藤沢和雄

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藤沢和雄
Kazuo-Fujisawa20100320.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 北海道苫小牧市[1]
生年月日 (1951-09-22) 1951年9月22日(66歳)
所属団体 JRA
初免許年 1987年1988年開業)
通算勝利 1266勝[2]
重賞勝利 99勝[2]
G1級勝利 24勝[2]
経歴
所属 菊池一雄/調教助手(1977 - 1982)[2]
佐藤勝美/調教助手(1982 - 1983)[2]
野平祐二/調教助手(1983 - 開業)[2]
美浦T.C.(開業 - )[2]
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藤沢 和雄(ふじさわ かずお、1951年9月22日 - )は、中央競馬(JRA)・美浦トレーニングセンター所属の調教師。 1995年から2009年までの間、11度のJRA賞最多勝利調教師賞を獲得した[3]

経歴[編集]

大学[4]にて教職課程を修得するが、教師への適性にみずから疑問を抱き、父の友人である小牧場「青藍牧場」の主、田中良熊のもとで馬産の手伝いをするようになる[5]。しかし、そのころはホースマンになろうという確固たる信念はなく、彼にとって競馬界は自身の将来を定めるまでの短い「腰掛け」に過ぎなかった[5]

しかし、青藍牧場で働く中、徐々に田中の影響を受け、藤沢はホースマンへの志を固めていく[6]。そして田中の強い勧めでイギリスへ渡り、名門厩舎のギャビン・プリチャード・ゴードン厩舎のもとで厩務員として4年間働き、そこで競馬に対する哲学、馬への接し方などの競馬理論を形成していくことになる[7]。ちなみに彼を競馬界へと導いた田中は、和雄がイギリスへ渡った翌年、急死している[8]

1977年11月に帰国した[1]藤沢は、美浦・菊池一雄厩舎の調教助手として二冠馬カツトップエース皐月賞東京優駿(日本ダービー))の調教に携わるなど、闘病中の菊池に代わり、番頭として同厩舎を切り盛りする[9][10]。菊池が病死し(厩舎清算のため、菊池の死後1年間、佐藤勝美が名目上の後継調教師となっている[11])、厩舎が解散したあとは野平祐二に誘われ、野平厩舎へ[12]。そこで名馬シンボリルドルフとのちの厩舎の主戦騎手岡部幸雄とめぐり合うことになる[13]

1987年、独立して厩舎を開業。初勝利は、1988年4月24日の新潟競馬11レースで、若い管理馬たちのリーダーとなるよう地方競馬からスカウトした老馬ガルダンだった[14]。開業後5年で関東のリーディングトレーナーとなる[15]。1992年にシンコウラブリイで初重賞(ニュージーランドトロフィー4歳ステークス)勝利[16]。翌1993年にはふたたびシンコウラブリイで初のGIマイルチャンピオンシップ)を勝利。1997年にJRAの年間最多重賞勝利の新記録を達成(13勝)[17]。1998年には管理馬タイキシャトルフランス・「ジャック・ル・マロワ賞」を岡部の騎乗により勝利する(なお7日前には森秀行管理のシーキングザパールが鞍上武豊で「モーリス・ド・ゲスト賞」を勝利している)[18][19]

2004年には厩舎初のクラシック制覇(桜花賞)をダンスインザムードで果たし[20]ゼンノロブロイで秋古馬GI(天皇賞(秋)ジャパンカップ有馬記念)を3連勝した[21]

藤沢の調教手法は「馬なり主体」「速い時計を出さない」点に特徴があるとされる。しかしこれは必ずしも馬に負荷をかけないということではない。元調教助手の野村功は、追い切りをかけた翌日にキャンターをするなど運動量の豊富さは中央競馬の厩舎の中でも随一であると指摘している[22]

調教師成績[編集]

日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初出走 1988年3月12日 2回東京5日1R アラ系3歳上OP ケイアイパワー 5頭 1 3着
初勝利 1988年4月24日 1回新潟2日11R 谷川岳S ガルダン 12頭 6 1着
重賞初出走 1988年5月15日 4回東京8日10R 安田記念 ガルダン 12頭 8 6着
重賞初勝利 1992年6月7日 3回東京6日11R ニュージーランドT4歳S シンコウラブリイ 10頭 4 1着
GI初勝利 1993年11月21日 6回京都6日10R マイルCS シンコウラブリイ 15頭 1 1着

主な管理馬[編集]

※括弧内は当該馬の優勝重賞競走、太字はGI級競走。

脚注[編集]

  1. ^ a b 「杉本清の競馬談義 第102回」『優駿』1993年9月号、82-84頁
  2. ^ a b c d e f g 2015年6月12日現在。JRA調教師調教師情報「は行」→「ふ」→「藤沢 和雄」(直接リンクができないため、このような表記をしている)
  3. ^ JRA賞 バックナンバー”. 2015年6月12日閲覧。
  4. ^ 著書等には「北海道産業大学」と記述されることが多いが、該当する大学は確認されていない。「北海道産業短期大学」(のちに道都大学短期大学部)は存在する。
  5. ^ a b 『競走馬私論』17-18頁。
  6. ^ 『競走馬私論』21頁。
  7. ^ 『競走馬私論』50-51頁。
  8. ^ 『競走馬私論』25頁。
  9. ^ 『競走馬私論』68-69頁。
  10. ^ 『競走馬私論』72-78頁。
  11. ^ 『競走馬私論』83-84頁。
  12. ^ 『競走馬私論』86-87頁。
  13. ^ 『競走馬私論』90-95頁。
  14. ^ 『競走馬私論』152頁。
  15. ^ 『競走馬私論』193頁。
  16. ^ “藤沢和雄調教師、現役最多のJRA通算900勝達成”. (2007年10月8日). http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=23468 2015年6月12日閲覧。 
  17. ^ 【今日は何の日?】藤沢和雄調教師が重賞レース年間13勝|スポルティーバ
  18. ^ 『競走馬私論』303-304頁。
  19. ^ 『競走馬私論』299頁。
  20. ^ “ダンスインザムード、無敗で桜花賞制覇”. (2004年4月11日). http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=5619 2015年6月12日閲覧。 
  21. ^ “有馬記念、ゼンノロブロイ快勝”. (2004年12月26日). http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=7977 2015年6月12日閲覧。 
  22. ^ 『馬人野村功 藁の匂いが好きだ』(「大阪スポーツ2008年9月7日付 10面)

参考文献[編集]

  • 藤沢和雄『競走馬私論 プロの仕事とやる気について』祥伝社、2003年。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]