タイキシャトル

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タイキシャトル
Taiki Shuttle.jpg
2000年9月、アロースタッド
欧字表記 Taiki Shuttle
香港表記 大樹快車
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1994年3月23日(25歳)
死没 (存命)
登録日 1997年2月27日
抹消日 1999年1月16日
Devil's Bag
Welsh Muffin
母の父 Caerleon
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産 タイキ ファーム
馬主 (有)大樹ファーム
調教師 藤沢和雄美浦
厩務員 稲葉正次
競走成績
生涯成績 12戦10勝(中央競馬
1戦1勝(フランス)
獲得賞金 6億1548万5000
+100万フラン
 
勝ち鞍
GI マイルCS 1997年・1998年
GI スプリンターズS 1997年
GI 安田記念 1998年
GI ジャック・ル・マロワ賞 1998年
GII スワンS 1997年
GII 京王杯SC 1998年
GIII ユニコーンS 1997年
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タイキシャトルTaiki Shuttle大樹快車)は、日本競走馬種牡馬。 主戦騎手は岡部幸雄(ただし2戦は横山典弘が騎乗)。フランスジャック・ル・マロワ賞を含め国内外でGI競走5勝を挙げ、1998年に短距離路線で活躍した競走馬として、また外国産馬として中央競馬史上初めて年度代表馬に選出され、同年フランスの年度代表馬顕彰(エルメス賞)において最優秀古馬に選出された。引退後の1999年1月28日には、史上25頭目の顕彰馬に選出された。

※競走馬時代の年齢はすべて旧表記(数え年)にて表記

誕生からデビューまで[編集]

1994年3月23日アメリカ合衆国タイキファームで生まれる。母のウェルシュマフィンは現役時9戦3勝。北米で競走生活を送り、岡部幸雄も2戦に騎乗している。競走生活を引退後同ファームにおいて繋養された。 1995年初頭にアイルランドへ移送され、調教を施される。その後日本でにおいて藤沢和雄の管理のもとでデビューすることが決定。1996年7月に北海道・大樹ファームへ移送された。

タイキシャトルは当初、同年秋に美浦トレーニングセンターにある藤沢厩舎に入厩する予定であったが、脚部の負傷やの化膿によって予定が遅れ、翌1997年2月5日に藤沢厩舎に入厩した。入厩後も脚下のモヤモヤに悩まされ、さらに調教で走らせる度にソエが悪化したため、デビューが遅れることになった。[1]

競走馬時代[編集]

1997年[編集]

ゲート試験に2度落ちたためデビューは遅れ、1997年4月19日のダート1600mの未勝利戦でデビューをすることになった。これはソエで脚下が固まっていなかったタイキシャトルに無理をさせないためにダートのレースが選ばれたものであり、このレースを2着に4馬身差をつけて圧勝すると、続く500万下も快勝した。未勝利、500万下とレースに出走する中で、徐々に脚下が固まってきたため、陣営は初の芝レースへの出走を決める。

6月8日の菖蒲ステークスでは、後に重賞を勝つことになるシンコウスプレンダオースミジェットを相手に完勝し、3連勝を飾る。続く菩提樹ステークスはテンザンストームにクビ差の2着と不覚を取るが、このレースについて調教師の藤沢和雄は「あのレースはノーマークの馬に単騎で行かれ、捉えきれなかっただけの話。“強い馬”が負けるときの典型的なパターンといえるでしょう」と語り、意に介さなかった。[1]また、レースでは他のほとんど馬より重い56kgの斤量を課せられており、関西への初の輸送も影響したと考えられる。[2]

3ヶ月の休養を経て秋をむかえ、タイキシャトルはGIIIのユニコーンステークスに駒を進めた。秋の初戦にダートのレースを選んだことについて藤沢は「芝・ダートを問わず、とにかくマイルのレースに使いたかったんですよ。さらに言うと、4歳(現表記で3歳)限定戦が望ましい。その2つの条件を満たすのがたまたまユニコーンステークスだった、というだけなんです」と語った。[3]3番人気でこのレースを迎えたタイキシャトルは楽々と先行すると、ラスト3ハロンを出走馬中最速となる37秒9でまとめ、2着となったワシントンカラーに2馬身半の差をつけて快勝する。

ユニコーンステークスを快勝したタイキシャトルは、初の古馬とのレースとなるGIIのスワンステークスに臨んだ。このレースでは主戦の岡部幸雄が同厩のシンコウキングに騎乗したため、横山典弘が手綱をとった。これはシンコウキングに気難しい面があり、岡部でなければうまくコントロールできないという厩舎サイドの事情からであった。[4]レースでは3番手につけると、直線で抜けだし、追い込んできた1番人気のスギノハヤカゼに3/4馬身の差をつけて優勝した。

ダート・芝の重賞を連勝したタイキシャトルは、最大の目標としていたGIのマイルチャンピオンシップに出走することになった。この年のマイルチャンピオンシップは、1番人気が4歳馬(現表記で3歳)ながら春の安田記念で古馬に混じって3着に好走したスピードワールド、他にもこの年の桜花賞キョウエイマーチ、一昨年の皐月賞ジェニュインをはじめ、ヒシアケボノシンコウキングマイネルマックスタイキフォーチュンと6頭のGIホースが出走しており、さらには本格化前ではあったものの翌年の宝塚記念を勝つサイレンススズカが出走するなど、ハイレベルなレースとなった。強豪馬が揃う中、2番人気に推されたタイキシャトルは、岡部が前走に引き続きシンコウキングに騎乗することになったため、再び横山典弘を背にレースに臨んだ。レース本番では、キョウエイマーチが1000メートルの通過タイムが56秒5という超ハイペースで引っ張り、サイレンススズカ、ヒシアケボノが続く中、好スタートをきったタイキシャトルは前から4番手、5番手を追走した。直線に入り、ハイペースに巻き込まれたサイレンススズカ、ヒシアケボノが相次いで失速する中、タイキシャトルは鞍上の横山のゴーサインに瞬時に反応すると、粘るキョウエイマーチをあっさりと差しきって、2馬身差をつけて快勝した。このレース後、横山はタイキシャトルのあまりの強さに驚嘆し、「岡部さん、反則ですよ。こんな強い馬に乗ってたなんて」と憎まれ口をたたくと、岡部が「何言ってんだよ。もし最初からお前が乗ってたら、こんなに強くなってないよ」とやり返す一幕があった。[5]また、調教師の藤沢もタイキシャトルのGI初制覇となったこの時点で「海外」を意識するほど鮮やかな勝利だった。なお、マイルチャンピオンシップを4歳馬(現表記で3歳)が勝利をしたのは、1988年のサッカーボーイ以来、9年ぶりのことであった。[5]

その後、手綱が横山から岡部に戻ったスプリンターズステークス(当時は年末に開催)も単勝1.9倍の圧倒的な1番人気に推され、いつも通り好位につけ、直線で突き抜けると、2着のスギノハヤカゼに1 3/4馬身差をつけて優勝した。なお、同一年にマイルチャンピオンシップとスプリンターズステークスの2つの秋短距離GIを勝ったのはタイキシャトルが初めてである。またこの年は、他にGI競走で際立った実績を挙げた馬が少なかったため、短距離馬として初の年度代表馬選出の可能性もささやかれたが、年度代表馬はエアグルーヴに渡り、この年は最終的にJRA賞最優秀短距離馬に選出されるにとどまった。なお、クラシック競走は外国産馬のため出走できなかった。

1998年[編集]

明けて1998年、陣営は海外遠征も見据えて安田記念出走を予定していたが、放牧先の寒さが原因となってに亀裂が入り、出走が危ぶまれる事態となった。藤沢は装蹄師の志賀勝雄に対処を依頼、志賀は通常より少ない4本の釘で蹄鉄を打つ特殊な技法(フォーポイント)を用い、蹄の回復を促すことに成功。安田記念の前哨戦である京王杯スプリングカップに出走することができた。

同レースでは、タイキシャトルは休み明けながら単勝1.5倍の1番人気に推され、スタート後、好位につけると直線で抜け出し、強く追われることもないまま2着のオースミタイクーンに1 1/2馬身差をつけ、1分20秒1のレコードで勝利した。藤沢はレース後、「終始馬なりであの強さ。海外のGIを狙えるような馬は、休み明けだろうとなんだろうと、国内のGII程度ならあれくらいの競馬ができてしまうものなんだと実感しました」とタイキシャトルのポテンシャルの高さを絶賛した。[6]

連闘で翌週の高松宮記念に出走する計画もあったが、登録だけに留め安田記念へ向かう。大雨のため稀に見る超不良馬場となった安田記念は、実質的なタイキシャトルの壮行レースとなり単勝1.3倍の圧倒的な1番人気に支持されたものの、初となる不良馬場を不安視する声もあった。しかし、レースでは道悪をまったく問題にせず、あっさりと好位につけると、逃げるエイシンバーリンを見ながら4番手付近を追走。第4コーナーから最後の直線にかけて、雨で荒れた馬場を嫌って各馬が内外に広がる中、馬場の真ん中へと持ち出されたタイキシャトルは豪快に伸び、先に抜け出した香港のオリエンタルエクスプレスに外から並びかけると、一瞬で突き放し2馬身半の差をつけて勝利。不良馬場への適性を自らの走りで証明するとともに、この勝利で陣営がかねてから宣言していたフランスへの海外遠征が決定的になった。

遠征レースとして選ばれたのはフランスのマイルG1の最高峰であるジャック・ル・マロワ賞ドーヴィル競馬場、芝直線1600m)であった。7月21日に渡仏したタイキシャトルだったが、レース本番を約1ヶ月後に控えた渡仏だった点について「もっと早く向こう(フランス)に行って、環境に慣らした方がいいのでは?」との周囲の声もあったが、「日本で競馬を使うときと同じように調整をしたい」との藤沢の考えのもと、調教もいつも通り馬なり中心で行われ、その効果もあってかフランスに渡った後もタイキシャトルはイラつくこともなく、終始リラックスをしていた。[7]

ジャック・ル・マロワ賞の1週間前に行われたモーリス・ド・ゲスト賞シーキングザパールが日本調教馬として初の海外GI制覇を成し遂げたことや、その際に優勝騎手だった武豊が「タイキシャトルはもっと強い」と発言した[8]こともあり、タイキシャトルはこのレースでも単勝1.3倍という圧倒的な1番人気に支持されており、一時的に単勝オッズが1.1倍になるほど一本かぶりの人気となった。[9]これは強敵と見られていたインティカブが故障のため出走回避したことで、日本で圧倒的な戦績を誇っていたタイキシャトルに人気が集中した面もある。このオッズを見た藤沢は「まるで日本のレースに出たときのようなオッズだな…」と苦笑するしかなかったという。[10]当日は重馬場でのレースとなり、タイキシャトルは逃げるケープクロスの後を2番手で追走したが、レース前半は集中力を欠き、物見をしながら走っていた。直線1600mという仕掛けどころの難しいコースで、岡部が残り100mで仕掛けると、すぐさまケープクロスを競り落し、最後は追い込んだ2番人気のアマングメンを半馬身抑えて海外G1のタイトルを手に入れた。シーキングザパール、タイキシャトルと日本調教馬が2週続けてフランスのG1を勝ったことはヨーロッパの競馬関係者に大きな衝撃を与えた。また、調教師の藤沢、騎手の岡部にとっては本場のG1を勝つという悲願を達成した瞬間であり、岡部が表彰式で涙を見せるシーンもあった。ただ、この日のタイキシャトルはこれまでにないほど入れ込み、装蹄中の志賀を蹴った上、レースまでの数時間で入れ込みが治まらなければ出走取り消しの判断が下される可能性すらあったという。[11]普段は非常に落ち着いた馬であり、海外輸送の際もカイバは残さず、馬運車や飛行機の中ですやすやと眠っていたほどの強心臓を持っている馬である。そのため、この時の入れ込みは関係者を大いに心配させた。

その後はムーラン・ド・ロンシャン賞ブリーダーズカップ・マイルに挑戦することも検討されたが、検疫の問題等もあり、最終的には日本へ帰国しマイルチャンピオンシップに進むことが決定。日本へ凱旋したタイキシャトルは、予定通りマイルチャンピオンシップに出走すると、好位を追走し、直線に入ってすぐに先頭に立つと後続をちぎるだけという圧倒的な競馬で5馬身差の完勝、マイルチャンピオンシップ連覇を達成した。

本来はマイルチャンピオンシップを最後に引退する予定であったが、JRAからの要望により、予定を変更してスプリンターズステークスを引退レースとすることとなった。しかし単勝1.1倍の圧倒的人気を集めたものの、前半3ハロンが32秒9というハイペースを好位追走し消耗したことや、マイルチャンピオンシップから続く太め残り(タイキシャトルの出走歴で最も重い530キロでの出走)の影響もありマイネルラヴ、シーキングザパールの2頭にタイム差無しのアタマ、クビ差の3着と敗れた。全成績を通してみると、この馬が連対を外したのはこの1戦のみである。

引退レースとなったスプリンターズステークスの敗戦について藤沢は「明らかに走るのを嫌がるそぶりを見せるようになっていたんですよね。それが顕著になったのは、マイルチャンピオンシップの直後でした。レース後、耳を絞って反抗していましたから…マイルチャンピオンシップもスプリンターズステークスも明らかに太かったんですが、調整段階から馬の気持ちが走る方向を向いていなかったように、自分で体を作るのを拒否したからでしょう。もし、シャトルが人間の言葉を話せたなら、“もう引退させてくれ”と言っていたかもしれません」と振り返り、馬が競馬をしたくなくなっていたことにあると振り返った。[12]

この日の最終レース後に行われた引退式では、タイキシャトルのデビュー以来の全成績がターフビジョンに映し出されたが、ラストランとなったスプリンターズステークスの着順の欄には「1着」(実際は3着)と記載されていた。[13]このように主催のJRAですらタイキシャトルのラストランでの勝利を疑っていなかった。

そして日仏で3つのGIを勝ったことが評価され、この年の最優秀短距離馬、最優秀5歳以上牡馬および年度代表馬となる。なお、短距離専門の馬が年度代表馬となったのはこの馬が初めてである。また、フランスの年度代表馬顕彰(エルメス賞)において最優秀古馬に選出された。また、翌年の1999年には現役時代の活躍が評価をされて、短距離場として初のJRA顕彰馬(殿堂入り)として選定され、日本競馬史における歴史的名馬の地位を確固たるものにした。

競走成績[編集]

年月日 競馬場 競走名 人気 倍率 着順 距離 タイム 3F 騎手 勝ち馬 / (2着馬)
1997. 4. 19 東京 4歳未勝利 1人 2.8 1着 ダ1600m(良) 01:39.0 (38.4) 岡部幸雄 (アカシグリスン)
5. 3 京都 4歳500万下 1人 2.1 1着 ダ1200m(良) 01:12.2 (37.4) 岡部幸雄 (サウンドカスケード)
6. 8 東京 菖蒲S OP 2人 3.0 1着 芝1600m(良) 01:36.5 (34.2) 岡部幸雄 (ベルシャルマンテ)
7. 6 阪神 菩提樹S OP 1人 1.7 2着 芝1400m(良) 01:20.9 (35.8) 岡部幸雄 テンザンストーム
10. 4 東京 ユニコーンS GIII 3人 5.1 1着 ダ1600m(良) 01:36.8 (37.9) 岡部幸雄 (ワシントンカラー)
10. 25 京都 スワンS GII 2人 4.8 1着 芝1400m(良) 01:20.7 (34.4) 横山典弘 スギノハヤカゼ
11. 16 京都 マイルCS GI 2人 3.8 1着 芝1600m(良) 01:33.3 (36.1) 横山典弘 キョウエイマーチ
12. 14 中山 スプリンターズS GI 1人 1.9 1着 芝1200m(良) 01:07.8 (34.9) 岡部幸雄 (スギノハヤカゼ)
1998. 5. 16 東京 京王杯SC GII 1人 1.5 1着 芝1400m(良) R1:20.1 (34.7) 岡部幸雄 (オースミタイクーン)
6. 14 東京 安田記念 GI 1人 1.3 1着 芝1600m(不) 01:37.5 (37.0) 岡部幸雄 オリエンタルエクスプレス
8. 16 ドーヴィル ジャック・ル・マロワ賞 GI 1人 1着 芝1600m(重) 01:37.4 岡部幸雄 (Among Men)
11. 22 京都 マイルCS GI 1人 1.3 1着 芝1600m(良) 01:33.3 (36.0) 岡部幸雄 (ビッグサンデー)
12. 20 中山 スプリンターズS GI 1人 1.1 3着 芝1200m(良) 01:08.6 (35.5) 岡部幸雄 マイネルラヴ

※ タイム欄のRはレコード勝ちを示す。

受賞[編集]

  • JRA賞年度代表馬(1998年)
  • JRA賞最優秀5歳以上牡馬(1998年)
  • JRA賞最優秀短距離馬(1997、1998年)
  • フランスエルメス賞 最優秀古馬(1998年)
  • JRA顕彰馬(1999年)

記録[編集]

1997年ユニコーンステークスから1998年マイルチャンピオンシップまで記録した重賞8連勝の記録はテイエムオペラオーと並ぶJRA所属馬の記録である。さらにマイル戦ではダートを含め7戦7勝という絶対的な強さを誇り、またその勝ちっぷりも圧倒的であった。日本競馬史上最強のマイラーはどの馬かという問いに対して、最も多く名前の挙がる一頭である。

2019年春にnetkeiba.comによって行われた「競馬ファンが選ぶ『平成最強マイラー』ランキング」では、総数27000票に及ぶ投票の中、7819票を獲得し、第1位に選出された。2位モーリス(5710票)、3位ウォッカ(2930票)に大差をつけた結果から、現役を引退して20年以上が経過しても「平成」という時代の中でタイキシャトルが超一流のマイラーとして競馬ファンの記憶に大きなインパクトを残しており、最強マイラーとして広く認められていることが示された結果となった。[14]

距離適性[編集]

過去の名マイラー達が中距離でも好成績を収めていたことから(ニッポーテイオーオグリキャップヤマニンゼファーなど)、タイキシャトルにも中距離のレースへの出走を望む声があった(実際1998年有馬記念のファン投票では8位に推されており、大川慶次郎も是非出て欲しいと発言した)。調教師の藤沢和雄は、「有馬記念が東京の2400メートルなら使いますよ。シャトルは頭がいいから、中山の2500メートルだと一周目でゴールと勘違いしてしまう。」と冗談とも本気ともつかぬ発言をしたこともあった。これは有馬記念のスタート地点が1200メートルのレースのスタート地点と似た場所に設定されていたための発言であった。

また、タイキシャトルがマイル以下のレースしか出走しなかったことについて、藤沢が頑なに距離適性にこだわったためということが一般的な解釈になっているが、藤沢はタイキシャトルについて「世間ではマイラーと言われていますが、2000mまでなら十分こなせたと思いますよ。まあ、ベストはマイルなんでしょうけど、“絶対能力は距離適性を凌駕する”と言われているように、2400mはオーバーでしょうが、2000mまでなら超一流だったはず。もし、今、シャトルを預かっていたなら、迷うことなく秋の天皇賞に出していたでしょう。というか、秋の最大目標をそこに置いていたはずです。しかし、当時は“外国産馬”という縛りがあって、出走自体が叶わぬ夢でした」と反論している。[15]

そういった事情もあり、今なお同馬とサイレンススズカグラスワンダーエルコンドルパサースペシャルウィーク等との真っ向勝負を見たかったというファンは多い。藤沢は1998年の毎日王冠を使いたかったとも発言している。サイレンススズカとは1997年のマイルチャンピオンシップにて生涯1度だけ対戦があったが、本格化前のサイレンススズカは桜花賞馬キョウエイマーチの逃げについて行けず15着に終わり、名勝負とは程遠い結果となった。

特徴[編集]

レース

好位で先行しつつ、最後の直線でさらに引き離すレースが特徴で、1997年、98年のマイルチャンピオンシップや1998年の安田記念など、先行しながら上がり最速を記録しているレースもある。また、どんなコースや馬場状態になっても安定して実力を発揮することができる強さがある。

身体的特徴

タイキシャトルの蹄は非常に脆く、かつ水分を多量に含んでいた。そのため厩舎スタッフは蹄の状態の管理に常に気を払っていた。1997年のスプリンターズステークス優勝後は蹄の状態が悪化し、引退の危険性もあった。また、同馬は栗毛であるが、タテガミ、尻尾が金色の尾花栗毛である。

性格

調教師の藤沢によると、デビュー当時のタイキシャトルはその素質こそ誰も疑うことはなかったが、誰でも御せるような単純な馬ではなかったという。慎重すぎる性格のせいでゲート試験に2度も落ちており、ファンがゴール前でまき散らす外れ馬券の紙吹雪に気を取られてしまうような細かい面をもっていた。また、キャリアが浅い時期には出ムチを入れなければ走らないこともあった。その後、キャリアを重ねる中で陣営の努力により馬が競馬を覚え、素質を開花させていった。[16]

引退後[編集]

引退後は種牡馬となり、イーストスタッドアロースタッドを2年おきに移動する国内シャトルの形態で繋養されている。

初年度産駒のウインクリューガー2003年NHKマイルカップを9番人気の低評価を覆して優勝、2005年には1年以上勝ち星のなかったメイショウボーラーがダート重賞3連勝でフェブラリーステークスに優勝するなど芝・ダートを問わずマイル以下の距離で活躍馬を輩出している。名前を挙げた2頭は、共に後継として種牡馬入りしている。

2006年の種付けシーズンの前に右目を負傷して失明の危機に陥ったが、手術を受け視力は回復した。

2017年をもって種牡馬を引退、種牡馬引退後はイーストスタッドで功労馬として繋養される[17]

2018年11月29日、イーストスタッドより同牧場で繋養されていたメイショウドトウとともに北海道日高町のヴェルサイユファームへ移動した。

2019年1月14日にはメイショウドトウとともに去勢手術を受け、両馬とも無事に成功した。

年度別種牡馬成績(中央+地方)[編集]

出走 勝利 順位 AEI 収得賞金
頭数 回数 頭数 回数
2002年 36 105 12 14 115 1.35 1億8640万9000円
2003年 118 626 41 60 22 1.85 8億2223万9000円
2004年 162 1010 71 124 16 1.69 10億1891万1000円
2005年 176 1102 87 147 10 2.18 14億0350万4000円
2006年 219 1318 84 143 17 1.33 11億1578万6000円
2007年 238 1579 103 198 16 1.20 11億1094万9000円
2008年 277 1847 119 230 17 1.25 13億5032万2000円
2009年 263 1871 118 209 17 1.33 13億7047万0000円
2010年 240 1772 99 174 17 1.30 12億1674万0500円
2011年 215 1467 94 190 26 1.03 8億4702万8000円
2012年 217 1438 77 143 26 0.83 6億8084万3500円
2013年 239 1679 102 164 24 0.86 7億8715万4500円
2014年 233 1757 98 169 27 0.78 7億1470万0500円
2015年 232 1889 101 176 33 0.64 6億0562万5000円
2016年 215 1797 100 228 36 0.58 5億2033万9500円
2017年 207 1827 101 197 33 0.71 6億2623万4500円

GI/JpnI競走優勝馬[編集]

太字はGI(またはJpnI)競走。

ウインクリューガー
メイショウボーラー
サマーウインド

グレード制重賞優勝馬[編集]

地方重賞優勝馬[編集]

母の父としての主な産駒[編集]

血統表[編集]

タイキシャトル血統ヘイロー系 / Hail to Reason3×5=15.63%、 Mahmoud5×5=6.25%) (血統表の出典)[§ 1]
父系 ヘイロー系
[§ 2]

Devil's Bag 1981
鹿毛 アメリカ
父の父
Halo 1969
黒鹿毛 アメリカ
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Cosmah Cosmic Bomb
Almahmoud
父の母
Ballade 1972
黒鹿毛 アメリカ
Herbager Vandale
Flagette
Miss Swapsco Cohoes
Soaring

*Welsh Muffin 1987
鹿毛 アイルランド
Caerleon 1980
鹿毛 アメリカ
Nijinsky Northern Dancer
Flaming Page
Foreseer Round Table
Regal Gleam
母の母
Muffitys 1982
鹿毛
Thatch Forli
Thong
Contrail Roan Rocket
Azurine F-No.4-d
母系(F-No.) 4号族(FN:4-d) [§ 3]
5代内の近親交配 Hail to Reason4×5、Mahmoud5×5 [§ 4]
出典
  1. ^ JBISサーチ タイキシャトル 5代血統表2017年8月26日閲覧。
  2. ^ netkeiba.com タイキシャトル 5代血統表2017年8月26日閲覧。
  3. ^ JBISサーチ タイキシャトル 5代血統表2017年8月26日閲覧。
  4. ^ JBISサーチ タイキシャトル 5代血統表2017年8月26日閲覧。

脚注[編集]

  1. ^ a b 競馬最強の法則WEB タイキシャトル”. 2019年2月20日閲覧。
  2. ^ 井崎脩五郎のおもしろ競馬学 やっぱり強いタイキシャトル”. 2019年3月1日閲覧。
  3. ^ 競馬最強の法則WEB タイキシャトル”. 2019年2月20日閲覧。
  4. ^ 競馬最強の法則WEB タイキシャトル”. 2019年2月20日閲覧。
  5. ^ a b 競馬最強の法則WEB タイキシャトル”. 2019年2月20日閲覧。
  6. ^ 競馬最強の法則WEB タイキシャトル”. 2019年2月20日閲覧。
  7. ^ 競馬最強の法則WEB タイキシャトル”. 2019年2月20日閲覧。
  8. ^ 木古場純 (2014). 海外競馬挑戦列伝. クラップ. 
  9. ^ 競馬最強の法則WEB タイキシャトル”. 2019年2月21日閲覧。
  10. ^ 競馬最強の法則WEB タイキシャトル”. 2019年2月21日閲覧。
  11. ^ 「この世にふたつとない蹄」『競馬業界就職読本2』流星社、2005年5月、第1刷、69頁。ISBN 978-4947770370
  12. ^ 競馬最強の法則WEB タイキシャトル”. 2019年2月21日閲覧。
  13. ^ 井崎脩五郎のおもしろ競馬学 やっぱり強いタイキシャトル”. 2019年3月1日閲覧。
  14. ^ 競馬ファンが選ぶ「平成最強マイラー」ランキング”. netkeiba.com. 2019年8月16日閲覧。
  15. ^ 競馬最強の法則WEB タイキシャトル”. KKベストセラーズ. 2019年3月12日閲覧。
  16. ^ 競馬最強の法則WEB タイキシャトル”. 2019年2月22日閲覧。
  17. ^ タイキシャトルが種牡馬を引退、今後は功労馬として繋養netkeiba.com、2017年12月2日閲覧
  18. ^ タイキシャトル 種牡馬情報 世代・年次別”. JBIS Search. 2018年3月19日閲覧。
  19. ^ タイキシャトル 種牡馬情報 種牡馬成績”. JBIS Search. 2018年3月19日閲覧。
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外部リンク[編集]