アルメニア人

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アルメニア人の分布 色が濃い国ほどアルメニア人居住者が多い

アルメニア人(アルメニアじん)は、アルメニアの主要民族インドヨーロッパ語族に属するアルメニア語を使用している。アルメニア人の6割はアルメニア共和国の外に暮らすディアスポラである[1]。自称は「ハイ」(アルメニア語: Հայ)。

歴史[編集]

古代から国家を建設し、世界で初めてキリスト教を国家宗教とした。また中世東ローマ帝国ではアルメニア系の王朝が建てられたことがある[2]。なお、アルメニア人は非カルケドン派であるアルメニア使徒教会の信者がほとんどである。

12世紀アルメニア王国や東ローマ帝国が衰退・崩壊した後は世界中に拡散し[3]、商工業の担い手として各地にネットワークを広げて活躍した。この点はよくユダヤ人[4]と比較されることも多い。移住先に於いても独自のネットワークを築き、宗教をアイデンティティとすることなど、両者には共通している側面もある[5]オスマン帝国サファヴィー朝ムガル帝国の領内で独自のコミュニティを形成し、これらを結ぶ形でアルメニア商人の商業網が構築された。例えば、イラン17世紀にはアレッポ18世紀にはイズミル経由でヨーロッパ市場に供給した。

日本ではアルメニア人は商才がある民族として有名であるが、それは藤田田の著書の影響でもある[4]

また古代から兵士としての能力があり、プルターク東ローマ帝国皇帝ニケフォロス2世はアルメニア兵の能力を自らの著書で賞賛している。また、トゥールーン朝ファーティマ朝といったエジプトの王朝には亡命アルメニア人によって編成された部隊が存在していた。

東北大学大学院国際文化研究科の北川誠一教授は古代のアルメニア人の最初の職業は軍人であり、それがキャラバンと結びついた。古代のキャラバンは商人と武力は密接な関係があると指摘し、それがアルメニア人が兵士と商人で名をはせた要因になったという説を提唱している。アルメニア人が多いフランスではアルメニア人といえば商人よりも兵士、傭兵の民というイメージが強い。 そういった気質を反映してか、ビック・ダルチニアンジョルジオ・ペトロシアンなど格闘技の世界で活躍するアルメニア人も多い。

現在、シリアイスラエル[6]及びイラン[7]には、比較的大規模なアルメニア人社会が存在する。ヨーロッパではフランスに40万から50万人といわれるアルメニア人が住み、政界・銀行・芸能など多方面に進出して、フランス社会に大きな影響力を持っている。アメリカにも80万人近いアルメニア系の住民がいる。

アルメニア人の姓[編集]

アルメニア人のには、ペトロシャン(Պետրոսյան)、ハチャトゥリアン(Խաչատրյան)やスペンディアリャン(Սպենդիարյան)、サローヤン(Սարոյան)など、「-ian」や「-yan」(-յան)がつくものがみられるが、これは父称に由来する。

文化[編集]

伝統的にチェスが盛んでソ連時代にはチグラン・ペトロシアンなど世界王者も輩出している。

美術[編集]

アルメニア絨毯は古くから品質の高さで知られており、中世のアラブやヨーロッパに広く輸出されていた。著名な製造地はカリス(エルズルム)とヴァンであった。

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  1. ^ ロバート・コーエン 『グローバル・ディアスポラ』 駒井洋訳、明石書店〈明石ライブラリー 150〉、2012年(原著1997年)、新版、116頁。ISBN 978-4750335971
  2. ^ ヘラクレイオス王朝マケドニア王朝の2つの王朝の始祖は東ローマの侵略で捕らえられたアルメニア人捕虜である。バシレイオス1世はアルメニア語を話せたというが、彼らはギリシャ語を母語としており、ギリシャ化していた。
  3. ^ 一部は11世紀にトルコ南東部のキリキアに移住しキリキア・アルメニア王国を建国、14世紀末まで独立を保った。
  4. ^ a b ユダヤ人が三人いても、一人のアルメニア人に敵わない」という諺も存在するというが詳細は不明(藤田田『ユダヤの商法』)。
  5. ^ 但し、アルメニアという大規模な集住地域(土地)や言語を失ってはいない。
  6. ^ エルサレムにはキリスト教徒アラブ人とは別にアルメニア人地域が存在する。
  7. ^ イランのエスファハーンにあるジョルファ地区には、16世紀エスファハーン造営に従事したアルメニア人を起源とする大規模コミュニティーが存在する。

外部リンク[編集]