ダテテンリュウ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
ダテテンリュウ
欧字表記 Date Tenryu
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1967年4月6日
死没 1977年1月5日[1]
ウイルデイール
第四サンキスト
母の父 トサミドリ
生国 日本の旗 日本北海道伊達市
生産 伊達牧場
馬主 株式会社伊達牧場
浅野のぶ
浅野千恵子
調教師 星川泉士栗東
競走成績
生涯成績 22戦6勝
獲得賞金 8218万9600円
テンプレートを表示

ダテテンリュウとは日本競走馬である。1959年啓衆社賞年度代表馬ウイルデイール(おもな勝ち鞍:皐月賞)の代表産駒で、1970年に行われた第31回菊花賞の優勝馬である。現役時代の主戦騎手宇田明彦

略歴[編集]

当項目では、馬齢は旧表記に統一する。

競走馬時代[編集]

1969年12月7日宇田明彦を鞍上にデビュー戦を勝利したダテテンリュウは、次に出走した特別戦も勝ち、2戦2勝で3歳シーズンを終えた。

こうして迎えた1970年クラシックシーズンであったが、3勝目に手間取り皐月賞には間に合わず、NHK杯3着(勝ち馬・アローエクスプレス)から挑んだダービーも、タニノムーティエの2着に屈する結果となった。次に出走した毎日杯では単勝1番人気に応えて優勝した[2]

秋に入り、タニノムーティエがアクシデントにより体調を崩した結果、菊花賞には関西の主軸として単勝2番人気での挑戦となった。中団でスタミナを温存したダテテンリュウは最後の直線で鋭く伸び、アローエクスプレス(1番人気9着)らを相手に優勝[3]。1968年はダテホーライが三強の一頭アサカオーの2着、1969年はダテハクタカが夏に急成長を遂げたアカネテンリュウの3着と2年連続で惜敗に終わったダテ一族にとって、悲願のクラシックタイトル・菊花賞制覇であった。

こうして悲願成就を果たしたダテテンリュウであったが、次に出走した有馬記念3着(勝ち馬・スピードシンボリ)や翌年のマイラーズカップ2着(勝ち馬・トウメイ)以外はたいした見せ場を作れず、故障続きにも泣かされたために勝ち鞍を挙げることなく1973年10月27日のオープン戦5着を最後に引退となった。

引退後[編集]

引退したダテテンリュウは、生まれ故郷の伊達牧場で種牡馬生活を始めたが、繁殖相手に恵まれず静内のビッグレッドファームに移動。この地で[1]岡田繁幸夫人・岡田美佐子に看取られる形で、1977年年明け早々の昼下がりに心臓発作のために急死した。

血統表[編集]

ダテテンリュウ血統ダークロナルド系/5代内アウトブリード (血統表の出典)
父系

ウイルデイール
1956 青鹿毛 日本
父の父
Wilwyn
1948 鹿毛 イギリス
Pink Flower Oleander
Plymstock
Saracen Donatello
Lovely Rosa
父の母
*メードンスグリーン
Maidens Green
1946 鹿毛 イギリス
Straight Deal Solario
Good Deal
Windsor Lady Beresford
Resplendent

第四サンキスト
1956 鹿毛 日本
トサミドリ
1946 鹿毛 日本
*プリメロ
Primero
Blandford
Athasi
*フリッパンシー
Flippancy
Flamboyant
Slip
母の母
サンキスト
1944 青鹿毛 日本
*ミンドアー
Mint d'Or
Spearmint
Lady Orb
フロラヴァース *シアンモア
第弐フロリスト F-No.3-l
母系(F-No.)
5代内の近親交配
出典
母 第四サンキストの姉はガーネツト(1959年天皇賞有馬記念優勝)。この系統からメイショウサムソン(2006年東京優駿などGI4勝)などを輩出している。

脚注[編集]

  1. ^ a b 「サークルだより ダテテンリュウ死亡」、『優駿』、日本中央競馬会、1977年2月、 114頁。
  2. ^ 浜崎祐三「第17回 毎日杯」、『優駿』、日本中央競馬会、1970年8月、 76-77頁。
  3. ^ 第31回 菊花賞” (日本語). 競走成績データ. 日本中央競馬会. 2012年2月12日閲覧。

外部リンク[編集]