プリメロ

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プリメロ
『小岩井農場 五拾周年記念』図版より
欧字表記 Primero
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1931年
死没 1955年11月18日
(23歳没・旧24歳)
ブランドフォード
アサシ
母の父 ファラシ
生国 イギリスの旗 イギリス
調教師 リチャード・セシル・ドウスン
競走成績
生涯成績 15戦3勝
獲得賞金 3323ポンド
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プリメロPrimero)はイギリス生産の競走馬アイリッシュダービーアイリッシュセントレジャーを制し、1936年種牡馬として日本の小岩井農場によって購買され、1930年代から1950年代にかけて日本で多数の活躍馬を送り出し、日本競馬史に多大な事績を残す大種牡馬となった。

全兄エプソムダービーセントレジャーステークスなどの優勝馬Trigo、プリメロと同じくアイリッシュダービーとアイリッシュセントレジャーを制したHarinero、ドンカスターカップの優勝馬で、これも種牡馬として日本に輸出されたアスフオードがいる。

経歴[編集]

競走馬時代はアイルランドで走り15戦3勝。一般戦での勝利以外はいずれもアイルランドのクラシック競走で、アイリッシュダービーはパトリオットキングとの同着優勝であった。競走馬引退後、種牡馬シアンモアの後継を探していた小岩井農場によって購買される。購買価格は1932年に日本へ輸出されていた全兄アスフオード[1]の4万7850円を大きく上回る6万円で、これは当時の最新鋭戦闘機1機分という大金だった。

2年目の産駒からブランドソールが中山四歳牝馬特別(現・桜花賞)に優勝し、早々に八大競走を制覇すると、その翌年にはミナミホマレ東京優駿(日本ダービー)を制した。1949年にはトサミドリタチカゼの2頭でこの年の牡馬クラシックを全て制する快挙を成し遂げた[2]。その後も1954年にはハクリヨウが日本競馬史上最初の年度代表馬と最良5歳以上牡馬、チエリオが最良5歳以上牝馬を受賞するなど活躍。晩年に至るまで日本を代表する第一級の種牡馬であり続けたが、1955年秋、疝痛をこじらせて25歳で死亡した。

リーディングサイアー争いでは常に上位に顔を出したが、1949年の2位(1位セフト)を最高に、最後まで首位獲得は成らなかった。しかし産駒の大レースでの強さにおいては当代随一を誇り、4頭の東京優駿優勝馬を筆頭とする産駒のクラシック競走通算15勝は、2000年代に入ってサンデーサイレンスに破られるまで半世紀以上に渡って最多記録として保持され続けた。

さらに最良の後継種牡馬となったトサミドリも多くの活躍馬を輩出し、国産種牡馬のエースとなる大成功を収めた。他の後継種牡馬も一定の成功を収め、競走馬としては大成することができなかったトビサクラが、日本馬として初めて海外の競走に優勝したハクチカラの父となるなど、広範に活躍した。しかしその後は輸入種牡馬に圧されて父系は急速に衰退し、現在ではプリメロの父系は完全に途絶えている[3]。しかしブルードメアサイアーとしても非常に大きな実績を残していたために、現在まで続く大牝系を築いたシラオキを初めとする多くの牝馬、牝系にその血が受け継がれており、現在でも血統図母系にしばしばその名を見ることができる。

主な産駒[編集]

太字八大競走優勝馬および表彰受賞馬。

ブルードメアサイアー産駒[編集]

※八大競走優勝馬及び表彰受賞馬のみ記載

  • ウメノチカラ1963年度啓衆賞最良3歳牡馬
  • オーテモン(1960年天皇賞・秋)※1960年度啓衆賞最良5歳以上牡馬
  • オートキツ(1955年東京優駿)※1955年度啓衆賞年度代表馬1956年度啓衆賞最良スプリンター
  • オンワードゼア(1958年天皇賞・春、有馬記念)※1958年度啓衆賞年度代表馬・最良5歳以上牡馬
  • ケンホウ(1962年桜花賞)※1962年度啓衆賞最良4歳牝馬
  • コダマ(1959年阪神3歳ステークス、1960年皐月賞、東京優駿、1962年宝塚記念)※1960年度啓衆賞年度代表馬・最良4歳牡馬顕彰馬
  • シンツバメ(1961年皐月賞)
  • セルローズ(1958年天皇賞・秋)※1958年度啓衆賞最良5歳以上牝馬
  • タイセイホープ(1958年皐月賞)
  • フエアマンナ(1956年優駿牝馬)※1956年度啓衆賞最良4歳牝馬
  • ホウシユウクイン(1958年桜花賞)
  • ミハルオー(1948年優駿競走、1949年天皇賞・春)
  • メイヂヒカリ(1954年朝日杯3歳ステークス、1955年菊花賞、1956年天皇賞・春、中山グランプリ)※1954年度啓衆賞最良3歳牡馬1955年度啓衆賞最良4歳牡馬1956年度啓衆賞年度代表馬・最良5歳以上牡馬顕彰馬
  • メジロムサシ(1971年天皇賞・春、宝塚記念)※1971年度啓衆賞最良5歳以上牡馬
  • ヤマニンモアー(1961年天皇賞・春)

上記の内、オートキツ・オンワードゼアはトキツカゼを母とする兄弟、ケンホウ・ヤマニンモアーはトキノタカラを母とする兄弟、コダマ・シンツバメはシラオキを母とする兄弟、セルローズ・フエアマンナはトキツウミを母とする兄弟である。

血統表[編集]

プリメロ血統ブランドフォード系/Gallinule4×5=9.38%、St.Simon5×4*5=12.50%、Galopin5×5=6.25%) (血統表の出典)

Blandford
1919 黒鹿毛
父の父
Swynford
1907 黒鹿毛
John o'Gaunt Isinglass
La Fleche
Canterbury Pilgrim Tristan
Pilgrimage
父の母
Blanche
1912 鹿毛
White Eagle Gallinule
Merry Gal
Black Cherry Bendigo
Black Duchess

Athasi
1917 鹿毛
Farasi
1903 鹿毛
Desmond St. Simon
L'abbesse de Jouarre
Molly Morgan Morgan
Sissie
母の母
Athgreany
1910 鹿毛
Galloping Simon Melton
Simena
Fairyland Lesterlin
Stella F-No.22-a

父Blandfordは当時の世界的大種牡馬の1頭。母Athasiはアイルランドで5勝。祖母Athgreanyはアイリッシュオークスに優勝している。BlandfordとAthasiの配合で誕生した9頭のうちプリメロを含む5頭がステークスウイナーとなっているが、それ以外の配合で誕生した産駒はいずれも凡庸な成績しか残せず、この父母の親和性の高さが窺える。

主な近親[編集]

牝系概略

母 Athasi (牝 1917 Farasi)
|アスフオード Athford (牡 1925 鹿毛 Blandford)
|Trigo (牡 1926 Blandford)
|Centeno (牝 1929 Blandford)
||Artist's Son (牡 1936 Gainsborough)
||Blue Mickie (牡 1945 Blue Peter)
|Harinero (牡 鹿毛 1930年 Blandford)
|プリメロ Primero (牡 1931 鹿毛 Blandford)
| Choclo (牝 1932 Blandford)
||Art Collection (牝 1938 Museum)
||Confection (牝 1948 Fun Fair)
|Harina (牝 1933 Blandford)
||Peak Halyard (牡 1942 Blue Peter)
||Ruth Pitcher (牝 1943 Blue Peter)
||Neocracy (牝 1944 Nearco)  
|||Tulyar (牡 黒鹿毛 1949年 Tehran)
|||セントクレスピン (牡 栗毛 1956年 Aureole)
||Lugano (牝 1945 Nearco)
|Avena (牝 1936 Blandford)
|| Oatflake (牝 1942 Coup de Lyon)
|||Milesian (牡 鹿毛 1953年 My Babu)
|| Jennifer (牝 1948 Hyperion)
|||Nagami (牡 栗毛 1955年 ニンバス)
|| Laura (牝 1949 Dante)
|Windsor Park (牝 1941 Windsor Lad)
||ヴイジールブラン Vigee le Brun (牝 1952 Tenerani)   
|||ナンバイチバン (牝 栗毛 1962年 Botticelli)
||Watteau (牡 1954 ニンバス)


備考[編集]

  1. ^ こちらは2頭の重賞優勝馬を出すにとどまった。
  2. ^ それ以前にはダイオライトが三冠馬セントライトで成し遂げていたのみだった。
  3. ^ 孫のダイゴホマレやショウグン、アシヤフジが1980年代初頭まで種牡馬として供用されていた。アシヤフジの仔で、道営競馬で走っていたピンクラブリーという馬が最後の後継種牡馬だったが、競走馬になった産駒は確認できない。

外部リンク[編集]