中津競馬場

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中津競馬場
Nakatsu Racecourse Aerial photograph.1974.jpg
中津競馬場付近の空中写真。
画像中央に楕円形のコースが見える。1974年撮影の2枚を合成作成。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。
施設情報
所在地 大分県中津市大字大貞371
座標 北緯33度33分53.23秒
東経131度12分48.5秒
座標: 北緯33度33分53.23秒 東経131度12分48.5秒
開場 1933年
閉場 2001年3月22日
コース
周回 右回り
馬場 ダート
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中津競馬場(なかつけいばじょう)は、大分県中津市大字大貞にあった地方競馬競馬場

沿革[編集]

  • 1924年(大正13年) - 大分県下毛郡大幡村(現在の中津市郊外)に新競馬場を開場。
  • 1933年(昭和8年) - 競馬場を大幡村大貞に移転。
  • 1938年(昭和13年) - 「軍馬資源保護法」により一時廃場。
  • 1948年(昭和23年) - 競馬開催を再開。
  • 2001年(平成13年) - 中津競馬場廃場。

2001年、中津競馬場は21億円以上の累積赤字を理由に急遽閉鎖、廃止された(「#幻の開催日程」も参照)。

廃止の表明は、当時の市長であった鈴木一郎が2001年(平成13年)6月3日をもって廃止することを突然発表し、しかもこれにより職を失う者たちへの補償をしないことを表明した事から、大きな騒動に発展したが、競馬議会も廃止を承認した。

以後、追随するように競馬開催を廃止する自治体が次々と現れ、結果的に中津競馬の廃止が平成期の自治体の公営競技整理の端緒となった。

折しも佐賀競馬場荒尾競馬場との3場で、独自の競走格付け「九州グレード(KG)」を導入するなど相互の連携を強めていた矢先の出来事であった。また当時のリーディング上位常連騎手有馬澄男園田へ移籍)、人気女性騎手の小田部雪(荒尾へ移籍)といった、一部の競走馬・関係者の移籍受け入れが行われるなど前述の2競馬場以外にも少なからず影響を及ぼした。

中津競馬場の跡地には公園の造成が計画されていたが、工費は中津競馬の累積赤字を遥かに上回る40億円規模とされていた。[1]

結局競馬場の跡地には、大貞公園ダイハツ九州アリーナ(中津市総合体育館)などが整備・建設され、現在競馬場の痕跡は、市内のショッピングセンターゆめタウン中津内に設けられていた場外馬券売場「ドリームなかつ」が佐賀競馬場の場外馬券売場として残っているのみである。

コース概要[編集]

  • ダート右回り 1周1000m・幅員20m〜25m
  • 直線(4コーナーから決勝線まで) 195m
  • 施行可能距離 760m,1180m,1300m,1620m,1760m,2180m,2300m
  • 出走可能頭数(フルゲート) 10頭

発売する馬券の種類(廃止直前)[編集]

○…発売 ×…発売なし

単勝 複勝 枠番連複 枠番連単 馬番連複 馬番連単 ワイド 3連複 3連単
× × × ×

主な競走(廃止直前)[編集]

  • 九州スプリントカップ(KG3)
  • 九州サラブレッドグランプリ
  • 中津ダービー
  • 中津桜花賞
  • 中津大賞典
  • 中津記念
  • アラブ優駿
  • アラブ新春賞
  • ガーネット特別(結果的に最後に行われた重賞競走となった)
  • 卑弥呼杯1997年から2000年まで開催された中央・地方所属の女性騎手達による招待競走)

所属騎手(廃止時)[編集]

太字は2012年末時点で現役の騎手。

  • 現在も活躍している騎手では、服部茂史が当地でデビューを果たしている。
  • 佐藤智久は、2001年4月に中津競馬場所属の騎手としてデビューが決まっていたが、予定されていた開催が行われなかったため(詳細は後述)、当地での騎乗は叶わなかった[2]

幻の開催日程[編集]

当初、中津競馬場の開催は2001年(平成13年)6月3日までとされていた。しかしゴール判定写真を行う映像業者との契約が更新することができなかった(また、中津市側が意図的に希望価格を異常に下げたとも言われている)ため、4月〜6月の開催日程が発表されていたにも関わらず、2001年3月22日の開催を最後に閉鎖された。このため、閉場に伴うセレモニーなどの類は一切行われず、中津競馬の歴史には唐突に幕が下ろされることとなった。

関連書籍[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 「高知競馬」という仕事 =第3部= 夢の跡流浪記【13】 公園化に40億円 ――関係者「やっぱり、やりきれんです…」(高知新聞)
  2. ^ 後に益田競馬場でデビュー、同年8月に荒尾競馬場の所属となった。