デトロワ

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デトロワ
品種 サラブレッド
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 1977年2月24日
死没 2001年5月20日
Riverman
Derna
母の父 Sunny Boy
生国 フランスの旗 フランス
生産 Societe Aland
馬主 Robert Sangster
調教師 Olivier Douieb
競走成績
生涯成績 13戦8勝(8-0-1-4)
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デトロワ (Detroit) とは、フランス生まれのサラブレッドである。
競走馬として1980年の凱旋門賞を制し、また、繁殖牝馬としても産駒のカーネギーが1994年の凱旋門賞を制したことにより、史上初の凱旋門賞母子制覇を達成した。

経歴[編集]

出自[編集]

Rivermanは1972年のプール・デッセ・デ・プーランなどを制したネヴァーベンドの代表産駒であり、種牡馬としてもアイリッシュリヴァーバーリゴールドリヴァートリプティクなどを輩出して成功した。
母Dernaの産駒にはデトロワの姉にチェヴァリーパークステークス優勝馬Durtal(繁殖牝馬としてアスコットゴールドカップ優勝馬Gildoranを産む)がおり、その牝系からは豪州の成功種牡馬ザビールも出ている。
母の父Sunny Boyはテディ系の種牡馬であり、おもな産駒に1954年凱旋門賞馬Sica Boy、母の父として1962年ジョッケクルブ賞優勝馬Val de Loirや1966年オークス優勝馬Valorisなどを輩出していた。
デトロワは、生産者Societe Alandのもとで誕生後、およそ100,000ポンドでRobert Sangsterによって購買され、シャンティイのOlivier Douiebのもとで調教された。

3歳時 (1980年)[編集]

デトロワのデビューは3歳5月末と遅かったが、サンクルーの2100mのメイドンレースを2着馬Kotkieに5馬身差をつけてデビュー勝ちを収めた。
春のクラシックレースであるプール・デッセ・デ・プーリッシュディアヌ賞には出走できなかったが、6月のサンクルーのG3フィユドレール賞(2100m)ではゴールドリヴァー(Gold River)に2馬身半差、7月のエヴリ競馬場のG3クロエ賞(1800m)ではLicaraに1馬身半差、8月末のドーヴィルのノネット賞(2000m)ではIndia Songに2馬身差と、2着馬に差を付けて中距離重賞を3連勝した。
デトロワは、9月には凱旋門賞と同じロンシャンの2400mで行われるフランス牝馬クラシック最終戦のG1ヴェルメイユ賞に駒を進め、プール・デッセ・デ・プーリッシュ優勝馬Aryenne、ディアヌ賞優勝馬Mrs Penny、愛1000ギニー優勝馬Cairn Rouge、ゴールドリヴァーなどと対決した。ヴェルメイユ賞ではレースがスローペースで進むなか、馬群に閉じ込められたデトロワはMrs Pennyから半馬身差、2着のLittle Bonnyから3/4馬身差の3着に敗れ、タイムフォーム誌などはデトロワにはつきがなかったと評価した。
前走で連勝は止まったものの、大目標とした10月の凱旋門賞に出走したデトロワは、エクリプスステークスキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスを連勝した1番人気エラマナムー(Ela-Mana-Mou)、2番人気のガネー賞優勝馬Le Marmot、3番人気で前年優勝馬のスリートロイカス(Three Troikas)に続いて、4番人気であった。凱旋門賞は、前走ヴェルメイユ賞とは打って変わって、数頭のペースメーカーに引っ張られてハイペースで進み、早い段階で外に持ち出されたデトロワはラスト200mで内のエラマナムーとスリートロイカスを抜き去り、後から来たアーギュメント(Argument)を半馬身抑えて2:28.0のレコードで優勝した。
この成績が認められ、この年のタイムフォームレイティングでは、牝馬首位の131ポンドと評価された。

4歳時 (1981年)[編集]

デトロワは現役を続けた翌1981年の春は苦戦を強いられ、凱旋門賞2着後にワシントンDCインターナショナルに優勝したアーギュメントに4月のオカール賞4着、5月のガネー賞5着と連敗した。
その後、4ヶ月近く休養し、8月末にクレールフォンテーヌ競馬場のマイナーレースであるアロマンシェ賞(2200m)で復帰して勝利すると、わずか4日後にはドーヴィルのリッジウェイ賞(2000m) にも勝って、9月には凱旋門賞のプレップレースのひとつであるロンシャンのG3フォワ賞(2400m)に挑んだ。タイムフォーム誌によると、このときのデトロワはコンディションは上がっているものの、脚に問題を抱えてバンテージをしているのではないかと心配されていた。レースではスローペースで流れるなか直線で早めに加速して、2着のLancastrianに2馬身差、3着のゴールドリヴァーを抑えて勝利した。
しかしながら、勢いに乗って連覇を狙う凱旋門賞に2番人気で出走したものの、好位から直線では馬群に沈み、13番人気の低評価を覆したゴールドリヴァーを後目に二桁着順で大敗した。
その後、初めて渡米しアケダクトターフクラシックに出走するもその年のヴェルメイユ賞に勝ち、前走の凱旋門賞でも3着と好走したエイプリルラン(April Run)の5着に敗れて、引退した。

引退後[編集]

引退後は馬主のSwettenham Studで繁殖入りし、サドラーズウェルズ産駒のカーネギーが凱旋門賞やサンクルー大賞に勝ったほか、Kings Lake産駒のLake Erieが英G3セントサイモンステークスに、ノーザンダンサー産駒のAntisaarが仏G2ギョーム・ドルナーノ賞に勝っており、3頭の重賞勝ち馬を輩出した。

血統表[編集]

デトロワ血統ネヴァーベンド系>リヴァーマン系/ Teddy M5×M5=6.25% 、Gainsborough M5×M5=6.25% ) (血統表の出典)
父系

Riverman (USA)
1969 鹿毛
父の父
Never Bend (USA)
1960 鹿毛
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Lalun Djeddah
Be Faithful
父の母
River Lady (USA)
1963 鹿毛
Prince John Princequillo
Not Afraid
Nile Lily Roman
Azalea

Derna (FR)
1961 鹿毛
Sunny Boy (FR)
1944 鹿毛
Jock Asterus
Naic
Fille de Soleil Solario
Fille de Salut
母の母
Miss Barberie (FR)
1950 鹿毛
Norseman Umidwar
Tara
Vaneusel Vatellor
Diseuse
F-No.16-c
母系(F-No.)
5代内の近親交配
出典

外部リンク[編集]