スイートネイティブ

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スイートネイティブ
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1977年3月18日
死没 1994年3月
パーソロン
スイートフランス
母の父 イクスクルーシヴネイティヴ
生国 日本の旗 日本
岩手県九戸郡種市町
生産 岩手シンボリ牧場
馬主 和田共弘
調教師 野平祐二美浦
競走成績
生涯成績 15戦8勝
獲得賞金 1億4151万円
勝ち鞍 安田記念(1982年)
七夕賞(1982年)
牝馬東京タイムズ杯(1982年)
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スイートネイティブ1977年3月18日 - 1994年3月)は、日本中央競馬会に所属していた競走馬繁殖牝馬

経歴[編集]

父・パーソロンは日本でリーディングサイアーを2回獲得した大種牡馬。母・スイートフランスはイクスクルーシヴネイティヴ産駒の輸入繁殖牝馬で、スイートネイティブは母の2番仔に当たる。同牝系からはセイウンスカイなどが出ている。

戦績[編集]

1980年[編集]

1980年2月中山芝1600mの新馬戦でデビューし、郷原洋行騎乗で2着に2馬身差をつけて勝ち上がった。2戦目の山桜賞(400万下)は1番人気に推されたが、不良馬場で勝馬に積極策を取られて2着に敗れた。3戦目の4歳S(中山芝1800m)では、柴田政人が初めて騎乗して2勝目を挙げた。こうしてデビューから2ヶ月足らずでオークスの有力候補に名乗りを上げたが、脚部不安を発症して休養を余儀なくされる。

10月の平場オープン戦(東京芝1800m)で復帰を果たし、ホウヨウボーイメジロファントムシービークロスら有力馬を抑えて勝利した。このレースぶりが評価され、初遠征となった11月エリザベス女王杯では重賞未勝利ながら4番人気に推された。レースでは道中中団からやや伸びを欠いて6着に敗退し、大舞台で初めて掲示板を外してしまう。最終戦のクリスマスS(1700万下)ではクビ差で勝って面目を保った。

1981年[編集]

1981年3月中山記念から始動し、一流牡馬を相手に鋭い脚を使って4着に入った。続くアルゼンチン共和国杯では人気のサーペンプリンスと直線残り100mまでマッチレースを演じたが、ゴール前で急に失速してまた4着に敗れる。その後はマイル・中距離路線を一貫して使い続けることとなった。5月ニュージーランドトロフィーで敗れた後に再び脚部不安を発症。以後9ヶ月ほどを休養期間に見立てたため、シーズン3戦を未勝利で終えている。

1982年・1983年[編集]

1982年2月のアクアマリンS(1300万下)で2年ぶりの勝利を挙げたが、モンテプリンスブロケードサンエイソロンら好メンバーが揃った中山記念ではエイティトウショウの6着に屈した。その後は軽い脚部不安を発症して千葉県成田市シンボリ牧場へ放牧に出された。

復帰戦の安田記念では岡部幸雄が騎手に据えられた。牝馬ながらトップハンデの57kgを背負ったブロケードが人気を集め、スイートネイティブは重賞未勝利でハンデ54kgということもあり6番人気であった。レースではハナを奪った中野渡清一騎乗のシュンシゲをブロケードが追い掛けて淡々とした緩みのない流れとなり、中団から競馬を進めたスイートネイティブにとっては有利な展開となる。直線に向くとブロケードが力強く伸びてシュンシゲを交わすが、坂下から猛然とスイートネイティブが加速し、外からブロケードに並びかけて先頭に立つ。最後は1馬身差でゴールインして重賞初勝利を飾った。

続く七夕賞ではハンデ56kgと一流馬並みの条件であったが、直線であっさりと抜け出し、追い込んできたサーペンプリンスを半馬身抑えて重賞2連勝を達成した。

その後は休養に入り、秋は10月牝馬東京タイムズ杯に出走した。重賞2連勝を含めて5連勝中のビクトリアクラウンと直接対決になったが、好位から競馬を進めたスイートネイティブが後方から追い込んだビクトリアクラウンを抑えて優勝し、重賞3連勝を飾った。

陣営は次走に第2回ジャパンカップを選択した。牝馬ながら日本馬中1番人気に推されたが、ハーフアイストオールアロングといった外国馬に成す術なく11着と大敗した。その年の最優秀5歳以上牝馬に選出されている。

1983年も現役続行するが、春に骨折して1戦も走れずに引退。

引退後[編集]

引退後は北海道沙流郡門別町のシンボリ牧場で繁殖牝馬となった。モガミとの初仔・ジュネーブシンボリが青葉賞でデビューして話題を集めたものの、他に目立った産駒は送り出せなかった。1994年3月死去。