安田富男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
安田富男
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県船橋市
生年月日 (1947-10-07) 1947年10月7日(70歳)
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会
所属厩舎 加藤朝治郎(1968年-1981年)
加藤修甫(1981年-1985年)
フリー(1985年-引退)
初免許年 1968年
免許区分 平地競走障害競走
騎手引退日 2001年9月2日
重賞勝利 38勝(うち地方交流1勝)
G1級勝利 1勝
通算勝利 8293戦752勝
テンプレートを表示

安田 富男(やすだ とみお、1947年10月7日 - )は、千葉県船橋市出身の元騎手

通算8293戦752勝の成績を挙げ、主な勝ち鞍にグリーングラスで制した1976年菊花賞がある。オッズの低い騎乗馬でしばしば好走を見せ、「穴男」、「泥棒ジョッキー」などと称された。史上初めてJRA全10場において重賞を勝利した記録も持つ。

経歴[編集]

中学校在籍時より母の知り合いであった中山・加藤朝治郎厩舎に住み込みで働いていた[1]。その前には船橋競馬場を訪れたこともあり、そこで調教師をしていた函館孫作の目に留まる。実家まで函館がスカウトに来たこともあり、函館の厩舎でも一時期働いていたが、従来のさぼり癖により辞めざるをえなくなった。卒業後の1963年4月馬事公苑騎手養成長期課程に第14期生として入所。入所時の身長は115cm、体重は28kgと非常に小柄だった[2]。同期生には小島太田島良保目野哲也池上昌弘平井雄二らがいる。入学後は授業を真面目に受けないなど不真面目な面があり、小柄過ぎたために成長を待たされたこともあって、騎手免許を取得したのは小島・田島から2年遅れの1968年であった[2]。同期では他にも池上が1年遅れの1967年、平井が3年遅れの1969年に騎手デビューを果たした。

初年度は14勝、2年目(1969年)は26勝と最初こそ順調な出だしであったが、この成績に慢心して1970年以降4年間は一桁の勝利数を続けて低迷[3]。不安に駆られた安田は「デタラメな自分に何か規律を与えるものを」との思いで本格的に創価学会の信仰に取り組むようになり[4]、平地競走に専念し始めた1974年には14勝とデビュー年の勝利数に戻して復活。同年4月にはノボルトウコウ小倉大賞典を制して重賞初勝利も挙げ、1976年には菊花賞グリーングラスに騎乗し、単勝12番人気ながらテンポイントトウショウボーイクライムカイザーといった強豪を破って優勝。生涯唯一のGI級レース&八大競走制覇を果たした。以降は関東の中堅騎手として定着し、主にローカル開催を中心に騎乗を続ける。1987年には自己最高の59勝を挙げて全国8位に付け、生涯唯一のベスト10入りも経験した。同年にはロータリーザハレーで函館タマツバキ記念を制し、JRA全10場中9場目の重賞勝利を挙げる。以後は札幌のみを残した状態で足踏みを続けていたが、1996年ノーブルグラス札幌スプリントステークスに優勝し、史上初のJRA全場重賞勝利を達成。競走後にはファンから「富男」コールで祝福され、シーズン終了後には東京競馬記者クラブ賞特別賞を受賞した。

1989年京成杯をスピークリーズンで制覇したが、この京成杯は平成改元後初となるJRA関東地区重賞競走であったため、安田は平成初のJRA関東地区重賞競走勝利騎手でもある。

1999年大崎昭一が引退したことに伴い現役最年長騎手となったが、2001年夏に引退を表明し、同年9月2日付で騎手を引退した。通算8293戦752勝。引退後はデイリースポーツ評論家として活動していたが、「やはり馬に関わる仕事がしたい」と一念発起。栃木県那須郡那須町の「貴悦牧場」で場長などをしながら経験を積み、ノウハウを得て独立。その後は競馬予想会社「シンクタンク」で情報ルートの一員として活動しながら、那須塩原市地方競馬教養センター内に競走馬の育成牧場「TOMY」を開設し[5]、夫人と従業員2人を合わせた4人で運営している。南関東認定厩舎(外厩)にも認定されており、何頭か管理もしている。

2014年には脳梗塞で倒れたが、現在は回復。

成績[編集]

区分 1着 2着 3着 4着以下 出走数 勝率 連対率
1968年 平地 13 4 19 90 121 .107 .140
障害 1 4 7 12 24 .042 .208
14 8 26 102 145 .096 .152
1969年 平地 24 21 44 188 277 .087 .162
障害 2 2 4 23 31 .065 .129
26 23 48 211 308 .084 .159
1970年 平地 3 4 9 88 104 .029 .067
障害 2 2 4 15 23 .087 .174
5 6 13 103 127 .039 .087
1971年 平地 3 2 6 54 65 .046 .077
障害 0 0 0 2 2 .000 .000
3 2 6 56 67 .045 .076
1972年 平地 7 6 3 54 70 .100 .186
1973年 平地 7 14 16 98 135 .052 .156
障害 1 0 1 3 5 .200 .200
8 14 17 101 140 .057 .157
1974年 平地 14 16 13 155 198 .071 .152
1975年 平地 26 22 16 131 195 .133 .246
1976年 平地 31 26 31 176 264 .117 .216
1977年 平地 16 19 17 149 201 .080 .174
1978年 平地 28 27 23 143 221 .127 .249
1979年 平地 19 21 29 161 230 .083 .174
1980年 平地 25 43 37 173 278 .090 .245
1981年 平地 25 18 23 168 234 .107 .184
1982年 平地 34 24 19 178 255 .133 .227
1983年 平地 43 33 34 220 330 .130 .230
1984年 平地 37 41 38 253 369 .100 .211
1985年 平地 32 45 37 250 364 .088 .211
1986年 平地 40 43 46 250 379 .106 .219
1987年 平地 59 38 44 256 397 .149 .244
1988年 平地 36 42 40 289 407 .088 .192
1989年 平地 28 26 23 198 275 .102 .196
1990年 平地 9 11 17 166 203 .044 .099
1991年 平地 21 27 27 167 242 .087 .198
1992年 平地 24 15 14 131 184 .130 .212
1993年 平地 19 26 21 169 235 .081 .191
1994年 平地 24 20 18 177 239 .100 .184
1995年 平地 20 23 24 202 269 .074 .160
1996年 平地 26 19 23 280 348 .075 .129
1997年 平地 22 24 28 242 316 .070 .146
1998年 平地 17 25 24 247 313 .054 .134
1999年 平地 10 13 17 246 286 .035 .080
2000年 平地 4 9 13 160 186 .022 .070
2001年 平地 6 9 8 80 103 .058 .146
平地 752 756 796 5,989 8,293 .091 .182
障害 6 8 16 55 85 .071 .165
総計 758 764 812 6,044 8,378 .090 .182
  • 初騎乗:1968年3月9日中山第1競走 ハギラツキー(10着)
  • 初勝利:1968年3月16日中山第3競走 ホースワン

主な騎乗馬[編集]

※括弧内は安田騎乗時の優勝重賞競走、太字八大競走斜体は当時統一格付けのない地方競馬主催の交流競走。

JRA全場重賞制覇[編集]

JRA全場における重賞制覇は、国営競馬時代の1952年中京競馬場が開場して全10場が整備されて以来初めての記録であった[注 1]。夏場をのぞき、トップ騎手は大競走が多く組まれる東京、中山、京都、阪神に騎乗が集中することが多いため、自ら「この記録は有名人じゃできないでしょう。脇役じゃないとね。だから、落ちこぼれの勲章ですよ」と語っている[6]。なお、安田はノーブルグラスで札幌スプリントステークスを制するよりも先に、カリブソング1994年ブリーダーズゴールドカップ(札幌競馬場)を制していたが、同競走の主催者は日本中央競馬会ではなくホッカイドウ競馬であったため、この勝利は全場勝利に算入されていない。

10場制覇のうち、重賞初勝利を挙げたノボルトウコウ一頭で3場分の勝利を挙げている。同馬は当時から安田の気に入りの馬であり、競走馬引退後に種牡馬となった際には、産駒の馬主と中央競馬での受け入れ先厩舎を確保するため、関係者に依頼して回ったという[7]。自身も「忘れられない馬」と語っている[8]

※以下はそれぞれ各場における重賞初勝利時のみを記載。

勝利年 施行競馬場 競走名 優勝馬名
1996年 札幌競馬場 札幌スプリントステークス ノーブルグラス
1987年 函館競馬場 タマツバキ記念 ロータリーザハレー
1975年 福島競馬場 七夕賞 ノボルトウコウ
1974年 新潟競馬場 関屋記念 ノボルトウコウ
1978年 中山競馬場 クイーンカップ キクキミコ
1976年 東京競馬場 目黒記念(春) ハクバタロー
1975年 中京競馬場 中日新聞杯 サンポウ
1976年 京都競馬場 菊花賞 グリーングラス
1984年 阪神競馬場 報知杯4歳牝馬特別 ダイナシュガー
1974年 小倉競馬場 小倉大賞典 ノボルトウコウ

著書[編集]

  • 『泥棒ジョッキー・安田富男の競馬に勝つ!』(KKベストセラーズ、1991年)
  • 『安田富男のジョッキーぶった斬り!』(イーストプレス、2004年)

出典[編集]

  1. ^ 安田のあと、1997年に武豊、2004年に藤田伸二、2016年に横山典弘が全場重賞制覇を達成している。
  1. ^ 木村 p.85
  2. ^ a b 木村 p.85
  3. ^ 木村 pp.87-88
  4. ^ 木村p.88
  5. ^ Horseman's Room (9) (PDF)” (日本語). ブルーインベスターズ (2009年6月10日). 2012年9月20日閲覧。
  6. ^ 『優駿』1996年9月号 p.57
  7. ^ 更級 pp.180-181
  8. ^ 『優駿』1996年9月号 p.56

参考文献[編集]

  • 更級四郎『馬ものがたり』(講談社、1992年)ISBN 4062061708
  • 木村幸治『騎手物語』(洋泉社、1998年)ISBN 978-4896912982
  • 『優駿』1996年9月号(日本中央競馬会)「優駿・ロングインタビュー 安田富男 - 落ちこぼれの勲章」