アテーナー

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アテーナー
Ἀθηνᾶ
戦い、知恵の女神, 都市の守護女神
ペイディアスが制作したアテーナー・パルテノス像のローマ時代のコピー。アテネ国立考古学博物館所蔵
信仰の中心地 アテーナイ
住処 オリュムポス
武器 アイギス
シンボル フクロウ, オリーブ
ゼウス, メーティス
兄弟 アポローン, アルテミス, アレース, ヘーパイストス, ヘルメース, ディオニューソス, エイレイテュイア, ヘーベー
ローマ神話 ミネルウァ
祝祭 パンアテーナイア祭, アレーポリア祭, スキーポリア祭
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アテーナー古代ギリシア語Ἀθηνᾶ, Athēnāイオーニア方言Ἀθήνη, Athēnē アテーネードーリス方言Ἀθάνα, Athana アターナー叙事詩体Ἀθηναίη, Athēnaiē アテーナイエー)は、知恵芸術工芸戦略を司るギリシア神話女神で、オリュンポス十二神の一柱である。アルテミスヘスティアーと同じく処女神である。

女神の崇拝の中心はアテーナイであるが、起源的には、ギリシア民族ペロポネーソス半島を南下して勢力を伸張させる以前より、多数存在した城塞都市の守護女神であったと考えられている。ギリシアの地に固有の女神だが、ヘレーネス(古代ギリシア人)たちは、この神をギリシアの征服と共に自分たちの神に組み込んだのである。

日本語では主に長母音を省略してアテナアテネと表記される場合が多い。

説明[編集]

都市守護神[編集]

アテーナイテトラドラクマには、表面(左)にはアテーナーの頭部が、裏面(右)にはアテーナイのポリスを象徴するフクロウオリーブの小枝と三日月が刻印されていた。

アテーナーは、古くからギリシアの地にあった城塞都市にあって、「都市の守護女神」として崇拝されて来た。この崇拝の伝統は、ミーノーア文明まで遡る。その神殿は都市を象徴する小高い丘、例えばアテーナイであれば、アクロポリスに築かれており、女神を都市の守護者とする崇拝は、ギリシア全土に及んでおり、アテーナイ、ミュケーナイコリントステーバイなどの有力な都市でも、その中心となる丘上には、女神の神殿があった。アテーナイは多くのポリスにおいて、「ポリウーコス(都市守護者)」の称号で呼ばれていた。

このようにアテーナーは、都市の守護者であり、アテーナーの戦いは、都市の自治と平和を守るための戦いで、ただ血生臭く暴力が優越する軍神アレースの戦いとは異なるものである。

女神は、アテーナイのアクロポリスパルテノーン(処女宮、Parthenon)の神殿を持ち、フクロウを自己の聖なる動物として持っていた。ホメーロスは女神を、グラウコーピス・アテーネー(glaukopis Athene)と呼ぶが、この定型修飾称号の「グラウコーピス」は、「輝く瞳を持った者」「灰色・青い瞳を持った者」というのが本来の意味と考えられるが、これを、梟(グラウクス)と関連付け、「梟の貌を持った者」というような解釈も行われていた。女神はまた、知恵を表すや、平和の印としてオリーブをその象徴としていた[1]

三代の王権とアテーナーの誕生[編集]

ヘーシオドスが『神統記』に記すところでは、アテーナーはゼウスの頭頂部より武装して鎧を纏った姿で出現したとされる。

ギリシア神話の神々の系譜においては、オリエントの神々の系譜と同様に、三世代にわたる神々の「王権」の移譲・強奪があった。ギリシア神話では、天の神ウーラノスが第一の王権を持ち、原初の大地大神ガイアとの間に多数の息子・娘をなした。これがティーターンの一族である。ウーラノスの末子がクロノスであり、クロノスは母ガイアに教唆されて、絶対の権力を振るった父ウーラノスを不意打ちで攻撃し、ウーラノスの男性器を切り落とした。こうしてクロノスが神々の王権の第二の支配者となる。しかしクロノスはガイアとウーラノスの予言によって、彼もまた自分の子によって支配権を奪われるだろうとされたため、生まれてくる子供達を飲み込んだが、ゼウスだけはクレタ島に逃れ、やがて成長したゼウスは兄弟姉妹達を復活させ、クロノスの王権を簒奪する。

このようにしてゼウスを主権者とするオリュンポスの王権が誕生したが、ゼウスもまたガイアとウーラノスによる予言を受けた。それは、最初の配偶者である女神メーティスとの間に生まれる子供は、最初に、母に似て智慧と勇気を持つ娘が生まれ、次には傲慢な息子が生まれるだろう。そしてゼウスの王権は再度、彼らによって簒奪されるだろうというものである。その後メーティスが身籠もると、ゼウスは妊娠したままのメーティスを素早く飲み込み、禍根を断とうとした。

『アテーナーの誕生』 (ルネ=アントワーヌ・ウアス作、1688年より前、ヴェルサイユ宮殿所蔵)

アポロドーロスが『ギリシア神話』で述べるところでは、胎児は、ゼウスの身体の中で生き続け成長し、ゼウスは激しい頭痛を感じるようになったため、プロメーテウスに(また一説では、ヘーパイストスに)斧(ラブリュス)でみずからの頭部を割らせると、中から出てきたのが、甲冑を纏った成人した姿のアテーナーであった[2]。アテーナーが生まれると同時に、宇宙は大きくよろめき、大地と大海は轟音を発しながら揺れ動き、太陽は軌道上で停止した[3]。こうして、形式上、アテーナーを生んだのはメーティスではなくゼウス本人だということになったので、ゼウスによるオリュンポスの支配は揺らぎないものとなった。ゼウスの子供たちの中で、アテーナーはゼウスの最も気に入りの娘であり、アテーナーに対する偏愛により、他の神々は嫉妬した[4]

女神の誕生に関する異説[編集]

ロバート・グレイヴズが『ギリシア神話』で記すところでは、アテーナーはヘレーネスがギリシアに到来する以前から、母権制社会のペラスゴイ人英語版によって崇拝されていた、人面蛇身で顔を見た者を石に変える大地の女神メテュスであったとする(ただしグレイヴズの主張に学術的裏づけはない)。ペラスゴイ人の伝承では、女神はリビアのトリートーニス湖のほとりに誕生したとされる。土地の三柱のニュムペーが女神を養育した。

女神は山羊革の衣類を纏うリビアで成長した。少女の頃、友達であるパラスと槍と楯を持って闘技で遊んでいたところ、間違ってパラスを殺してしまった。それを悲しんだ女神は、自分の名の前に「パラス」を置き、パラス・アテーナーと名乗ることにしたという[5]。成長した女神はクレータ島を訪れ、そしてギリシア本土のアテーナイへとやって来た。

他にも、雲の中に隠れていたアテーナーをゼウスが雲に頭をぶつけることによって誕生させたともいわれる。

女神の祭儀と神殿[編集]

『アテーナーとムーサたち』 (ジャック・ステラ作、1640-1645年頃、ルーヴル美術館所蔵)
パリスの審判ルーベンス画 (1636年、国立美術館所蔵)

アテーナーの祭儀でもっとも著名なものは、その崇拝の中心地であるアテーナイ市で7月に行われるパンアテーナイア祭である。これはアテーナーの誕生日(ヘカトンバイオーンの月の28日)を祝う祭りで、アッティケー都市連合の成立も記念して祝われた。馬術詩歌音楽文芸などの競技が催された。この祭りは4年に一度大祭が行われ、パンアテーナイア祭はとくにこの大祭を指すことがある。このときはパルテノーン神殿にあるアテーナーの神像の衣が取り替えられ、乙女たちが新しく織った衣を着せた。アテーナイのアクロポリスのパルテノーン神殿のメトープには、この衣を運ぶ行列の模様が彫られている。

女神の神殿はアクロポリスの頂にあるパルテノーン神殿が著名で、また同じくアクロポリスに、女神は「エレクテウスの宮居」を備えていたとされる。エレクテウスは人名であるが、これは恐らく、古代アテーナイの伝説の王であるエリクトニオスの別名と考えられる。アテーナイの支配権をめぐって、かつて海神ポセイドーンとアテーナーが争ったことがあり、初代アテーナイ王ケクロプスが女神を支持したことで、アテーナー女神が勝利を得た。

女神の象徴[編集]

オリーブが女神の聖なる象徴としてコインテトラドラクマなどに刻まれるが、有翼の女神ニーケー(Nike、勝利の意、ローマ神話ではウィクトーリア(Victoria)と呼ばれる)も、彼女の化身であるとして登場することがある。戦の女神としてのアテーナーは父神ゼウスと同様に、アイギス(山羊革楯)を持ち、その楯にはゴルゴーンの頭部が付けられている。おもに後ろに並んだ100人の歩兵を隠すほど大きい前立ての付いた兜を被り、槍とアイギスを持った若い威厳のある乙女の姿で表される。一説には梟のように大きな灰色の目を持つ凛々しい姿と言われ、みずからの聖鳥、梟との関連性を示している。

ローマ神話での対応[編集]

ローマ神話では、はるか古くから、エトルスキー系の知恵と工芸を司る女神ミネルウァがアテーナーに対応する女神として崇拝されていた。ミネルウァの神殿もやはり都市の中心の丘の上にあるのが普通で、都市守護者であった。ロマンス語ではミネルウァは、ミネルヴァという発音になる。ラテン語:Minerva、英語読みはミナーヴァ。ミネルウァの聖鳥は、やはり梟である。

別名[編集]

アテーナーはさまざまな別名を持つ。イオーニア方言系のホメーロスは、アテーネーと呼び、あるいは方言形でアターナーとも呼ばれる。またアテーナイアーとも呼ばれる(この名のイオーニア方言形は、アテーナイエーである)。アテーナイアーを約めてアテーナーと呼ぶのだともされる。

それ以外に、パルラス・アテーネーの形でホメーロスが歌うように、パラス(Pallas)という別名がある。トリート・ゲネイア(トリート生まれの者の意)、トリートーニスなどの別名も持つ。これらの名前が何の意味かは色々な解釈があるが明確には分からない。ただ、海神トリートーンや、アムピトリーテーなどと同じ語幹から造られている可能性が高く、「水・水辺」に関係する名前だと解釈されている。

物語[編集]

パラスとパラディオン[編集]

アポロドーロスによれば、アテーナーはトリートーンの娘パラスと一緒に育てられた。二人は親友となり、戦の技に励んでいたが、喧嘩となった。パラスが一撃を女神に与えようとした際、ゼウスは危惧して、空よりアイギスを差し出した。パラスは驚き、直後のアテーナーの攻撃が彼女の命を奪った。女神は親友の死を悲しみ、パラスに似せてパラディオンと呼ばれる木像を造った[6](パラディオンとは、イーリオスを建設したイーロスが、「徴を示してほしい」とゼウスに祈ると、天から降って来た木像である[6])。 なお、フランスのトランプでは、パラスの名前でスペードのクイーンのモデルとされていて、一般的なカード(インターナショナル・フェイス)では、クイーンの中で唯一武器を所持している。

ギガントマキアー[編集]

紀元前480から470年製のアッティカの赤絵式のキュリクスに描かれたアテーナー及びヘーラクレース

ティーターン族をタルタロスに幽閉したゼウスに対して、ガイアは怒り、多くのギガース達を生み出してゼウスを脅かし、戦をけしかけた。これがギガントマキアーである。この時、アテーナーはギガースたちの中で最も強力なエンケラドスと戦い、シケリア島を投げつけて、これを圧殺した。また、トラーキアにあっては不死であったアルキュオネウス英語版ヘーラクレースとともに引きずり出し、打殺したとされる。また、アテーナーはギガースの一人パッラースを殺してその皮で盾を作ったためパラス・アテーナーと名乗るようになったともいわれる[7]

エリクトニオス[編集]

アテーナーにはエリクトニオスの出生にまつわる伝承が伝えられる。アポロドーロスの伝承では、アテーナーが武器を作るためにヘーパイストスを訪れた際、欲情したヘーパイストスに襲われた。アテーナーは逃げ出したが追いついたヘーパイストスはアテーナーの脚に精液を撒いた。アテーナーは怒り精液を毛(羊毛[8])で拭うと地に投げ捨てた。この精液が落ちた土からエリクトニオスが生まれた[9]。アテーナーはエリクトニオスを隠し育て、のちに箱に詰めアテーナイ王ケクロプスの娘パンドロソスへと預けた。この時、箱を開けることを禁じられたが、パンドロソスの姉妹は好奇心に負け箱を開け、赤子を巻いている大蛇を見てしまう。彼女たちは大蛇によって滅ぼされたとも、アテーナーの怒りによって狂いアクロポリスから墜死したとも伝えられる[9]。その後エリクトニオスはアテーナーによってエレクテイオンで育てられ、のちにアテーナイの王となった[9]

ヒュギーヌスの伝承では、ポセイダーオーンによって唆されたヘーパイストスがアテーネーを妻にしようと寝室へと忍び込んだが、アテーネーは武器をもって抵抗し純潔を守った。このときヘーパイストスは精液を大地へと漏らし、そこから下半身が蛇の形をしたエリクトニオスが生まれた[10]。アテーネーはこの子を育てようと小さな籠に入れ、ケクロプスの3人の娘たちに託した。娘たちが籠を開けたときカラスがその秘密を漏らしたために、娘たちはアテーネーによって狂い海へと身投げした[10]

トロイア戦争[編集]

ジョン・フラックスマンが描いた『イーリアス』挿絵(1795年)。ホーラーたちに導かれ、ヘーラーとアテーナーが戦車に乗ってオリュムポスからトロイア戦争の戦場へと向かう様子を描いている。

神話ではトロイア戦争のきっかけは黄金の林檎を巡るアテーナー、ヘーラーアプロディーテーの対立にあると伝えられる[11]。黄金の林檎の行先はトロイアの王子パリスに委ねられ、アプロディーテーはパリスに「最も美しい女を与える」と約束をすることで黄金の林檎を手に入れた(パリスの審判)。しかしながら、この「最も美しい女」がスパルタ王メネラーオスヘレネー妃であったことからトロイア戦争が引き起こされた[11]。トロイア側にはアプロディーテーが、ギリシア側にはパリスを憎むアテーナーとヘーラーがついた[11]

アテーナーは戦場でギリシア勢のアキレウスディオメーデースらの働きを助けている。『イーリアス』第5巻ではアテーナーはヘーラーとともに戦車に乗って戦場に赴き、ギリシア軍を助けようとする。トロイア側で激昂したアレースを阻止するため、ハーデースの兜で姿を隠したアテーナーは自ら戦車の御者となりディオメーデースを乗せアレースへ攻めかかった。ディオメーデースが槍を投げるとアテーナーがその槍を導いた。槍はアレースの下腹部へと突き刺さり、アレースは大きな叫び声をあげて空へと逃げ去った[12][13]。『イーリアス』第21巻では、アテーナーは神々同士の戦いの中でアレースに対して、標識として置いてあった黒い大岩を持ち上げて、アレースの頭に投げつけ、昏倒させた。さらにアテーナーが目を離したすきにアプロディーテーがアレースを助けようとするが、ヘーラーの指示のもと、アテーナーはアプロディーテーの胸に拳を叩きつけ、アプロディーテーをアレースとともに大地へ撃ち落とした[14]。トロイアの王子で防衛戦の総大将であったヘクトールがアキレウスに追い詰められた際、アポローンはヘクトールが逃げ切れるよう疲れ知らずの体に変えたが、アテーナーはヘクトールの弟デーイポボスの姿でヘクトールの横へと現れ、加勢があるようにみせかけ逃げるのを止めさせた。この為にヘクトールはアキレウスによって討ち取られた[11]

また、良く知られる「トロイアの木馬」について、ギリシア軍は「アテーナーの怒りを鎮めるために作られた捧げ物である」としトロイア軍に奪わせている[11]。巨大な木馬をトロイアの城内に運び込んだことに反対した神官ラーオコオーンは、怒ったアテーナーによって両目を潰された。ラーオコオーンは痛みに苦しみながらも木馬を焼き払えと主張を曲げなかったために、アテーナーはテネドスから2匹の大蛇を呼び寄せてラーオコオーンとその2人の息子を襲わせ、息子たちをかみ殺させた。その後、2匹の大蛇はアテーナー神殿に登り姿を消した[16][17]

トロイア陥落後、トロイアの王女カッサンドラーはアテーナー神殿へと逃げ出した。カッサンドラーはアテーナーの神体にすがり助けを願うも小アイアースに捕えられ凌辱された。アテーナーはこれに激怒し、小アイアースへと神罰を下した[18]

その他[編集]

『アレースとアテーナーの戦争』 (ジャック=ルイ・ダヴィッド作、1771年、リヨン美術館所蔵)
  • 英雄たちに対しては好意的で、ペルセウスのメドゥーサ退治の際には表面が鏡のように磨かれた盾を貸し与え、ヘーラクレースのステュムパーロスの鳥退治の際にはヘーパイストスの作った青銅の鳴子を与え、ベレロポーンペーガソスを調教できる黄金のくつわを与えたり、オデュッセウスに助言をして妻に会わせたりしている。
  • アテーナーは神話の中では非常に気が強く、プライドの高い一面を見せており、涜聖的人物に対して容赦なく罰を与えている。例えばアレースには「勝手気ままに振る舞っている」と指摘されており、自分と張り合ったメドゥーサアラクネー、アテーナーの裸体を目撃したテイレシアースらが罰せられている。さらにイーリオス陥落の際、アテーナーの神殿でカッサンドラー小アイアースに凌辱されると、アテーナーは激怒して小アイアースに報復している。
  • 美と知恵を兼ね備えたアテーナーは自分の容貌の美しさに敏感であり、アテーナーと美を競ったメドゥーサを容赦なく処罰し、パリスの審判ヘーラーアプロディーテーと美を競った。また、アテーナーは神々の宴会で自分の発明したアウロス(二本管の笛)を吹くと頬が膨れ、顔が醜くなるということでヘーラーとアプロディーテーに笑われた。演奏している自分の顔を湖面に映して見たアテーナーは笑われる理由を知り、そのアウロスに呪いを掛けて捨てた。
  • アテーナーが水浴をしている時、カリクローの息子であるテイレシアースはアテーナーの全裸の姿を見てしまった。アテーナーはテイレシアースを罰し、盲目にしたが、カリクローに盲目の治癒を乞われたため、アテーナーは代わりに未来を予言する能力を授けた[19][20]
  • アテーナーはヘーラーとも仲が良く、ヘーラーの命令に従うこともある。アテーナーはヘーラーを支援してアルゴナウタイを庇護して冒険を助けた。また、パリスの審判を根に持ちトロイア殲滅を望む二人は、ギリシア側に助力した。ヘーラーの豪華な刺繡入りのローブもアテーナーによって織られたものである[21][22]。ヘーラーが起こしたゼウスに対する反乱にも参加した。また、ゼウスの立場に合わせて行動することもあり、ゼウスとアテーナーの策略でヘーラーの母乳を飲んだヘーラクレース(赤子の頃)は不死の体と驚異的な怪力を手に入れている。
  • アテーナーはギリシャの他の神々がそうであるように傲慢でみずからを貶める存在には容赦ない報復を行うが、一方でゼウスの嫡男である同じ戦の神のアレースが血なまぐさい戦いの残忍さを象徴する神であるのに対し、アテーナーは理知的で気高い戦士として登場する。海の神ポセイドーンとの争いでは、ポセイドーンが馬を作りだし人間に与えたのに対し、アテーナーはオリーブの木を作り出し人間に与え勝利するなど思慮深い面を見せる。アテーナーの信仰では学者は啓示を、裁判官は明晰を求め、軍人は戦術を磨こうとアテーナーに祈りを捧げたと言われる[23]

ギャラリー[編集]

西洋絵画[編集]

彫刻[編集]

紀元前1世紀の「アンティオコス英語版」と署名された大理石の複製品。紀元前5世紀のアクロポリスに立っていたペイディアスアテナ・プロマコスの像とは異なる。

脚注[編集]

  1. ^ 岡田温司『聖書と神話の象徴図鑑』より。
  2. ^ アポロドーロスギリシア神話』 一巻III 6。
  3. ^ ホメーロス、『アテナ賛歌』。
  4. ^ フェリックス・ギラン『ギリシア神話』69頁。
  5. ^ R・グレイヴズ『ギリシア神話』69頁。
  6. ^ a b アポロドーロス『ギリシア神話』 三巻XII 3。
  7. ^ マイケル・グラント、ジョン・ヘイゼル『ギリシア・ローマ神話事典』。
  8. ^ Apollodorus, Library, book 3, chapter 14, section 6
  9. ^ a b c アポロドーロス『ギリシア神話』 三巻。
  10. ^ a b ヒュギーヌス『ギリシャ神話集』166話。
  11. ^ a b c d e トマス・ブルフィンチ 著、大久保博 訳『完訳 ギリシア・ローマ神話 下』角川文庫、2012年。 27-28章。
  12. ^ ホメーロス『イーリアス』5巻。
  13. ^ 松田治『トロイア戦争全史』講談社学術文庫、2008年。 「58 奮戦するディオメーデース」(Kindle版:1620-1647/3807)
  14. ^ 『イーリアス』21巻400行‐433行。
  15. ^ 小野塚友吉 訳『アエネイス』グーテンベルク21、2014年。"Kindle版:635-1066/5368"。 
  16. ^ ウェルギリウス『アエネーイス』II。[15]
  17. ^ 松田治『トロイア戦争全史』講談社学術文庫、2008年。 「123 ラーオコオーンの悲劇」(Kindle版:3194-3221/3807)
  18. ^ 松田治『トロイア戦争全史』講談社学術文庫、2008年。 「131 カサンドレー凌辱さる」(Kindle版:3425-3439/3807)
  19. ^ アポロドーロス『ギリシア神話』 三巻VI 7。
  20. ^ フェリックス・ギラン『ギリシア神話』72頁。
  21. ^ ホメーロス『イーリアス』14巻178-180行。
  22. ^ フェリックス・ギラン『ギリシア神話』62,74頁。
  23. ^ バーナード・エヴスリン『ギリシア神話小事典』19頁。

参考文献[編集]

関連項目[編集]