単枠指定制度

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単枠指定制度(たんわくしていせいど)とは、かつて中央競馬競走において行われていた勝馬投票券(馬券)の発売に関する制度。

解説[編集]

かつて連勝式馬券は枠番連勝(枠連)しかなく、馬番連勝(馬連)は存在しなかった。これは複数頭の馬を1つの枠にくくることによって組み合わせ総数を抑え、配当を下げることにより射幸心を抑えることが目的であった。

しかし、ある出走馬に圧倒的な投票人気がある場合、その馬が出走取消および競走除外になっても、同枠に他馬がいる場合は残った馬が馬券に絡む可能性がまだあるため、馬券の返還を行うことができない[1]。残った馬が人気薄の場合は、投票人気に比べてその馬券の的中する確率が著しく低下してしまう。

このような問題を解消する方法として、圧倒的な投票人気があると予想される馬を1頭の枠に固定する制度が採用された。主催者である日本中央競馬会が、概ね単勝支持率が30%を超えることが推測され、投票人気が特に集中すると判断した出走馬を指定して1頭の枠(単枠)に固定し、他馬を同枠に入れないというものであった。

1973年東京優駿(日本ダービー)でハイセイコーが66.7%の単勝支持率を叩き出したのが導入の契機となった。制度が最初に適用されたのは1974年皐月賞で、ここまで無敗のキタノカチドキが単枠に指定された。この競走ではキタノカチドキが優勝している。その後1976年菊花賞トウショウボーイクライムカイザーの2頭が単枠指定となったが、これは初の2頭同時の単枠指定競走となった。

なお、1レースに単枠指定が適用される頭数はシステム上最大3頭までで、第29回有馬記念では3頭が指定(シンボリルドルフミスターシービーカツラギエース)、第30回有馬記念では2頭が指定(シンボリルドルフ・ミホシンザン)されたなどの例がある。

重賞に限らず特別競走、一般競走(いずれも障害競走[2]を含む)[3]においても単枠指定がなされることもある。

導入当初はシード制と呼ばれていたが、後に名称が改められた。

出馬投票は最初に単枠指定馬の枠番(馬番ではない)を決めてから他馬の馬番を決めるため、枠番による有利不利を受けやすいという問題も抱えていた[4]

1991年10月5日より、馬番連勝複式勝馬投票券が全国発売されたことに伴い廃止となった。なお、同年9月22日中山競馬場で行われたラジオ日本賞セントライト記念に出走したレオダーバンが最後の単枠指定適用となったが、3着に終わっている。

類似する制度[編集]

単枠指定制度と似たような制度として、出走を取り消した人気馬と同枠の馬も出走取消にする友引除外(ともびきじょがい)があり、かつて地方競馬などの公営競技で採用されていた。

中央競馬でこの制度が存在したことはないが、非公式に行われていたことをうかがわせる資料がある。1971年有馬記念で先に出走を取り消したメジロアサマと同じ枠だったカミタカは、公式には感冒により出走を取り消したが、1973年に作成された「競馬懇談会中間報告書」には「馬主に対し競馬会から説得して」出走を取り消させたと記されている[5]

脚注[編集]

  1. ^ 同枠に残り1頭になった場合のぞろ目の枠連のみは、的中する可能性が全くないため例外的に返還される。
  2. ^ 障害競走での最後の単枠指定適用となったのが、1989年12月2日中山競馬第6競走(サラブレッド系障害オープン)に出走したメジロマスキットで、5着となっている。競馬 - サラ系障害3歳上オープン結果 - スポーツナビ、「競馬成績公報」(日本中央競馬会刊)1989年版 索引番号3406より。
  3. ^ 一般競走での最後の単枠指定適用となったのが、1990年4月7日、中山競馬第1競走(アングロアラブ系競走)に出走したショウブラッキーで、4着となっている。競馬 - アラ系3歳上オープン 結果 - スポーツナビ、「競馬成績公報」(日本中央競馬会刊)1990年版 索引番号849より。
  4. ^ キタノカチドキが出走した東京優駿は23頭立てであったが、残り22頭を3頭(最外枠のみ4頭)ずつ7つの枠に振り分けるため、キタノカチドキが取りうる馬番は1番・4番・7番・10番・13番・16番・19番・23番の8通りしかなかった。実際にキタノカチドキが引いたのは7枠19番であった。
  5. ^ 優駿1973年5月号、p.22

関連項目[編集]