セントクレスピン

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セントクレスピン
欧字表記 Saint Crespin
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1956年
死没 不明(1981年用途変更)
Aureole
Neocracy
母の父 Nearco
生国 イギリスの旗 イギリス
生産者 Prince Aly Khan
馬主 Prince Aly Khan
調教師 アレック・ヘッドフランス
競走成績
生涯成績 6戦4勝
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セントクレスピンSaint Crespin1956年 - 不明)はフランス競走馬種牡馬1959年凱旋門賞を制し、種牡馬としてはタイテエムエリモジョージを輩出した。

半兄ダービーステークスキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスなどを制したTulyarがいる。

経歴[編集]

競走馬時代[編集]

1959年の凱旋門賞馬として知られる。エクリプスステークス、凱旋門賞時の騎乗騎手はジョージ・ムーアであり、凱旋門賞は、Midnight Sunとの1着同着だったが、のちにMidnight Sunが進路妨害により2着降着となったことにより、単独の優勝となった。1960年頃に競走馬を引退した。

種牡馬時代[編集]

1960年アイルランドで種牡馬入りするとイギリスオークスアイリッシュオークスを制したAltesse Royale(日本に種牡馬として輸入され活躍したマグニテュードの母)を筆頭に牝馬中心に多数活躍馬を輩出。1971年日本に輸入されると豊富なスタミナを伝え、天皇賞・春優勝馬を2頭も出し、一躍人気種牡馬となった。

老齢もあり1981年用途変更[1]、種牡馬を引退。その後は屠殺され食肉となったとされている[要出典]。凱旋門賞優勝馬であり、日本でも種牡馬として成功を収めた馬であったが悲惨な末路となった。

年度別競走成績[編集]

※当時グレード制なし

  • 1958年(1戦1勝)
    • インペリアルプロデュースステークス
  • 1959年(5戦3勝)
    • エクリプスステークス、凱旋門賞、ギシュ賞

主な産駒[編集]

日本国外調教馬[編集]

日本国内調教馬[編集]

太字は勝利した八大競走

ブルードメアサイアーとしての主な産駒[編集]

エピソード[編集]

セントクレスピンが日本に輸入された際、この馬は勃起不全という、種牡馬として致命的な状態に陥っている事が判明した。このままでは種付けすることはできないが、原因が分からないため獣医が治療を試みても効果が無く、関係者一同が頭を抱えていたという。

そんな時に、たまたま北海道を訪れていた調教師矢野幸夫[注 1]が、凱旋門賞馬であるセントクレスピンを興味半分に見物に来た。矢野が馬体に触れてゆくと、背骨の並びに僅かなズレを発見。そのズレを木槌で叩いて整復すると、セントクレスピンの勃起不全は嘘のように治り、種付けが可能になったという。

血統表[編集]

セントクレスピン血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 オリオール系
[§ 2]

Aureole
1950 栗毛
父の父
Hyperion
1930 栗毛
Gainsborough Bayardo
Rosedrop
Selene Chaucer
Serenissima
父の母
Angelola
1946 鹿毛
Donatello Blenheim
Delleana
Feola Friar Marcus
Aloe

Neocracy
1944 栗毛
Nearco
1935 黒鹿毛
Pharos Phalaris
Scapa Flow
Nogara Havresac
Catnip
母の母
Harina
1933 鹿毛
Blandford Swynford
Blanche
Athasi Farasi
Athgreany
母系(F-No.) (FN:22-a) [§ 3]
5代内の近親交配 Blandford 5×3、Chaucer 4×5、Canterbury Pilgrim 5×5 [§ 4]
出典
  1. ^ [2]
  2. ^ [3]
  3. ^ [2]
  4. ^ [2]


脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 矢野師はカイロプラクティックの技術を取得し、競走馬にこれを使用した事で知られ、調教師引退後は馬の整体師に転職した。

出典[編集]

  1. ^ セントクレスピン(GB) - 血統書サービス、2022年4月25日閲覧。
  2. ^ a b c 血統情報:5代血統表|セントクレスピン(GB)”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2015年8月13日閲覧。
  3. ^ 小林皓正(編)『サラブレッド血統マップ'93』コスモヒルズ、1993年、26-27頁。 

外部リンク[編集]