藤沢和雄
| 藤沢和雄 | |
|---|---|
|
| |
| 基本情報 | |
| 国籍 |
|
| 出身地 | 北海道苫小牧市[1] |
| 生年月日 | 1951年9月22日(67歳) |
| 所属団体 | JRA |
| 初免許年 | 1987年(1988年開業) |
| 通算勝利 | 1266勝[2] |
| 重賞勝利 | 99勝[2] |
| G1級勝利 | 24勝[2] |
| 経歴 | |
| 所属 |
菊池一雄/調教助手(1977 - 1982)[2] 佐藤勝美/調教助手(1982 - 1983)[2] 野平祐二/調教助手(1983 - 開業)[2] 美浦T.C.(開業 - )[2] |
藤沢 和雄(ふじさわ かずお、1951年9月22日 - )は、中央競馬(JRA)・美浦トレーニングセンター所属の調教師。 1995年から2009年までの間、11度のJRA賞最多勝利調教師賞を獲得した[3]。
経歴[編集]
大学[4]にて教職課程を修得するが、教師への適性にみずから疑問を抱き、父の友人である小牧場「青藍牧場」の主、田中良熊のもとで馬産の手伝いをするようになる[5]。しかし、そのころはホースマンになろうという確固たる信念はなく、彼にとって競馬界は自身の将来を定めるまでの短い「腰掛け」に過ぎなかった[5]。
しかし、青藍牧場で働く中、徐々に田中の影響を受け、藤沢はホースマンへの志を固めていく[6]。そして田中の強い勧めでイギリスへ渡り、名門厩舎のギャビン・プリチャード・ゴードン厩舎のもとで厩務員として4年間働き、そこで競馬に対する哲学、馬への接し方などの競馬理論を形成していくことになる[7]。ちなみに彼を競馬界へと導いた田中は、和雄がイギリスへ渡った翌年、急死している[8]。
1977年11月に帰国した[1]藤沢は、美浦・菊池一雄厩舎の調教助手として二冠馬カツトップエース(皐月賞、東京優駿(日本ダービー))の調教に携わるなど、闘病中の菊池に代わり、番頭として同厩舎を切り盛りする[9][10]。菊池が病死し(厩舎清算のため、菊池の死後1年間、佐藤勝美が名目上の後継調教師となっている[11])、厩舎が解散したあとは野平祐二に誘われ、野平厩舎へ[12]。そこで名馬シンボリルドルフとのちの厩舎の主戦騎手岡部幸雄とめぐり合うことになる[13]。
1987年、独立して厩舎を開業。初勝利は、1988年4月24日の新潟競馬11レースで、若い管理馬たちのリーダーとなるよう地方競馬からスカウトした老馬ガルダンだった[14]。開業後5年で関東のリーディングトレーナーとなる[15]。1992年にシンコウラブリイで初重賞(ニュージーランドトロフィー4歳ステークス)勝利[16]。翌1993年にはふたたびシンコウラブリイで初のGI(マイルチャンピオンシップ)を勝利。1997年にJRAの年間最多重賞勝利の新記録を達成(13勝)[17]。1998年には管理馬タイキシャトルがフランス・「ジャック・ル・マロワ賞」を岡部の騎乗により勝利する(なお7日前には森秀行管理のシーキングザパールが鞍上武豊で「モーリス・ド・ゲスト賞」を勝利している)[18][19]。
2004年には厩舎初のクラシック制覇(桜花賞)をダンスインザムードで果たし[20]、ゼンノロブロイで秋古馬GI(天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念)を3連勝した[21]。
藤沢の調教手法は「馬なり主体」「速い時計を出さない」点に特徴があるとされる。しかしこれは必ずしも馬に負荷をかけないということではない。元調教助手の野村功は、追い切りをかけた翌日にキャンターをするなど運動量の豊富さは中央競馬の厩舎の中でも随一であると指摘している[22]。
調教師成績[編集]
| 日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 初出走 | 1988年3月12日 | 2回東京5日1R | アラ系3歳上OP | ケイアイパワー | 5頭 | 1 | 3着 |
| 初勝利 | 1988年4月24日 | 1回新潟2日11R | 谷川岳S | ガルダン | 12頭 | 6 | 1着 |
| 重賞初出走 | 1988年5月15日 | 4回東京8日10R | 安田記念 | ガルダン | 12頭 | 8 | 6着 |
| 重賞初勝利 | 1992年6月7日 | 3回東京6日11R | ニュージーランドT4歳S | シンコウラブリイ | 10頭 | 4 | 1着 |
| GI初勝利 | 1993年11月21日 | 6回京都6日10R | マイルCS | シンコウラブリイ | 15頭 | 1 | 1着 |
主な管理馬[編集]
※括弧内は当該馬の優勝重賞競走、太字はGI級競走。
- シンコウラブリイ (1992年ニュージーランドトロフィー、ラジオたんぱ賞、クイーンステークス、1993年毎日王冠、スワンステークス、マイルチャンピオンシップ)
- サイレントハピネス (1995年4歳牝馬特別、ローズステークス)
- プレストシンボリ (1995年ラジオたんぱ賞)
- バブルガムフェロー (1995年朝日杯3歳ステークス、1996年スプリングステークス、天皇賞 (秋)、1997年鳴尾記念、毎日王冠)
- タイキブリザード (1996年大阪杯、1997年京王杯SC、安田記念)
- シンコウキング (1997年高松宮記念 )
- タイキマーシャル (1997年エプソムカップ)
- アグネスカミカゼ (1997年目黒記念)
- タイキシャトル (1997年ユニコーンステークス、スワンステークス、マイルチャンピオンシップ、スプリンターズステークス、1998年京王杯SC、安田記念、ジャック・ル・マロワ賞、マイルチャンピオンシップ)
- タイキエルドラド (1997年アルゼンチン共和国杯)
- ロードアックス (1997年ラジオたんぱ杯3歳ステークス)
- スティンガー (1998年阪神3歳牝馬ステークス、1999年4歳牝馬特別、2000年京都牝馬特別、京王杯SC、2001年京王杯SC)
- シンボリインディ (1999年NHKマイルカップ、2000年京成杯AH)
- エアザイオン (1999年クイーンステークス)
- マチカネキンノホシ (2000年アメリカジョッキークラブカップ、アルゼンチン共和国杯)
- スイートオーキッド (2000年クリスタルカップ)
- タイキトレジャー (2000年函館スプリントステークス)
- ロードクロノス (2001年中京記念)
- マグナーテン (2001年関屋記念、2002年関屋記念、毎日王冠、2003年アメリカジョッキークラブカップ)
- ゼンノエルシド (2001年京成杯AH、マイルチャンピオンシップ)
- ダイヤモンドビコー (2001年ローズステークス、2002年中山牝馬ステークス、府中牝馬ステークス、阪神牝馬ステークス)
- エアスマップ (2001年オールカマー)
- シャイニンルビー (2002年クイーンカップ)
- シンボリクリスエス (2002年青葉賞、神戸新聞杯、天皇賞 (秋)、有馬記念、2003年天皇賞 (秋)、有馬記念)
- ボールドブライアン (2003年東京新聞杯)
- ハッピーパス (2003年京都牝馬ステークス)
- ゼンノロブロイ (2003年青葉賞、神戸新聞杯、2004年天皇賞 (秋)、ジャパンカップ、有馬記念)
- ウインラディウス (2004年東京新聞杯、京王杯SC、2005年富士ステークス)
- ダンスインザムード (2004年フラワーカップ、桜花賞、2006年ヴィクトリアマイル)
- スズノマーチ (2005年エプソムカップ)
- キングストレイル (2005年セントライト記念、2007年京成杯AH)
- ジャリスコライト (2006年京成杯)
- イクスキューズ (2007年クイーンカップ)
- フライングアップル (2007年スプリングステークス)
- マチカネニホンバレ (2009年エルムステークス)
- レッドスパーダ (2010年東京新聞杯、2013年関屋記念、2014年京王杯SC)
- ペルーサ (2010年青葉賞)
- ダンスファンタジア (2011年フェアリーステークス)
- コディーノ (2012年札幌2歳ステークス、東京スポーツ杯2歳ステークス)
- ルルーシュ (2012年アルゼンチン共和国杯)
- バウンスシャッセ (2014年フラワーカップ、2015年中山牝馬ステークス、2016年愛知杯)
- ロサギガンティア (2014年スプリングステークス、2015年阪神カップ)
- スピルバーグ (2014年天皇賞 (秋))
- チェッキーノ (2016年フローラステークス)
- ソウルスターリング (2016年阪神ジュベナイルフィリーズ、2017年チューリップ賞、優駿牝馬)
- サトノアレス (2016年朝日杯フューチュリティステークス)
- レイデオロ (2016年ホープフルステークス、2017年東京優駿、神戸新聞杯、2018年オールカマー、天皇賞 (秋))
- エポワス (2017年キーンランドカップ)
- タワーオブロンドン (2017年京王杯2歳ステークス、2018年アーリントンカップ)
- ゴーフォザサミット (2018年青葉賞)
- ムーンクエイク (2018年京王杯SC)
- グランアレグリア (2018年サウジアラビアロイヤルカップ)
- シェーングランツ (2018年アルテミスステークス)
脚注[編集]
- ^ a b 「杉本清の競馬談義 第102回」『優駿』1993年9月号、82-84頁
- ^ a b c d e f g 2015年6月12日現在。JRA調教師調教師情報「は行」→「ふ」→「藤沢 和雄」(直接リンクができないため、このような表記をしている)
- ^ “JRA賞 バックナンバー”. 2015年6月12日閲覧。
- ^ 著書等には「北海道産業大学」と記述されることが多いが、該当する大学は確認されていない。「北海道産業短期大学」(のちに道都大学短期大学部)は存在する。
- ^ a b 『競走馬私論』17-18頁。
- ^ 『競走馬私論』21頁。
- ^ 『競走馬私論』50-51頁。
- ^ 『競走馬私論』25頁。
- ^ 『競走馬私論』68-69頁。
- ^ 『競走馬私論』72-78頁。
- ^ 『競走馬私論』83-84頁。
- ^ 『競走馬私論』86-87頁。
- ^ 『競走馬私論』90-95頁。
- ^ 『競走馬私論』152頁。
- ^ 『競走馬私論』193頁。
- ^ “藤沢和雄調教師、現役最多のJRA通算900勝達成”. (2007年10月8日) 2015年6月12日閲覧。
- ^ 【今日は何の日?】藤沢和雄調教師が重賞レース年間13勝|スポルティーバ
- ^ 『競走馬私論』303-304頁。
- ^ 『競走馬私論』299頁。
- ^ “ダンスインザムード、無敗で桜花賞制覇”. (2004年4月11日) 2015年6月12日閲覧。
- ^ “有馬記念、ゼンノロブロイ快勝”. (2004年12月26日) 2015年6月12日閲覧。
- ^ 『馬人野村功 藁の匂いが好きだ』(「大阪スポーツ」 2008年9月7日付 10面)
参考文献[編集]
- 藤沢和雄『競走馬私論 プロの仕事とやる気について』祥伝社、2003年。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 藤沢和雄の「伯楽一顧」(サラブnet)
| ||||||||||
| ||||||||||
| ||||||||||
| ||||||||||