シリウスシンボリ

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シリウスシンボリ
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1982年3月26日
死没 2012年4月8日(30歳没)
モガミ
スイートエプソム
生国 日本北海道門別町
生産 シンボリ牧場
馬主 和田共弘
調教師 二本柳俊夫
畠山重則
→二本柳俊夫
→J・ウィンター
→P.L.ビアンコーヌ
→F・パルメル
→二本柳俊夫
競走成績
生涯成績 12戦4勝(中央競馬
14戦0勝(日本国外)
獲得賞金 1億4310万0300円
+229,000フランス・フラン
+16,500マルク
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シリウスシンボリとは日本競走馬である。1985年東京優駿(日本ダービー)がおもな勝ち鞍。1985年から1987年にかけて約2年間ヨーロッパの競走に出走した。日本での主戦騎手加藤和宏

馬齢は旧表記。

競走成績[編集]

3歳[編集]

1984年9月16日中山競馬場新馬戦で加藤和宏騎乗でデビュー。出遅れながらも1着になり、デビュー勝ちを収めた。2走目の芙蓉特別は1位入線も斜行により失格、3走目のいちょう特別は第4コーナーで不利を受けたのが原因で2着と敗れるが、府中3歳ステークスでクビ差で競り勝ち、この年を終えている。

移籍騒動[編集]

ところが、馬主の和田共弘は加藤の騎乗方法に不満を覚え、岡部幸雄への乗り替わりを主張し、調教師の二本柳俊夫と対立。この対立がのちに大きな騒動と発展する事になる。

年が明けると、騎手の乗り代わりの要求を発端として、和田と二本柳の対立が激化した。二本柳はあくまでも弟子の加藤を庇い「不満があるならよその厩舎へ行ってくれ」と主張。この態度に対して立腹した和田は畠山重則厩舎へシリウスシンボリを転厩させてしまう。

しかし、この和田の行動は二本柳厩舎のスタッフばかりでなく、厩務員組合全体の反発を呼び、遂には調教師会が仲介に乗り出す事態にまで発展した。結局、シリウスシンボリは僅か1週間で二本柳厩舎に戻される事になった[1]

4歳春[編集]

移籍騒動に巻き込まれたシリウスシンボリは、結局岡部とのコンビで若葉賞を何とか勝ったものの、皐月賞は移籍騒動の影響で出走できなかった。鞍上が加藤に戻った日本ダービーでは、皐月賞を5馬身差で優勝したミホシンザン[2]が骨折で回避した事もあり、単勝1番人気に推された。レースは荒れた重馬場の中、ほぼ全頭が大外ラチ沿いを回る異例の展開となった中、スダホークを3馬身差で下し優勝した。

欧州遠征(4歳秋 - 6歳春)[編集]

日本ダービーを優勝したシリウスシンボリはシンボリルドルフに帯同して海外に遠征する予定であったが、シンボリルドルフが故障のため遠征を中止したため、単独で渡欧した。

4歳時はキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス8着、バーデン大賞4着、プランスドランジュ賞6着、ロワイヤルオーク賞3着。なお、キングジョージとバーデン大賞では岡部が騎乗している。

5歳時はエドゥヴィユ賞5着、シーシック賞では1番人気に推されたが3着、ミラノ大賞典5着、ゴントービロン賞4着、フォワ賞2着、コンセイユドパリ賞4着。凱旋門賞にも出走したが、ダンシングブレーヴの14着に終わっている。

6歳時はエドモンブラン賞4着、アルクール賞8着、ガネー賞7着に終わり、このガネー賞を最後にシリウスシンボリは帰国した。

結局、欧州では14戦したが1つも勝てなかった。

帰国後(6歳秋 - 7歳)[編集]

帰国したシリウスシンボリは鞍上を加藤に戻して毎日王冠で復帰したが8着、天皇賞(秋)では勝ったニッポーテイオーから1.7秒も離された9着に終わった。

翌年も現役を続行し、夏の函館開催から復帰したが、オープン特別の青函トンネル開通記念2着を経て出走した函館記念ではレコード勝ちしたサッカーボーイから1.4秒離された4着に終わった。

続く毎日王冠では、ゲート入り前にレジェンドテイオーダイナアクトレスを蹴り、レジェンドテイオーを発走除外に追い込む事件を起こし、レース後に厩務員同士が喧嘩する事態にまで発展した。ただ、このレースではオグリキャップの2着と好走した。

そして、天皇賞(秋)で7着に終わった後に骨折が判明し、現役を引退した。

引退後[編集]

引退後は種牡馬になったが、京都4歳特別2着のオーシャンカレントや北斗盃優勝のベストファーザーが出た程度で活躍馬は出せなかった。1994年11月に北海道日高町の沖田牧場に移り、1997年の種牡馬引退後は軽種馬育成調教センターの助成を受け、同牧場で功労馬として余生を過ごしていた。

2012年4月8日午後10時、老衰のため死亡している。30歳だった。

血統表[編集]

シリウスシンボリ血統リファール系 / Native Dancer5×4=9.38%) (血統表の出典)

*モガミ
Mogami
1976 青鹿毛
父の父
Lyphard
1969 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Goofed Court Martial
Barra
父の母
*ノーラック
No Luck
1968 黒鹿毛
Lucky Debonair Vertex
Fresh as Fresh
No Teasing Palestinian
No Fidding

スイートエプソム
1976 鹿毛
*パーソロン
Partholon
1960 鹿毛
Milesian My Babu
Oatflake
Paleo Pharis
Calonice
母の母
*シレトコ
Shiretoko
1970 栗毛
*Takawalk Native Dancer
Ampola
Pochette Worden
Diplomatic Bag F-No.13-e


脚注[編集]

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  1. ^ シリウスシンボリのこの騒動の14年後の1999年に、類似の事例がテイエムオペラオーの菊花賞での騎乗方法に激怒して騎手の乗り代わりを要求したオーナーの竹園正継と、それに反対した調教師の岩元市三との間でも発生したが、こちらはこの騒動とは異なり、岩元が話し合いによって竹園を説得した結果、乗り代わり要求を取り下げる形で折れたため、騒動までには至らなかった。
  2. ^ シリウスシンボリはダービー後2年間欧州にいた事もあって、ミホシンザンと対戦する機会は1度もなかった。

外部リンク[編集]