石油輸出国機構

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石油輸出国機構
Organization of the Petroleum Exporting Countries
(OPEC)
Flag of OPEC.svg
OPECの旗
設立年 1960年9月14日
本部 オーストリアウィーン
メンバー

13ヶ国
5ヶ国:設立時(1960年)

公用語 英語[1]
事務局長 モハメド・バーキンド
ウェブサイト www.OPEC.org

石油輸出国機構(せきゆゆしゅつこくきこう、: Organization of the Petroleum Exporting Countries略称OPEC日本語発音:オペック、アメリカ英語発音:[ˈoʊpek] オウペク))は、国際石油資本などから石油産出国の利益を守ることを目的として、1960年9月14日に設立された組織である。設立当初は、イランイラククウェートサウジアラビアベネズエラの5ヶ国を加盟国としていたものの、後に加盟国は増加し、2017年1月現在では13ヶ国が加盟している。世界最大のカルテルとされる。なお、オーストリアは加盟国ではないものの、石油輸出国機構の本部は首都ウィーンに設置されている。

目的と組織[編集]

石油輸出国によって結成され、輸出国の利益を守ることを目的とする。1970年代には石油の価格決定権を国際石油資本より奪い、2度のオイルショックを引き起こした。1986年からは石油価格の決定権は自由市場へと移ったが、2007年においても全世界の原油生産量の42%、石油埋蔵量の3分の2を占め[2]、石油供給の鍵を握る存在である。このため、生産の調整などによって原油の価格に影響を及ぼすことができる存在となっている。また、加盟各国の代表的な原油の価格を加重平均した数値をOPECバスケット価格として発表しており、原油価格の重要な指標となっている。

OPECの最高決定機関は、全加盟国が参加する総会である。総会は6月と12月の年2回開かれるほか、緊急案件のある場合には臨時に開くことも可能である。加盟国の4分の3以上の参加によって開くことができ、全会一致によって決議となる[3]。機構維持のための拠出金は石油産出量にかかわらず各国同額とされているが、これは生産量の少ない加盟国の不満の種となっており、過去にこれを不服として1992年のエクアドルおよび1995年のガボンの2か国が脱退している。ただし、2007年にはエクアドルが、2016年にはガボンが再加盟を果たし、両国ともOPECに復帰した。

加盟各国[編集]

石油輸出機構(OPEC)の加盟14カ国 黄緑色であらわされるガボンおよびインドネシアは2016年に再加盟したが、インドネシアは同年11月にメンバーシップ停止に
加盟国とインド・イギリス・アメリカの石油産出量(赤)と輸出量(青)。

現加盟国[編集]

地域 加盟年[4] 人口
(2015年)[5]
面積
(km²)[6]
石油生産量
(バレル/日、2015年)[7]
確認埋蔵量
(バレル、2015年)[8]
アルジェリアの旗 アルジェリア アフリカ 1969年– 39,542,166 2,381,740 1,370,000 12,200,000,000
アンゴラの旗 アンゴラ アフリカ 2007年– 19,625,353 1,246,700 1,842,000 9,010,000,000
エクアドルの旗 エクアドル 南アメリカ 1973年–1992年、2007年– 15,868,396 283,560 543,000 8,830,000,000
ガボンの旗 ガボン アフリカ 1975年–1994年、2016年– 1,705,336 267,667 213,000 2,000,000,000
イランの旗 イラン 中東 1960年[upper-alpha 1] 81,824,270 1,648,000 3,300,000 157,800,000,000
イラクの旗 イラク 中東 1960年[upper-alpha 1] 37,056,169 437,072 4,054,000 144,200,000,000
クウェートの旗 クウェート 中東 1960年[upper-alpha 1] 2,788,534 17,820 2,562,000 104,000,000,000
リビアの旗 リビア アフリカ 1962年– 6,411,776 1,759,540 404,000 48,360,000,000
ナイジェリアの旗 ナイジェリア アフリカ 1971年– 181,562,056 923,768 2,317,000 37,070,000,000
カタールの旗 カタール 中東 1961年– 2,194,817 11,437 1,532,000 25,240,000,000
サウジアラビアの旗 サウジアラビア 中東 1960年[upper-alpha 1] 27,752,316 2,149,690 10,046,000 268,290,000,000
アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦 中東 1967年[upper-alpha 2] 5,779,760 83,600 2,820,000 97,800,000,000
ベネズエラの旗 ベネズエラ 南アメリカ 1960年[upper-alpha 1] 29,275,460 912,050 2,500,000 298,350,000,000
OPEC総計 707,380,083 14,027,213 34,288,000 1,216,840,000,000
世界総計 7,256,490,011 510,072,000 80,043,000 1,659,530,000,000
OPECの割合 10% 3% 43% 73%
  1. ^ a b c d e Tこの五カ国はOPECの創立メンバーであり、1960年に最初のOPEC総会に出席した。
  2. ^ アラブ首長国連邦は1971年12月に建国されており、OPECの加盟権はアラブ首長国連邦の構成国であるアブダビ首長国から継承したものである。

2016年7月現在、14カ国が加盟している。

以前加盟していた国[編集]

加盟候補国[編集]

設立背景[編集]

OPECの本部。

1950年代後半、石油産業の改革に関心が強かったベネズエラ大統領ロムロ・ベタンクール英語版の意向を受けた鉱山炭化水素大臣ペレス・アルフォンソ英語版は、南米と中東の石油産出国を団結させる協定を構想する。

1959年2月、石油を寡占していた国際石油資本(石油メジャー)が、産油国の了承なしに原油公示価格の引き下げを発表すると、これに強い不満を抱いた産油国はアラブ連盟第1回アラブ石油会議をカイロにて開催して、国際石油資本に対して原油価格改訂時の事前通告を要求するが受け入れられなかった。

その会議の際に、ペレス・アルフォンソはジャーナリストワンダ・ジャブロンスキー英語版の仲介でサウジアラビアの石油鉱物資源大臣アブドゥッラー・アッ=タリーキー英語版と会談して、自分の考えていた協定について合意を求めた。石油メジャーが廉価で大量の原油を産出していたため、産油国の利益が少ないと考えていたタリーキーは、その求めに応じて合意した。後日、カイロにアラブの石油産出国の代表者を呼んで、その協定についての非公式な会合を開き、その非公式な協定について各国の署名を得た。

1960年8月、石油メジャーが再び価格の引き下げを行うと、石油産出国はそれに反発し、1960年9月14日、イラクのアブドルカリーム・カーシムの呼びかけに応じてイラク、イラン、クウェート、サウジアラビア、ベネズエラの五カ国の代表がバグダードに集まり、中東地域の産油国を中心として、石油輸出国機構を設立した。

カルテル化とオイルショック[編集]

1971年2月のテヘラン協定、3月のトリポリ協定でOPECは原油価格を石油メジャーと協議して決定することに成功し、これ以後しばらくは石油価格はOPECと石油メジャーとの協議により決定されることとなった。またこの協定により、原油価格を値上げする方向性を打ち出す。1972年のリヤド協定により、石油採掘事業そのものも石油メジャーから産油国への権利委譲を促すことが合意される。これらの決定により原油価格の決定権が徐々に、国際石油資本から石油輸出国機構加盟の産油国側へと移ることになった。

OPECが完全に石油価格の決定権を握ったのは、1973年の第1次石油危機においてである。1973年10月に第四次中東戦争が勃発すると、10月16日にはOPECの中東6カ国が原油価格を70%引き上げ、さらに翌10月17日にはアラブ石油輸出国機構(OAPEC)がイスラエルを支持する西側諸国を標的に石油禁輸を実行。1973年12月には、OPECは更に130%の値上げを実行し、原油価格は10月以前に比べて約4倍になった。これによって原油価格の暴騰と、原油の不足が発生し、オイルショックと呼ばれる経済の混乱が起きた。これによってOPECはその存在感を世界中に示した。さらに加盟国内の油田石油パイプライン製油設備の国有化をすすめ、石油メジャーの影響力をさらに排除する。先の値上げにおいてOPECは石油メジャーに何の相談も行わず、以後石油価格は完全にOPECが決定することとなった[9]

絶頂期[編集]

1974年に入ると石油禁輸は終了し、それにともなってオイルショックも終息したものの、原油価格は下がらなかった。OPECは完全に原油価格の主導権を握り、カルテル化した。そして、その後も原油価格を少しずつつり上げ続けた。このころOPECの主導権を握ったのが、世界最大の原油生産国であるサウジアラビアである。サウジアラビアはアハマド・ザキ・ヤマニ石油相の指揮の元、OPEC内の利害関係を調整し、また原油需要に応じて自国の原油生産高を調整させることで需要と価格を統制し続けた。

1975年12月21日に、ベネズエラ人のカルロスら6人のテロリストが閣僚会議開催中のOPEC本部を襲撃し、警備の警官と銃撃戦の後、ヤマニなど各国代表ら総勢70名を人質にとった。テロリスト側はオーストリア当局を相手に交渉を開始したが、その後OPEC側はテロリストの全ての要求を受け入れた。カルロスらはその後用意された飛行機でアルジェリアへ逃走したが、アルジェリア当局にほとんどの身代金を没収された。

その後も、1976年にサウジアラビアとイランやイラクとが対立して、サウジが5%、イランやイラクが10%値上げをするなどいくらかの対立はあったものの、1977年にはサウジの値上げによって統一価格が復活し、1978年後半まではおおむねOPECの市場支配は揺らがなかった。

第2次オイルショック[編集]

1978年10月に、大産油国であるイランで政情悪化によるストライキが起き、石油価格が暴騰した。これに伴い、OPECも10%の値上げを決定した。その後、1979年1月にはイラン革命が勃発し、国王モハンマド・レザー・パフラヴィーがエジプトへ亡命(同地で死去)。これと、アメリカの石油需要の急拡大によって石油価格はさらに暴騰した。これを受けてOPECは価格を調整しようとしたが、日々価格が暴騰する情勢下で統一価格を維持することは不可能であり、合意の形成に失敗。原油価格はとめどなく上がり続けた。第二次オイルショックである。この状態は1980年まで続き、その後も石油価格は高値を続けた。

衰退と復活[編集]

こうした状況は、1982年ごろから変化する。オイルショック後、先進諸国石油備蓄の拡大、代替エネルギーへの促進、北海油田メキシコなどの非石油輸出国機構の産油量の増大などで供給過剰感が増大し、原油価格は低下し始めた。さらに生産調整や原油価格設定をめぐる足並みが乱れ、そして、1985年から1986年にかけて原油価格の大暴落が発生し、OPECは価格の支配力を大幅に減退させた。そして1986年、サウジアラビアが原油の公示価格制を放棄し、OPECが原油価格を決定できる時代は終わりを告げた[10]。そのかわりに、OPECは指標として加盟諸国の代表的な原油価格を加重平均した数値を1987年より発表するようになった。これはOPECバスケット価格と呼ばれ、原油価格の重要な指標となった。この原油安は1990年代を通じて続き、OPECの影響力は減退した。

ところが、1999年に全加盟国が協調して生産調整を行い、これによって原油価格を引き上げることに成功した[11]。2000年代にもこの協調は続き、さらにBRICs諸国など新興国の需要増大によって原油価格は高値が続き、OPECの影響力も再び強まってきた。

リーマンショックの一時期を除き、しばらくの間原油価格の高値を維持したが、2014年の秋頃からシェールガス革命の影響で原油価格が下がりはじめ、2015年にはWTIが従来の半分近い価格にまで急激に下落した。

そのような状況にもかかわらず当初はOPEC内の連携が取れておらず、一部加盟国が増産するなどOPEC全体として減産できず在庫過剰状態となっていた。さらに、2016年1月イランの核開発問題に関連した欧米諸国の経済制裁の解除によりイランの石油輸出が本格的に再開し、一段と在庫過剰状態となった。

2016年11月30日、ウィーンの本部で開いた総会で、原油生産を減らすことで約8年ぶりに合意した。非加盟のロシアも同調する方針で、主要産油国がそろって低迷する原油価格の押し上げを目指す形となった[12]。またインドネシアが減産不参加により、2015年11月の再加盟決定から1年でメンバーシップ停止となった[13]

非OPEC産油国[編集]

OPECの最小生産国ガボンを超える生産国、( )内は生産量 (千バレル/日、2015年、BP統計より)

  • 米国 (12,704)
  • カナダ (4,385)
  • メキシコ (2,588)
  • アルゼンチン (637)
  • ブラジル (2,527)
  • コロンビア (1,008)
  • アゼルバイジャン (841)
  • カザフスタン (1,669)
  • ノルウェー (1,948)
  • ロシア (10,980)
  • トルクメニスタン (261)
  • 英国 (965)
  • コンゴ共和国 (277)
  • エジプト (723)
  • 赤道ギニア (289)
  • オーストラリア (385)
  • 中国 (4,309)
  • インド (876)
  • マレーシア (693)
  • タイ (477)
  • ベトナム (362)

脚注[編集]

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  1. ^ OPEC Statute (PDF)”. Organization of the Petroleum Exporting Countries. p. 8 (2008年). 2011年6月8日閲覧。 “English shall be the official language of the Organization.”
  2. ^ 2009年 エネルギー白書 第2部 第2章 第2節 一次エネルギーの動向-1
  3. ^ 日本国外務省 OPECの概要
  4. ^ Member Countries”. OPEC. 2016年7月4日閲覧。
  5. ^ Field Listing: Population”. The World Factbook. Central Intelligence Agency. 2015年12月21日閲覧。
  6. ^ Field Listing: Area”. The World Factbook. Central Intelligence Agency. 2009年1月4日閲覧。
  7. ^ Production of Crude Oil including Lease Condensate 2015”. US Energy Information Administration. 2016年7月22日閲覧。
  8. ^ Crude Oil Proved Reserves, 2015”. US Energy Information Administration. 2016年6月13日閲覧。
  9. ^ 「石油を支配する者」p110-112 瀬木耿太郎 岩波書店 1988年6月20日第1刷発行
  10. ^ 「知られていない原油価格高騰の謎」p75 芥田知至 技術評論社 平成18年5月5日初版第1刷
  11. ^ 「石油価格はどう決まるか 石油市場のすべて」p65 甘利重治、山岡博士著 河村幹夫監修 時事通信社 2007年12月20日第1刷
  12. ^ OPEC減産合意、ロシア同調方針 他の非加盟国も意向2016年12月1日
  13. ^ [1]2017年1月20日

関連項目[編集]