モハメド・シソッコ

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モハメド・シッソコ Football pictogram.svg
Mohamed Sissoko.jpg
名前
本名 モハメド・ラミーヌ・シッソコ・ギラン
Mohamed Lamine Sissoko Gillan
愛称 モモ (Momo)
ラテン文字 Mohamed SISSOKO
基本情報
国籍 マリ共和国の旗 マリ
フランスの旗 フランス
生年月日 (1985-01-22) 1985年1月22日(33歳)
出身地 フランスの旗 モン=サンテニャン
身長 191cm
体重 79kg
選手情報
在籍チーム 香港の旗 傑志体育会
ポジション MF (DMF)
背番号 22
利き足 右足
ユース
フランスの旗 トロワ
1998-2002 フランスの旗 オセール
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2002-2003 フランスの旗 オセール 0 (0)
2003-2005 スペインの旗 バレンシア 45 (0)
2005-2008 イングランドの旗 リヴァプール 51 (1)
2008-2011 イタリアの旗 ユヴェントス 71 (3)
2011-2013 フランスの旗 パリ・サンジェルマン 28 (2)
2013 イタリアの旗 フィオレンティーナ (loan) 5 (0)
2014-2015 スペインの旗 レバンテ 31 (0)
2015-2016 中華人民共和国の旗 上海申花 10 (1)
2016 インドの旗 プネー・シティ 2 (2)
2017 イタリアの旗 テルナーナ 1 (0)
2017 インドネシアの旗 ミトラ・クカール英語版 26 (5)
2017-2018 メキシコの旗 アトレティコ・サンルイス英語版 9 (1)
2018- 香港の旗 傑志 0 (0)
代表歴2
2004- マリ共和国の旗 マリ 34 (2)
1. 国内リーグ戦に限る。2018年7月16日現在。
2. 2013年7月31日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

モハメド・ラミーヌ・"モモ"・シッソコ・ギランMohamed Lamine "Momo" Sissoko Gillan, 1985年1月22日 - )は、フランスセーヌ=マリティーム県モン=サンテニャン出身のマリ代表サッカー選手傑志体育会所属。ポジションはミッドフィールダー

経歴[編集]

オセール、バレンシア[編集]

AJオセールのユースではフォワードとしてプレーし、2シーズンで50得点を挙げた[1]ことからトップチームからプロ契約が提示されるも、2003年7月11日ラファエル・ベニテス監督率いるスペインバレンシアCFへ移籍金0で加入。この移籍にオセール側はCASに訴え、100万ユーロと将来の移籍の際に5%がクラブ側に支払われる形で決着した[2][3]

当時はFWだったが、希望するボランチへのコンバートを果たし、徐々に出場機会を得るようになる。加入1年目にチームはリーグ優勝し、またUEFAカップ2003-04を制する中でリーグ戦21試合に出場(スタメン9試合)。翌年にベニテス監督がリヴァプールFCへ去り、クラウディオ・ラニエリ監督就任以降も変わらず主力の1人としてプレーし、12月3日には契約を3年延長した[4]

リヴァプール[編集]

2005年7月14日、2003-04シーズンに指導を受けたベニテス監督の要望でリヴァプールへ移籍金500万ポンドで移籍[5]し、7月26日UEFAチャンピオンズリーグ 2005-06予選2回戦FBKカウナス戦でデビューした。その後スティーヴン・ジェラード, シャビ・アロンソ, ディトマー・ハマンらとのポジション争いや2006年2月21日のUEFAチャンピオンズリーグ・SLベンフィカ戦でベトとの接触から顔を負傷したことで網膜損傷の危機に見舞われ[6][7]、離脱した時期があったものの加入1年目にスタメン21試合と主力の1人としてプレーし、FAカップ決勝のウェストハム・ユナイテッドFC戦に先発フル出場でタイトル獲得に貢献した。

2年目も変わらずに出場していたが、11月8日フットボールリーグカップバーミンガム・シティFC戦でメディ・ナフティとの接触の際に肩を脱臼したことで3ヶ月の離脱を余儀なくされた[8]ことや、その間にアルゼンチン代表ハビエル・マスチェラーノが加入したため、出場機会が減少した。シーズン終了後にユヴェントスFCからのオファーや他クラブから関心が寄せられたが、ベニテス監督の説得もあり残留を決め、2007年6月28日に契約を4年延長した[9]が、中盤にルーカス・レイヴァが新たに加入したことで出場機会はさらに減少していった。

ユヴェントス[編集]

2008年1月29日に移籍金1100万ユーロ, 出場試合数でさらに200万ユーロが追加される契約でユヴェントスFCへ移籍[10]。バレンシア時代に指導を受けたラニエリ監督と再会することとなった。2月3日カリアリ・カルチョ戦で67分にティアゴ・メンデスに代わりセリエAデビューを果たし、3月2日ACFフィオレンティーナ戦で初得点を挙げるなど早々にレギュラーを獲得。続く2シーズン目も不動のレギュラーとして4-4-2のフォーメーションでクラウディオ・マルキージオとコンビを組み活躍し、8月には契約を延長[11]と順風満帆だったものの、2009年3月7日トリノFCとのデルビー・デッラ・モーレ中足骨を骨折した[12]ことでシーズンアウトを余儀なくされた。それから7ヶ月後の10月17日フィオレンティーナ戦で復帰するものUCサンプドリア戦で再離脱する[13]など怪我の影響もありこのシーズンフェリペ・メロクリスティアン・ポウルセンの後塵を拝することになった。

2010-11シーズンに新たに就任したルイジ・デルネーリ監督は、メロや自身がかつて在籍したリヴァプールからレンタルで加入したアルベルト・アクイラーニを重用したため昨年以上にスタメン出場が減少。さらに2011年3月に膝の怪我を再発し、その手術のため3ヶ月チームを離脱することになった[14]

パリ・サンジェルマン[編集]

2011年7月28日、アントワーヌ・コンブアレ監督率いるパリ・サンジェルマンFCに700万ユーロで移籍[15]。9月24日のモンペリエHSC戦に交代出場でリーグ・アンデビューを果たし、初スタメンとなった10月16日のACアジャクシオ戦でケヴィン・ガメイロの得点をアシスト。クレマン・シャントームの負傷以降は出場機会を増やし続け、11月16日にスタッド・シャバン・デルマで行われたFCジロンダン・ボルドー戦でネネのクロスから初得点を挙げる[16]など活躍した。年明けには、ティアゴ・モッタの加入やカルロ・アンチェロッティ監督が就任したことから層が厚くなり、システムの変更があったものの変わらず出場し、1年目は主力の1としてUEFAチャンピオンズリーグ 2011-12出場圏の2位に貢献。しかし、2年目になるとマルコ・ヴェッラッティの加入もあり構想外となり苦境に立たされた。

フィオレンティーナ[編集]

2013年1月31日ACFフィオレンティーナに350万ユーロの買取りオプション付きでレンタル移籍[17]し、2月17日に4-1で勝利したインテルナツィオナーレ・ミラノ戦で69分ダビド・ピサーロに代わりデビューした。

2013年9月3日、パリ・サンジェルマンとの契約を解除、フリーエージェントになった。

同年11月、ベルギー・ジュピラーリーグRSCアンデルレヒトのトライアルを受けたが、契約には至らなかった[18]

レバンテ[編集]

2014年1月30日、レバンテUDに加入した[19]

上海申花[編集]

レバンテUDとの契約を解除し、2015年6月25日、中国サッカー・スーパーリーグ上海申花へ移籍した[20][21]。フリーで上海行きを決断した。しかし2016年2月21日、上海申花の大型補強により外国人枠が超過したことから、契約解消に合意したことを発表した。

プネー・シティ[編集]

2016年10月、インディアン・スーパーリーグFCプネー・シティに加入したことを発表した[22]。契約期間は今季一杯。

テルナーナ[編集]

2017年2月17日、セリエBテルナーナ・カルチョへの加入が発表された。契約期間は2016-2017シーズン一杯であったが、翌3月に契約解消により退団した[23]

ミトラ・クカール[編集]

2017年4月14日、インドネシア・スーパーリーグミトラ・クカールFCへの加入が発表された[24]

アトレティコ・サンルイス[編集]

2017年12月2日、アスセンソMXクルブ・アトレティコ・デ・サンルイスと契約を締結した[25]

傑志体育会[編集]

2018年7月4日、香港プレミアリーグ傑志体育会へ加入することが発表された[26]

代表歴[編集]

フランスモン=サンテニャンで生まれたことからフランス代表としてプレーする資格があったものの、18歳の時にマリ共和国へ旅行した際に自身のルーツを強く意識したことでマリ代表としてプレーすることを決意[3]

2004年にマリ代表デビュー以降、2004年, 2008年, 2010年, 2013年アフリカネイションズカップに出場。また、アテネオリンピックの一員だった。

人物[編集]

マリサッカー界の英雄FWサリフ・ケイタをおじに持ち、セイドゥ・ケイタは従兄弟である[27]。また、実弟のアブドゥル・シソッコ英語版とイブラヒム "モミート" ・シソッコ (Ibrahim "Momito" Sissoko)もサッカー選手として活動[28]。イブラヒムの方はウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFCの下部組織やバレンシアCF・メスタージャに所属していたが、怪我により引退している[3]。ちなみにモハメドと同じフランス生まれで、マリにルーツを持つムサ・シソコとは血縁関係にない。

アラブ首長国連邦ドバイに拠点を置くアラビア語の国際ニュース衛星放送アル=アラビーヤに自身がイスラム教徒であることを誇りに思っている。たとえ、サッカーの大会中であってもラマダーンに従うと語っている[29]

タイトル[編集]

バレンシア
リヴァプール
パリ・サンジェルマン

脚注[編集]

  1. ^ "Official web site Youth"
  2. ^ "Valencia ordered to pay up"
  3. ^ a b c "Mohamed Sissoko, le déménageur"
  4. ^ "バレンシアのシソコが契約延長"
  5. ^ "Sissoko completes Liverpool move"
  6. ^ "Specialist optimistic for Sissoko"
  7. ^ "Apologetic Beto upset with jeers"
  8. ^ "Sissoko set to miss three months"
  9. ^ "Sissoko signs new Liverpool deal"
  10. ^ "シソコがユベントスへ移籍"
  11. ^ "シソコがユベントスと契約延長"
  12. ^ "ユベントスのシソコが途中出場で骨折"
  13. ^ "ユベントス、シソコが再離脱"
  14. ^ "Juventus and Mali star Momo Sissoko out for season"
  15. ^ "PSGが今度はシソコとシリグを獲得"
  16. ^ "PSG, Bordeaux settle for a 1-1 draw"
  17. ^ "M・シソコのフィオレンティーナ加入が正式決定"
  18. ^ "M・シソコ、2週間のトライアルもアンデルレヒト加入ならず"
  19. ^ "フリーのM・シソコがレバンテに加入"
  20. ^ 马里中场穆罕默德·西索科加盟上海绿地申花俱乐部上海申花公式サイト 2015年6月25日
  21. ^ 上海申花、マリ代表MFシソコ獲得を発表。かつてはリバプールやユーベでもプレーfootballchannel 2015年6月26日
  22. ^ リバプールやユベントスでプレーしたM・シッソコがISLのプネ・シティに加入…今夏加入のグジョンセンは足首負傷で登録外に超ワールドサッカー! 2016年10月2日
  23. ^ リバプールやユーベ、PSGでプレーしたM・シッソコがセリエBのテルナーナへ移籍超ワールドサッカー! 2017年2月18日
  24. ^ リバプールやユベントスでプレーした元マリ代表MFモハメド・シッソコがインドネシアに上陸 超ワールドサッカー! 2017年4月14日
  25. ^ Mohamed Sissoko, nuevo refuerzo del Atlético de San Luis”. Marca.com (2017年12月2日). 2018年7月12日閲覧。
  26. ^ バレンシア、リバプール、ユベントスなどで活躍したMFシッソコが香港の傑志に加入”. サッカーキング (2018年7月5日). 2018年7月12日閲覧。
  27. ^ "Profiles of nominees for Glo-CAF Player of the Year 2009"
  28. ^ "Ibrahim Sissoko: «Je viens triompher à Valence comme mon frère»"
  29. ^ "Italy: Muslim football players make headlines"

関連項目[編集]

外部リンク[編集]