モディボ・ケイタ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
モディボ・ケイタ
Modibo Keïta
Keita stamp 1961.png
モディボ・ケイタの切手(1961年)

任期 1960年6月20日1968年11月19日

マリ共和国の旗 マリ
初代首相
任期 1960年6月20日1965年

マリ連邦の旗 マリ連邦
首相
任期 1959年4月5日1960年6月20日

出生 1915年6月4日
Flag of French Sudan (1958-1959).svg フランス領スーダンバマコ・クーラ
死去 1977年5月16日(満61歳没)
マリ共和国の旗 マリキダル
政党 スーダン連合・アフリカ民主連合(US/RDA)

モディボ・ケイタ(フランス語: Modibo Keïta1915年6月4日 - 1977年5月16日)は、マリ共和国の政治家。イスラム教徒パン・アフリカ主義を唱えてマリ連邦首相となり、マリ連邦の崩壊後はマリ共和国初代国家元首・大統領となった。

生涯[編集]

前半生[編集]

1915年、フランス領スーダン(現在のマリ共和国)の首都バマコ近郊の村(バマコ・クラー)で生まれ、ダカールにあるウィリアム・ポンティ校に入学し、1936年の卒業後は教師としてバマコやシカソ、トンブクトゥで勤務した。1946年フランス第四共和政のもとでフランス領西アフリカに選挙権が認められると、コートジボワールフェリックス・ウフェボワニを中心にアフリカ民主連合が結成され、ケイタはその支部としてスーダン連合を結党し、党首となった。

マリ連邦[編集]

1950年代後半に入り、アフリカ各植民地の独立が現実的になってくると、ケイタはパン・アフリカ主義に基づきフランス領西アフリカ各植民地の連合を提唱し、分離独立を唱えるウフェボワニと対立し、セネガルサンゴールと近づくようになった。

1959年1月、フランス領スーダン・セネガル・オートボルタ(現ブルキナファソ)・ダオメー(現ベナン)の4ヶ国の代表がダカールに集まってマリ連邦の結成を協議したが、スーダンとセネガルが統一国家を主張したのに対し、オートボルタとダオメーは独立国家の連合を主張し、会議は決裂。1960年6月にスーダンとセネガルのみでマリ連邦は独立し、サンゴールが国会議長、ケイタは首相に就任した。

しかし路線対立がすぐに表面化し、1960年8月20日にマリ連邦は解体。8月22日にスーダンはマリ共和国として単独独立し、ケイタは初代大統領に就任した。

独立後[編集]

独立後、ケイタはアフリカ社会主義を唱え、伝統的な農村共同体を基盤とした近代社会を築こうとしたが、セネガルとの断交と貿易禁止による輸出ルートの途絶や行政の未成熟、無理な国有化による生産の停滞などによって経済は混乱し、計画は失敗した。セネガルとの断交は1963年に両国が国交を回復するまで続き、以後もマリとセネガルの貿易量は回復せず、セネガルのダカール港に貿易の80%近くを依存していたマリ経済は混乱を続けた。またスーダン連合による一党独裁により、国内でも不満が蓄積していった。

1968年11月19日、国軍のムーサ・トラオレ大尉がクーデターを起こし、ケイタ政権は崩壊した。ケイタは捕らえられ、サハラ砂漠の中にあるキダルの刑務所へと送られた。以後10年近くの獄中生活を送り、1977年5月16日に獄中にて死亡した。

脚注[編集]

  1. ^ 1965年までの役職名は国家元首[1]
公職
先代:
モディボ・ケイタ
(マリ連邦大統領)
マリ共和国の旗 マリ共和国大統領
1965年までの役職名は国家元首
初代:1960年 - 1968年
次代:
ムーサ・トラオレ
(国民解放軍事委員会議長)
先代:
モディボ・ケイタ
(マリ連邦首相)
マリ共和国の旗 マリ共和国首相
初代:1960年 - 1965年
次代:
ヨロ・ディアキテ英語版
(1968年まで空席)
先代:
(建国)
Flag of Mali 1959-1961.svg マリ連邦首相
1965年までの役職名は国家元首
1960年
次代:
モディボ・ケイタ
(マリ共和国首相)