ゴールデンウエーブ

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ゴールデンウエーブ
品種 サラブレッド
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 1951年5月5日
死没 不明(1962年廃用)
ミナミホマレ
ユウコ
母の父 レイモンド
生国 日本の旗 日本青森県新郷村
生産 川俣欣也
馬主 川俣欣也
調教師 小林元治(大井
藤本冨良東京
競走成績
生涯成績 37戦16勝
地方競馬11戦6勝)
中央競馬26戦10勝)
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ゴールデンウエーブ日本競走馬

概要[編集]

第21回東京優駿(日本ダービー)優勝馬である。父ミナミホマレも第11回東京優駿競走の優勝馬で、親子制覇はカブトヤマ、子マツミドリに次ぐ2組目となる。

また日本ダービー史上初の地方競馬出身馬の優勝馬である[1]。また、ダービー後の1954年9月日本中央競馬会が設立された為、本馬はそれ以前の国営競馬時代の最後のダービー馬でもある。

地方時代は大井競馬場に所属し、ネンタカラという馬名で11戦6勝、全日本三才優駿を制している。

中央競馬の前身である国営競馬に移籍すると同時にゴールデンウエーブに改名、それ以降26戦10勝の成績を残し、東京優駿と中山4歳ステークスの2つの重賞を獲得した。東京優駿では人気薄ながらタカオー、ダイナナホウシユウ等をまとめて差し切って勝利している。なお、左回りコースで「内にささる」(左に斜行する)癖があったため、対策として日本ダービーでは左利きで左ムチの扱いが巧みな岩下密政を起用し、これが大きな勝因になったと言われている。岩下にとって日本ダービーは1951年トキノミノル以来の勝利で、通算2勝目であった。

6歳(馬齢は当時の表記)となった1956年の春まで中央競馬で走り、同年の夏には古巣の南関東地方競馬に戻り3戦している。

引退後は種牡馬となった。産駒には中山大障害(春)に勝ったゴールデンオーザ、農林大臣賞典に勝ったカワホマレなどがいる。また天皇賞ヤマニンウエーブの母の父としても名を残している。

ちなみに、この当時の中央競馬のレースの発馬機スターティングバリヤーで、日本ダービーもバリヤー式スタートで行われていた[2]が、3歳当時に在籍していた南関東地方競馬では1953年から現在の樣なゲート式スタートが導入されていた。このため本馬はスターティングゲートによる競走の経験を持つ最初の日本ダービー馬である。

本馬の功績を讃え、1955年1959年まで、川崎競馬場にて3歳以上サラブレッド系牡馬限定重賞であるゴールデンウエーブ記念が施行されていた[3]

血統表[編集]

ゴールデンウェーブ血統ブランドフォード系 / St. Frusquin 5x5=6.25%) (血統表の出典)
父系

ミナミホマレ
1939 鹿毛 日本
父の父
プリメロ
*Primero
1931 鹿毛 イギリス
Blandford Swynford
Blanche
Athasi Farasi
Athgreany
父の母
フロリスト
1919 栗毛 日本
*ガロン
Gallon
Gallinule
Flair
第四フロリースカツプ *インタグリオー
フロリースカツプ

ユウコ
1944 鹿毛 日本
レイモンド
*Raymond
1930 鹿毛 イギリス
Gainsborough Bayardo
Rosedrop
Nipisiquit Buchan
Herself
母の母
優宝
1930 鹿毛 日本
*トリニチースクエーア
Trinity Square
Simon Square
Lady Tertius
第六シルバーバツトン *イボア
*シルバーバツトン F-No.4-g
母系(F-No.)
5代内の近親交配
出典

脚注[編集]

  1. ^ 地方競馬出身の東京優駿優勝馬はその後、1958年ダイゴホマレが優勝したのみである。
  2. ^ 日本中央競馬会がスターティングゲートを導入したのは1960年からである。
  3. ^ 日刊スポーツ社『日刊スポーツ(東京)』1955年8月28日分(勝ち馬外部リンク)、1956年8月16日分(勝ち馬外部リンク)、1957年5月12日分(勝ち馬外部リンク)、1958年10月12日分(勝ち馬外部リンク)、1959年10月1日分

外部リンク[編集]