野球キューバ代表

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野球キューバ代表
国または地域 キューバの旗 キューバ
協会 キューバ野球連盟
監督 キューバの旗 ロヘル・マチャド
WBSCランキング 5位 (2016年)
オリンピック
出場回数 5回 (初出場は1992年)
最高成績 金メダル (1992年・1996年2004年)
ワールド・ベースボール・クラシック (WBC)
出場回数 3回 (初出場は2006年)
最高成績 準優勝 (2006年)
WBSCプレミア12
出場回数 1回 (初出場は2015年)
最高成績 6位
ワールドカップ
出場回数 35回 (初出場は1939年)
最高成績 優勝 (1939年・1940年・1942年・1943年・1950年・1952年・1953年・1961年・1969年・1970年・1971年・1972年・1973年・1976年・1978年・1980年・1984年・1986年・1988年・1990年・1994年・1998年・2001年・2003年・2005年)
インターコンチネンタルカップ
出場回数 13回 (初出場は1979年)
最高成績 優勝 (1979年・1983年・1985年・1987年・1989年・1991年・1993年・1995年・2002年・2006年・2010年)
パンアメリカン競技大会
出場回数 16回 (初出場は1995年)
最高成績 優勝 (1951年・1963年・1971年・1975年・1979年・1983年・1987年・1991年・1995年・1999年・2003年・2007年)
  
2006年のIBAFインターコンチネンタルカップに優勝したときのキューバ代表

野球キューバ代表(やきゅうキューバだいひょう、Selección de béisbol de Cuba)は、キューバにおける野球ナショナルチームである。

赤いユニフォームが特徴で「赤い稲妻」「赤い軍団」とも表現される。

実績[編集]

セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボルと、そのファーム組織所属の選手から選抜され、トップのA代表、27歳以下のユニバーシアードクラスの大会に出場するB代表、それ以外の小さな大会に出場するC代表(結成されない年もある)に振り分けられるのが通常である[1]

夏季オリンピックで野球が正式種目となった1992年バルセロナオリンピック以降の5大会で3度の金メダル(バルセロナオリンピック、アトランタオリンピックアテネオリンピック)と2度の銀メダルシドニーオリンピック北京オリンピック)を獲得している。その他インターコンチネンタルカップで17大会中優勝11回、ワールドカップで39大会中優勝25回等、実績では他国を圧倒していた。このことから「アマチュア最強チーム」との呼び声も高かった。

MLB選手が多数参加し、2006年に行われた第1回WBCでも、決勝戦では日本代表に敗れたものの、ドミニカ共和国代表を始めとするMLBのオールスター級を揃えた各国代表に勝利し、準優勝となった。

1951年のワールドカップで3位となって以来、主要な国際大会で常に決勝戦に進出し優勝または準優勝になっていた。

2009年第2回WBCで2次予選で日本と2度戦って2回とも完封負けで敗退。58年ぶりに主要な国際大会での決勝進出を逃し、ベスト4位入りを逃した。

2012年11月にはチャイニーズタイペイ代表中華職業棒球大聯盟(CPBL)選抜とサンダーシリーズ[2]日本代表と「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」[3]と立て続けに国際親善試合が行われた。

2013年2月21日に台湾韓国NCダイノスと親善試合を行う予定だったが、使用球を巡って意見が合致せず当日試合開始15分から20分前に急遽中止となった[4]。3月に第3回WBCに出場。オランダと2度戦って2回とも敗退し、2大会連続でベスト4入りを逃した。

2016年1月にはオランダ代表と強化試合が開催予定だったが、雨天中止となった[5]。3月22日にタンパベイ・レイズハバナで親善試合を開催した。その後、監督をロヘル・マチャドに交代され、6月には北米遠征を行いカナディアン・アメリカン・リーグに参戦した[6]。7月には同時期に北米遠征を行っていた四国アイランドリーグplusの選抜チームと親善試合が行われた。

特徴[編集]

パワフルかつ柔軟な打撃と、堅実な守備・走塁を持ち味としている。しかし、専ら長打という訳ではなくバント盗塁などの小技や、選球眼も優れている。投手陣も高水準だが野手ほどの評価を受けていない。また、近年投手を中心に高齢化が際立つ。

成績[編集]

オリンピック[編集]

  • 1992年 - 優勝 監督 ホルヘ・フエンテス
  • 1996年 - 優勝 監督 ホルヘ・フエンテス
  • 2000年 - 準優勝 監督 セルビオ・ボルヘス
  • 2004年 - 優勝 監督 イヒニオ・ベレス
  • 2008年 - 準優勝 監督 アントニオ・パチェコ

ワールド・ベースボール・クラシック[編集]

WBSCプレミア12[編集]

IBAFワールドカップ[編集]

  • 優勝:25回(1939年、1940年、1942年、1943年、1950年、1952年、1953年、1961年、1969年、1970年、1971年、1972年、1973年、1976年、1978年、1980年、1984年、1986年、1988年、1990年、1994年、1998年、2001年、2003年、2005年)
  • 準優勝:4回(1941年、2007年、2009年、2011年)
  • 3位:2回(1944年、1951年)

IBAFインターコンチネンタルカップ[編集]

  • 優勝:11回(1979年、1983年、1985年、1987年、1989年、1991年、1993年、1995年、2002年、2006年、2010年)
  • 準優勝:3回(1981年、1997年、1999年)

イタリアンベースボールウィーク[編集]

代表選考[編集]

野球の国際大会にプロ選手の参加が認められてからも、各国はプロリーグの日程を優先したり、主力選手の離脱に難色を示すプロ球団の意向などもあり、代表チームで最高の選手を揃えることは難しい。しかしキューバ球界は例外で、国際大会での勝利を最優先し、国内リーグの日程を国際大会参加に支障がないように組んでいる。

キューバ国内リーグは2段階に分けられている。第1段階はセリエ・ナシオナル・デ・ベイスボルと呼ばれるもので、11月から翌年4月まで全16球団で戦うリーグ戦である。これが終わると、日本などのプロ野球リーグに派遣される選手などは除き、第2段階のスーペル・リーガに移る。スーペル・リーガは2002年から始まったもので、セリエ・ナシオナルで優秀な成績を残した選手のみが招集され、5球団に分けられて28試合を戦う。毎年5月から7月にかけて開催され、ここで優秀な成績をあげた選手が代表候補となる。その後各国代表などと強化試合を行い、日本などのプロ野球リーグに派遣される選手を含めて、最終的な代表が決定する。

大学代表チームも、週1回大学に通っていれば、学生とみなされるため、ほぼ毎日練習漬けの選手かつ、代表クラスの選手を派遣することができる。

他国へ亡命した選手は代表には招集されない。また、ケンドリス・モラレスのように「亡命の意志がある」と見なされただけで代表チームから追放されるケースもある(モラレスはその時点で亡命の意思はなかったが、追放されたのを機に亡命に至っている)。代表を引退した選手は、オマール・リナレスのように他国でプロ選手になることが認められる例があったものの、方針により巨額年俸での契約はできなかった。しかし、フレデリク・セペダなど、現役キューバ代表選手が、巨額年俸でプロ選手になるなど、アメリカ以外で、プロ選手になることが解禁されることになった。この背景には、月収2000円程度(キューバ国民からしてみても大学教授並の相当高い方ではある)と言われているキューバ代表の主力選手が、亡命が頻発していることや、日本などの野球シーズンが、キューバの野球シーズンオフであることが大きな理由である。

歴代代表選手[編集]

出典[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 鉄矢多美子. 熱球伝説―キューバリナレスを育てた野球王国. 岩波書店. p. 42. 
  2. ^ Cuba arrives for Thunder Series in Taichung and Taoyuan IBAF公式サイト (英語) (2012年11月7日) 2015年4月17日閲覧
  3. ^ 開催要項 日本野球機構オフィシャルサイト 2015年4月17日閲覧
  4. ^ 野球=韓国プロチームとキューバ代表、使用球めぐり試合中止 ロイター (2013年2月23日) 2015年6月21日閲覧
  5. ^ Game cancelled, but mission accomplished in Havana Mister Baseball (英語) (2016年1月16日) 2016年8月19日閲覧
  6. ^ https://zonadestrike.wordpress.com/2016/06/26/cuba-barre-a-los-rockland-boulders-y-consigue-la-sexta-victoria-consecutiva-en-la-liga-can-am/

参考文献[編集]

  • 横尾弘一「“赤い軍団”に死角なし!?-金メダル争い最大のライバル・キューバの動向」『週刊ベースボール』2004年7月12日号、ベースボール・マガジン社、2004年。

関連項目[編集]