マチカネフクキタル

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マチカネフクキタル
マチカネフクキタル.jpg
小須田牧場にて
欧字表記 Matikanefukukitaru
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1994年5月22日
死没 (存命)
クリスタルグリッターズ
アテナトウショウ
生国 日本の旗 日本北海道浦河町
生産 信成牧場
馬主 細川益男
調教師 二分久男栗東
厩務員 熊沢吉末[1]
競走成績
生涯成績 22戦6勝
獲得賞金 3億7024万6000円
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マチカネフクキタル(Matikanefukukitaru)日本の元競走馬、元種牡馬1997年菊花賞優勝馬である。半兄セントライト記念2着馬アサクサキャノン(父:ノーザンディクテイター)がいる。なお、英字標記が「Machikane Fukukitaru」でないのは、「途中のスペースを含めて18文字以内」という馬名の英字標記ルールより、スペースを含めて2文字多かったためである。

戦績[編集]

※馬齢は旧表記に統一する。

誕生 - デビュー前[編集]

1994年5月22日北海道浦河郡浦河町の信成牧場にてアテナトウショウの第8仔として、誕生した[1]

フクキタルの3歳上の全兄は牧場に訪れた調教師馬主にも評判になるほどの仔馬だったが、当歳の秋頃放牧中に頚椎を痛め、治療の甲斐もなく最終的には安楽死の処置を採らざるを得なかった[2]。3年後に同じ父クリスタルグリッターズを配合され誕生したフクキタルは、馬っぷりは兄には劣ったものの、健康で順調に成長していった[2]

3歳 - 4歳春[編集]

デビューしたのは1996年11月30日阪神の新馬戦だったが、3着に終わった[3]。続く、折り返しの新馬戦でも4着に敗れた。

3ヶ月の休養をはさんで、4歳になると翌1997年3月の阪神の未勝利戦で初勝利をあげた。その後、500万下条件のムーニーバレーRC賞を勝ち上がると、日本ダービーへの優先出走権をかけ、ダービートライアルプリンシパルステークスに出走。このレースでサイレンススズカの2着に入り、日本ダービーへの切符を手にした。

日本ダービーでは、逃げきりで二冠を達成したサニーブライアンから0.5秒差の7着となった。ダービー後、福島のさくらんぼステークス(900万下条件戦)に出走。単勝1.4倍の1番人気に応えて勝利し休養に入った。

4歳秋[編集]

秋になり神戸新聞杯から始動。レースでは驚異的な追い込み[4]で、逃げるサイレンススズカをゴール前で差し切って勝利を収めた。続く京都新聞杯では皐月賞と日本ダービーで1番人気に推されたメジロブライト等がいる中で1番人気に推された。レースでは不利も蒙りながら[5]、1番人気の期待に応え、2着のパルスビートに4分の3馬身差で勝利し、菊花賞のトライアル2レースを連勝。菊花賞の有力候補へ躍り出た。

ところが、本番の菊花賞では3番人気となっていた。これは、父のクリスタルグリッターズが短中距離馬と考えられていたことと、母の父がトウショウボーイ[6]という背景から血統的に長距離戦には向かないとの見方が強かったためであった[7]

しかし、実際のレースでは距離不安説を一掃するかのようなレースぶりを見せて優勝、900万下条件戦の勝利から4連勝でのGI制覇だった。当時、菊花賞の実況を担当していた関西テレビ杉本清アナウンサーは「神戸、そして京都に次いで菊の舞台でも福が来た!」と実況した。また、馬主であった細川益男[8]と、生産牧場である信成牧場[2]にとっては、初めてのGI級レースでの勝利となった。

5歳以降[編集]

1999年天皇賞・春出走時

菊花賞馬になったフクキタルだったが、古馬になってからは一転して、裂蹄などの病気に悩まされ、順調にレースが使えなくなり、勝てなくなった[9]

5歳時には金鯱賞6着[10]、鳴尾記念8着、有馬記念13着と全て着外に終わった。

6歳時には京都記念2着、産経大阪杯2着となったが、春の天皇賞は7着、宝塚記念は5着に終わった。

そして、7歳時に金鯱賞10着を経て出走した2000年宝塚記念8着後、調教中に右前浅屈腱炎を発症し引退。細川自身が個人所有するという形で種牡馬となった[9]。結局、菊花賞後、1つもレースで勝つことができなかった。

主な勝ち鞍[編集]

  • 1997年
    • 神戸新聞杯 (GII) 、京都新聞杯 (GII) 、菊花賞 (GI)

引退後[編集]

父を同じくするアブクマポーロが2005年に種牡馬を引退したこともあり、日本国内では稀少なクリスタルグリッターズの後継種牡馬であったが、実績を持つ活躍馬としては中山グランドジャンプ(J・GI)2着馬のリワードプレザンを出しているものの、平地では目立った成績を残した産駒は出なかった。

2004年以降は種付け頭数が2頭以下という状態が続き、2008年以降は産駒が生まれなかった。その結果、2010年の種付けシーズン途中で種牡馬を引退した。

現在は山梨県の小須田牧場で余生を過ごしている[11]

主な産駒[編集]

エピソード[編集]

  • 同じ馬主の同期にマチカネワラウカドがいる。「笑う門には福来たる」でセットで語られることも多い両馬だが、ワラウカドの方はダート路線で活躍し、6歳時(旧馬齢)に東海菊花賞(当時統一GII)を勝っており、揃って「菊花賞馬」になっている。
  • 調教師の森秀行は、20世紀の最強馬にこの馬を挙げている。「奇をてらうわけではなく、夏から菊花賞までの勝ちっぷりは圧倒的。」(『Number 競馬黄金の蹄跡』より)

血統表[編集]

マチカネフクキタル血統(ブラッシンググルーム系(ナスルーラ系)/ Nasrullah4×5×5=12.50% Alibhai5×5=6.25%) (血統表の出典)[§ 1]
父系 ブラッシンググルーム系
[§ 2]

*クリスタルグリッターズ
Crystal Glitters
1980 鹿毛
父の父
Blushing Groom
1974 栗毛
Red God Nasrullah
Spring Run
Runaway Bride Wild Risk
Aimee
父の母
Tales to Tell
1967 鹿毛
Donut King Determine
Stayed
Fleeting Doll Fleet Nasrullah
Chinese Doll

アテナトウショウ
1981 栗毛
トウショウボーイ
1973 鹿毛
*テスコボーイ
Tesco Boy
Princely Gift
Suncourt
*ソシアルバターフライ
Social Butterfly
Your Host
Wisteria
母の母
グレイトウショウ
1974 芦毛
*シルバーシャーク
Silver Shark
Buisson Ardent
Palsaka
ローズトウショウ *テューダーペリオッド
ワカシラオキ F-No.3-l
母系(F-No.) 3号族(FN:3-l) [§ 3]
5代内の近親交配 Nasrullah4×5×5、Alibhai5×5 [§ 4]
出典
  1. ^ JBISサーチ マチカネフクキタル 5代血統表2017年7月15日閲覧。
  2. ^ netkeiba.com マチカネフクキタル 5代血統表2017年7月15日閲覧。
  3. ^ JBISサーチ マチカネフクキタル 5代血統表2017年7月15日閲覧。
  4. ^ JBISサーチ マチカネフクキタル 5代血統表2017年7月15日閲覧。

※牝系は「シラオキ系」と呼ばれる、日本国内における名門の血統である。

参考文献[編集]

  • 産業経済新聞社発行 Gallop臨時増刊「週刊100名馬」vol.80号 マチカネフクキタル(略:vol.80号)

脚注[編集]

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  1. ^ a b vol.80号P11
  2. ^ a b c vol.80号P34-36参考
  3. ^ このレースの勝ち馬は、翌年の桜花賞を制したキョウエイマーチである。
  4. ^ 4コーナー最後方より10馬身以上あった差を桁外れの脚で差し切ったとの記述がある。(vol.80号P18-19)
  5. ^ 第1コーナーで前がカットされ、後脚を落とす不利があったとの記述がある。(vol.80号P8)
  6. ^ トウショウボーイは、菊花賞では3着に敗れている。
  7. ^ 但し、騎乗していた南井克巳は、折り合いのつけやすい馬なので距離は持つと思っていた、と述懐している。(vol.80号P32-33)
  8. ^ vol.80号P22-23
  9. ^ a b vol.80号P10
  10. ^ サイレンススズカが大差勝ちしたレースで有名。
  11. ^ 小須田牧場〜COSUDA CORRAL〜 - 小須田牧場公式ブログ2010年10月23日付記事(2011年2月15日閲覧)

外部リンク[編集]