さくらコマース

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株式会社さくらコマース
sakura-com.
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
183-8536
東京都府中市宮西町2丁目5-1
設立 1951年3月
業種 小売業
法人番号 6012401000605
事業内容 食品や調味料の製造
食堂、売店の事業展開
代表者 全尚烈(ジョン・サンヨリ:代表取締役社長)
資本金 9,600万円
売上高 342億円(2014年度実績)
従業員数 484名(2015年4月時点)
決算期 3月
関係する人物 全演植(創業者)
外部リンク http://www.sakura-com.com/
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株式会社さくらコマースとは、東京都府中市に本社を置く企業。

パチンコ店スーパーマーケットさくら市場館」の経営を行う。

さくらグループ」として、焼肉たれなどを製造する食品メーカーモランボン」などの関連企業がある。

会社名義で競馬競走馬を保有し、「サクラ」の冠名をつけて走らせていることで知られている。

沿革[編集]

府中市多摩市を結ぶ鎌倉街道多摩川に架かる関戸橋の真横に位置していた「さくらサンリバー」(さくらコマース)。2006年解体撤去。
ゲームセンターカラオケボウリング場食品館を有する複合展開店舗であった。看板にモランボン、さくらの文字が見える。京王線中河原駅の駅舎にも近かったため電車内からも見えた。

会社の生みの親である、全演植(ジョン・ヨンシュク)・鎭植(ジンシク)兄弟は朝鮮全羅南道出身(演植は「慶尚南道生まれ」であるとする文献[1]も存在する)。

1941年[1]日本に渡り、太平洋戦争後に闇市での麦芽飴の製造販売を皮切りに、北多摩郡府中町(現:府中市)を拠点に各種事業を展開した。

1951年[2]3月、弟・鎭植は父と兄・演植の3人で「さくら遊技場」というパチンコ店を開店した。

1958年3月、スーパーマーケット「さくらコマース(当時:さくら食品デパート)」1号店がオープン[3][リンク切れ]

1993年12月、兄・演植が死去[4]。その息子の尚烈(サンヨリ)が1984年から会社を引き継いでいる。

2005年、焼肉店などの外食産業部門をグループ会社のモランボンへ移管し、さくらコマースとしては飲食店経営から撤退した。

社名の由来[編集]

全兄弟が朝鮮半島から日本に渡ったのが、が咲き始める3月であった。このことと、日本の地域住民に永く愛され商売をする意味で、日本人が好む桜の花にちなみ屋号に「さくら」を入れた。

また3月は兄弟が店を始め、演植が誕生および結婚した月でもあり[5]、3月にちなんで「第三さくら」「さくら三番館」など店名に「3」の数字を入れた店舗もある。

スーパーマーケット事業[編集]

2017年のくるまがえし店閉店により、現在営業する唯一の店舗となった。

過去の店舗[編集]

店舗所在地は昭島市松原町1-7-5。跡地は魚力市場昭島店。
店舗所在地は府中市白糸台5-25-1。
1976年、公団住宅(現・UR)車返団地内に「さくらコマース 車返店」として開店。
2014年6月のリニューアルにより「さくら市場館 くるまがえし店」と店名変更[7]。同時に、付近に出店していた日用品と酒販売専門の「げんき屋」も閉店。
跡地の建物には2018年2月15日、武蔵野台駅南口にも店舗のある丸正チェーン商事が「丸正くるまがえし店」として出店。

その他、所沢立川狛江国領調布市)、国立にも店舗を展開していたが、すでに撤退している。

パチンコ店[編集]

  • CHIKASAKU - さくら食品館 B1・1F(府中駅前)
  • CHIKASAKU II - さくら食品館 2F
  • スパークル 府中店 - くるる1F(府中駅前)
  • スパークルII 府中本町
  • スパークル 亀戸
  • スパークルII 一橋学園

過去の店舗[編集]

  • さくらセンター 調布国領店(国領駅)- 1998年9月閉店
さくらコマースと関連の深い、有限会社和田商会による経営。
国領駅南地区再開発事業により閉店。跡地にはココスクエアが建設された。
  • スパークル 一橋学園店(一橋学園駅北口) - 2014年3月23日閉店
  • さくらパーク 府中店(府中駅) - 2015年1月12日閉店
  • スパークル 上大岡店(上大岡駅)- 2015年9月13日閉店
  • パーラー宮西 - さくら三番館B1・1F(府中駅前)- 2018年2月12日閉店
府中駅南口市街地再開発事業計画による、さくら三番館解体にともない閉店[8]

シェアサイクル事業[編集]

  • さくらシェアサイクル のりすけ
2017年7月7日HELLO CYCLING(ハロー・サイクリング)のシェアサイクルサービスに参加する形で、シェアサイクル事業に進出した[9]

過去の事業[編集]

宮西ボウル - さくら三番館4Fにかつて存在した。2006年10月31日閉店。
さくらサンリバー(2006年解体。写真参照)にもボウリング場が存在した。

その他、喫茶店居酒屋なども経営していたが、いずれも撤退している。

関連企業[編集]

1972年設立。1980年、現社名へ社名変更。
  • さくら保険サービス - さくら三番館6F
1972年4月、さくらグループの保険代理店「府中損保株式会社」として設立。
1998年1月、現社名へ社名変更。

競馬とのかかわり[編集]

府中市に東京競馬場がある土地柄、1953年ごろより[2]おもに会社名義で競走馬を所有するようになった。馬券をよく買っていた兄・演植は生前、馬主になるときに父親から反対され「馬は持っても、馬券は買うな」と言われて悩んだと語っている[10]

中央競馬におけるさくらコマースの勝負服の色はピンクがベースで、競走馬名に「サクラ」の冠名を用いている[5]ことから、のちに同社の所有馬の総称としてサクラ軍団という名称が生まれた(なお、このような例はメジロ・マチカネ・マイネルなど、他にもある)。社名から冠名を取っている。

軍団最初の勝ち馬となったのはハヤサクラという名前のアングロアラブだった。その後次第に頭数も増え、重賞クラスで健闘する馬も登場し始め、1973年サクライワイが初の重賞勝ち馬となった。以降GI優勝馬を含め、数多くの重賞優勝馬を所有している。

かつてのサクラ軍団の競走馬は美浦境勝太郎厩舎に所属し、境勝太郎の娘婿でもあった小島太が騎乗することが非常に多かった。これは境、そして小島が全演植と親しかったことが影響している。しかしサクラのすべての馬が該当したわけではない。サクラショウリサクラスターオーは境厩舎の馬ではなかったし、サクラスターオーには小島はほとんど騎乗していない(そのころの小島が、早坂太吉率いる「モガミ軍団」に気が移りかけていたという事情があり、それに対して全が不快感を示した結果)。また境の息子の境征勝の厩舎に所属する競走馬もいた。騎手については小島のほか、東信二や境勝太郎厩舎所属の木藤隆行高橋明らも多く起用されていた。

境勝太郎が調教師を引退し、小島が調教師に転向した1996年ごろからは「サクラ=境・小島」という大方の構図は必ずしも当てはまらなくなった。その要因のひとつとして、小島がさくらコマース以外の馬主(西川清など)の所有馬を多く管理するようになったことが挙げられる。現在、さくらコマースの所有馬は栗東、美浦を問わずさまざまな厩舎で管理されている。

またサクラ軍団は地元の東京競馬場での勝利が目立ったが、境勝太郎の調教師引退以降は東京競馬場での重賞競走に縁がなく、サクラキャンドル府中牝馬ステークスを勝利したあとサクラセンチュリーアルゼンチン共和国杯を勝利するまで9年の空白期間があった。

さくらコマース所有の競走馬一覧(重賞優勝馬)[編集]

サクラといえば牡馬。そして「サクラ○○○オー」という名の馬が多い。サクラ軍団の活躍馬には伝統的に豊かなスピードをもつ競走馬が多く、サクラユタカオーサクラバクシンオーなど距離ごとのレコードホルダーとなった馬もいる。伝統的にステイヤー育成に力を入れたメジロ牧場との対比として「スピードのサクラ、スタミナのメジロ」という対比がなされたこともある。

2009年7月26日終了時点で中央競馬重賞74勝。

脚注[編集]

  1. ^ a b 日本中央競馬会『優駿』1985年12月号、p.72
  2. ^ a b 『優駿』1985年12月号、p.73
  3. ^ さくらの歴史 〜さくら祭りと車返店〜” (日本語). さくらの星☆ブログ. さくらコマース (2010年3月24日). 2012年2月6日閲覧。
  4. ^ 中央競馬を振り返る” (日本語). 競馬ニホン (1993年12月). 2012年2月6日閲覧。
  5. ^ a b 『優駿』1985年12月号、p.75
  6. ^ さくら市場館くるまがえし店 閉店のお知らせ 41年間のご愛顧ありがとうございました さくらコマース 公式サイト
  7. ^ さくら市場館 くるまがえし店 リニューアルのお知らせ さくらコマース 公式サイト
  8. ^ パーラー宮西 閉店のご挨拶 P-WORLD パーラー宮西
  9. ^ 「のりすけ」に乗ってみました! 2017年8月4日 さくら保険サービス 公式ブログ
  10. ^ 『優駿』1985年12月号、pp.73-74
  11. ^ 「フォト・トピックス『噂のマドモアゼル、サクラレイコ フランスGI、モルニー賞制覇!』」、『優駿』、日本中央競馬会、1986年10月、 96頁。
  12. ^ 2015年オーシャンステークスレース結果 - netkeiba、2015年3月10日閲覧

参考文献[編集]

  • 全鎭植著『わが朝鮮 私の日本』平凡社
  • 全鎭植著『オンドル夜噺』平凡社
  • 「馬家先生のパカパカ問答(10) ゲスト 全演植さん」、『優駿』、日本中央競馬会、1985年12月、 72-76頁。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]