グリーングラス

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グリーングラス
欧字表記 Green Glass
品種 サラブレッド
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 1973年4月5日
死没 2000年6月19日(28歳没・旧表記)
インターメゾ
ダーリングヒメ
母の父 ニンバス
生国 日本の旗 日本
青森県上北郡天間林村
生産 諏訪牧場
馬主 半沢吉四郎
調教師 中野吉太郎(中山
中野隆良(中山→美浦
競走成績
タイトル 優駿賞年度代表馬(1979年)
優駿賞最優秀5歳以上牡馬(1979年)
生涯成績 26戦8勝
獲得賞金 3億2845万1400円
勝ち鞍 菊花賞(1976年)
天皇賞(春)(1978年)
有馬記念(1979年)
アメリカジョッキークラブカップ(1977年)
日本経済賞(1977年)
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グリーングラス1973年4月5日 - 2000年6月19日)は、日本中央競馬会に所属していた競走馬種牡馬テンポイントトウショウボーイと共に、3頭の馬の頭文字を取って「TTG」と称され、三強の一角を担った。クラシック戦線最後の菊花賞で花開いた晩成の馬で、名前から「緑の刺客」と呼ばれた。

妹は1979年クイーンステークスの勝ち馬・ハザマファースト。半妹のダーリングタイムの産駒・ダーリンググラス中央競馬招待報知オールスターカップ川崎記念浦和記念ゴールドカップなどの勝ち馬で、1983年第3回ジャパンカップに地方代表として出走。結果は10着であった。

馬齢2000年まで使用されていた旧表記(数え年)を用いる。

生涯[編集]

誕生・デビュー前[編集]

1973年4月5日青森県上北郡天間林村の諏訪牧場[1]で誕生。父・インターメゾハイペリオン系イギリス産馬で、1969年セントレジャーステークスを勝ち、同年のフリーハンデ長距離部門で1位になった。競走馬引退後間もなく中央競馬会により購入されて4歳のうちに来日し、1971年日本軽種馬協会七戸種馬場で供用を開始。グリーングラスがセカンドクロップに当たる新種牡馬で、他の代表産駒としては毎日王冠を勝って天皇賞(秋)を1番人気に支持されたタカラテンリュウ、3歳時に大井で5戦5勝し、4歳春に「ハイセイコーの再来」と称されて中央に移籍したステイードなどがいる。グリーングラスの活躍はインターメゾの種牡馬人気を高めたが、全日本種牡馬ランキングは、タカラテンリュウが重賞を3勝した1983年の22位が最高であった。後にブルードメアサイアーとしてはサクラスターオースーパークリークを輩出するなど、競走馬としても種牡馬としても長距離色が強かった。1991年に種牡馬を引退。正確な没年は不明だが、1994年1995年頃に28歳または29歳で死去したと見られる。母・ダーリングヒメ英ダービー2000ギニーの二冠を制したニンバス産駒で、1968年七夕賞福島大賞典を勝った活躍馬。夏のローカル開催に強かったことから「夏女」と呼ばれた。曾祖母のダーリングトキノミノルの1歳上の全姉。牧場主の間梯三によれば、当歳時は「ホレボレするような馬」で、「欲しいという人が何人もいて、どこに行かせたらよいか困った」というほど際立っていた。2歳時の1974年春になると背が伸びだし、10月の時点で体高[2]は163cmに達していた[3]。後に管理調教師となる中野吉太郎は「キュウリにワリバシを刺したみたいだ」とよく口にしていたが[4]、競走馬引退時には体高170cmに達しており、細身の馬体は曾祖母ダーリングの系統の特徴という[5]。馬主の半沢吉四郎[6]勝負服製作メーカー「河野テーラー」の2代目・河野政平と牧場を訪れた際に購入を決め[7]11月に半沢の地元である福島競馬場へ入厩。調教の動きから早くから評判となり、3歳時の1975年4月になると遠征中の増沢末夫が毎朝自主的に調教を買って出たりしている。半沢によればこのとき増沢は「ハイセイコー以上」とコメントし[8]、後に菊花賞をグリーングラスで制した安田富男も福島に遠征してきており、この頃から同馬への騎乗を希望していた[9]。当初は「ジュリアスシーザー」で馬名申請をしたが申請が通らず、2度目は「アランドロン」で申請するも当然却下され、3度目の「グリーングラス」でようやく決定。その後は中山・中野吉太郎厩舎へ入厩したが[注 1]、デビュー前に肺炎をこじらせてしまったため、3歳時は未出走に終わる。

競走馬時代[編集]

4歳(1976年)[編集]

1976年1月31日郷原洋行を鞍上に東京でデビュー戦を迎え、2番人気に支持されたが4着に終わる。1番人気で楽勝したのは、後にライバルとなるトウショウボーイである。トウショウボーイとの間にミスターシービーを産むシービークインも出走し5着であった。2走目の新馬戦も4着に敗れ、3月13日に行われた3戦目の未勝利戦でようやく初勝利を飾るが、続く300万下では初めての不良馬場に泣き4着。その後は中野吉太郎厩舎から実子の中野隆良厩舎に転厩し、日本ダービー出走へ僅かな望みをかけて出走したNHK杯では1勝馬ながら5番人気に支持されたが、勝ち馬のコーヨーチカラから1.5秒も離された12着と大敗。トウショウボーイが既に皐月賞を勝ち、日本ダービー2着となってクラシック戦線の主役であったのに対し、グリーングラスの春はほとんど無名であった。6戦目に鞍上を郷原から安田に替え、ダービー翌週のあじさい賞(300万下)で2勝目を挙げると、岡部幸雄が初めて騎乗したマーガレット賞(600万下)は2着、鞍上を安田に戻した中距離ハンデキャップ(600万下)も2着であった。関西でトウショウボーイが京都新聞杯を勝利した日と同じ10月24日、中山で行われた鹿島灘特別(600万下)を写真判定の末にアタマ差で制し、ようやく3勝目を挙げた。2着馬は初勝利及び2勝目の時と同じシマノカツハルであり、菊花賞の3週間前の出来事であった。当時菊花賞へ出走するには獲得賞金がぎりぎりの状態であり、グリーングラスを上回る獲得賞金の馬が出走表明をした場合、その時点で菊花賞への出走は絶たれるという微妙な状態であった。迎えた11月14日の菊花賞は獲得賞金順で21頭中21番目、回避馬による繰り上がりで出走。まさに滑り込みであったが、中野は後に「レースで立て続けに不利を被るなど馬自身に運がなかったが、鹿島灘特別を写真判定で勝ってから勝負運が激変した」と語っている[10]。レースは皐月賞馬・トウショウボーイ、ダービー馬・クライムカイザー、関西の期待を背負う実績馬・テンポイントが三強を形成。トウショウボーイは天性のスピード馬だけに重馬場の3000mは不安もあったが、鞍上に「天才福永洋一を得てまさに盤石と思われ、単勝オッズは1.8倍と抜けていた。クライムカイザーは皐月賞から全くトウショウボーイと同じローテーションであったが、ダービー以外は全てトウショウボーイの後塵を浴びており、こちらも父は短距離血統のヴェンチアと距離に不安があった。この2頭が史上初の2頭同時の単枠指定となり、場外発売の小倉競馬場でこの2頭の組み合わせ1点を3000万円余も買った人がいたことが話題になった。一方のテンポイントはダービー7着後に骨折が判明して休養したが、復帰戦の京都大賞典で古馬に混じって3着と復活の気配を見せていた。この三強の後にはイットーの半弟でセントライト記念を勝ったニッポーキング京王杯AHで最下位人気ながら古馬を一蹴した抽選馬ライバフットと続いた。グリーングラスは鞍上の安田が京都で騎乗するのが初めてということもあって12番人気に過ぎなかったが、前日夜半からかなり降った雨による馬場の悪化に安田は密かな希望を抱く。グリーングラスの2勝目、3勝目は共に芝2000mで重馬場での勝利であり、その2戦とも手綱を取っていた安田は、本番当日の早朝には自らの足で芝コースを歩いてその緩み具合を確認し、競馬が始まると関係者席から各レースの馬や騎手の動きを凝視[11]。レースはトウショウボーイとテンポイントが好スタートを切り、押し出されるように先頭、2番手で場内が沸く。外からバンブーホマレセンターグッドの8枠2頭が行き、トウショウボーイとテンポイントはすぐさま下げる。前に馬がいて、トウショウボーイが絶好の展開に持ち込んだかに見えたが、テンポイント騎乗の鹿戸明がぴったりと貼りついた。グリーングラスは11番枠からのスタートであったが、1周目の4コーナーでは早くも内ラチ沿いの6、7番手に潜り込むと、道中も好位のインをキープ。対して三強は互いの位置を確認し合いながらの心理戦を繰り広げ、2周目の3コーナーの坂で馬群の外めへ持ち出して動き出す。先に先頭に立ったのはトウショウボーイで、すかさずテンポイントが続き、後方からクライムカイザーが上がりを見せ、4コーナーでは三強が雁行状態となる。最後の直線ではテンポイントがトウショウボーイを交わして最後の一冠を手にすると思われた瞬間、直線半ばからインコースをするすると伸びて捕らえると、テンポイントに2馬身半の差を付けて優勝。熱烈なテンポイントファンでこのレースを実況していた杉本清(当時・KTVアナウンサー)は僅かに絶句した後、絞り出すような声でグリーングラスの勝利を告げている。場内の観衆は黒鹿毛な大柄な馬体に名前と同じ緑色のメンコをつけたグリーングラスが勝つのを見て言葉を失ったが、後に「遅れてきた青年」と呼んだ。レース後、グリーングラスの勝利をフロック視する声に対して、武田文吾は「空を飛ぶような末足だった」とこれを否定。この菊花賞はTTGが初めて顔を揃えたレースでもあり、三強時代の幕開けと言えるレースとなった。鞍上の安田はクラシック初騎乗で初勝利と言う偉業を達成し、生涯唯一のGI級レース&八大競走[12]制覇となったほか、後にJRA全場重賞制覇を達成した安田にとって、これが唯一の京都での重賞勝ちでもあった。グリーングラスの単勝5250円は2019年現在でも菊花賞の単勝最高払い戻し金額であり、枠連は8030円とこれまた大波乱であった。有馬記念は予備登録すらしておらず、菊花賞が4歳最後のレースとなった。

5歳(1977年)[編集]

1977年1月23日アメリカジョッキークラブカップから始動し、前年の秋の天皇賞馬・アイフル、セントライト記念・クモハタ記念を勝っていたニッポーキングに次ぐ3番人気に推された。レースではそれらを向こうに回し、3コーナー大捲りで直線粘り込むという強い競馬で2着のヤマブキオーに2馬身1/2の差を付け、2分26秒3のレコードタイムで完勝。菊花賞がフロックでないことを証明し、後に中野は「グリーングラスが勝ったレースでは一番強かった」と評している[13]。4着のハーバーヤングに騎乗していた岡部も「向こう正面の坂のあたりから行ってもっちゃうんだから。(...)馬力が違うっていう感じだった。」と語っている[14]。5着は菊花賞以来2度目の対戦で、グリーングラスと同じく始動戦のクライムカイザーであった。鞍上はデビュー以来手綱を取っていた加賀武見から、初騎乗の柴田政人に乗り替わっていた。このレース以降、グリーングラスは両前の球節など慢性的な脚部不安に苦しめられる[15]。続く目黒記念(春)では60kgを背負って1番人気に推されたが、当時オープンクラスに昇格したばかりのカシュウチカラに2馬身差の2着。天皇賞(春)は2ヶ月前より栗東坂口正大厩舎に滞在して調整したが、中間に歯替わりと虫歯で順調さを欠き、レースでも菊花賞同様インコースを突くもテンポイントの雪辱を許す4着に敗れる。トウショウボーイは関西に移動はしたものの、直後に右肩に不安が出たため不出走となり、続く第18回宝塚記念がTTG二度目の顔合わせとなった。6頭立てながらアイフル・クライムカイザー・ホクトボーイと実力馬が揃い、TTGが上位人気を分け合った。結局逃げたトウショウボーイが勝利、2着テンポイント、グリーングラスは3着に終わる。5歳を迎え充実期を迎えつつあった両馬にはかなわなかった。その後は嶋田功に乗り替わり、7月3日日本経済賞をレコードタイムで勝利。その後に夏負けしたため、秋は前哨戦を叩かずにぶっつけで11月27日の天皇賞に出走。脚部不安と熱発もあり、休養明けと順調さに欠いたものの、トウショウボーイに次ぐ2番人気となる。レースでは向こう正面よりトウショウボーイと競り合う形で暴走して末脚を無くし、両者共倒れで後方に待機していたホクトボーイの5着に敗れる[16]。続く12月18日第22回有馬記念はTTG三度目、そして最後の顔合わせとなる。レースは最終的にテンポイントとトウショウボーイの歴史的なマッチレースとなり、結果は1着テンポイント、2着トウショウボーイであった。グリーングラスはスタートで隣の枠のスピリットスワプスに寄られる不利があり、トウショウボーイに半馬身まで迫る3着がやっとであったが、4着の菊花賞馬・プレストウコウは6馬身もの差をつけられており、TTに肉薄できたのは唯一この馬だけで、負けはしたものの三強と呼ばれるに相応しい実力を見せた。このレースについて後に安田は、内に入れていればグリーングラスは勝っていた旨を述べており、騎乗していた嶋田も最後の直線、内に切れ込んでしまい追い切れなかったと発言している。ただし当時、この時期の中山は内が極端に荒れており、内ラチ沿いを走らせる騎手は皆無であった。その後、トウショウボーイは引退し、TTGが2度と揃うことはなかった。テンポイントは1978年第25回日本経済新春杯で故障し、闘病生活の末に死亡している。

6歳(1978年)[編集]

1978年はTTの2頭がターフを去っていよいよグリーングラスの天下かと思われたが、脚部不安の深刻化で満足が行く調教も出来ない状態となる。同年もAJCCから始動するもカシュウチカラにクビ差の2着、落馬負傷の嶋田から4歳時以来の騎乗となる岡部に乗り替わったオープンでは3着。右前脚の深管が痛んで順調さを欠いていたが、天皇賞(春)の直前調教で状態が一変し、本番では1番人気に支持された。レースはこれといって逃げ馬の存在がなく、4、5頭が並んで出ていった。スタートの良かったグリーングラスはその並びの先頭にいたが、並びの中からビクトリアシチーロングイチーが行くと、グリーングラスは内で他馬が行くままに3番手に下げる。最大のライバルと目されていたプレストウコウは中団、3番人気のカシュウチカラは最後方に付けていたが、最初の3コーナーから4コーナーを回る際に場内が騒然となる。プレストウコウが馬群の中で鞍ずれを起こし、立ち上がって失速したのである。鞍上の郷原は立ち上がった状態のまま騎乗し、直線へ入ると、馬群から避難させるようにプレストウコウを出す。プレストウコウは失速しても走り続けるが、大きく遅れて競走を中止。場内が異様なざわめきに包まれる中、キングラナークハッコウオーが先頭に立つ。グリーングラスは内ラチぴったりに4、5番手の好位を進むが、向こう正面に入って流れがさらに一転。グリーングラスが一気に先頭に立ち、3コーナーの坂で外から猛然とカシュウチカラが追い上げる。カシュウチカラの鞍上・出口明見はプレストウコウの戦線離脱を見ており、的を前のグリーングラスに絞っていた。出口騎乗のカシュウチカラがグリーングラスに襲いかかると、2頭が激しく鍔迫り合いをして直線に入る。直線でグリーングラスが一気に後続を突き放すと、懸命にカシュウチカラも追った。内からトウフクセダンが恐ろしいまでの勝負根性で馬群をかき分け、前の2頭に迫る。逃げるグリーングラスと追うカシュウチカラ、トウフクセダンの3頭の争いとなり、他馬は7馬身もちぎられる。トウフクセダンがカシュウチカラの僅か前に出て、2頭が併せ馬でグリーングラスに迫るが、あと1馬身差のところがゴール。結果はグリーングラスが二つ目の八大競走勝ちを収め、鞍上の岡部も天皇賞を初制覇。この後は故障が更に悪化するが、続く宝塚記念ではファン投票第1位で選出される。エリモジョージ・ホクトボーイと共に天皇賞馬三つ巴の対決となり、1番人気に支持されたが、エリモジョージの逃げを捕らえきれず2着。有馬記念は脚部不安と感冒によりぶっつけで挑むことになり、半年ぶりながら3番人気に推されたが、スローペースに翻弄されてカネミノブの6着に敗れた。

7歳(1979年)[編集]

同年のグリーングラスは更に脚部不安に苦しめられる。3年連続参戦のAJCCで2着に入り、4ヶ月ぶりのぶっつけで挑んだ宝塚記念はダービー馬・サクラショウリの3着。この時は非常に状態が悪かったが、騎乗していた岡部は(休み明けであれだけのレースが出来れば)「もう暮れの有馬記念は勝つだろうと思っていた」という[17]。結局この2戦のみで後半を迎え、休養明けのオープンを2着して久々に調子を上げて挑んだ12月16日第24回有馬記念が、引退レースとなることが決定した。2歳年下のサクラショウリにファン投票1位と1番人気を譲るものの、グリーングラスは2位で2番人気に支持され、3番人気は3歳年下の皐月賞馬・ビンゴガルーであった。この上位人気の3頭以外にも6頭の八大競走優勝馬が出走することとなり、天皇賞馬のホクトボーイ[18]テンメイ・カシュウチカラ[19]スピードシンボリ以来の有馬記念連覇を狙うカネミノブ、その有馬記念で2着に入った二冠牝馬・インターグロリア、2歳下の菊花賞馬・インターグシケンという錚錚たる顔ぶれであった。4歳から7歳まで各世代の名馬が集結するという稀な豪華メンバーで、有馬記念史上初の16頭フルゲートによる一戦となった。このラストランでは岡部がハツシバオーに騎乗するため、鞍上には最初で最後のコンビとなる大崎昭一を迎えた。レースは外国産馬ボールドエーカンがハナを切り、カネミノブと同期で中山記念連覇など重賞3勝のカネミカサが2番手に付け、同年の菊花賞2着馬・ハシクランツがそれに続き、ハツシバオーが追いかける展開となった。この4頭が先行集団を形成すると、中団グループが三つに分かれる。グリーングラスはいつものように好位の内につけ、その後にビンゴガルー・インターグシケンと続き、前方グループは3頭となる。サクラショウリは前の3頭を見る位置に付け、後方グループのインターグロリア・カネミノブ・メジロファントムは、前方グループと共に挟み込む形でサクラショウリをマーク。天皇賞馬3頭とバンブトンコートの追い込み勢は後方待機策をとり、スタンド前では、逃げるボールドエーカン以外15頭が馬群を形成。1、2コーナー手前でカシュウチカラが先行集団に取り付く以外は淡々としたペースで進むが、2コーナーを曲がり切った所でビンゴガルーが故障。思わぬアクシデントをきっかけにレースは動き、グリーングラスがいつもより早めにスパート。大崎が有馬記念初制覇時のカブトシローを彷彿とさせるロングスパートで、3、4コーナー中間地点で先頭に立ち、さらに加速。内からハシクランツが喰らい付くが、4コーナー手前で大崎が勝負を決めるべくムチを連打。サクラショウリがグリーングラスを見る形で追い出し、外からカネミノブ・メジロファントム・ホクトボーイが接近。直線に入ってグリーングラスが二の足を使い後続を離すと、サクラショウリも追い上げるが伸びが見られなかった。カネミノブは内で粘るハシクランツを差して行き脚がつくが、外から内へ蛇行しながら猛追してきたメジロファントムが前を横切ったため、立ち上がって大きく遅れを取ってしまう。逃げる大崎のグリーングラスに、カネミノブを潰す形となった横山富雄のメジロファントムが襲いかかる。加賀武見のカネミノブも態勢を立て直して前を追うが、ハシクランツを交わすのが精一杯であった。メジロファントムと馬体を並べてゴールしたグリーングラスがハナ差で凌ぎ、天皇賞と同じく3度目の挑戦で栄冠を得た。7歳馬の勝利は1969年のスピードシンボリ以来10年ぶりで、青森産馬が2年連続で有馬記念を制覇したが、この年以降勝っていない。グリーングラスはかつてのライバル、トウショウボーイやテンポイントが果たせなかった有終の美を飾り、TTG最後の一頭がターフを去ることとなった。26戦8勝ながら着外は僅か2回だけと安定していたが、大型馬にありがちな瞬発力不足で、今一つ勝ち切れなかった故の結果でもあった。しかしグリーングラスはクラシック・天皇賞・グランプリ競走のいずれをも制し[20]、生涯獲得賞金はTTGの中で最も多い史上最高の3億2841万円を記録。この年、ようやく現役最後の年にして、トウショウボーイ・テンポイントと同じく年度代表馬を受賞。なお、グリーングラスの引退で日本競馬界はしばらくスターホース不在の時代が続き、1980年代前半はモンテプリンスホウヨウボーイアンバーシャダイなどが何とかその間を繋いでいたが、本格的な競馬ブームの再来にはミスターシービーシンボリルドルフらの登場を待たねばならなかった。

引退後[編集]

引退後は種牡馬となった。晩成の長距離血統と思われたせいか産駒にさほど恵まれなかったが、数少ない産駒の中からリワードウイングが産まれ、同馬が1985年エリザベス女王杯を制したことでGI馬の父となる。内国産種牡馬不利の情勢下で1頭ながらGI馬を出した他、現役時は金杯(東)・AJCCを勝ち、引退後には東京競馬場で誘導馬を勤めたトウショウファルコ、短距離戦線で活躍したトシグリーン阪神3歳S3着・弥生賞2着のツルマルミマタオーなど、中級馬を中心にそれなりの産駒を輩出している。ライバルの大半が早期に引退したのに比べ、グリーングラスは7歳まで現役を続けていたために晩成馬という見方も可能であるが、決して単純な晩成ステイヤー種牡馬ではなかったようである。しかし体質面の弱さが受け継がれ、能力のある馬は故障で大成を阻まれるケースが多かった。1996年に種牡馬を引退。その後は佐賀県佐賀郡富士町[21]のエンドレスファームに引き取られ全くの個人負担で余生を送ったが、2000年6月12日、放牧中に刺され驚いて柵に激突し右前脚を骨折、懸命な治療が続けられたが、6月19日に予後不良の診断を下されて安楽死となった。享年28歳。TTGの中で最も長寿であり、墓は最後に余生を送ったエンドレスファームに建てられている。同年に中央競馬会が行った名馬選定企画「20世紀の名馬大投票」では、ファン投票によって第26位に選ばれた。

2004年8月15日JRAゴールデンジュビリーキャンペーンの「名馬メモリアル競走」として「グリーングラスメモリアル」が3回2日目の小倉競馬第10競走で施行され[22]武豊騎乗のイブキディリータが勝った。

競走成績[編集]

年月日 競馬場 競走名

人気 着順 距離 タイム 騎手 着差 勝ち馬 / (2着馬)
1976 1. 31 東京 4歳新馬 18 9 2人 4着 芝1400m(良) 1.26.3 郷原洋行 -1.6秒 トウショウボーイ
2. 22 東京 4歳新馬 19 14 2人 4着 芝1600m(稍) 1.39.9 郷原洋行 -1.2秒 ローヤルセイカン
3. 13 中山 未出未勝 13 1 1人 1着 ダ1700m(良) 1.47.8 郷原洋行 1/2馬身 (バイエル)
4. 4 中山 300万下 12 9 1人 4着 ダ1800m(不) 1.53.6 郷原洋行 -0.4秒 レッドフラッシュ
5. 9 東京 NHK杯 16 9 5人 12着 芝2000m(良) 2.03.9 郷原洋行 -1.5秒 コーヨーチカラ
6. 6 東京 あじさい賞 12 7 2人 1着 芝2000m(重) 2.06.0 安田富男 クビ (キシュウリュウ)
7. 10 中山 マーガレット賞 17 10 2人 2着 芝2000m(良) 2.03.1 岡部幸雄 -0.1秒 トウフクセダン
10. 3 東京 中距離ハンデキャップ 17 4 2人 2着 芝2000m(良) 2.02.1 安田富男 -0.3秒 トミカゼ
10. 24 中山 鹿島灘特別 7 1 1人 1着 芝2000m(重) 2.06.6 安田富男 アタマ (シマノカツハル)
11. 14 京都 菊花賞 21 11 12人 1着 芝3000m(重) 3.09.9 安田富男 2 1/2馬身 テンポイント
1977 1. 23 東京 アメリカジョッキークラブカップ 13 12 3人 1着 芝2400m(良) R2.26.3 安田富男 2 1/2馬身 ヤマブキオー
2. 20 東京 目黒記念(春) 13 1 1人 2着 芝2500m(良) 2.34.6 安田富男 -0.4秒 カシュウチカラ
4. 29 京都 天皇賞(春) 14 2 2人 4着 芝3200m(稍) 3.22.0 安田富男 -0.3秒 テンポイント
6. 5 阪神 宝塚記念 6 6 3人 3着 芝2200m(良) 2.13.8 安田富男 -0.8秒 トウショウボーイ
7. 3 中山 日本経済賞 10 4 1人 1着 芝2500m(良) R2.33.8 嶋田功 5馬身 (トウカンタケシバ)
11. 27 東京 天皇賞(秋) 12 10 2人 5着 芝3200m(稍) 3.23.4 嶋田功 -0.9秒 ホクトボーイ
12. 18 中山 有馬記念 8 6 3人 3着 芝2500m(良) 2.35.6 嶋田功 -0.2秒 テンポイント
1978 1. 22 東京 アメリカジョッキークラブカップ 6 2 1人 2着 芝2400m(良) 2.28.9 嶋田功 -0.0秒 カシュウチカラ
4. 9 中山 オープン 12 12 2人 3着 芝1800m(良) 1.50.6 岡部幸雄 -0.1秒 プレストウコウ
4. 29 京都 天皇賞(春) 16 3 1人 1着 芝3200m(稍) 3.20.8 岡部幸雄 1馬身 (トウフクセダン)
6. 4 阪神 宝塚記念 7 3 1人 2着 芝2200m(重) 2.14.8 岡部幸雄 -0.6秒 エリモジョージ
12. 17 中山 有馬記念 15 1 3人 6着 芝2500m(良) 2.34.2 岡部幸雄 -0.8秒 カネミノブ
1979 1. 21 東京 アメリカジョッキークラブカップ 9 5 2人 2着 芝2400m(良) 2.29.3 岡部幸雄 -0.3秒 サクラショウリ
6. 3 阪神 宝塚記念 13 6 7人 3着 芝2200m(良) 2.12.7 岡部幸雄 -0.3秒 サクラショウリ
11. 10 東京 オープン 5 3 1人 2着 芝1800m(稍) 1.48.9 岡部幸雄 -0.9秒 メジロイーグル
12. 16 中山 有馬記念 16 3 2人 1着 芝2500m(良) 2.35.4 大崎昭一 ハナ メジロファントム
  • 1 タイム欄のRはレコード勝ちを示す。
  • 2 太字の競走は八大競走

種牡馬成績[編集]

プルードメアサイアー

総評[編集]

スピードのある「近代型ステイヤー」と評されたグリーングラスだが[25]、細身ながら一般的なステイヤーとはかけ離れた大柄な馬体で、当時の馬としては重い、同期のトウショウボーイに勝るとも劣らない500キロ前後の馬体であった。それ故に古馬になってからは大形馬の宿命である脚部不安に悩まされ、それほど体質も強くなかったため、6歳以降の出走回数は4歳時の10戦を下回る9戦だけに止まった。インを突くコーナーリングについてはラチを頼って走る癖があるためでもあり[26]、器用なタイプとは断定するのは難しいが、勝つ時は直線で先頭に躍り出て他馬の追撃を振り切っている。また悍性が強くステイヤーとしては落ち着きに欠き、レース中騎手との折り合いを欠く場面もしばしば見られ、中野と安田が天皇賞の敗因の一つに挙げている[27]。6歳時以降は気性も落ち着き、大崎は素直で利口な馬と評している[28]

優勝回数及び勝率は明らかにTT2頭に見劣りし、獲得した3つのタイトルの内、ライバルを負かして手に入れたのは菊花賞のみである上、同レースでは人気薄でインコースから出し抜けを食らわすような戦法であったのも2頭より格下として見られる要因となっている。それでもなお三強の一角として最強世代の1頭として名が後世に称えられているのは、揃って出走したレースは必ずこの3頭が上位を独占したこと、TTが去った後も第一線で活躍し続けたこと、TTも果たしたように有馬記念を制して年度代表馬に選ばれたこと、それと同時にタイトル数でライバルに並んだこと、八大競走を三つ制していること[29]など、馬自身の実績としても優れている点が挙げられる。また、6歳時以降の活躍は、自身のみならずTT2頭の評価をさらに高めることにもなったが、TTGの中では唯一顕彰馬に選出されていない。

「1年の半分は温泉[注 2]暮らし」と揶揄されていたように、本馬の成績は体調面で評価し辛い。競走成績で見たように感冒や熱発も多く、岡部は後に「この馬は、はっきりしている。使わないと[注 3]、絶対走らない。1回でも使うとコロッと変わる馬なんだ[注 4](...)別の馬になったような変わりようだった。」「脚が痛くないときは、競馬の内容が違っていた(...)ほかの馬はおかまいなし。展開もなにもない。行きたいところから行けば、それで力で押し切っちゃう。」「脚がなんともなかったら、どうなっていただろうね。5歳なんか、負けなかったんじゃないだろうか。」[30]とコメントしており、TTとしのぎを削った時期をこのように評していたのは注目される。

血統表[編集]

グリーングラス血統ハイペリオン系 / Hyperion3×5=15.63% Nearco5×3=15.63%) (血統表の出典)

*インターメゾ
Intermezzo
1966 黒鹿毛
父の父
Hornbeam
1953 栗毛
Hyperion Gainsborough
Selene
Thicket Nasrullah
Thorn Wood
父の母
Plaza
1958 鹿毛
Persian Gulf Bahram
Double Life
Wild Success Niccolo Dell'Arca
Lavinia

ダーリングヒメ
1964 栗毛
*ニンバス
Nimbus
1946 鹿毛
Nearco Pharos
Nogara
Kong Baytown
Clang
母の母
ダーリングクイン
1958 栃栗毛
*ゲイタイム
Gay Time
Rockfella
Daring Miss
ダーリング *セフト
第弐タイランツクヰーン F-No.14-f


脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 美浦トレーニングセンターの開設は1978年4月
  2. ^ 福島県いわき市競走馬総合研究所常磐支所。温泉治療施設がある。通称「馬の温泉」。
  3. ^ 「レースに使わないと」の意。
  4. ^ しかし続けて使うと脚を痛がった。

出典[編集]

  1. ^ グリーングラス以外では、2001年阪神JF勝ち馬のタムロチェリーを送り出した。
  2. ^ キ甲=首と背の境から足元まで
  3. ^ 白井1980、28頁
  4. ^ 白井1980、20頁
  5. ^ 白井1980、28頁
  6. ^ 双子の弟・半沢信彌はグラスワンダーの馬主で、グラスという冠名は同馬に由来する。
  7. ^ 「1人で1着の勝負服」 受け継がれる匠の精神
  8. ^ 白井1980、18頁
  9. ^ 白井1980、23頁
  10. ^ 白井1980、20頁
  11. ^ 思い出のグリーングラス 菊花賞の狙い方(3)
  12. ^ グレード制導入は1984年
  13. ^ 白井1980、21頁
  14. ^ 、26頁)
  15. ^ 、21頁
  16. ^ 競り合ったトウショウボーイは7着、テンポイントは当時の天皇賞勝ち抜けルールで出走できなかった。
  17. ^ 白井1980、26頁。
  18. ^ 同馬もこのレースがラストランとなった。
  19. ^ 同年の春を制しているが、鞍上は前年の春にプレストウコウで競走を中止した郷原であった。
  20. ^ テンポイントはクラシックを、トウショウボーイは天皇賞を制していない。
  21. ^ 現・佐賀市
  22. ^ グリーングラスは小倉で出走したことがない。
  23. ^ 2着に同じ産駒のグリーンルーシーが入った。
  24. ^ 勝ったのは同じ産駒のタカサゴグリンイチ。
  25. ^ 白井1980、35頁
  26. ^ 白井1980、24頁
  27. ^ 白井1980、21頁24頁
  28. ^ 白井1980、27頁
  29. ^ トウショウボーイが制した宝塚記念、テンポイントが制した阪神3歳ステークスは八大競走ではない。
  30. ^ 白井1980、25頁26頁

参考文献[編集]

  • 白井透(編)「特集グリーングラス」『競馬四季報』通巻36号、サラブレッド血統センター、1980年、 1-39頁。

外部リンク[編集]