サクラショウリ

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サクラショウリ
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1975年3月1日
死没 1999年2月7日(24歳没)
パーソロン
シリネラ
母の父 フォルティノ
生国 日本の旗 日本千葉県成田市
生産者 シンボリ牧場
馬主 (株)さくらコマース
調教師 久保田彦之(美浦
競走成績
生涯成績 24戦8勝
獲得賞金 3億360万8000円
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サクラショウリとは日本競走馬である。名種牡馬パーソロンが送り出した初めての牡馬クラシックホースであり、おもな勝ち鞍に1978年東京優駿(日本ダービー)1979年宝塚記念があるほか、1978年優駿賞最優秀4歳牡馬を受賞した。種牡馬としてもサクラスターオーなどを出した。主戦騎手は小島太

戦績[編集]

3歳時[編集]

サクラショウリは、1977年6月札幌でデビュー。デビューから3戦はダート戦で3着、3着、4着と勝ち切れなかったが、初めて芝でのレースとなった4戦目で初勝利を挙げた。この4戦目から小島太が騎乗している。

その後、200万下の白菊賞を勝ったサクラショウリは朝日杯3歳ステークスに挑戦したが、優勝したギャラントダンサーから約4馬身離された3着に終わり、この年を終えている。

4歳時[編集]

明けて1978年、サクラショウリは京成杯から始動したが、タケデンの3着に終わった。それでも東京4歳ステークスファンタストに競り勝って1着になり、重賞初制覇を果たした。

しかし、続く弥生賞は2着、クラシック第1戦の皐月賞もスタートで出遅れ、脚を余して3着に敗れ、2レースとも東京4歳ステークスで破ったファンタストにやり返される形で屈した。。しかし、小島は内心では、これならダービーの2400メートルも折り合いさえつけば大丈夫という自信が生まれた[1]。その晩、残念会の席で小島は全演植オーナーに「オヤジ、3着のおかげで俺はダービーを勝つ自信がついた。いや、絶対勝ってみせる」と大ミエを切った[1]

クラシック第2戦の日本ダービーでは、サクラショウリは2番人気に推された。皐月賞後、サクラショウリの状態は恐ろしいぐらい良くなり、小島は、自分が失敗しなければ勝てるという確信を持って臨んだ[1]。レースではサクラショウリは道中6、7番手を進み、直線半ばで先頭に立つと、外から追ってきたアグネスホープを半馬身差抑えて勝利した[2]

秋はセントライト記念から始動。このレースで1番人気に推されたサクラショウリは快勝した。しかし、続く京都新聞杯ではメジロイーグルに逃げ切りを許し2着、クラシック最終戦の菊花賞では単枠指定の1番人気に推されたが、インターグシケンの5着に敗れた。

そして、暮れの有馬記念カネミノブの5着に終わり、この年を終えている。

5 - 6歳時[編集]

1979年、古馬になったサクラショウリはアメリカジョッキークラブカップから始動。このレースでグリーングラスに競り勝って1着になったサクラショウリは続く目黒記念(春)も快勝し重賞連勝を果たした。

だが、続く中山記念は2着、天皇賞(春)カシュウチカラの2着と勝ち切れないレースが続いた。それでも続く第20回宝塚記念ではレコードタイムで制し、2つ目のビッグタイトルを手にした。

しかし宝塚記念後、秋になってからのサクラショウリは精彩を欠いた。天皇賞(秋)5着、有馬記念6着と着順こそ悪くないものの勝ち馬に離されるレースが続いた。

明けて1980年、6歳になったサクラショウリはアメリカジョッキークラブカップから始動するも4着と完敗。続く目黒記念(春)も11着と大敗し、これを契機に引退した。

通算成績は24戦8勝。掲示板を外したのは5歳時の有馬記念と引退レースとなった目黒記念(春)のみと、負けたレースでも常に好走を続けた。

引退後[編集]

引退後は種牡馬となり、二冠馬サクラスターオーやサムソンビッグきさらぎ賞)、サクラトモエオー(ジュニアカップ)、アスカクラウン(ダイヤモンドステークス2着)らを輩出したが気性の悪い産駒が多く、全体的には低調だった。サクラスターオーは父が獲れなかった皐月賞と菊花賞を勝ち、親子で3冠を獲得する形になっている。

代表産駒であるサクラスターオーがレース中のアクシデントで早逝してしまったため、同じ父親を持つメジロアサマメジロティターンを、シンボリルドルフトウカイテイオーをそれぞれ後継種牡馬に残したが、本馬は最後まで後継種牡馬には恵まれなかった。

1995年には種牡馬からも引退。新和牧場で余生を送っていたが、1999年に老衰のため死亡した。

主な産駒[編集]

母の父としてのおもな産駒[編集]

血統[編集]

サクラショウリ血統トウルビヨン系 / Avena、Choclo 4×4=12.50%、Tourbillon 5×5=6.25% (血統表の出典)

* パーソロン
Partholon
1960 鹿毛
父の父
Milesian
1953 鹿毛
My Babu Djebel
Perfume
Oatflake Coup de Lyon
Avena
父の母
Paleo
1953 鹿毛
Pharis Pharos
Carissima
Calonice Abjer
Coronis

* シリネラ
Shirinella
1968 芦毛
* フォルティノ
Fortino
1959 芦毛
Grey Sovereign Nasrullah
Kong
Ranavalo Relic
Navarra
母の母
Shirini
1961 青毛
Tehran Bois Roussel
Stafaralla
Confection Fun Fair
Choclo F-No.22-a

脚注[編集]

  1. ^ a b c 『週刊Gallop臨時増刊100名馬 Vol.63 サクラローレル』39頁
  2. ^ この勝利はシンボリ牧場生産馬初の東京優駿(日本ダービー)制覇となり、2着のアグネスホープもシンボリ牧場生産馬だった。

外部リンク[編集]