小林英一 (実業家)
表示
こばやし えいいち 小林 英一 | |
---|---|
生誕 |
1931年7月20日(93歳)[1][2] 日本 東京都[1][2] |
住居 | 北海道芦別市(2012年時点)[3] |
職業 | |
肩書き | |
子供 |
|
小林 英一(こばやし えいいち、1931年7月20日[1] - )は、日本の実業家、馬主。
玉軸受(ボールベアリング)の設計・製造を手がける北日本精機株式会社、および販売を手がけるサッポロプレシジョン株式会社の創業者で、現代表取締役会長。また、2012年の二冠馬ゴールドシップの馬主としても知られる。
なお、転がり軸受ユニットの製造を手がける日本ピローブロック(現FYH)元社長であり、2024年現在「ニホンピロ」の冠名を用いる馬主である小林英一[注 1]とは、同姓同名の別人である。
経歴
[編集]部品メーカーに就職し営業マンとして勤めたのち、1969年に北日本精機株式会社を設立した[1]。その後、社長職を長男の以智郎に譲り、現在は会長に就任している。
芸術への造詣が深く、北海道芦別市に「小林英一記念美術館」と、空撮写真家の清水武男の作品を展示する「清水武男世界空撮写真館」を開設している[4]。
馬主活動
[編集]日本中央競馬会(JRA)に登録する馬主としても知られる。勝負服の柄は赤、白袖赤一本輪、冠名は特に用いない。当初は個人名義で馬主登録をしていたが、現在は法人名義である「合同会社小林英一ホールディングス」で登録されている。会社代表は次男の小林正和[6]。
30代の頃より競馬ファンとなったといい、当時は騎手の野平祐二が好きであった[1]。そのお手馬であったスイートフラッグに惚れ込み、馬主となった際にはこの馬の血統を買うと決めていたという[1]。その後、馬主となりスイートフラッグを近親に持つパストラリズムを最初に所有したが、その孫の中の1頭がゴールドシップであった。
来歴
[編集]- 1988年 - 馬主資格取得[1]。
- 1990年 - 8月4日の3歳未勝利戦をパストラリズムが制し、初勝利。
- 2003年 - 東京新聞杯をボールドブライアンが制し、重賞初制覇。
- 2012年 - 皐月賞をゴールドシップが制し、GI級競走初制覇。その後同年の菊花賞も制し、クラシック二冠を達成した。
- 2014年 - 9月4日から9月27日の間に、所有馬の名義を合同会社小林英一ホールディングスに変更。
- 2015年 - 阪神大賞典をゴールドシップが制し、現在の名義で重賞初制覇。その後同年の天皇賞・春も制し、GI級競走も制覇した。
主な所有馬
[編集]GI級競走優勝馬
[編集]重賞競走優勝馬
[編集]その他の所有馬
[編集]- ポイントフラッグ(2001年チューリップ賞2着、ゴールドシップの母)
- ハッピールック(オープン2勝、2001年アルゼンチン共和国杯2着、2003年ダイヤモンドステークス2着、個人名義時)
- ランドネ(2018年スイートピーステークス、紫苑ステークス3着、2019年愛知杯3着、2020年福島牝馬ステークス3着)
受賞
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h “【日本ダービー】ゴールド小林オーナー「心が躍る」”. スポニチアネックス. スポーツニッポン (2012年5月23日). 2023年2月23日閲覧。
- ^ a b c d “小林英一”. 清水武男世界空撮写真館. 2023年2月23日閲覧。
- ^ “【菊花賞】小林オーナー“初”の口取りに感無量”. ウマニティ (2012年10月22日). 2023年2月23日閲覧。
- ^ a b “小林英一記念美術館・清水武男世界空撮写真館”. 星の降る里あしべつ 芦別観光総合ガイド. 一般社団法人 芦別観光協会. 2023年2月23日閲覧。
- ^ “【宝塚記念】ゴールドのオーナー代理も感無量”. サンスポZBAT. サンケイスポーツ (2013年6月24日). 2022年11月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月23日閲覧。
- ^ 令和元年(2019年)7月10日発行・札幌馬主協会 「北の蹄跡」(通巻第64号) (PDF) P26 会員の異動「代表者変更」欄より