メジロパーマー

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メジロパーマー
Mejiropa-ma.JPG
2002年9月4日撮影(アロースタッド)
欧字表記 Mejiro Palmer
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1987年3月21日
死没 2012年4月7日(25歳没・旧26歳)
メジロイーグル
メジロファンタジー
母の父 ゲイメセン
生国 日本の旗 日本北海道伊達市
生産 メジロ牧場
馬主 (有)メジロ牧場
調教師 大久保正陽栗東
厩務員 山田一蔵
競走成績
生涯成績 38戦9勝(うち障害競走2戦1勝)
獲得賞金 5億3674万2200円
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メジロパーマー日本競走馬種牡馬逃げ馬として知られ、1992年宝塚記念有馬記念に優勝、史上4頭目の春秋グランプリ連覇を達成した。同年のJRA賞最優秀5歳以上牡馬および最優秀父内国産馬。2016年現在、障害競走転向から平地競走に復帰しGI競走に優勝した唯一の馬である[注 1]。馬名は馬主の冠名「メジロ」と、プロゴルファーアーノルド・パーマーに由来する。

経歴[編集]

戦績[編集]

デビュー - 条件馬時代[編集]

1987年北海道洞爺湖町メジロ牧場で生まれる。父は本馬と同様に逃げ馬として人気を博したメジロイーグル。同期にはいずれも後にGI競走に優勝するメジロマックイーンメジロライアンらがおり、のちに「メジロ'87年組」と称される豊年の生まれだった。しかし、幼駒時から高い評価を受けていたマックイーン、ライアンに対し、本馬はさほど大きな期待はされていなかった[1]

3歳時に栗東トレーニングセンター大久保正陽厩舎に入り、8月にデビューを迎える。2度の2着を経て3戦目で初勝利を挙げると、次走のオープン特別戦も連勝する。しかしその後の2戦を着外(5着以下)に敗れると、京都3歳ステークスの競走後に左後脚の骨折が判明、長期休養を余儀なくされた。翌年6月に復帰するも精彩を欠き、重賞初出走となった函館記念の競走後に再び骨折し、再度の長期療養となった。古馬となっての復帰緒戦は12着と惨敗。ここで陣営はメジロパーマーの障害転向を検討し、平地競走に出走する傍らで障害練習が始められた。

獲得賞金規定により500万下クラスに降格する夏の成績次第での入障が検討されたが[1]、降格後初戦を2着とした後、次走・十勝岳特別を大差で逃げ切り、約1年9ヶ月振りの勝利を挙げた。これを受け、続いては格上挑戦でGIIIの札幌記念に出走。51kgの軽量も利して逃げ切り、重賞初優勝を果たした。

障害転向からグランプリ連覇へ[編集]

しかし以降は再び精彩を欠き始め、10月に出走した京都大賞典では最下位に惨敗した。これを受けて改めて障害転向が決定し、11月に障害競走デビューを迎えた。この初戦は圧倒的な1番人気に応えて6馬身差で勝利、次走でも2着となったが、競走後には全身傷だらけで戻ってくるなど飛越が下手であった。このため人馬共に事故が起きかねないという判断で、この2戦のみで障害に見切りを付け、休養に入った[2]

翌年春に復帰すると、2戦を消化して出走した新潟大賞典で重賞2勝目を挙げる。次走の宝塚記念では、メジロマックイーンの骨折休養により有力馬不在となった中でも9番人気という低評価だった。しかし1番人気のカミノクレッセに3馬身差を付けて逃げ切り、GI初制覇を果たした。鞍上を務めた山田泰誠にとっても、これがデビュー4年目でのGI初優勝となった。他方、この優勝は馬主さえ予想しておらず、マックイーンが出走不可能となった時点で牧場からの応援観戦予定が取り消しとなっていたため、通常は関係者が一堂に整列して行う記念撮影等も、非常に簡素なものになった[注 2]

秋は前年最下位の京都大賞典から始動し、2番人気に支持されたが9着と敗れる。続く天皇賞(秋)も、前半1000mを57秒5というハイペースで逃げた結果、ブービーと惨敗。「宝塚記念優勝はフロック」という評価を付され、有馬記念に出走した。春の骨折から復帰した前年のクラシック二冠馬トウカイテイオー、この年の菊花賞ミホノブルボン三冠を阻んだライスシャワー等が揃う中、メジロパーマーは春のグランプリを制しながら16頭立て15番人気という評価だった。

スタートが切られると、序盤から単騎逃げでレースを先導、途中上がってきたダイタクヘリオスと共に後続に10数馬身の差を付ける大逃げ打ち、第4コーナー手前で失速したヘリオスを尻目に直線で独走。最後は追い込んできたレガシーワールドをハナ差で凌ぎきり、史上5頭目の春秋グランプリ連覇を果たした。馬連配当3万1550円は、有馬記念史上最高の払戻額となった。この年のGI競走2勝が評価され、翌1月には最優秀5歳以上牡馬と最優秀父内国産馬に選出された。

なお、山田泰誠が主戦であり続けた理由の一つに「独特の手首の返しがこの馬に合っている」との話もある。

引退まで[編集]

7歳シーズン初戦には、天皇賞(春)の前哨戦・阪神大賞典に出走。大逃げを見せる。最後の直線ではナイスネイチャに一度は馬体を併せられながらもゴール前で再び突き放し、3分9秒2のレコードタイムで優勝した。3年連続出走となった天皇賞(春)では、いったん抜かされたメジロマックイーンに食い下がって、ライスシャワー、メジロマックイーンに続く過去最高の3着に逃げ粘り、グランプリホースの存在感を示した。

しかし連覇を目指して出走した宝塚記念では、掛かったニシノフラワーに競られてメジロマックイーンの10着と大敗すると以降は低迷し、秋は4戦して全て着外に終わった。そして迎えた8歳シーズン初戦の日経新春杯で60.5kgのトップハンデを背負いながらムッシュシェクルの2着と好走。その後は天皇賞(春)に向けて調整されていたが、右前脚に脚部不安を発症し休養に入り、以後復帰に向けて療養が続けられていたが、1994年9月22日に、競走馬を引退した。

引退後[編集]

競走馬引退後は北海道のアロースタッドで種牡馬として繋養された。しかし産駒には障害重賞の京都ハイジャンプを制したメジロライデンがいる程度で、総合的に種牡馬成績は芳しくなく、2002年を最後に種牡馬からも引退した。以後は故郷のメジロ牧場で功労馬として過ごしている。2006年には函館競馬場で行われたイベントに参加し、パドックでその姿がファンに公開された。ちなみに前年はメジロマックイーンが、翌年はメジロライアンが同様のイベントに参加している。

なお、初めて母父ともにメジロの冠名の付くメジロ牧場生産の種牡馬でもある(母父ともにメジロの冠名の付く種牡馬は同期で1年早く種牡馬入りしたメジロマックイーンがいるが、マックイーンはメジロ牧場生産ではなく吉田堅の生産である)。

2012年4月7日、功労馬として余生を送っていたレイクヴィラファームで、心臓麻痺のため死亡した。25歳没。

全成績[編集]

年月日 競馬場 レース名 頭数 人気 着順 距離(状態 タイム(上がり 着差 騎手 斤量 勝ち馬/(2着馬)
1989 8. 12 函館 3歳新馬 7 1 2着 芝1000m(良) 1:00.1 (36.1) 1.0秒 柴田政人 53 ゾウゲブネメガミ
8. 26 函館 3歳新馬 7 2 2着 芝1000m(良) 59.2 (35.7) 0.2秒 柴田政人 53 ゴールデンステート
9. 9 函館 3歳未勝利 9 1 1着 芝1200m(重) 1:13.6 (39.2) 1/2身 田面木博公 53 (ポットミツルボーイ)
9. 23 函館 コスモス賞 OP 7 1 1着 芝1700m(重) 1:47.7 (39.7) クビ 田面木博公 53 (キングオブトラック)
10. 14 京都 萩S OP 9 5 9着 芝1200m(良) 1:11.9 (37.0) 1.7秒 村本善之 54 (ヘイセイトミオー)
11. 25 京都 京都3歳S OP 10 8 8着 芝1600m(良) 1:38.2 (37.3) 1.7秒 田島良保 55 ニチドウサンダー
1990 6. 17 札幌 エルムS 6 5 5着 芝1800m(良) 1:51.7 (39.5) 2.7秒 河内洋 54 ユートタイム
7. 8 札幌 大雪ハンデキャップ 6 6 6着 芝1700m(良) 1:45.1 (38.6) 1.3秒 松永幹夫 50 シンノーブル
7. 22 札幌 道新杯 OP 11 11 5着 芝1800m(稍) 1:49.9 (37.4) 0.8秒 松永幹夫 52 ユートタイム
8. 5 函館 巴賞 OP 9 7 8着 芝1800m(良) 1:48.0 (36.0) 1.4秒 松永幹夫 53 ラッキーゲラン
8. 19 函館 函館記念 GIII 15 10 7着 芝2000m(良) 2:00.4 (38.6) 0.9秒 村本善之 48 ラッキーゲラン
1991 3. 2 中京 鈴鹿S 16 13 12着 芝1200m(良) 1:10.8 (36.7) 1.0秒 角田晃一 56 ゴールデンリッカ
3. 24 京都 大原S 14 11 3着 芝2400m(稍) 2:26.5 (37.2) 0.7秒 村本善之 53 タイイーグル
4. 6 京都 大阪城S OP 12 6 4着 芝2400m(良) 2:27.2 (36.7) 0.4秒 村本善之 51 エリモパサー
4. 28 京都 天皇賞(春) GI 18 16 13着 芝3200m(良) 3:21.6 (38.9) 2.8秒 松永幹夫 58 メジロマックイーン
6. 8 札幌 ニセコ特別 14 1 2着 芝1800m(良) 1:48.7 (36.8) 0.1秒 松永幹夫 57 スーパーシンザン
6. 22 札幌 十勝岳特別 6 1 1着 芝1800m(良) 1:48.8 (35.4) 大差 松永幹夫 57 (ラージェスト)
6. 30 札幌 札幌記念 GIII 16 4 1着 芝2000m(良) 2:00.9 (37.0) 1/2身 松永幹夫 51 モガミチャンピオン
8. 4 函館 巴賞 OP 14 2 6着 芝1800m(不) 1:51.7 (38.4) 1.1秒 松永幹夫 56 ツルマイナス
8. 18 函館 函館記念 GIII 14 4 5着 芝2000m(良) 1:59.8 (37.5) 0.7秒 松永幹夫 54 メジロマーシャス
10. 6 京都 京都大賞典 GII 7 6 7着 芝2400m(良) 2:29.7 (38.7) 3.2秒 角田晃一 57 メジロマックイーン
11. 2 京都 障害未勝利 9 1 1着 3000m(良) 3:24.5 (42.8) 6身 押田年郎 59 (カルストンパーシア)
12. 1 阪神 障害400万下 11 1 2着 ダ3150m(良) 3:32.5 (40.6) 0.7秒 押田年郎 59 アインカイゼル
1992 3. 29 阪神 コーラルS OP 13 7 4着 芝1400m(重) 1:24.8 (37.5) 0.6秒 安田隆行 56 バンブーパッション
4. 26 京都 天皇賞(春) GI 14 12 7着 芝3200m(良) 3:22.9 (39.0) 2.9秒 山田泰誠 58 メジロマックイーン
5. 17 新潟 新潟大賞典 GIII 13 7 1着 芝2200m(良) 2:13.4 (36.2) 4身 山田泰誠 54 (タニノボレロ)
6. 14 阪神 宝塚記念 GI 13 9 1着 芝2200m(良) 2:18.6 (39.8) 3身 山田泰誠 57 カミノクレッセ
10. 11 京都 京都大賞典 GII 14 2 9着 芝2400m(良) 2:26.1 (37.1) 1.5秒 山田泰誠 59 オースミロッチ
11. 1 東京 天皇賞(秋) GI 18 10 17着 芝2000m(良) 2:00.4 (39.0) 1.8秒 藤田伸二 58 レッツゴーターキン
12. 27 中山 有馬記念 GI 16 15 1着 芝2500m(良) 2:33.5 (37.3) ハナ 山田泰誠 56 レガシーワールド
1993 3. 14 阪神 阪神大賞典 GII 11 3 1着 芝3000m(良) R3:09.2 (37.7) 1/2身 山田泰誠 59 タケノベルベット
4. 25 京都 天皇賞(春) GI 15 4 3着 芝3200m(良) 3:17.6 (37.0) 0.4秒 山田泰誠 58 ライスシャワー
6. 13 阪神 宝塚記念 GI 11 2 10着 芝2200m(良) 2:21.5 (41.6) 3.8秒 山田泰誠 56 メジロマックイーン
10. 10 京都 京都大賞典 GII 10 3 9着 芝2400m(良) 2:25.7 (38.3) 3.0秒 山田泰誠 59 メジロマックイーン
10. 30 京都 スワンS GII 16 3 11着 芝1400m(重) 1:22.7 (35.8) 0.8秒 山田泰誠 59 シンコウラブリイ
11. 28 東京 ジャパンC GI 16 11 10着 芝2400m(良) 2:25.4 (37.3) 1.0秒 山田泰誠 57 レガシーワールド
12. 26 中山 有馬記念 GI 14 9 6着 芝2500m(良) 2:31.9 (36.3) 1.0秒 横山典弘 56 トウカイテイオー
1994 1. 23 阪神 日経新春杯 GII 16 2 2着 芝2500m(良) 2:35.8 (38.0) 0.3秒 山田泰誠 60.5 ムッシュシェクル

特徴[編集]

逃げ切りか惨敗かという極端な成績、「障害帰り」という異色の経歴、父子二代の逃げ馬という背景などから、同時代屈指の個性派として人気を博した。また、数々の騎手が騎乗した中でも特に6歳以降の山田泰誠とは名コンビとされた。元々はレースで不真面目な態度を見せるパーマーに対し、馬の我儘を許さない山田の性格が買われて主戦騎手に抜擢されたもので[3]、「大逃げ」という戦法で一流馬に成長させたのは山田であるという評価もある[注 3][注 4]

他方、その実力に対しては春秋グランプリを連覇してもなお「フロック」という評価が根強く、有馬記念後に出走した阪神大賞典で牝馬のタケノベルベットにも劣後する3番人気であったことからも窺える。このため、山田はマスコミに対し常々「パーマーは本当に強い馬なんです」と訴えていた。また競馬評論家井崎脩五郎は、1992年に出走した天皇賞(春)で史上屈指のハイペースで逃げながら7着となったのを見て「あのハイペースで逃げたなら最下位が当たり前なのに、7着とは相当強い」と感じたと述べている[4]

障害転向については単に経歴に色を付けたのみに留まらず、障害練習を行ったことにより、腰回りをはじめとする後躯の筋肉が強化され、本格化を促したという説もあるが、管理した大久保は馬自身の成長であるとしている[5]

血統表[編集]

メジロパーマー血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 プリンスローズ系
[§ 2]

メジロイーグル
1975 鹿毛
父の父
メジロサンマン
1963 鹿毛
Charlottesville Prince Chevalier
Noorani
*パラディシア
Paradisea
Aureole
Chenille
父の母
*アマゾンウォリアー
Amazon Warrior
1960 鹿毛
Khaled Hyperion
Eclair
War Batsy War Relic
Betsy Ross

メジロファンタジー
1981 黒鹿毛
*ゲイメセン
Gay Mecene
1975 黒鹿毛
Vaguely Noble *ヴィエナ
Noble Lassie
Gay Missile Sir Gaylord
Missy Baba
母の母
*プリンセスリファード
Princess Lyphard
1975 鹿毛
Lyphard Northern Dancer
Goofed
*ノーラック
No Luck
Lucky Debonair
No Teasing
母系(F-No.) ノーラック系(FN:1-s) [§ 3]
5代内の近親交配 Aureole 4×5、Nearco 5×5、Hyperion 4・5(父系内) [§ 4]
出典
  1. ^ [6]
  2. ^ [7]
  3. ^ [8][6]
  4. ^ [6]
父・メジロイーグルは京都新聞杯の勝ち馬[8]
母系
祖母プリンセスリファードはモガミの全姉[8]

参考文献[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ホクトベガのようにダート路線に変更する前に障害調教を受けた馬やブゼンキャンドルウインクリューガーのようにGI競走勝利後障害競走に転向した馬は存在している。
  2. ^ この日阪神競馬場を訪れていたのはメジロ商事社長の北野俊雄のみであり、北野も観戦を終えたらすぐに帰るつもりで、場外に車を待たせていた(『優駿』2000年1月号 95頁)。
  3. ^ 競馬実況アナウンサーの杉本清は、7歳時の阪神大賞典優勝時に「山田泰誠はこの馬の能力を本当によく知っている」と実況し、後に自著の中で「パーマーの良き理解者」と述べている(杉本 95頁)。
  4. ^ メジログループ総帥の北野ミヤは、パーマーが有馬記念で優勝した際、山田に対し「お前はよっぽどパーマーに合うんだね」と声を掛けている(『優駿』2000年2月号 95頁)。

出典[編集]

  1. ^ a b 『優駿』2000年2月号 92頁。
  2. ^ 『優駿』2000年2月号 93頁。
  3. ^ 『優駿』2000年1月号 94頁。
  4. ^ 『競馬ワンダーランド』(ぴあ、1993年)8頁
  5. ^ 『優駿』2000年2月号 95頁。
  6. ^ a b c 血統情報:5代血統表|メジロパーマー”. JBISサーチ. 日本軽種馬協会. 2015年6月16日閲覧。
  7. ^ メジロパーマーの血統表|競走馬データ - netkeiba.com”. netkeiba.com. 株式会社ネットドリーマーズ. 2016年7月21日閲覧。
  8. ^ a b c 『優駿』1993年5月号、日本中央競馬会、137頁

外部リンク[編集]