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鞆を着用した射手(『年中行事絵巻』より)。

(とも)とは、を射る時に左手首の内側につけて、を放ったあと弓のが腕やに当たるのを防ぐ道具である。古語では「ほむた・ほむだ」といい、鞆という字は国字である。

概要[編集]

埴輪 挂甲武人」の装備(東京国立博物館所蔵)。鞆は左腕の籠手に巻かれている。

革製の丸い形で、革紐で結びつける装身具武具である。鞆の歴史は古く、古墳時代形象埴輪の中には鞆そのものを象った「鞆形埴輪」が存在し[1]群馬県前橋市中二子古墳大室古墳群)出土例や[2]静岡県磐田市の堂山古墳出土例(静岡県指定有形文化財)などが知られる[3]。また東京国立博物館所蔵の国宝埴輪 挂甲武人」は、左腕の籠手の上に鞆を装着しており、群馬県太田市のオクマン山古墳の「埴輪鷹匠」と呼ばれるをとまらせた人物埴輪には、腰から提げた鞆が表現されている[4]。なお正倉院には、奈良時代の革製の実物が伝わる[1]

古代日本では用いられていたが、中世ごろには実用では用いられなくなっており、武官の儀礼用となった。

鞆に関わること[編集]

「弓の音」という言葉が万葉集を始めとし、数々の和歌の中で詠まれているが、これは鳴弦か鞆音(ともね)のことを指し、鞆音とは弓矢で矢を射た時に、弦が鞆に当った時の高い音をいう。

日本の弓矢神として知られる応神天皇は、鞆を携えて生まれたとされ、それゆえに生まれながらの武神であるといわれ、誉田別尊(ほむたわけのみこと)、大和気命(おおともわけのみこと)。誉田天皇(ほむたのすめらみこと/ほんだの-)という別称も持っている。

広島県福山市の地名「鞆町」や「鞆の浦」の由来である。

紋様の一つの(ともえ)は、鞆の形を図案化して作られたとも、逆に鞆の形に似ていたため「ともえ」という名前になったとも、また、鞆によく描かれた紋様であるからとも言う。

脚注[編集]

  1. ^ a b 天理大学附属天理参考館. “鞆形埴輪”. 2020年9月10日閲覧。
  2. ^ 前橋市. “前橋の至宝・鞆形埴輪”. 2020年9月10日閲覧。
  3. ^ 磐田市 (2018年8月28日). “堂山古墳出土遺物”. 2020年9月10日閲覧。
  4. ^ 太田市. “オクマン山古墳出土の埴輪鷹匠”. 2020年9月10日閲覧。

関連項目[編集]