公文克彦
北海道日本ハムファイターズ #49 | |
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![]() 2018年3月13日 マツダスタジアムにて | |
基本情報 | |
国籍 |
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出身地 | 高知県安芸郡芸西村 |
生年月日 | 1992年3月4日(26歳) |
身長 体重 |
173 cm 78 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2012年 ドラフト4位 |
初出場 | 2013年9月25日 |
年俸 | 4,100万円(2019年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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公文 克彦(くもん かつひこ、1992年(平成4年)3月4日 - )は、高知県安芸郡芸西村出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。
目次
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
高知高等学校では、2年時の夏に第90回全国高等学校野球選手権記念大会に出場。1回戦の中田廉、上本崇司擁する広陵高等学校戦で5点差をつけられた6回から登板するも、同点に追いついた直後の8回に勝ち越しを許し敗戦投手となり、5-8で初戦敗退に終わった。2年時の秋からはエースとなり、3年時の夏は決勝で明徳義塾高等学校の石橋良太と投げ合い3-2で勝利し、高知県予選を制し同校3年連続の甲子園出場に貢献する。第91回全国高等学校野球選手権大会では、1回戦の如水館高等学校戦で史上初となる2日連続雨天ノーゲームの末に、160球を投げ切り14奪三振をマークし9-3で完投勝利した[2]。ノーゲームの試合は、いずれも0-2と5-6で如水館高がリードしていた。2回戦は、庄司隼人擁する常葉橘高等学校に打ち込まれ6回7失点で降板し、チームも6-7で敗退した。甲子園通算3試合、19回19奪三振、防御率6.16。野球部の同期には木下拓哉がいる。
高校卒業後は、社会人野球の大阪ガスに入団。2年目の2011年から公式戦に登板。同年の第82回都市対抗野球大会ではNTT西日本の補強選手になったが登板機会は無かった。3年目の2012年は、第83回都市対抗野球大会にパナソニックの補強選手として出場[3]。初戦で山中浩史擁するHonda熊本と対戦し、2番手で登板し無失点に抑える好救援を見せ、チームも2-1で勝利した。しかし、先発したベスト8のJX-ENEOS戦では制球に苦しみ2回途中3失点で降板し、チームも5-9で敗退した。大会後に発覚したチーム内の不祥事により8月31日から6ヶ月の対外試合禁止が下されたため、同年の第38回社会人野球日本選手権大会などには出場できなかった。
2012年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから4位指名を受け[4]、入団。なお、大阪ガスの同僚だった松永昂大も千葉ロッテマリーンズから1位指名を受けた。
巨人時代[編集]

2013年は開幕を二軍で迎え、イースタン・リーグで主にリリーフとして起用される。チーム内で2位となる45試合に登板し、0勝5敗・防御率2.68と一定の成績を残すと、すでに巨人の優勝が決まった9月25日に一軍初昇格[5] 。同日の東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)でプロ初登板し、1イニングを無失点に抑える[5]。シーズンでは3試合に登板した。
2014年は二軍で31試合に登板するも、防御率は5.82と結果を残せず。一軍登板を果たせずにシーズンを終えた。
2015年は二軍で44試合に登板し、防御率も1.78と改善されたが、一軍では同じ左腕の高木京介や戸根千明が活躍したため、この年も二軍暮らしに終わった。10月初旬、岡崎前2軍監督に「1軍に左の横投げはいないし、腕を下げたりして違う環境でやってみたらどうか」と提案され、10月のフェニックスリーグからサイドに転向。
2016年は4月23日・DeNA戦の救援登板以来、12試合で救援として登板したものの、左肩を痛め6月2日に登録抹消となった。
日本ハム時代[編集]
2016年のシーズン終了後、吉川光夫・石川慎吾との交換トレードにより大田泰示と共に北海道日本ハムファイターズへ移籍(同年11月4日公示)[6][7]。
2017年6月14日の中日ドラゴンズ戦で、1回無失点でプロ初勝利を挙げた。最終的に自己最多となる41試合に登板し、3勝0敗・防御率2.70の成績を残した。
2018年は序盤こそ開幕戦後に2軍降格を経験するものの、貴重な左のセットアッパーとしてチームに貢献、最多となる57試合に登板した。
選手としての特徴・人物[編集]
サイド気味のスリークォーターからストレート、スライダーを軸としつつ、ツーシーム、フォークも投じる。
小学校時代は、阪神タイガースがキャンプをしている安芸市営球場まで練習見学に通っており、初めて貰えたサインは藤川球児からである[8]。
2013年10月25日、社会人時代の2012年6月に左肩を痛め入院した際に知り合った看護師の女性と結婚した[9]。
詳細情報[編集]
年度別投手成績[編集]
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2013 | 巨人 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 13 | 3.0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 1.67 |
2016 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 50 | 11.2 | 10 | 1 | 3 | 0 | 2 | 12 | 1 | 0 | 5 | 5 | 3.86 | 1.11 | |
2017 | 日本ハム | 41 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 1.000 | 154 | 36.2 | 39 | 2 | 8 | 2 | 2 | 33 | 2 | 0 | 11 | 11 | 2.70 | 1.28 |
通算:3年 | 56 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 1.000 | 217 | 51.1 | 53 | 3 | 12 | 2 | 4 | 49 | 3 | 0 | 16 | 16 | 3.07 | 1.27 |
- 2017年度シーズン終了時
記録[編集]
- 初登板:2013年9月25日、対東京ヤクルトスワローズ19回戦(明治神宮野球場)、6回裏に3番手で救援登板、1回無失点
- 初奪三振:同上、6回裏に上田剛史から空振り三振
- 初勝利:2017年6月14日、対中日ドラゴンズ2回戦(ナゴヤドーム)、11回裏に7番手で救援登板、1回無失点[10]
- 初ホールド:2017年9月21日、対福岡ソフトバンクホークス25回戦(札幌ドーム)、7回表無死に3番手で救援登板、1/3回無失点
背番号[編集]
- 57 (2013年 - 2016年)
- 49 (2017年 - )
登場曲[編集]
- 「紅空」lecca(2013年)
- 「獅子奮陣」lecca(2015年)
脚注[編集]
- ^ 日本ハム - 契約更改 - プロ野球.日刊スポーツ.2018年12月2日閲覧。
- ^ “高知 雨のち雨のちあっぱれ!公文が熱投160球”. スポニチ Sponichi Annex (2009年8月12日). 2013年1月23日閲覧。
- ^ a b “第83回 都市対抗野球大会 補強選手紹介”. パナソニック野球部 (2012年6月21日). 2013年1月23日閲覧。
- ^ “ドラフト会議で菅野投手ら7選手の交渉権獲得”. 読売ジャイアンツ (2012年10月25日). 2013年1月23日閲覧。
- ^ a b “公文、147キロ直球で0封デビュー!原監督「素晴らしい」”. スポーツ報知. (2013年9月26日)
- ^ “日本ハム移籍の巨人・大田、公文がコメント「北海道で活躍する姿見て」”. スポニチアネックス. (2016年11月2日) 2016年11月2日閲覧。
- ^ “トレード|2016年度公示”. 日本野球機構. 2016年11月4日閲覧。
- ^ “公文 先輩の「松永さんだけには絶対負けません」”. スポニチ Sponichi Annex (2012年10月26日). 2013年1月23日閲覧。
- ^ “巨人の21歳セットアッパー公文が結婚 入院で知り合ったナースと”. スポニチ Sponichi Annex (2013年11月16日). 2013年11月25日閲覧。
- ^ “日本ハム・公文、5年目で待望のプロ初勝利「素直にうれしいです」”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2017年6月14日) 2017年6月14日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 個人年度別成績 公文克彦 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube
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