は僅か数名に留まっていた。だが、第93期生以降は年齢制限のうち上限が撤廃されるなど受験資格が大幅に緩和されたことから、実際に競輪選手へ転向する例が増えている。競輪学校においてもプロ野球球団を退団した元選手に対しては、退団年とその翌年までの2年間に限り受験科目の一部免除を行っている。2008年11月11日横浜ベイスターズ総合練習場で行われたトライアウトでは競輪学校のブースを設営しており、その知名度も含めて選手として有望な人材の獲得に動いたこともあった。
  37. ^ 競輪に係る業務の方法に関する規程 - 第83条にその旨記載がある。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]