福田秀平

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福田 秀平
福岡ソフトバンクホークス #37
HAWKS37-FUKUDA.jpg
2012年5月4日 福岡Yahoo!JAPANドーム
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県横浜市緑区(現:青葉区
生年月日 1989年2月10日(26歳)
身長
体重
181 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 2006年 高校生ドラフト1巡目
初出場 2010年4月30日
年俸 1,800万円(2014年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

福田 秀平(ふくだ しゅうへい、1989年2月10日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手外野手内野手)。神奈川県横浜市緑区(現:青葉区)出身。愛称は「秀平」。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

1989年2月10日横浜市で生まれた[1]。3歳から水泳を始め、10歳の時に背泳ぎ部門でジュニアオリンピック代表候補になるほど成長した。同時期にサッカー部にも所属し、サッカー・水泳の指導者からの引き留めに会ったが最終的に野球を選択した[2][3]。野球は佐賀県唐津市出身で唐津東高校で3年時に佐賀県大会ベスト4に進んだ父からも厳しい指導を受けた[3]。横浜市立谷本小学校1年生の時に藤が丘ファイヤーズに入部し軟式野球を始め、投手遊撃手を兼任し、6年生では主将も務めた[3]横浜市立緑が丘中学校では世田谷ボーイズで硬式野球を始めて主に遊撃手だった。

甲子園出場経験が無く、部員も20人ほどの多摩大聖ヶ丘高に進学し、1年春から内野のレギュラーに定着した。3年春に本格的にスイッチヒッターに転向すると才能が開花しプロからも注目される存在となった[3]。3年夏の西東京大会では準決勝で3番を任され本塁打を放ったが日大三高に2対10で敗れた[4][5]

2006年9月25日のドラフト会議・高校生選択会議で大嶺祐太八重山商工)の交渉権を獲得できなかったソフトバンクから1巡目で指名され、同年10月19日に仮契約を結んだ。多摩大聖ヶ丘高は進学校であり、福田は同校初めてのプロスポーツ選手となった[6]。2006年の高校生ドラフトで指名された平成生まれの選手は福田の他に延江大輔土井健大山田弘喜の3人がいる。他の選手より早く仮契約を済ませ、福田は平成生まれのプロ野球選手第1号となった。1989年生まれとしては2004年ドラフト辻本賢人が指名されているが、まだ昭和64年だった1月6日に生まれたため、平成生まれのプロ野球選手には該当しない。

プロ入り後[編集]

ビジターユニホーム姿の福田
2007年

1月30日の必勝祈願で体調を崩し、2月1日に春季キャンプ初日を扁桃炎により欠席した[7]。2月4日に復帰して新人イベントを欠席して休日練習を行った[8]ウエスタン・リーグ公式戦では遊撃手・三塁手として37試合に出場したが失策も多く、打率.135、3盗塁と結果が出なかったが、フェニックスリーグで本塁打を打ち[9]、秋季キャンプはA組に抜擢された[10]

2008年

2年目の春季キャンプはA組で迎えた[11]。オープン戦は2打数無安打で二軍降格となった[12]。5月6日のウエスタン・リーグ対阪神タイガース戦7回の守備中に右足を負傷し、西宮市内の病院で検査の結果、右足腓骨骨折と診断された[13]。7月に実戦復帰し、8月2日に山形県野球場で行われたフレッシュオールスターゲームは三塁の守備で途中出場した[14]。8月13日のウエスタン・リーグ対広島東洋カープ戦では城所龍磨小斉祐輔とリーグ記録タイの3者連続本塁打を打った[15]。10月4日のファーム日本選手権に8番二塁手として先発出場し、三塁打から得点を記録し、チームの日本一に貢献した[16][17]。二軍では新たに二塁手にも挑戦し、43試合に出場して打率は.239まで上昇した。

2009年

7月3日のウエスタン・リーグ対広島戦の走塁で左足甲を傷めて左足第5中足骨疲労骨折と診断され[18]、福岡市内の病院で手術を受けた。二軍では61試合に出場し、打率.277、13盗塁、13二塁打、5三塁打と長打も増え、守備率も向上した。秋季キャンプでは秋山幸二監督から集中的に指導を受けた[19]

2010年

1月は田中浩康に弟子入りして海外自主トレを行い[20][21]、春季キャンプはA組スタートとなったが、練習試合の守備でミスを連発してB組降格となった[22]。同年の二軍公式戦では3月から一塁手、5月7日から外野手として出場した[23]。4月29日に4年目にして始めて出場選手登録され、4月30日の対千葉ロッテマリーンズ戦(福岡 Yahoo! JAPANドーム)で8回1点リード一死満塁の場面で李ボム浩代走として出場し、プロ初出場を記録した[24][25]。その後は代走で出場し、5月12日の対中日ドラゴンズ戦の6回にプロ初打席を代打で迎えたが吉見一起の前に空振り三振に倒れた[26]。5月22日の対広島戦では8番中堅手でプロ初の先発出場を果たし、4点リードの3回第2打席・一死満塁の場面で梅津智弘からレフト線へ2点エンタイトルツーベースで初安打・初打点を記録した[27][28]。中堅手としては二軍で2試合しか守った事が無かったため、7回5点リード一死二三塁の守備では石原慶幸の打球を追う際に転倒し、これが2点タイムリー打となって直後に先発・和田毅は降板、自身も城所龍磨と交代した[29]。6月6日に長谷川勇也に代わり二軍降格となったが、6月22日再昇格し、7月19日の対埼玉西武ライオンズ戦の5回2点リード一死一塁の場面で許銘傑上本達之バッテリーからプロ初盗塁を記録して得点も挙げた[30]。その後は代走要員としてシーズン終了まで一軍に残り、最終的に44試合で15得点を挙げたが、盗塁は3つにとどまった。一軍では先発出場はわずか4試合、守備時は外野の全ポジションと一塁で起用された。

クライマックスシリーズでは全6試合にベンチ入りし、10月18日第5戦で8回に代走として1試合のみ出場した[31]。オフに両打ちから左打ちに専念する事を決断した[32][33]。11月3日からオーストラリアウィンターリーグに派遣され[34]、22試合に出場して87打数24安打、打率.276、OPS.775、4本塁打、6打点、5盗塁、5失策だった[35][36]

2011年

同年より外野手登録へ変更された[1]。春季キャンプは2月1日のベースランニング中に右足を痛め、右足太もも肉離れと診断され[37]、福岡へ強制送還された[38]。一軍合流後はアピールを続け[39]、開幕を一軍で迎えた。代走での起用が続いたが、松中信彦・長谷川勇也の打撃不振により内川聖一が中堅手から左翼手起用となり、4月30日の千葉ロッテ戦で約1年ぶりの先発出場を果たし、5回同点二死一二塁の場面ではサブローの打球をフェンス際で後ろを向いて倒れながら捕球するなど活躍し[40]、その後13試合外野でスタメン起用されたが、5月17日に自身の打率が2割を切り、代わりに起用された長谷川が5月の月間打率.306と結果を出した事で先発の座を奪われた。6月1日対中日戦で多村仁志負傷交代時に活躍して交流戦優勝マジック点灯に貢献[41]、6月6日の対広島戦では代走から出場して2打席連続三塁打など結果を出し[42]、6月12日には初めて一塁手で先発出場を果たした[43]。6月18日から故郷・横浜スタジアムにて2試合に途中出場したが打席に立つことは無かった。6月23日の内川の離脱をきっかけに15試合連続でスタメン起用され[44]、7月3日の対オリックス・バファローズ戦ではプロ初のマルチ盗塁を決めた[45]。7月10日の対千葉ロッテ戦では同点の4回に二塁打で出塁し、二死一三塁の場面では一塁走者の中村晃のスタート後に捕手・的場直樹が二塁へ送球して渡辺俊介がしゃがんだ瞬間スタートを切り、ダブルスチールを成功させ決勝点を挙げた[46]。7月14日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦の2回に飛びついて捕球した際に左肩を強打して負傷交代し[47]、左肩関節亜脱臼の疑いと診断され[48]、7月15日に出場選手登録を抹消された。それに伴い予定されていたフレッシュオールスターゲームへの出場を辞退した[49]。8月6日に一軍へ再昇格し、8月7日に一旦先発出場したが再び控え起用となった。調整で出場した8月30日のウエスタン・リーグ対オリックス戦で満塁本塁打を含む5打数5安打6打点の活躍し[50]、9月6日の対北海道日本ハムファイターズ戦で1ヶ月ぶりの先発出場を果たすと、2回に守備で好返球、4回には同年18勝を挙げるダルビッシュ有から決勝打となる先制の二塁打、7回にも三塁打と活躍し[51]、シーズン終了までのスタメンを勝ち取った。9月28日の対日本ハム戦では武田勝からタイムリー打を含む3安打を放ってプロ初の猛打賞を記録した[52]。9月30日の対西武戦では5回3点ビハインドの場面で西口文也のスライダーをライトスタンドに運びプロ1号となるソロ本塁打を放ち[53]、7回同点無死二三塁の場面では岡本篤志から決勝タイムリーを打って優勝マジックを1とした[54][1]。10月1日の同カードでは6回一死二塁の場面で先発の岸孝之から先制のタイムリー打を放ち、明石健志の三塁打で生還、3点リードの9回二死の場面では浅村栄斗のライト線への飛球をスライディングキャッチしてチームはリーグ連覇を果たした[55][56][32]。レギュラーシーズンは最終的に97試合に出場し、61試合に先発出場、打順は主に7・8番、守備位置は外野と一塁で起用され自己最多の22盗塁(成功率91.7パーセント)を記録した[57]。打率.252だったが出塁率.281で四球はわずか4と課題も残した。

クライマックスシリーズファイナルステージは2試合に出場し、11月5日第3戦では10回1点ビハインドで代走から出場して長谷川のタイムリー打で同点の走者として二塁から生還、12回同点の場面では牧田和久から二塁打を打ち、長谷川の安打で二塁からサヨナラの走者として生還してクライマックスシリーズ突破に貢献した[58]日本シリーズは第1戦・第2戦のスタメンを含む全3試合に出場したが、11月13日第2戦の7回無死一二塁の場面で同点に繋がる犠打を決めたものの無安打に終わり[59]、第6戦では8回1点ビハインド二死一塁から代走起用されたが盗塁失敗した。 アジアシリーズ予選リーグは統一セブンイレブン・ライオンズとの第1戦では無安打だったが、11月26日のサムスン・ライオンズとの第2戦では2回に先発の李宇善から先制のタイムリー二塁打を放って勝利に貢献した[60][61]パース・ヒートとの第3戦は1四球にとどまった。11月29日のサムスンとの決勝戦では7回4点ビハインド二死二三塁の場面で右中間の打球をスライディングキャッチしてピンチを救い、裏の攻撃で安打でチャンスメイクしたものの、2点差と迫った8回二死一二塁・一打逆転の場面で初球凡退して試合は敗戦[62]、2005年から続いた日本勢の連覇を止めてしまった。

2012年

2年連続開幕を一軍で迎えたものの控えとなり守備などで貢献した[63]。5月11日には途中出場ながら初めて二塁手として出場したが守備機会は無かった。5月22日の対広島戦の先発起用で結果を出し[64]、9試合連続でスタメンとなったが打率が2割を切って再び控えに戻った。その後は代走や外野守備を中心に出場して、13盗塁中10個を代走で成功させていたが[65]、7月18日の対オリックス戦の走塁中に左膝を痛め[66]、7月25日に左大腿骨骨挫傷のため出場選手登録を抹消され、その後は二軍公式戦も全て欠場した。同年は先発出場11試合と激減、打率も1割台で終えた。オフの11月6日に福岡市内の病院で左大腿骨外顆軟骨損傷に対する関節鏡視下手術を行った[67]

2013年

5月7日のウエスタン・リーグ対広島戦で代打として実戦に復帰した[68]。7月3日に一軍へ昇格し、7月5日の対楽天戦では復帰後初の先発起用に応えて宮川将からタイムリー三塁打を打った[69]。その後は控え中心の起用に戻ったが、8月2日の対西武戦で代走から盗塁を決めて、年度を跨ぐ参考記録ながら広瀬叔功の日本記録に並ぶ31連続盗塁成功を達成した[70]。打率.125と低調になり8月12日に二軍へ降格したが、打撃で結果を出して8月30日に再昇格し、シーズン終了まで一軍に残った。一軍出場は33試合、先発出場もわずか4試合、打率も前年を下回り、盗塁も1度だけだった。

オフの11月1日からプエルトリコのウィンターリーグに派遣され、21試合に出場して84打数20安打、打率.238、OPS.664、1本塁打、7打点、3盗塁、無失策だった[71][72]。現地では元・福岡ダイエーホークス所属のペドロ・バルデス打撃コーチから打撃指導を受けた[73]。12月7日に岡島秀樹の入団に伴い、背番号を31に変更した[74][75]

2014年

1月31日にインフルエンザに感染してキャンプ地入りできず出遅れ[76]、一旦一軍に合流したものの[77]、開幕は二軍で迎えた。8月13日に福岡市内の病院で右大腿骨外側膝蓋溝軟骨損傷による内視鏡下デブリードマン手術を受けると発表した[78]。さらに8月28日にも福岡市内の病院で左肩関節の内視鏡下バンカート手術を受けた[79]。長期リハビリを要して一軍出場なしに終わった。二軍では手術前時点の成績でリーグ2位の19盗塁を記録した(成功率90.5パーセント)[80]。オフの11月26日に背番号を37に戻した[81]

2015年

春季キャンプ中の2月20日に斗山ベアーズとの練習試合で約8ヶ月ぶりに実戦復帰を果たしたが[82]、3月23日のウエスタン・リーグ対広島戦で帰塁の際に右手を負傷し、福岡市内の病院で検査の結果、右手第4指中節骨骨折と診断された[83]。4月28日の三軍対徳島インディゴソックス戦で実戦復帰した[84]。5月8日に午前中の二軍戦で結果を出した事で、工藤公康新監督から同日の対楽天戦で一軍昇格即スタメンに抜擢され、結果で応えた[85]。5月9日の同カードでは10回の代走で二盗を成功させて2011年からの連続盗塁を32に伸ばして新記録となったが[86]、5月10日の同カードで三盗に失敗して記録は途切れた[87]

プレースタイル[編集]

プロ入り前は高校通算38本塁打、50メートル走のタイムは6秒0、ベースランニング1周のタイムは14秒0の俊足だった[2][3]

元来左打ちだったが、高校3年の夏前に左投手が打てずスイッチヒッターに転向した[19]。2010年オフに秋山幸二監督の助言により左打ちに専念し、左腕対策としては川崎宗則のアドバイスにより、ベースラインぎりぎりに立っていた打席を、ベースから少し離れて外角には思い切り踏み込むようになった[32]

2014年シーズン時点では95.1パーセントと高い盗塁成功率を持ち、8四球・84三振でBB/Kが0.10と四球を選ばない打者である。

2012年に一軍で1度二塁で起用された以外、一塁以外の内野は2011年までしか守っておらず、二軍での通算守備率は二塁手.960(70試合)、三塁手.911(34試合)、遊撃手.929(108試合)である(2014年シーズン終了時点)。

人物[編集]

同学年の斎藤佑樹(日本ハム)とは高校時代からの友人でもあり、プロになってからも遠征先で会食をする仲である[88]

プロ入り時の契約金で、病気で片足を失った父親のために義足を購入した[89]。また、当時のドラフト会議時には指名された選手の顔写真がモニターに表示されるが、中央球界では無名であったので、ドラフト1位の選手の中で唯一顔写真が表示されなかった。

ドラフト指名時の目標とする選手に当時ソフトバンクに所属していた川崎宗則を挙げ[6]、2008年1月の自主トレは合同で行った[90]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2010 ソフトバンク 44 29 23 15 6 2 0 0 8 3 3 0 4 0 2 0 0 8 0 .261 .320 .348 .668
2011 97 244 218 30 55 7 3 1 71 22 22 2 16 1 4 0 5 48 1 .252 .281 .326 .606
2012 63 55 53 12 10 1 0 0 11 5 13 0 1 0 1 0 0 18 0 .189 .208 .208 .411
2013 33 28 25 4 3 1 1 0 6 1 1 0 2 0 1 0 0 10 0 .120 .154 .240 .394
通算:4年 234 356 319 61 74 11 4 1 96 31 39 2 23 1 8 0 5 84 1 .232 .261 .301 .562
  • 2014年度シーズン終了時

年度別守備成績[編集]


一塁 二塁 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2010 2 3 0 0 0 1.000 - 13 7 0 0 0 1.000
2011 22 74 7 0 5 1.000 - 75 115 3 0 2 1.000
2012 14 30 1 1 0 .969 1 0 0 0 0 .000 40 30 0 0 0 1.000
2013 - - 23 9 0 0 0 1.000
通算 38 107 8 1 5 .991 1 0 0 0 0 .000 151 161 3 0 2 1.000
  • 2014年度シーズン終了時

記録[編集]

初記録
その他の記録
  • 32盗塁連続成功 ※プロ野球記録

背番号[編集]

  • 37 (2007年 - 2013年 , 2015年 - )
  • 31 (2014年)

登場曲[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 福田が呼んだM1!ソフトB今日にもV 2011年10月1日 日刊スポーツ
  2. ^ a b 月刊ホークス2007年2月、P14
  3. ^ a b c d e ソフトB高校生1巡目福田/連載3 2006年12月5日 日刊スポーツ九州
  4. ^ 大器「38号」にも笑顔なく 多摩大聖ケ丘・福田君 2006年07月29日asahi.com
  5. ^ 学校名検索・多摩大聖ケ丘 第88回全国高校野球選手権大会 asahi.com
  6. ^ a b ソフトB1巡目・福田「川崎2世」目指す 2006年9月26日 日刊スポーツ九州
  7. ^ ソフトB高校生1順目福田初日欠席 2007年2月2日 日刊スポーツ九州
  8. ^ へんとう炎で練習を休んでいた福田は休日返上で練習を行い球場を引き揚げる 2007年2月6日 日刊スポーツ九州
  9. ^ ソフトB福田が宮崎で1発! 2007年10月14日 日刊スポーツ九州
  10. ^ ソフトB福田が初A組でアピール 日刊スポーツ九州
  11. ^ 【ソフトB】福田が休日返上トレ 2008年2月13日 日刊スポーツ
  12. ^ ソフトB福田、長谷川が2軍へ 2008年2月25日 日刊スポーツ
  13. ^ ソフトB福田が腓骨骨折、入院せず静養 2008年5月7日 日刊スポーツ
  14. ^ 2008年8月2日(土) 山形タカスタ (2008フレッシュオールスター・ゲーム)
  15. ^ ソフトバンク 2軍戦で3者連続本塁打! 2008年8月13日スポニチ
  16. ^ 2008年度ファーム日本選手権 試合結果
  17. ^ 福田!荒川!ヤングホークスが躍動 2008年10月4日スポニチ
  18. ^ 左足疲労骨折のソフトB福田が9日手術 2009年7月8日 日刊スポーツ
  19. ^ a b 福田よ鷹の稼頭央になれ秋山監督独占指導 2009年11月12日 日刊スポーツ
  20. ^ ソフトB福田がヤクルト田中浩に弟子入り 2009年11月24日 日刊スポーツ
  21. ^ ソフトB4年目福田がキャンプ初1軍発進 2010年1月31日 日刊スポーツ
  22. ^ けしからん守備連発…ソフトバンク4年目 2軍降格 2010年2月19日スポニチ
  23. ^ 2軍試合結果 | 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト 2010年5月7日
  24. ^ テキスト速報 | 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト 2010年4月30日
  25. ^ ソフトB福田初出場「緊張しなかった」 2010年5月1日 日刊スポーツ
  26. ^ ソフトB福田プロ初打席三振 2010年5月13日 日刊スポーツ
  27. ^ テキスト速報 | 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト 2010年5月22日
  28. ^ 【ソフトB】初先発福田が初安打初打点 2010年5月22日 日刊スポーツ
  29. ^ 福田プロ初安打初打点に「喜」と「哀」 2010年5月23日 日刊スポーツ
  30. ^ テキスト速報 | 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト 2010年7月19日
  31. ^ 成績詳細 | 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト 2010年10月18日
  32. ^ a b c 「持ってる」22歳 福田連日のV打、そして“優勝球” スポニチ Sponichi Annex、2011年10月2日
  33. ^ 開幕ローテへ山田、佑ちゃんに負けん 2010年10月31日 日刊スポーツ
  34. ^ 若鷹奮闘記2010 in ウィンターリーグ | 福岡ソフトバンクホークス
  35. ^ Brisbane Bandits Stats 2010年ブリスベン・バンディッツ選手成績
  36. ^ 星野育成担当 オーストラリア武者修行だより Vol.6 最終回 2011年1月5日配信 選手ニュース | 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト
  37. ^ 【ソフトB】リタイア1号は福田 2011年2月1日 日刊スポーツ
  38. ^ 強制送還!秋山監督いきなり指令 2011年2月2日 日刊スポーツ
  39. ^ ソフトB福田アピール弾!強制送還バネ 2011年3月30日 日刊スポーツ
  40. ^ ソフトB福田、好捕で存在感 2011年5月1日 日刊スポーツ
  41. ^ ソフトB10連勝、投打に“代役”活躍 2011年6月2日 日刊スポーツ
  42. ^ 成績詳細 | 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト 2011年6月6日
  43. ^ | 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト 2011年6月12日
  44. ^ 内川の代役3番は打点王・松田 右翼は福田、中村、江川起用へ 2011年6月24日スポニチ
  45. ^ 成績詳細 | 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト 2011年7月3日
  46. ^ 重盗で先制!ソフト首位快走 2011年7月11日 日刊スポーツ
  47. ^ ソフトB福田負傷交代も「そんな悪くない」 2011年7月15日 日刊スポーツ
  48. ^ 【ソフトB】福田8月上旬に実戦復帰 2011年7月22日 日刊スポーツ
  49. ^ フレッシュ球宴先発は矢地VS阿部 2011年7月20日スポニチ
  50. ^ 【ソフトB】2軍で福田5安打6打点 2011年8月30日 日刊スポーツ
  51. ^ ソフトB超伏兵福田ダル沈めるV打 2011年9月7日 日刊スポーツ
  52. ^ ソフトB福田初猛打賞 お立ち台は超緊張 2011年9月29日 日刊スポーツ
  53. ^ 【ソフトB】福田「嬉しい」プロ1号 2011年9月30日 日刊スポーツ
  54. ^ 福田が大仕事!ソフトバンク痛快逆転勝ちでM「1」! 2011年10月1日スポニチ
  55. ^ 佑世代福田 優勝キャッチで笑顔 2011年10月2日 日刊スポーツ
  56. ^ テキスト速報 | 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト 2011年10月1日
  57. ^ 【ソフトB】福田150%増2500万円で更改 2011年12月5日 日刊スポーツ
  58. ^ テキスト速報 | 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト 2011年11月5日
  59. ^ テキスト速報 | 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト 2011年11月13日
  60. ^ ソフトバンク快勝 2回に打者一巡 3投手で完封リレー 2011年11月26日スポニチ
  61. ^ テキスト速報 | 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト 2011年11月26日
  62. ^ テキスト速報 | 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト 2011年11月29日
  63. ^ ソフトB福田 宙飛ぶスーパーキャッチ 2012年5月1日 日刊スポーツ
  64. ^ 【ソフトB】福田が初回に右前適時打 2012年5月22日 日刊スポーツ
  65. ^ 福田 王手 隠れ日本記録 連続盗塁成功 ただいま30回 2012年7月25日西日本スポーツ(リンク切れ)
  66. ^ 【ソフトB】福田順調に回復「1月には」 2012年11月24日 日刊スポーツ
  67. ^ 【ソフトB】福田が左足手術 復帰3カ月 2012年11月5日 日刊スポーツ
  68. ^ 【ソフトB】福田「大きな1歩」実戦復帰 2013年5月7日 日刊スポーツ
  69. ^ 【ソフトB】福田が初安打&初打点 2013年7月6日 日刊スポーツ
  70. ^ 【ソフトB】福田31回連続盗塁成功 2013年8月3日 日刊スポーツ
  71. ^ 若鷹奮闘記2013 in ウインターリーグ | 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト
  72. ^ Statistics : Gigantes de Carolina MLB.com 2013年度ヒガンテス・デ・カロリーナ選手成績
  73. ^ 【ソフトB】福田300万減 激戦区で意欲 2013年12月25日 日刊スポーツ
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  75. ^ ソフトB福田「37」奪回を誓う 2013年12月26日 日刊スポーツ
  76. ^ 福田と高田が休日練習組に“合流” 2014年2月5日 日刊スポーツ
  77. ^ ソフトB福田、金子1軍合流「アピールを」 2014年3月18日 日刊スポーツ
  78. ^ 福田秀平選手の手術について ソフトバンク球団公式サイト 2014年8月13日配信
  79. ^ 福田秀平選手の手術について ソフトバンク球団公式サイト 2014年8月26日配信
  80. ^ 2014年度 ウエスタン・リーグ 【盗塁】 リーダーズ(打撃部門)
  81. ^ 背番号の変更について ソフトバンク球団公式サイト 2014年11月26日配信。
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  83. ^ ソフトB、高谷のインフル感染と福田の骨折を発表 2015年3月23日 日刊スポーツ
  84. ^ ソフトバンク・福田が実戦復帰「ここからどんどんアピール」 2015年4月28日スポニチ
  85. ^ ソフトB福田、昇格即スタメンで千金適時打 2015年5月9日 日刊スポーツ
  86. ^ “ソフトの苦労人”福田がプロ野球新!32盗塁連続成功! 2015年5月10日スポニチ
  87. ^ 連続盗塁成功32で止まった 福田 2015年5月11日 西日本スポーツ
  88. ^ 佑ちゃん親友・福田がダルからV打「自信になる」 スポニチ Sponichi Annex、2011年9月7日
  89. ^ ソフトバンク入団福田「父に義足を」 2006年12月11日 日刊スポーツ
  90. ^ ソフトB川崎が鹿児島で自主トレ 2008年1月9日 日刊スポーツ

関連項目[編集]

外部リンク[編集]