オンワードゼア

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オンワードゼア
欧字表記 Onward There
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1954年5月29日
死没 1975年
マルゼア
トキツカゼ
生国 日本の旗 日本青森県
生産 益田牧場
馬主 樫山純三
調教師 大久保房松中山
二本柳俊夫中山
→江川秀三(北海道
競走成績
生涯成績 中央競馬31戦11勝
日本国外3戦0勝
地方競馬5戦2勝
獲得賞金 1147万9730円(中央競馬のみ)
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オンワードゼアは、日本競走馬。おもな勝ち鞍は天皇賞(春)・有馬記念1958年啓衆社賞年度代表馬・最優秀5歳以上牡馬

両親について[編集]

父のマルゼアは、戦時中の能力検定競走で8戦3勝と言う良績とは程遠い成績に終わった。だが、引退後種牡馬となったマルゼアは、優駿牝馬(オークス)を勝ったフエアマンナ天皇賞(秋)の勝ち馬セルローズを輩出。当時冷遇されていた内国産種牡馬としては、優秀な成績を残している。

母のトキツカゼは、皐月賞優駿牝馬(オークス)を勝ち、引退後は東京優駿(日本ダービー)を勝ったオートキツを産んだ。これらの競走成績・繁殖成績が認められ1984年顕彰馬に選出された名牝である。

そう言う事もあり、オンワードゼア(デビュー当初はニツポンイチと言う馬名であった)はデビュー時から高い期待を持たれていた。

戦績及び種牡馬として[編集]

馬齢は旧表記に統一)

1956年の年末にデビューしたオンワードゼアは、ダービー馬オートキツの弟としての期待に応え1番人気で勝利した。ところが、次戦ブービー敗退の為、3歳時は2戦1勝で終えた。

翌年(1957年)のクラシックシーズンは、春はNHK杯5着・日本ダービー11着と不本意な結果に終わった。その後、ダートで行われていた函館記念を勝つと、主戦騎手・二本柳俊夫の厩舎開業に伴い転厩する事となった。その後も勝ちきれないレースが続くが、不良馬場で行われた菊花賞ラプソデーの2着に好走すると、暮れの有馬記念でもハクチカラの2着に入った。

古馬になると金杯(東)を優勝し、天皇賞(春)では持ったままで優勝した。日本経済賞でも天皇賞同様にラプソデーを破っている。その後はやや不振であったが、暮れの有馬記念では2着クリペロに4馬身差をつけて優勝した。この成績が評価され啓衆社賞年度代表馬・最優秀5歳以上牡馬に選ばれた。

6歳になるとハクチカラの後を追うかのようにアメリカ遠征を敢行した。しかし、調教中に故障し、レースに出走したのは7歳時の3走だけで成績は惨憺たるものであった。

帰国後は種牡馬となるが、内国産種牡馬冷遇時代だったために配合相手に恵まれず、1963年にはオンワードケイの名前で北海道公営競馬のレースに出走し、2勝を挙げている。

その後、オンワードガイ朝日杯3歳ステークス)・ジーガー(ステイヤーズステークス)を輩出し、再び注目された。恵まれた繁殖生活では無かったが、オンワードガイも種牡馬となり、マルゼアからの内国産サイアーラインは3代続く事となった。

2004年7月、JRAゴールデンジュビリーキャンペーンの「名馬メモリアル競走」として「オンワードゼアメモリアル」が函館競馬場にて施行された。この日はかつて優勝した函館記念の施行日で準メイン競走として行われた。

血統表[編集]

オンワードゼア血統オーム系 / Orby 4×5=9.38%、Desmond 5×5=6.25%) (血統表の出典)

マルゼア
1941 栗毛
父の父
*レヴューオーダー
Review Order
1923 栗毛
Grand Parade Orby
Grand Geraldine
Accurate Pericles
Accuracy
父の母
*ゼア
There
1925 栗毛
Over There Spermint
Summer Girl
*デッドインデアン Harmonicon
Catacomb

トキツカゼ
1944 鹿毛
*プリメロ
Primero
1931 鹿毛
Blandford Swynford
Blanche
Athasi Farasi
Athgreany
母の母
第五マンナ
1939 黒鹿毛
*シアンモア Buchan
Orlass
マンナ *クラックマンナン
第三フラストレート F-No.1-b


外部リンク[編集]