マヤノトップガン
| マヤノトップガン | |
|---|---|
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1996年3月9日 阪神競馬場 | |
| 品種 | サラブレッド |
| 性別 | 牡 |
| 毛色 | 栗毛 |
| 生誕 | 1992年3月24日(27歳) |
| 登録日 | 1994年3月17日 |
| 抹消日 | 1997年12月1日 |
| 父 | ブライアンズタイム |
| 母 | アルプミープリーズ |
| 母の父 | Blushing Groom |
| 生国 |
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| 生産 | 川上悦夫 |
| 馬主 | 田所祐 |
| 調教師 | 坂口正大(栗東) |
| 調教助手 | 大村真哉→福留健一 |
| 厩務員 | 足立信之 |
| 競走成績 | |
| 生涯成績 | 21戦8勝 |
| 獲得賞金 | 8億1039万円 |
マヤノトップガンは日本の元競走馬、種牡馬。主な勝ち鞍は菊花賞、有馬記念、宝塚記念、天皇賞(春)。4つのGI競走をそれぞれ違う戦法で勝つという変幻自在の脚質が特徴。1995年に年度代表馬に選ばれている。
※年齢は旧表記
目次
戦績[編集]
4歳(1995年)[編集]
マヤノトップガンのデビュー戦は1995年1月8日のダートの新馬戦。鞍上は武豊が務め、単勝1番人気に支持されたが、後の桜花賞馬ワンダーパヒュームに敗れて5着に終わった。その後、ダート戦を2戦するも勝てず、4戦目の3月25日の未勝利戦でようやく初勝利を挙げた。
初勝利後も脚部にソエが見られたため、陣営の判断によりダート1200メートルのレースを使い続けたがなかなか勝てず、7戦目となる5月28日(同年の日本ダービー当日)の500万下のレースで2勝目を挙げた。その後、初の芝レースとなる900万下(現・1000万下)のロイヤル香港ジョッキークラブトロフィーで3着に入り、芝コースへの適性の不安を解消したマヤノトップガンは次走のやまゆりステークス(900万下)で3勝目を挙げ、芝転向を決定づけるとともに本格化の兆しが見え始めた。秋は4歳クラシックの最終戦である菊花賞を目指し、菊花賞トライアル初戦・神戸新聞杯に出走、タニノクリエイトの2着に入り、出走権を獲得した。続くもう1つの菊花賞トライアル・京都新聞杯にも出走し、ナリタキングオーの2着と好走した。
この年の菊花賞は、ダービー馬のタヤスツヨシが秋になって不調に陥り、皐月賞馬のジェニュインは距離適性から天皇賞(秋)に回ったことで、主役不在の混戦となっていた。この時の1番人気は牝馬ながら菊花賞に挑戦してきたオークス馬ダンスパートナー、2番人気はトライアルの京都新聞杯を制したナリタキングオーであった。マヤノトップガンはトライアルでは勝ちきれなかったものの3番人気に推されていた。レースではスタート直後に4番手につけ、道中はその位置をキープし続けた。そして、第4コーナーで一気に先頭に立つと、直線では後続を寄せ付けず、当時のレースレコードで優勝した。
菊花賞後、ここまで数多くのレースを使ってきたことから、陣営は年末の大一番・有馬記念へはなかなか出走の意思を明確にしなかったが、状態が悪くなかったことから出走を決断。出走馬に実績のある馬が多く、GIを1勝しただけで信頼が厚くないこと、状態が絶好調ではなかったことから、ヒシアマゾンや三冠馬ナリタブライアンより人気がなく、6番人気にとどまった。しかし、レースではスタート直後に先頭に立つとスローペースに落とし、ゴールまで他馬の追随を許さず、そのまま逃げ切り勝ちを収めた。
騎乗していた田原成貴は菊花賞と有馬記念でゴールをしたときに「十字を切って投げキッス」というパフォーマンスを演じたが、これは同年に凱旋門賞をラムタラで制したランフランコ・デットーリの真似である。後輩の騎手たちに「勝ったらやってくださいよ」と言われていたためにやった、と田原は後年、自らのエッセイで記している。マヤノトップガンはGIを2勝したことが決め手となり、1995年度の年度代表馬、JRA賞最優秀4歳牡馬(部門名は当時)に選ばれている。
5歳(1996年)[編集]
マヤノトップガンは阪神大賞典から始動。このレースには前年秋の不振からの復活を期すナリタブライアンも出走し、2頭の年度代表馬対決として競馬ファンの注目を集めた。レースは期待に違わずマヤノトップガンとナリタブライアンのマッチレースとなる。残り600メートルの標識付近から他馬を引き離して互いに譲らず、最後はアタマ差の2着という決着になった。2着のマヤノトップガンと3着ルイボスゴールドとの差は9馬身も離れていた。2頭の実力馬が激しく鎬を削ったこの第44回阪神大賞典は、のちに日本中央競馬会 (JRA) のCMにも使われたほどの名勝負として語り継がれることになるが、このレースについて田原は「所詮はステップレース」と、名勝負と囃す世評に疑問を呈している。
次の天皇賞(春)では、単勝オッズがナリタブライアンが1.7倍、マヤノトップガンが2.8倍と2頭が抜けた人気になったが、3番人気(14.5倍)のサクラローレルが優勝し、折り合いを欠いたマヤノトップガンは5着に敗れた。敗因について、マヤノトップガンを管理していた調教師の坂口正大は、調教にミスがあったと語っている。
天皇賞後、陣営が次走に選んだのは宝塚記念であった。この年の宝塚記念は前年に発生した阪神・淡路大震災の復興支援競走として行われた。有力馬の回避が相次いだため、マヤノトップガンは圧倒的な1番人気となるが、鞍上の田原がムチを入れることもなく快勝、見事1番人気に応えた。また、馬主の田所祐も大震災で大きな被害を受けており、地元の摩耶山から冠名をとったマヤノトップガンの勝利は被災者に勇気を与えた。
秋はオールカマーから始動。サクラローレルと人気を二分(両馬とも単勝オッズ1倍台)するも4着と完敗。天皇賞(秋)では先行し接戦のなか2着と踏ん張ったが、有馬記念ではサクラローレルの快勝の前に7着と惨敗した。マヤノトップガンが中山コースで2戦とも惨敗したことについて、坂口は当時の中山は力のいる馬場になっていて、トップガンには合わなかったと語っている。
6歳(1997年)[編集]
マヤノトップガンは昨年と同じく阪神大賞典から始動。前年からマヤノトップガンの騎乗で悩んでいた田原は、このレースでそれまでの先行策とは一転して初めて最後方からの競馬を試みた。観客からどよめきが起きるほどの驚きを与えたが、マヤノトップガンは3コーナー過ぎから馬なりのまま他馬を交わしていき、4コーナーで先頭に立つとそのまま後続を突き放し圧勝した。そして天皇賞(春)では、先行していたサクラローレルとマーベラスサンデーの2頭を大外から豪快に差し切り、GI4勝目を挙げた。マヤノトップガンがこの時記録した勝ちタイム3分14秒4は1993年にライスシャワーが記録した3分17秒1を2秒7も更新する世界レコードだった。(詳細は第115回天皇賞参照)
天皇賞後、マヤノトップガンはジャパンカップを最終目標として京都大賞典から復帰する予定だったが、調教中に左前脚に浅屈腱炎を発症したため、9月25日に現役引退が発表され、種牡馬入りすることとなった。
競走成績[編集]
| 年月日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 頭 数 |
枠 番 |
馬 番 |
オッズ (人気) |
着順 | 騎手 | 斤量 | 距離(馬場) | タイム (上り3F) |
タイム 差 |
勝ち馬/(2着馬) | ||
| 1995 | 1. | 8 | 京都 | 4歳新馬 | 16 | 7 | 13 | 1.7(1人) | 5着 | 武豊 | 55 | ダ1200m(良) | 1:14.9 (38.9) | 1.1 | ワンダーパヒューム | |
| 2. | 19 | 京都 | 4歳未勝利 | 14 | 2 | 2 | 7.6(4人) | 3着 | 田原成貴 | 55 | ダ1200m(良) | 1:14.2 (37.6) | 0.4 | スタースワロー | ||
| 3. | 11 | 京都 | 4歳未勝利 | 8 | 1 | 1 | 1.8(1人) | 3着 | 武豊 | 55 | ダ1200m(稍) | 1:14.2 (36.6) | 0.7 | ポリシュアドミラル | ||
| 3. | 25 | 京都 | 4歳未勝利 | 14 | 2 | 2 | 2.0(2人) | 1着 | 武豊 | 55 | ダ1200m(良) | 1:13.0 (37.2) | -0.2 | ポリシュアドミラル | ||
| 4. | 15 | 京都 | 4歳500万下 | 14 | 4 | 6 | 6.8(3人) | 3着 | 武豊 | 55 | ダ1200m(重) | 1:12.6 (37.1) | 0.3 | フサイチビクトリー | ||
| 5. | 7 | 京都 | 4歳500万下 | 11 | 4 | 4 | 5.2(4人) | 3着 | 田原成貴 | 55 | ダ1200m(良) | 1:12.1 (36.1) | 0.6 | ワカサアイネス | ||
| 5. | 28 | 中京 | 4歳500万下 | 11 | 7 | 8 | 8.2(4人) | 1着 | 田原成貴 | 55 | ダ1700m(良) | 1:46.8 (38.2) | -1.2 | (キタサンシルバー) | ||
| 6. | 18 | 中京 | 香港JC杯 | 13 | 8 | 13 | 15.3(5人) | 3着 | 田原成貴 | 55 | 芝2000m(良) | 2:01.3 (36.6) | 0.1 | フェアダンス | ||
| 7. | 9 | 中京 | やまゆりS | 13 | 6 | 2 | 5.2(2人) | 1着 | 田原成貴 | 54 | 芝1800m(良) | 1:49.8 (36.0) | -1.2 | (スリリングアワー) | ||
| 9. | 17 | 京都 | 神戸新聞杯 | GII | 14 | 8 | 14 | 13.5(5人) | 2着 | 田原成貴 | 56 | 芝2000m(良) | 1:59.8 (36.2) | 0.0 | タニノクリエイト | |
| 10. | 15 | 京都 | 京都新聞杯 | GII | 15 | 6 | 11 | 4.4(2人) | 2着 | 田原成貴 | 56 | 芝2200m(良) | 2:11.5 (34.5) | 0.1 | ナリタキングオー | |
| 11. | 5 | 京都 | 菊花賞 | GI | 18 | 5 | 10 | 6.5(3人) | 1着 | 田原成貴 | 57 | 芝3000m(良) | R3:04.4 (35.9) | -0.2 | (トウカイパレス) | |
| 12. | 24 | 中山 | 有馬記念 | GI | 12 | 7 | 10 | 13.0(6人) | 1着 | 田原成貴 | 55 | 芝2500m(良) | 2:33.6 (35.3) | -0.3 | (タイキブリザード) | |
| 1996 | 3. | 9 | 阪神 | 阪神大賞典 | GII | 10 | 8 | 10 | 2.0(1人) | 2着 | 田原成貴 | 58 | 芝3000m(良) | 3:04.9 (34.5) | 0.0 | ナリタブライアン |
| 4. | 21 | 京都 | 天皇賞(春) | GI | 16 | 4 | 7 | 2.8(2人) | 5着 | 田原成貴 | 58 | 芝3200m(良) | 3:18.8 (36.1) | 1.0 | サクラローレル | |
| 7. | 7 | 阪神 | 宝塚記念 | GI | 13 | 6 | 9 | 2.0(1人) | 1着 | 田原成貴 | 58 | 芝2200m(良) | 2:12.0 (34.6) | -0.2 | (サンデーブランチ) | |
| 9. | 15 | 中山 | オールカマー | GII | 9 | 6 | 6 | 1.8(1人) | 4着 | 田原成貴 | 59 | 芝2200m(重) | 2:17.6 (37.6) | 0.9 | サクラローレル | |
| 10. | 27 | 東京 | 天皇賞(秋) | GI | 17 | 4 | 8 | 8.1(4人) | 2着 | 田原成貴 | 58 | 芝2000m(良) | 1:59.1 (35.1) | 0.5 | バブルガムフェロー | |
| 12. | 22 | 中山 | 有馬記念 | GI | 14 | 3 | 3 | 5.9(2人) | 7着 | 田原成貴 | 57 | 芝2500m(良) | 2:35.3 (38.3) | 1.5 | サクラローレル | |
| 1997 | 3. | 16 | 阪神 | 阪神大賞典 | GII | 8 | 8 | 9 | 1.9(1人) | 1着 | 田原成貴 | 59 | 芝3000m(稍) | 3:07.2 (37.1) | -0.6 | (ビッグシンボル) |
| 4. | 27 | 京都 | 天皇賞(春) | GI | 16 | 2 | 4 | 3.7(2人) | 1着 | 田原成貴 | 58 | 芝3200m(良) | R3:14.4 (34.2) | -0.2 | (サクラローレル) | |
※タイム欄のRはレコード勝ちを示す。
種牡馬として[編集]
引退後、マヤノトップガンは種牡馬となり、北海道の優駿スタリオンステーションに繋養される。 マヤノトップガンがまだ現役だった1997年3月3日に7億2000万円の種牡馬シンジケートが組まれたと発表されたこともあり、ブライアンズタイムの後継種牡馬として、初年度から期待されていた。ブライアンズタイム系の種牡馬としては、初年度産駒からウオッカを送り出したタニノギムレットに次ぐ実績を挙げている。芝、ダートともに問題なく、距離も短距離馬から長距離馬まで幅広い産駒を出している。また、活躍馬のなかには父同様初勝利まで時間がかかっても、その後持続的に好成績を挙げるパターンも目立つ。裏を返すと総じて晩成気味であり、2歳時から目立つ成績を挙げる馬は少ない。また、最初のうちは牝馬の活躍馬が少なかったが、2006年にハロースピードがデビューから2連勝を飾るなどして、活躍馬が出始めている。
後継種牡馬に恵まれていなかったが、2009年よりチャクラが種牡馬入りしている。
2015年3月11日付で種牡馬登録を抹消、功労馬として余生を送ることになった[1]。
おもな産駒[編集]
グレード制重賞優勝馬[編集]
- 1999年産
- 2000年産
- チャクラ(ステイヤーズステークス、目黒記念、種牡馬)
- 2002年産
- メイショウトウコン(東海ステークス、ブリーダーズゴールドカップ、平安ステークス、エルムステークス、名古屋大賞典)
- トップガンジョー(エプソムカップ、新潟記念)
- ホッコーパドゥシャ(新潟記念、サマー2000シリーズ2009優勝)
- 2003年産
- 2007年産
- デンコウオクトパス(東京ハイジャンプ、東京ジャンプステークス、京都ジャンプステークス)
- マサノブルース(京都ジャンプステークス)
- 2008年産
- ムスカテール(目黒記念)
地方重賞優勝馬[編集]
顕彰馬の選出[編集]
顕彰馬(競馬の殿堂入り)の目安とされるGIを4勝しているが、顕彰馬には選出されていない。ただし、顕彰馬については2001年に選考制度が変更されたこともあり、GIを7勝したテイエムオペラオーでも選出されるまでに引退後3年も掛かったり、4勝を挙げたスペシャルウィークやグラスワンダー、シンボリクリスエス、日本国外やダートグレード競走を含めればGI6勝のアグネスデジタルでも選出されておらず、以前よりも選出されにくくなったことも影響している。
エピソード・特徴[編集]
- 成績には前述のとおりムラがあったが、これはマヤノトップガンの気性難から来るものであったと田原成貴は認めている。
- マヤノトップガンの特徴ともいえるのが脚質の自在性で、勝った4度のGI競走では、好位抜出、逃げ切り、4角先頭、直線強襲という異なる戦法で勝っている。これもマヤノトップガンの気性難から来るもので、事前に作戦を決めずに、スタート後の馬の状況に合わせて位置取りを変えていたためである[2]。
- マヤノトップガンの引退した翌年、人気にあやかってかアングロアラブ種の競走馬で「マノノトップガン」(1996年生)という名で登録をした馬がいた。当該馬は姫路競馬場(兵庫県競馬組合)の白鷺賞、荒尾競馬の九州アラブグランプリやアラブ大賞典を制した。また、ばんえい競馬で「ヤマノトップガン」(1995年生)という馬がオープン馬として活躍した。
- 日本中央競馬会が2000年に実施した「Dream Horses 2000」のファン投票において、マヤノトップガンは「20世紀の名馬100」に15位で選ばれている。
血統表[編集]
| マヤノトップガンの血統ロベルト系 / Nasrullah5×4=9.38%・Nearco5×5=6.25%・Alibhai5×5=6.25% | (血統表の出典)[§ 1] | |||
| 父系 | ロベルト系 |
[§ 2] | ||
父 *ブライアンズタイム Brian's Time 1985 黒鹿毛 |
父の父 Roberto1969 鹿毛 |
Hail to Reason | Turn-to | |
| Nothirdchance | ||||
| Bramalea | Nashua | |||
| Rarelea | ||||
父の母 Kelley's Day1977 鹿毛 |
Graustark | Ribot | ||
| Flower Bowl | ||||
| Golden Trail | Hasty Road | |||
| Sunny Vale | ||||
母 *アルプミープリーズ Alp Me Please 1981 栗毛 |
Blushing Groom 1974 栗毛 |
Red God | Nasrullah | |
| Spring Run | ||||
| Runaway Bride | Wild Risk | |||
| Aimee | ||||
母の母 Swiss1974 栗毛 |
Vaguely Noble | *ヴィエナ | ||
| Noble Lassie | ||||
| Gala Host | My Host | |||
| Huspah F-No.14-a | ||||
| 母系(F-No.) | 14号族(FN:14-a) | [§ 3] | ||
| 5代内の近親交配 | Nasrullah4×5、Alibhai5×5、Nearco5×5 | [§ 4] | ||
| 出典 |
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出典[編集]
- ^ マヤノトップガンが種牡馬引退 - 競馬ブック 2015年4月16日閲覧
- ^ 田原成貴『八百長』(ベストセラーズ)
外部リンク[編集]
- 競走馬成績と情報 netkeiba、Yahoo!スポーツ競馬、JBISサーチ、Racing Post
- マヤノトップガン - 競走馬のふるさと案内所
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