ニューイングランド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
Map of USA New England.svg
Lexington Battle Green, Lexington MA.jpg

ニューイングランドNew England)は、アメリカ合衆国北東部の6州(北から南へメイン州ニューハンプシャー州バーモント州マサチューセッツ州ロードアイランド州コネチカット州)を合わせた地方である。中心都市はボストン

歴史[ソースを編集]

主要記事:History of New England

*以下の記述で「州」とは、1776年アメリカ独立宣言以降の名称であることに注意。便宜上、現在の名称で記している。

ニューイングランドはチェサピーク地域とともに、アメリカ建国に連なる13植民地の基礎となった地域で、アメリカ合衆国で最も古い地域であると言える。(注:イギリス系植民者による都市建設以前にも、アメリカ大陸植民で先行し、主にアメリカ南部から南アメリカに領土を広げていたスペイン系植民者による都市フロリダ州セントオーガスティンニューメキシコ州サンタフェはニューイングランドの都市よりも古い歴史を持つ。もちろん、それ以前にはネイティブアメリカンによる集落が各地に存在していた。しかし、これらの都市はアメリカ合衆国と言う国家設立の母体となったわけではなく、後にアメリカ領土として併合された。)

フランス人の入植者によって、1604年にメイン州のセント・クロイ島に入植が試みられたが、1605年にはカナダポートロイヤルへ移住している。

イギリス人によるニューイングランドへの植民は、1606年4月10日にイングランド王ジェームズ1世勅許を受けたバージニア会社に端を発する。バージニア会社は、イングランドのロンドンに拠点を置くロンドン会社とプリマスに拠点を置くプリマス会社からからなり、ロンドン会社は東海岸の南部、プリマス会社は北部の開拓を与えられた。1607年、ロンドン会社によりイギリスで初めての恒久的植民地がバージニア州ジェームズタウンに建設され、その数ヶ月後にはプリマス会社によってメイン州ポパム植民地が建設された。ポパム植民地は一年で放棄された。ジェームズタウン建設の指導者であったロンドン会社のジョン・スミスは、1614年にメイン州からマサチューセッツ州の湾岸を探検し、このエリアをニューイングランドと名付けた。この時の記録はA Description of New Englandとして1616年に出版された。これ以降、イギリスでこの地域への入植者が募集された。1620年11月3日、プリマス会社は勅許によってニューイングランドのプリマス評議会となり、ニューイングランドがこの地域の正式名称となった。同年11月21日、後にピルグリム・ファーザーズと呼ばれるイギリスの清教徒たちが乗ったメイフラワー号がマサチューセッツ州プロビンスタウンに到達した。その後、プリマスに上陸し、プリマス植民地を建設した。これを端緒に、イギリスピューリタンがマサチューセッツへ移住を始め、各植民地を設立していった。こうした背景から、開拓で先行したジェームズタウンなどの東海岸南部の植民地は経済的利益を目的としていたのに対し、プリマスなどの東海岸北部では宗教的自由や理想を目的としていたという性格を持つ。

1629年にはボストンを中心とするマサチューセッツ湾植民地が設立された。1636年にはロードアイランド植民地コネチカット植民地が設立された。1637年には、ニューヘイブン植民地が設立され、1662年にコネチカット植民地に統合された。また1637年に、北のヌーベルフランス、南のニューネーデルラントに対抗するため「ニューイングランド連合」が結成されたが、1680年代初頭に解消された。1686年には、オランダ領であったニューヨーク植民地ウエストジャージー植民地およびイーストジャージー植民地を含むニューイングランド王領が形成されたが、1689年に解消された。1691年にはニューハンプシャー植民地がマサチューセッツ湾から独立し、設立された。同時に、マサチューセッツ湾植民地は、プリマス植民地およびメイン植民地などを併せて、マサチューセッツ湾直轄植民地となった。

アメリカ最古の大学であるハーバード大学の前身ニューカレッジは、1636年にマサチューセッツ州ケンブリッジに設立された。(ジェームズタウン近郊にある全米で二番目に古いウィリアム・アンド・メアリー大学の前身ともされるヘンライコポリス・カレッジは1618年設立だが、ウィリアム・アンド・メアリー大学の設立は1693年である。)

1775年にはレキシントン・コンコードの戦いが勃発し、アメリカ独立戦争の発祥地となっている。(そして、ジェームズタウン近郊で起こったヨークタウンの戦いが独立戦争を終結させることとなった。)

19世紀にはニューイングランドの商人や漁師や捕鯨船が有名になった。

インディアンに対する大虐殺[ソースを編集]

もともとはワンパノアグ族ポウハタン族ナラガンセット族イロコイ族など、多様なインディアン部族が領土としていた地域であり、イギリスのピューリタン入植と同時に民族浄化の対象にされた。

マサチューセッツ湾植民地コネチカット植民地の入植白人たちは、この地のインディアンたちを「狼と同種のけだもの」とみなし、植民地を挙げて絶滅政策を採った。[要出典]女子供に至る大量虐殺を受けたインディアンたちは同盟を組んで1675年に、白人が「フィリップ王戦争」と呼ぶ北米植民地戦争を起こした。この戦いは白人入植者側の圧勝に終わり、4000人を超えるインディアンが虐殺され、酋長や戦士が残虐に処刑された。

ほとんどの部族が絶滅寸前に追い込まれ、また他州へ追い払われたのち18世紀に入っても、イロコイ族は白人との戦いをやめなかった。植民地軍司令官だったジョージ・ワシントンは、ニューイングランドのインディアン部族、特にイロコイ族の徹底絶滅を指示し、彼らの集落を根こそぎ破壊する焦土作戦を指揮した。ワシントンは大統領に就任した後も、「この地のインディアンを根絶やしにするように」と閣僚に命じてインディアン戦争を続行させた。

現在、侵略者による虐殺を生き延びたインディアンたちは、インディアン権利団体「ニューイングランド・アメリカインディアン連合」を結成し、合衆国政府に対して様々な権利要求を行っている。

[ソースを編集]

ニューイングランドには次の6州が含まれる。

主要都市[ソースを編集]

太字は各州の州都を示す。

コネチカット州[ソースを編集]

ニューハンプシャー州[ソースを編集]

バーモント州[ソースを編集]

マサチューセッツ州[ソースを編集]

メイン州[ソースを編集]

ロードアイランド州[ソースを編集]

文化[ソースを編集]

関連項目:Notable New Englanders

アメリカの代表的なスープ、クラムチャウダーはニューイングランドで始まった。ニューイングランド料理は魚介類を中心とする献立が多い。都会を離れると山と森が多い地域で、たくさんの人が紅葉狩りのために旅行する。

関連項目[ソースを編集]

外部リンク[ソースを編集]