伊奈龍哉
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 |
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| 出身地 | 兵庫県洲本市由良町 |
| 生年月日 | 1988年5月9日(38歳) |
| 身長 体重 |
182 cm 84 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投左打 |
| ポジション | 外野手 |
| プロ入り | 2006年 高校生ドラフト3巡目 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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経歴
プロ入り前
洲本市立由良小学校2年生時、地元の「由良少年野球クラブ」で野球を始める[1]。当時は遊撃手だった。また陸上競技もしており、6年生だった2000年には洲本市陸上競技大会の100メートル走で優勝している[2]。
洲本市立由良中学校入学後は1年生のころのみ「神戸少年シニア」に所属したが、試合出場はなく、後に野球活動は休止し[1]、同中の陸上部に所属し、砲丸投げでは1年時の2001年に開催された第32回ジュニアオリンピック陸上競技大会で17メートル48の大会新記録を残して優勝[3]、3年時の第34回大会でも15メートル70で優勝を果たした[4]。
その後、甲子園でプレーしたいという夢を叶えるため、知人を通じて近江高等学校に進学し[1]、打者として頭角を現す[5]。1年生だった2004年秋からベンチ入りし[6]、2年生になった2005年春から四番打者を任せられる。その長打力から「湖国のゴジラ」と評された[5]。2005年6月時点で高校通算31本塁打を記録[1]、夏の滋賀大会では2本塁打を放ち、チームの甲子園出場に貢献した。推定飛距離150 mの本塁打も放っている。甲子園では四番打者として出場したが、このころから右肩痛に悩まされ、2006年1月に痛みの原因となっていた遊離軟骨の除去と筋肉の縫合手術を受けた[5]。しかし完治せず、同年の夏の滋賀大会は1回戦で敗退、その翌日には激しい右肩痛に襲われていた[5]。
高校通算で74本塁打を記録していたが、このように故障を抱えていたことから、同年のプロ野球高校生ドラフト会議前に積極的にアプローチをかける球団はなく、ドラフト会議で指名した場合に備えて調査書の提出を求めてきた球団は北海道日本ハムファイターズのみだった[5]。しかしドラフト会議当日の9月25日、福岡ソフトバンクホークスから3巡目で指名を受け[7]、同年10月1日に仮契約した[8]。契約金は5000万円、年俸は600万円(いずれも推定)[9]。入団時は当時のソフトバンク監督であった王貞治が記録したNPB通算868本塁打の世界記録を塗り替えたいと語っていた[10]。
プロ入り後
入団後の2007年4月16日に右肩上方および前方関節唇修復の手術を行ったが[11]、手術後も戦力として見込めないと判断され、同年10月27日には戦力外通告を受ける[12]。高卒選手がプロ入り1年目で戦力外通告を受けたことは異例である[12]。11月30日付で自由契約選手としてNPBコミッショナーから公示された[13]。同年12月25日、四国・九州アイランドリーグの徳島インディゴソックスに入団することが発表された[14]。
2008年はシーズン開幕後、指名打者を中心に5試合に出場したが、右肩の回復が思わしくなく、徳島は5月31日付で選手契約を解除、伊奈は練習生としてチームに残り右肩の療養を行うことになった[15]。出場5試合での打撃成績は、14打数2安打、打率.143、2打点、1盗塁[16]。のちに退団する。
選手としての特徴・人物
高校2年生だった2005年6月時点でベンチプレス130 kg、背筋力300 kg、握力80 kgを記録していた[1]。プロ入り当時は握力は右手87 kg、左手81 kgで、背筋力は304 kgあったが、それまでまともなウエートトレーニングはしていなかったという[5]。また100メートル走の記録は11秒88[5]。
詳細情報
年度別打撃成績
- 一軍公式戦出場なし
独立リーグでの打撃成績
以下の数値は四国アイランドリーグplusウェブサイト掲載の各シーズン選手成績による[16]。
| 年 度 | 球 団 | 打 率 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 打 点 | 三 振 | 四 球 | 死 球 | 犠 打 | 犠 飛 | 盗 塁 | 長 打 率 | 出 塁 率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2008 | 徳島 | .143 | 5 | 16 | 14 | 2 | 2 | 0 | 1 | 0 | 2 | 7 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | .286 | .188 |
| 通算:1年 | .143 | 5 | 16 | 14 | 2 | 2 | 0 | 1 | 0 | 2 | 7 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | .286 | .188 | |
背番号
- 55 (2007年)
- 17 (2008年)
脚注
- 1 2 3 4 5 6 『スポーツ報知』2005年6月30日付6頁「高校野球選手権[甲子園どーんと行ってみよう]近江・伊奈龍哉外野手」(報知新聞社 金川誉)
- ↑ 『神戸新聞』2000年9月17日朝刊淡路版28頁「622人が全力で挑戦/洲本市陸上競技大会/家族も熱心に応援」(神戸新聞社)
- ↑ 『神戸新聞』2001年11月2日朝刊28頁「ジュニア五輪出場の伊奈、○○君/活躍ぶり市長に報告/洲本【淡路版】」(神戸新聞社)
- ↑ 『神戸新聞』2003年11月22日朝刊地方版26頁「砲丸投げ 日本一など報告 中学生3人が洲本市役所訪問」(神戸新聞社)
- 1 2 3 4 5 6 7 『中日スポーツ』2006年9月22日付第5版11頁「運命の25日 高校生ドラフト(下)伊奈(近江)高校通算74本のスラッガー 右肩の故障がネック」(中日新聞社 兼田康次)
- ↑ 『毎日新聞』2004年10月22日大阪朝刊地方版21頁「秋季近畿地区高校野球大会 チーム紹介(その1) /大阪」(毎日新聞大阪本社)
- ↑ 『中日スポーツ』2006年9月25日付第5版5頁「パ交渉権獲得選手」(中日新聞社)
- ↑ 『西部日刊スポーツ』2006年10月2日付「ソフトバンク情報 3巡目指名の伊奈と仮契約」(日刊スポーツ新聞西日本【浦田由紀夫】)
- ↑ 『12球団全選手カラー百科名鑑2007』72頁
- ↑ 『中日スポーツ』2006年9月26日付第5版6頁「ソフトバンク3巡目伊奈外野手(近江)「王監督の868本に挑戦したい」」(中日新聞社)
- ↑ 『西部日刊スポーツ』2007年4月18日付「ソフトバンク 高校生ルーキー伊奈が右肩を手術」(日刊スポーツ新聞西日本)
- 1 2 『スポーツ報知』2007年10月28日付4頁「ソフトバンクが伊奈龍哉ら3選手に戦力外通告」(報知新聞社)
- ↑ 『中日新聞』2007年12月1日朝刊22頁「プロ野球 コミッショナー公示」(中日新聞社)
- ↑ 『徳島ISに元ソフトバンク・伊奈龍哉選手入団決定』(PDF)(プレスリリース)四国・九州アイランドリーグニュースリリース、2007年12月25日。オリジナルの2008年12月3日時点におけるアーカイブ。
- ↑ 『徳島ISが伊奈選手との契約を解除』(PDF)(プレスリリース)四国・九州アイランドリーグニュースリリース、2008年6月1日。オリジナルの2014年10月25日時点におけるアーカイブ。
- 1 2 「記録2008年シーズン」『四国アイランドリーグplus』IBLJ、2008年。2016年12月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年1月12日閲覧。