ホマレボシ

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ホマレボシ
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1957年4月22日
死没 不明(1970年代中盤?)
トサミドリ
クロカミ
母の父 クモハタ
生国 日本北海道新冠町
生産 田村孝男
馬主 川口文子
調教師 稗田敏男中山
競走成績
生涯成績 27戦12勝[1]
獲得賞金 2006万2750円
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ホマレボシ日本競走馬1961年啓衆賞年度代表馬で、同年の有馬記念の勝ち馬である。

馬齢は当時の基準(数え年)にて表記する。

経歴[編集]

1960年、4歳時の2月にデビューしたホマレボシは2連続2着したあとに初勝利を挙げる。NHK盃3着後に臨んだ東京優駿(日本ダービー)ではコダマの7着に敗れる。以降は条件戦やオープン平場戦で勝ち星を重ね、11月のカブトヤマ記念重賞初制覇を果たす。

1961年、5歳時は重賞戦線で好走するも勝ちきれないレースが続くが、5月の安田記念(当時は1800メートル)を61.5キログラムのハンデながらコースレコードで勝つ。さらに7月の日本経済賞では63キログラムの負担重量を克服して勝利、秋まで休養に努めた。

1961年秋の古馬戦線は前年の二冠馬コダマこそ怪我で不在であったが、ホマレボシを含む5歳馬が主役となっていた。天皇賞では優勝したタカマガハラ、2着のオンスロートに次ぐ3着で、4着にもシーザーとすべて1957年生まれの同期4頭が入線。やはりこの4頭が有力視されていた有馬記念でホマレボシは単勝1番人気に支持される。騎手は主戦八木沢勝美が東京優駿2着のメジロオーに騎乗するために、初騎乗となる高松三太へ乗り替わりとなった。レースは最後の直線でやはりこの4頭が競り合う展開となり、その中からホマレボシが抜け出して2着のタカマガハラに4分の3馬身差を付けてゴール。高松は前年のスターロツチに続く有馬記念連覇を果たした。またこの勝利でホマレボシは当時の中央競馬所属馬の年間賞金獲得記録を更新するとともに、年度代表馬にも選出されたが、最優秀5歳以上牡馬はタカマガハラが受賞している。

有馬記念が最後のレースとなり、引退後は種牡馬となったが後継馬に恵まれることはなかった。1978年の夏にホマレボシが繋養されていた牧場を訪れた競馬ファンの手記によると、訪れた時には牧場は既に倒産しており「ホマレボシはその何年か前に種牡馬を廃用になり本州へ連れて行かれてしまった。」という情報を得るのが精一杯であったという[2]

その他[編集]

2004年6月6日JRAゴールデンジュビリーキャンペーンの一環として東京競馬場で「ホマレボシメモリアル」が施行されている。なお、当日はホマレボシも勝った安田記念も行われている。

血統表[編集]

ホマレボシ血統ブランドフォード系 / Blandford3x4=18.75% (血統表の出典)
父系

トサミドリ
1946 鹿毛
父の父
*プリメロ
Primero
1931 鹿毛
Blandford swynford
Blanche
Athasi Farasi
Athgreany
父の母
*フリッパンシー
Flippancy
1924 黒鹿毛
Flamboyant Tracery
Simonath
Slip Robert le Diable
Snip

クロカミ
1949 黒鹿毛
クモハタ
1936 栗毛
*Tournesol Gainsborough
Soliste
*星旗 Gnome
Tuscan Maiden
母の母
第七デヴォーニア
1939 黒鹿毛
*Statesman Blandford
Dail
*Devonia George Smith
Deviniere F-No.10-d
母系(F-No.)
5代内の近親交配
出典

母クロカミは競走馬としては作家の吉屋信子が馬主となり[3][4]、(国営競馬で)6勝を挙げ[1][3]、東京優駿にも出走した[4][3]。本馬は初めての産駒にあたる[1]

本馬の全妹にミスホクオー[3]優駿牝馬3着[1]。その産駒にヒダロマンビクトリアカップ[1]ブルーマックスアルゼンチン共和国杯〉)がいる。また全弟のカツミドリは中央競馬から南関東公営競馬へ移籍した際にオリオンホースと改名し、東京大賞典報知オールスターカップ(2回)を制している[1]。このほかに全弟としてキヨカミ(菊花賞3着)[1]、スマノオー(菊花賞4着)[1]がいる。


脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h 「第6回ビクトリアC」、『優駿』、日本中央競馬会、1976年1月、 80頁。
  2. ^ 大渕文明「内国産種牡馬の暗黒時代!」、『競馬名馬読本2』、宝島社、1994年3月8日、 132-133頁。
  3. ^ a b c d 伊与田翔 (2001年5月11日). “競馬以前 (12) 俳人兄弟とクロカミ” (日本語). 競馬の文化村もきち倶楽部. 2012年12月1日閲覧。
  4. ^ a b 「日本ダービー41年史」、『競馬四季報』第4巻第2号、サラブレッド血統センター、1975年5月15日、 40頁。

外部リンク[編集]