近藤武夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

近藤 武夫(こんどう たけお、1922年8月22日 - 1961年1月6日)は日本競馬会国営競馬日本中央競馬会に所属した騎手北海道札幌市出身。

来歴[編集]

タチカゼ鞍上の武夫
1949年6月5日

1939年1月に鳴尾競馬場青池良佐厩舎に見習騎手として入門。しかし青池が死去したため、伊藤勝吉厩舎に移籍。1942年4月12日に初騎乗・初勝利を挙げた。

以来、伊藤厩舎の所属騎手として騎乗したが、体格があったために米飯を摂らないなどの食事制限を続けた。それでも体重が重く平地競走にはあまり乗れなかったため、障害競走を中心に騎乗していた。しかしながら平地競走においても1949年優駿競走(日本ダービー)をタチカゼで、1960年宝塚記念ホマレーヒロで勝利するなど、数々の重賞や特別競走で勝利した。口数こそ少ない」が、温厚で人望も厚かったという。

1960年12月24日阪神競馬場の第7競走(障害特別・9頭立て)でチトセチカラに騎乗、第7障害で馬が飛越を拒否したところに後続のミヤギオーが激突して落馬。肋骨骨折による外傷性気胸を発症して入院したが、翌年1月6日に右肺損傷のため39歳で死去した。

おもな騎乗馬[編集]

参考文献[編集]

  • 「日本調教師・騎手名鑑 1961年版」(日本調教師・騎手名鑑刊行会、井上康文、1961年)
  • 「日本中央競馬会十年史」(日本中央競馬会、1965年)

関連項目[編集]